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日本語クレオール・タミル語説はなぜ潰されたのですか
日本語は南インドのタミル語のクレオール語(接触言語)であるという日本語学者の大野 晋博士の説をどう思いますか.私は賛成ですが,言語学者の大反対により潰されてしまいました.大野氏は1978年から成果を発表し,2000年にその集大成を「日本語の形成」として上梓しました. 私はそれほど対応するのならと記紀万葉集で意味不明となっている語彙を自ら対応させてきましたが,まず間違いないという感触を受けました.数詞対応は1,3,8は対応します.しかしそれ以外はタミル語の数詞ではなくタミル語の単なる数字を日本語では取り入れています.おそらくこれは数詞隠語でしょう. また枕詞の主要なものはタミル語(古語ですが)で綺麗に解けます. 代表的な枕詞,例えば「飛ぶ鳥のアスカ」という枕詞「飛ぶ鳥」があります.なぜアスカが鳥に関係あるのかと言えば,タミル語acukanというのは「鳥」を意味するからです. とはいえ,飛鳥にとりわけ目立つ鳥がいるわけではありません.これは本来acu(狭い)に場所を意味するkanをくっ付けると遠つ飛鳥は確かに狭いのです(約1.6キロ、東西約1.0キロ前後しかない).このacu・kanをくっ付けると偶々acukanとなり,「鳥」という意味となります. あと一つ,沖永良部島の意味に関してタミル語で調べてみたことがあります. 沖永良部島というのは、タミル語からすると「火山島」という意味です. 火山(volcano).をタミル語でakkin2ippiLappuという.これはokinowerabuと問題なく対応します(a/o交替). /ni/が/no/となったのは類推交替によるものでしょう.当初はオキンピラプとでも言っていたかも知れません.この「ぴ」は,口蓋化でp/w交替してオキノウィラブから更にオキノエラブとなったでありましょう..akkiniは「火(fire).」を意味します.したがって「沖の」は当て字である. pilappuは「亀裂・裂け目(crevice).」、併せて「裂け目からの火→火山」となります.大地の裂け目から火が噴き出すのが火山です.タミル語には「火山」を意味する語は上記とakkinimalaiの二語しかありません.沖永良部島のwikiを見ると、島の名前の読みについては、1973年に当時の和泊町長が町議会で「おきのえらぶじま」が正式であると答弁しています. 和泊町議会において「おきえらぶじま」と「の」を抜いた形での呼称統一を決議したことにつき、町側は区長会や観光協会など町内5団体と意見交換した結果、いずれも「変更の必要なし」との結果となりました.正しい日本語が勝ったわけです.その点,佐渡ヶ島を佐渡島と坐りの悪い呼称としてしまったのは何のためでしょうか. ▶口永良部島 ところで沖永良部島と同じ火山島である口永良部島は「クチ」が「火(fire).」を意味するkocciで(o/u交替).、続く「の」は、沖永良部島と異なり、連体格を示す格助詞「の」です.malaiは丘,あるいは山(hill, mountain).を意味します. したがって、これはタミル語を元にした日本語での合成語なので、タミル語をそのまま沖永良部とした場合とは異なります.サンスクリット語ではagniparvata[火山(fire-mountain).]の一語のみで、agniはタミル語に入ってakkin2iとなったか,逆にタミル語からサンスクリット語へ貸し出した可能性もあります.parvataは「山(a mountain).」を意味します. ざっと以上なように調べたのですが,言語学者は「タミル語祖語と日本語祖語を使って対応関係を見出すべきだと主張し,大野説に何故か大反対のため,この説はなかっったことにされてしまいました.しかし,祖語をひねり出すまでもなく,両語は酷似しているのでその必要がないのです. いろいろ彼らの主張を読んでいると.比較言語学者らは,「大野という部外者が何を言うか」とシマ荒らしとして捉えているのがよくわかります.しかしそうするともうこれは学問上の反論とは言えなくなります.こういう実体をみると情けなさを感じるのは私だけでしょうか. もう一つ,著名な言語学者らは「比較言語学の原則をはずれている」とも言います.だから駄目,という論法です.しかし,日本語とタミル語はあまりにも似ているので,再構形は立てる必要は もう一つ,「虫のしらせ」「虫があわない」「虫がいい」「むしがある」「むしが据わる」「虫が鎮まる」の「虫」とは何か.昆虫の「虫」では本当の意味が分かりません. この「ムシ」はタミル義の「punti」です.意味は「心(mind)」です.唇音同士のp/m交替は頻繁にあります. こういう対応がたくさんあります.どう思われますか?
