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大野晋氏の“クレオールタミル語”論はやはり妄説?
- 大野晋氏の“クレオールタミル語”論は学会で受け入れらていない
- 歴史学的には存立の可能性は否定されるべきか
- ハインリッヒ・シェリーマンの例もあり、再評価の可能性はあるか
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いいところをおつきになった鋭いご質問だと思います。 大野説の批判を1980年代はじめになさった学者はベルリン大出の村山七郎と、ヴィエナ大出の風間喜代三です。いわばインドヨーロッパ古典派の比較言語学の方々ですから、ああおっしゃるほか無かった。 では、親縁関係は無いがクレオールのような混種語の関係は、と大野説が方向を変えます。 僕の見るところ、インドヨーロッパ語族の人たちは牧畜による人が多く、それだけに牧草を求めて動物とともに動いた。自然と戦い、今でいう自己中の人が多かった。だから数詞でさえ再構できる。 日本の先祖は、農業に従事し、土地に縛られ、農繁期には地域社会の労働力結集が必要だった、一匹狼では難しく、「和」を尊んだ。他との取引も多く、数詞は中国を中心に拡散している。 これでインドヨーロッパ式の再構成は、沖縄のような海に囲まれた離れた島では、可能ですが、外に模範を求める日本のような文化では朝鮮語、漢語、今では英語など借用語が多すぎます。 ま。こういうことで、まわりと言語的に隔絶した特殊な状況で発達した印欧式比較法では、うまくいかない環境だと思います。大野説は古典的比較方法論に疑問を投げかけた点で、重要だと思います。
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大野晋さんの【日本語の起源】岩波新書は当時随分読まれたのではないでしょうか。当時はタミル語は全く対象外だったと思いますが、朝鮮語の単語を調べた結果が詳細に出ていました。大野さんは、その後タミル語に出会って単語だけではなく文法(確か係り結びに関する)にも類似性があるという見解を発表しています。ヨーロッパの言語の中にはドイツ語と英語の間に専門家でない人でも一目でわかる類似性があるものがありますが、アジアの言語は特有の複雑さがあるのではないでしょうか。
お礼
kaitara1さん、貴重なご見解を有り難う御座います。 どうか今後もお教えをいただけますように。
補足
有り難う御座います。 いろいろに符合するところが書かれていたと曖昧ながら記憶しております。 いろんなルートで数次数波にわたって、いろんな民族や人種の方が来訪す、融和し、共住みしてきていると存じます。 しかし私自身は南インド、南アジア、そして環太平洋とその沿岸の方々の心性は日本人の心性の基底基盤をなしているように思えて、大野晋氏の論に今更ながら注目をやめることができないでいます。 アジアの民族と言語の交流は非常に複雑でしょう。 日本人の心性の特徴を考えると、どうしても南インド的なものに目が向いてしまうのです。 有り難う御座いました。
- bismarks0507
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妄想かもしれないけど、”全く影響がない”と言えるほど日本のオリジンは明確なものがあるわけでもないっしょ? 小生は、可能性を全否定しようとも思えないし、実際、学界(学会)レベルでも「肯定しえない」という意見であっても、”否定しきれる”という主張は見たことがないので・・・・ そもそも、タミール語にしろ、ドラヴィダにしろ、概念的に明確なものがあるほど確立したものではない・・という部分もあって、明確に否定できる人がいるほど簡単な話でもない・・と思われ むしろ、”未開かつ研究が未熟が故に、妄想でも説得力を持ち得る”という可能性・余地もある・・・という評価が妥当だと思われ 個人的には、ロマン云々含めて好きではあるが、なにより先んじて思慮するべきは、言語学上のタミル語の定義の問題だと思われ 以上、甚だ簡単だが
お礼
有り難うございます。 仰せのような態度、構えは、そしてスタンスは大事ですね。 タミル語などの対象確定も大事ですね。 ただ日本人という集団を構成するに到った経緯には、環太平洋の方々、その沿海の方々、南アジアの方々の縄文やそれ以前から幾数次かの集団的な移住などがあったのではないかと思い、そういえばこんな言語共通もあるなぁ、と素人(専攻は一応60年代の福祉)ながら思っていまして、少し経って大野晋さんの岩波文庫を読んでの記憶でした。 言語の比較対照って、単なる感じだけですると、思わぬ間違いになりますね。 でも何か捨てきれない、共通性を感じています。
大野晋さんの所説の本筋と少し違うのではありませんか。発音の類似は、説が唱えられたきっかけではないと思います。発音の対応に関する規則は私のような素人が読んでもまったく分からないほど難しいもののように思います。
お礼
有り難う御座います。 私の文章では大野晋さんの所説の本筋を少し外れているのですね。 有り難う御座います。 それは大野晋さんにたいへん失礼でした。 ただ日本人という集団を構成するに到った経緯には、環太平洋の方々、その沿海の方々、南アジアの方々の縄文やそれ以前から幾数次かの集団的な移住などがあったのではないかと思い、そういえばこんな言語共通もあるなぁ、と素人(専攻は一応60年代の福祉)ながら思っていまして、少し経って大野晋さんの岩波文庫を読んでの記憶でした。 言い訳になりましたが、そんなことでして、発音の照合と突合せはとても難しいですよね。 同じ日本語でも、時代や所属の職業などが違うと簡単な突合せは無理ですね。 以後、注意したいと存じます。 かし例に挙げたものは実は私の気付きもあるのですが、他の本にもでていたものもあります。
お礼
SPS700さん、 やはりご訪問くださりましたか。有り難う御座います。 何回か同じ質問を起していれば、必ずお会いできるのではないかと思ってはおりました。 さすがですね。 南インド、環太平洋と沿岸における交流についての考古学的研究が進む事を祈願しております。 有り難う御座いました。
補足
★労働力結集が必要だった、一匹狼では難しく、「和」を尊んだ。他との取引も多く、数詞は中国を中心に拡散している。 という事から始まるお説はたいへん示唆的です。 島国として孤立しているかのようなこの列島よりも、地面のつながりと移動のあった牧畜文化の方がより隔絶性の蓋然性が高いという分析も注目したい。 インドヨーロッパ的な言語論ではこの環太平洋の融合性と広範な交流の可能性を視野に入れることができなかったのでしょうね。 有り難う御座います