• 締切済み

これらはみなカルトではないのか

  サラ金業を生んだユダヤ、 奇跡を説くキリスト教、 テロとジハードを実践するイスラム、 これらはみなカルトではないのか。  

みんなの回答

回答No.9

カルトかカルトじゃないか これはカルトという言葉が侮蔑、否定、嫌味、悪口的な性質を持つことを考慮すれば極めて主観的な問題の様に思われます。 天国、地獄、神、仏、etc. これらがいると云うことを人は証明出来ません。同時に非存在も証明出来ません。 例えていうと 見たことないから存在する、と断言するのが間違っていることが自明であると同様に、 見たことないから存在しないって断言するのも論理的ではないでしょう?なぜなら人は全知全能じゃないんですから 大体人間は各々の(カルトチックなw)心や考えでその(科学を含む)信仰や(自分の想像する)常識が妥当かどうか判断してるものじゃないでしょうか。 正しいかどうかわからないけど自分はこれを(妥当だと)信じるよ、っていうスタンスでなければ無神論でもユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも根源論でもどんな哲学でも 狂信的、と云う意味でのカルトになるでしょう。 反社会的勢力としてのカルトについては (大衆と利害の一致するときもある)支配者側に都合の悪い思想団体がカルト。 どんな思惑でつくられた思想も解釈の余地はあるんだから、 結局悪いのは大体人間だったりする…と思いません? つまり、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も思想、思想団体単体ではカルトになりえないと、 信者個人個人がカルトになりえる「可能性」を持っており、 そうでなくとも政府、指導者、マスコミなどによって「カルト」にされることがあるだけではないですか。いや、そうです。(反語) 長文駄文失礼しました。

  • masazai
  • ベストアンサー率36% (55/150)
回答No.8

ANo.4の方への人の道さんのお礼コメを拝読しました。 人の道さんのカルトの判定基準である 「偶像崇拝」「奇跡を説く」「地獄を説く」は現代に伝わる仏教も同様ではありませんか? 「偶像」を「神仏等崇拝対象をかたどったもの」と定義する人と、「自分の信仰対象以外の神をかたどったもの」と定義する人がいますが、初期仏教には仏像は存在しません。 仏教でも極楽と地獄を説いています。 「現在に伝わ」る仏教のお話として、ブッダが母親の脇の下から生まれた事や、生まれてすぐに7歩歩いて天を指さし、「天上天下唯我独尊」と仰ったという話。その他もろもろの「奇跡」を語り聞かされています。 私は仏教をカルトとは呼びません。 しかし、質問提示していらっしゃる人の道さんの判定基準では、仏教もカルトになってしまいませんか?

回答No.7

サラ金業を産んだ江戸の高利貸、気積を説く銀座の占い婆さん、テロとジハードのテレビゲームを作り続けるゲームソフト会社、みな普通の人間の営みじゃないだろうか。救いは無い。

回答No.6

罪を生む教え(人間の生み出した信仰)・罪を生むシステム(人間が運営するシステム)・罪を生む組織(人間が運営する組織)→「罪を意識せず、敵と見なした者を『異端』として排除する」。カルトとはそのようなもの。 ……「悪しきカルト」は人と大いに関係あり。でも、「千差万別」ですから。これ以上、何も言いません。あなたの主張に反対する気もないので、私はこれで去ります。

回答No.5

ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリム(イスラーム教徒)の信者の中には「カルト」もいるし、そうでない人もいる。ただ、それだけ。「サラリーマンはカルトではないのか?」という質問と同じようなもの。サラ金業で働くサラリーマン、奇跡を信じるサラリーマン、仕事のストレスが原因で見知らぬ他人を殺すサラリーマン……と人間は「千差万別」。みんなの「個性・人格・価値観」は違いますから、私には「Aは○○である」なんて断言できません。

hitonomichi19
質問者

お礼

  >みんなの「個性・人格・価値観」は違いますから、私には「Aは○○である」なんて断言できません。 「罪を憎んで人を憎まず」とゆー美しい言葉があります。 その意味するところは、憎むべきは罪を生む教えであり、罪を生むシステムであり、罪を生む組織であって、人ではないと。カルトとはそのよーなもの。  