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- SPS700
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#4です。なぜ語彙統計学に触れたかはっきり申し上げませんでしたので補足です。 語彙統計学は、放射性炭素C14が、一定の速さで変わることに触発され、日本でも60年代には信奉する人がいましたが安本美典あたりで終わります。 語彙統計学には、短所と長所があります。短所は言葉の変化は「一定でない」ことで、これが致命的な打撃でした、長所は基礎語彙でも「減る」と言うことです。 減ると言うことは、基礎語彙が100でも、250でも、やがてはゼロになることです。これが、印欧式比較言語学の手法の限界です。
- SPS700
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ちょっと『日本語以前』と言うのをのぞいてみました。日本語は何語につながっているかは、金沢庄三郎の『日鮮同祖論』などいろいろあるようですね。 インドヨーロッパ大陸の西半分は繋がっていてアフリカから、人がインドまで来て追い返されヨーロッパに方向転換し、その過程で、あちこちに別れたため、グリム式の比較言語学が生まれました。 同じ大陸の東側は気性が違っていたのか、島が多かったのか、せいぜい6千年ぐらいしか探れないグリム式の再構では、届かない深い溝があります。 浅いところでは、沖縄語と日本語、漢系の諸語、オーストロ・アジアと呼ばれる言語群などがあります。しかしタミル語と日本語の間には音韻対応と呼ばれるものはありません。 アメリカ大陸では以前あった多数の言語の分類にサピアが当たり、印欧手法で纏められる語族と「纏められない」グループに別けました。ホカン・スーがゴミ溜め語族と言われるのはそのためです。 その理由は「大語族」と言うのは印欧語族に匹敵する分離時点にありますがそれ以外はもっと前からのことになるからです。一時スワデッシの語彙統計学などで言語間の距離が測れると言う時代もありました。 ですから、大野晋の研究は、ある限界より古い関係は、証明の方法がなく、タミル語と日本語の親縁関係があるとも、無いとも言えないと、従来の比較言語学の限界を示したと言う点で、立派な業績だと思います。
- 4500rpm
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大野晋さんの説は、偶然の一致やこじつけによる一致が排除できず、語源俗解の域を出なかったので、取り入れられなかったと思います。 >数詞対応は1,3,8は対応します →「は」ではなくて、大部分が一定の法則で対応するとか、 例えば、日本語の数詞、ひとつ(ひ)、みっつ(み)、やっつ(や)がどのように対応するのでしょうか。 計量比較言語学では、数詞、身体語を含めた基礎語彙で関係性を確かめています。 その結果では、タミル語よりビルマ語系の方が日本語に関係が深いと言われています。
お礼
真摯なご回答ありがとう御座いました。 あるSITEに書かれていたことを記述者の方の了解を得て、質問形式にしたのですが、これは、大野説反対の学者の方々が、大野さんが2000年にクレオール語だと主張しているにもかかわらず、あくまでも伝統的な比較言語学によって 対峙(退治?)しようとするのに疑問を持ったからでした。 質問の仕方がやや逸れたものとまってしまいました。 ただ、ご回答頂いたことにつきましては、新たな知見を得ることが出来ました。ありがとう御座います。 初めての利用でまだ勝手が分からないため、不手際がありましたらお詫び申し上げます。また機会があれば是非よろしくお願い申し上げます。
補足
皆さんそういわれます.ですが,ではどこの部分がおかしいのか,という質問には誰も指摘できません.つまり,学者が反対しているからということで,学者の謂いをそのまま無批判に受け入れているのではと. 1970年代後葉,日本語学の泰斗,大野 晋博士によりこの大野説が発表されて以来、激しい批判が言語学界からなされ、中身を深く検討せずして批判する学者も現われました.古くは言語学者,村山七郎氏が大野説反対の論陣を張りました.同氏は大野説は方法論が間違っている,といいます.つまり「方法が比較言語学の原則的方法から外れていれば,どんなに沢山の比較例を出しても,無意味である」とする(「日本語…タミル語起源説批判」三一書房.1982年.p.12-13). なおまた同氏は「飛(た)ブという語形が古記録及び方言資料に実証されない以上,飛(た)ブは大野氏のつくりあげたユウレイ語である,という結論に私たちはたどりつく」(村山七郎「タミル語起源説批判・・・日本語」(三一書房.1982年.p.43)などという. 同氏のいう「比較言語学」は,厳密にいえば印欧流比較言語学のことで,これに沿った方法,つまり共通祖語を立てて分析する手法を採っていない大野説など「まじめな研究とは受けとれない」(同p.13).と断言する.この同氏の主張は今日もなお生き続けている. では村山氏ご自身はどのような対応のさせ方をしているのであろうか. 以下の村山氏の語源解釈を紹介します. ※とことば 「仏足石歌碑」に「これの世は 移り去るとも止己止婆尓(とことばに). さ残りいませ後の世のため」(第十歌).とある. この「とことば」の意味について村山七郎「日本語系統の探求」(p.15以下).は、*batu>*p.ato(磐).という語を原始日本語は持っていたとし、tokoNpato(常磐).という語を想定する.そしてこの合成語が、*tokoNpato(トコンパト).>*tokotoNp.a(トコトンパ).>*tokotoba(トコトバ).という変化を生じて「とことば」になったとします. なお、この-N-は「連濁を引き起こす要素」とするが、そのような要素がこのように移動するものか極めて疑わしいことです.比較言語学の泰斗がこの程度なのです. また、磐は「イ・ハホ」であろうとし、「原始日本語*patoの先日本語は*batuであったはずで、これは南島祖語形としてデンプウォルフが『石・巌』にたいして復元した*batuと一致する」とする(p.20).なお,「イ・ハホ」という分析がなぜ*patoに繋がるのかは遂に示されることはなかった. このように,この「トコンパト>トコトンパ」説はかなり牽強付会の解釈と言わざるを得ません.ところが,同氏が大野氏の説を批判した際,「語形が古記録及び方言資料に実証されない以上,飛(た)ブは大野氏のつくりあげたユウレイ語である,という結論に私たちはたどりつく」と断言しているのです.「私たち」ということは日本の比較言語学界の見解だというわけでありましょう. では磐を「パト」とかいう語形は日本の古記録及び方言資料に実証されているのか,といえばそのような語形はどこにもみつからないのです.しかもこの「パト」をひっくり返して「トバ」とする.これでは言語サーカスです.とすれば,同氏のいうユウレイ語そのものではないだろうかと思います.このようなあからさまなダブルスタンダードに対し,ほかの言語学者が反論したという話はまったく聞きません. 殊に磐を日本語で「パト」と言っていたなどというのは、南島祖語形なるもののいかがわしさを披瀝する以外のなにものでもないと思います.岩をパトなどと言った形跡はどこを探してもない.しかもこの「パト」をひっくり返して「トバ」とする.これでは言語サーカスです. 「とこ」は「常」であり、タミル語takk-am[確固・安定(stability).]からのa/o対応で*tonk-o>tok-oとなります. 常(トコ).は大辞林などによれば「いつも変わらぬ、永遠であるなどの意」であるから、意味も問題なく対応する. 「常」に「時」の文字を充てるばあいもあったのは、日本語「とき(時).」と対応するタミル語takkaN-am[時間の単位(a unit of time-measure).](a/o対応.-nの脱落).がtakk-amと相似しているところから…. 「とば」はタミル語tuv-am[永久(permanence).]が対応します(u/o 対応.v/f 対応).. これは日本語「永久(とは).」であり、平安時代まではtob-a(とば).と言った(u/o 対応.v/b 交替). つまり「とことば」というのは、toko(常).とtoba(永久).の複合語で、「確固不変」という、不変を強調した語である.万葉集183 には「わが御門 千代常登婆尓(ちよとことばに). 栄えむと 思ひてありし われし悲しも」(我らが皇子の宮殿は千代永遠に栄えると思っていた自分が悲しい).というように使われています. これらの古語を言語学者はまったく見ぬふりをしています.言語の比較は何が何でも印欧流の比較言語学でなければ解けないと馬鹿の一つ覚えのように唱える学者らには呆れるしかありません. どう思われますか?