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.4

>これらはみなカルトではないのか   サラ金業を生んだユダヤ、 奇跡を説くキリスト教、 テロとジハードを実践するイスラム、 これらはみなカルトではないのか。      ↓ カルトの定義が曖昧なので「どちらともいえない」 それは、崇拝や礼拝を意味するラテン語の語源Cultus の解釈からは肯定。 しかし狭義にイメージし、使われる意味:反社会的、狂信的な宗教的小集団という解釈からは、信者数や歴史からは否定。 教義・経典の一部に、ご指摘のような教えや諭しの文節や講和や価値観があるのは事実でしょうが・・・ 長い歴史と多くの指導者によって、解釈や運用と実社会との調和、体制や法令とのプライオリティや使い分けが行われ、合法的な組織であり活動として、国際的に社会的に信教の自由や布教活動を認知されているからだと思います。 ただ、組織内の対立や他宗教を排斥差別する言動においてはカルト的な要素・リスクを包含している事も事実だと思います。 これらの宗教も、発生初期には既存勢力や他宗教からは異端と見做され、危険思想として、まさしく「カルト」教団として弾圧や迫害を受けたり、逆に他宗教を排斥したり否定する対立と競合と抗争の歴史を経て今日の姿・規模・活動に至ったのでは・・・ それに、多くは奇跡的な出来事や神のお告げや選ばれた創始者が居て、その発言や行動が偶然なのか予言や予知能力かは分からないが尊敬や信頼を集め、やがて崇拝や信仰に変貌し、優れたブレーンや後継者によって体系化されたり教義として整理され発展し普及していったのではないでしょうか・・・ 個人的には、教え・自戒として信仰するのは宗教であって、自助自立&自己責任を忘れ偶像に依存したり現世利益を安易に追求する組織・教義はカルトだと思います。 因みに、私の宗派は「浄土真宗」ですが・・・ 個人的には、森羅万象すべてに神仏がおられ、私たちを見守り導いて下さっていると八百万の神の存在や叱咤激励を信じています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88

hitonomichi19
質問者

お礼

有難うございます。   >カルトの定義が曖昧なので「どちらともいえない」 私なりのカルトの判定基準 1.偶像崇拝(生き神、御本尊主義)を行うもの                      → キリスト教、創価学会 2.現世利益を追求するもの → 創価学会   3.他者を非難するもの → 創価学会 4.奇跡を説くもの → キリスト教、イスラム教 5.地獄を説くもの → キリスト教、イスラム教、創価学会 こんな結果でどうでしょう。 小集団か否かは関係ありません。  

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.3

キリストは磔されましたし、日本でも法然・親鸞・日蓮などもみんな流罪になりました。 どの時代も為政者は自分の地位をおそれて新興のものを排他するんですね。 で、カルトかカルトでないかの境目は・・・数百年経っても残っているか残っていないかだと思います。

hitonomichi19
質問者

お礼

  >で、カルトかカルトでないかの境目は・・・数百年経っても残っているか残っていないかだと思います。 それはどーでしょう。 カルトは数千年の歴史を成長し続け、今なお成長し続けており、大カルトに至ったのかもしれないし。 むしろカルトであるほど長生きするのではないでしょうか。  

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17766)
回答No.2

そういうことを言い始めたら世の中すべてのものがカルトですねwww

hitonomichi19
質問者

お礼

  >そういうことを言い始めたら世の中すべてのものがカルトですねwww すると真理の探求もカルトになるのでしょうか。 例えば、万物の根源、宇宙の法則、アルケーを慕う「人の道」もカルトになるの。  

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1

思いませんが、 視点によっては、 デカルチャーかも\(^^;)...マァマァ タリバンが、日本の共学の高校来たら ゼントラン・メルトラン・タルケ・ダカン!\(゜ロ\)(/ロ゜)/ と叫びそうだし( ^^) _旦~~

hitonomichi19
質問者

お礼

  >タリバンが、日本の共学の高校来たら これは面白い。 アフガニスタンのタリバンを帝京高校に招いてサッカーやらせるとか。