- eroero4649
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言語学的観点ではなく、遺伝子学的観点から考察してみましょう。 今現在判明している範囲でまず日本列島にやってきた人類は、南からやってきたと推測される人々と、樺太を通って北からやってきたと推測される人々だと思われています。これがいわゆる「縄文人」と呼ばれる人々です。 しかし後に朝鮮半島を経由してやってきたと思われる人々が中心になります。これが「弥生人」と呼ばれる人々です。 日本書紀など日本に文明をもたらした人々並びに現在の我々は基本的に弥生人をルーツにしており、DNA的には韓国人と非常に近いです。現在の日本人と韓国人との間のほうが、日本人と縄文人との間より近いです。縄文人は徐々に弥生人に同化したと思われていましたが、実際は研究者が思うよりも交雑は少なかったようです。縄文人が徐々に数を減らし、そこに弥生人が広まっていったという構図のようです。 そうすると日本語を話す人々は朝鮮半島に近い人々です。縄文人との交流は思ったほどなかったわけですからね。 南方からやってきたと思われる縄文人の言葉ならまだ南インドの言語をルーツにするのは分かる気がしますが、中国東北部から朝鮮半島を経て日本に来た弥生人の言葉が南インドの言葉をルーツにするというのは正直かなり無理があるのではないかなと思います。それなら、途中にも南インドの言葉をルーツにする言語があっていいはずですが、私がネットで軽く検索した範囲では中国北方からシベリア、朝鮮半島にかけて南インドの言葉をルーツとしているらしき言語は確認できませんでした。 「あの言葉とこの言葉は似ている」は同じ人類の言葉でありますからいくらでも探すことはできると思います。 「晴れる」と「ハレルヤ」はとても似ていて、肯定的な言葉という点でも意味もなんとなく似ています。 英語だって「名前」と「ネーム」、「道路」と「ロード」はとてもよく似ています。 マレー語ではびっくりしたときに「アラマァ」というそうですし、ハンガリー語で「塩が足りない」というときは「シオタラン」というそうです。 沖永良部島の意味がタミル語で説明できるなら、淡路島もタミル語で説明できるはずです。だいたい沖永良部島がある奄美群島はほとんどどの島も火山でできた島といっても過言ではありません。トカラ列島はどれもが火山島なのに、なぜ沖永良部島だけ「火山島」なのでしょう。今の薩摩硫黄島近辺の「鬼界カルデラ」とよばれる海域は約7000年前に破局噴火を起こしていて、これが西日本の縄文人と縄文文化を絶滅させたといわれています。 質問者さんの説は、私には「クレオール・タミル語説に合わせるためにこじつけている」というふうに見えてしまいます。 「なぜ遠く離れた南インドの言葉が、突然極東の日本にあるのかの説得力がある仮説」が欲しいところですね。「似ているのだから(ルーツに)間違いないだろう」というのでは日ユ同祖論みたいなものです。ムー的な「信じるか信じないかは、あなた次第」という楽しみ方ならば嫌いではないです。
お礼
真摯なご回答ありがとう御座いました。 あるSITEに書かれていたことを記述者の方の了解を得て、質問形式にしたのですが、これは、大野説反対の学者の方々が、大野さんが2000年にクレオール語だと主張しているにもかかわらず、あくまでも伝統的な比較言語学によって 対峙(退治?)しようとするのに疑問を持ったからでした。 質問の仕方がやや逸れたものとまってしまいました。 ただ、ご回答頂いたことにつきましては、新たな知見を得ることが出来ました。ありがとう御座います。 初めての利用でまだ勝手が分からないため、不手際がありましたらお詫び申し上げます。また機会があれば是非よろしくお願い申し上げます。
補足
書き忘れました. 「ひとつ」はタミル語vit-u 1を意味する隠語(a cant term signifying one)で,これにタミル語数助詞-ttuを接辞させたものです. 三(み)はタミル語mU 三(three), 八(や)は*yAです.ただしya>a>eの古形です. 1,3,8は日本語内部で倍数法,また減数法を駆使して2,6,4を作っています. 五(いつ)はタミル語it-i つまりend(末端),つまり片手の五本指の末端から,7はnanI,9はkoku[irregularity(整っていない).10はtoc-ではないかと思います.あくまで私論です.私は学者の言うことを鵜呑みにすることは誤断を生じる場合もあると思っています.
- kaitara1
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少し古いはなしで、すこしずれますが寺田寅彦が火山の名前の類似性について随筆を書いていますね。阿蘇と浅間が似ているとかそういう話です。これはほとんど学術的な意味はないかもしれません。大野晋さんのお仕事は大変興味深いと思います。少なくともいろいろな人が議論したらよいと思います。万葉集を韓国語で読み解けるというような話もありますが、なかなか学術的な場では論じにくいのかなと思います。
補足
ありがとうございます. 10年以上前,調べたことがあります.USBに保存していたものが見つかりました. 浅間・熱海はasama,atamiと似ているので調べたのですが,阿曽は保存していなかったようで見つかりませんでした.以下,当時のメモですが,仮説として… 浅間は「燃える山」とするとazal (to burn)の/l/脱落形, maはmAn( mountain), 熱海は「熱い水」としてvetu>*vatu(古形)のvatuから語頭の半母音の脱落でatu,やまとことばでは「熱い」,水はmai (water),ただ九州では古いやまとことばが保存されているようで,後期形vetuから別府.とすると/v/は日本語では/b/とも対応しますので,これかなと当時は思いました. 八ヶ岳も火山で,888年(仁和4年)に噴火した記録がありますので,この*vatuから半母音同士のv/y交替で/yatu/になったと想像しています. 阿蘇も調べた記憶がありますがメモが逸失していました.確か,近隣に星生山があって,これは kocci(fire)の/k/の口蓋化でhocci>hosiにpu(生じる)ではないかと思いました.この/h/が更に口蓋化してocciからaso.あるいは同族と思われるcuci(fire)から,/c/の脱落でuciからu/aというよくある交替でasoとなったか,などと考えた記憶があります. 上述のazal (to burn)の/l/脱落形からasoになったのかもと今思いました.
お礼
真摯なご回答ありがとう御座いました。 あるSITEに書かれていたことを記述者の方の了解を得て、質問形式にしたのですが、これは、大野説反対の学者の方々が、大野さんが2000年にクレオール語だと主張しているにもかかわらず、あくまでも伝統的な比較言語学によって 対峙(退治?)しようとするのに疑問を持ったからです。 質問の仕方がやや逸れたものと成ってしまいました。ただ、ご回答頂いたことにつきましては、新たな知見を得ることが出来ました。ありがとう御座います。