誤解を恐れずに、書くと、
ユダヤ教は、元々カナン地と呼ばれる古代メソポタミヤ文明の上流に
移住した民族の間で、信じられていた民族信仰が、
バビロン国の台頭により、民族存亡の危機に立たされたとき、
司祭階級の人が、それまでの文献(啓典)を体系化し、戒律を定め、
民族のアイデンティティを確保したことです。(恐らくモーゼの子孫)
また、この民族は商の民で、ローマ時代にはギリシャ商人の商売敵です。
この後、あまりに商業ばかりに走る同胞に愛想が尽きて、出てきたのが
イエスです。つまり、宗教改革者ですね。
このイエスが斬新だったのは、一神教を保ちながらも、戒律を大幅に緩和し、
イエスの弟子たちが、元々自分の商売敵であったギリシャ人に熱心に
布教したことです。
おかげで、最終的にローマ皇帝の後ろ盾を得ることに成功したことです。
ローマ帝国自体は斜陽の時代を迎えていましたが、それでもローマ帝国の
影響力は絶大で、後のゲルマン民族によるヨーロッパの征服時、
このゲルマン民族がローマ文化に感化されて、キリスト教をそのまま使用し
続けたことで、ヨーロッパひいては後の新大陸にまで伝わっていきます。
基本的に古代のゲルマン民族のような移動型民族は、他民族を
征服していながら、広がっていくので、宗教を広げるのには
最も適した民族でした。
最後に、このユダヤ教・キリスト教の利点を看破し、同じことを、アラビア商人
ならびに、砂漠の民に応用したのが、ムハマドのイスラム教ですね。
ローマ帝国が崩壊すると、最大の貿易国だったローマ帝国がなくなり、
アラビア(アラブ)商人は、大型顧客をなくしてしまい、さらにムハンマドの
時代まで下ると、ペルシア帝国まで斜陽の時代になってしまい、
商人同士の争いが絶えなくなります。
これを改善するため、ムハンマドが、再び、戒律を厳密にした上で、彼の軍事
および組織に対する彼の才能を駆使し、商人たちを次々と配下にしました。
その後、ムハンマドの弟子、つまりカリーフ達が、もう1つの移動民族である
砂漠の民やエジプト等を支配下に置いたことで、広範囲のイスラム教圏が
成立しました。
今もその地域は、大部分がイスラム圏です。
(ものすごく、大雑把に言うと、大航海時代の直前は、ヨーロッパ大陸がキリスト教、
残りのアフリカ地中海地域、中東、インド亜大陸がイスラム教)
今のところ、ゲルマン民族の末裔でもあるヨーロッパ人の移動力は最後まで
衰えることなく、ヨーロッパ人が未開の地と断定したところには全て自分達の国
を建て、今まで続いています。
最後に、アジア唯一の移動民族であったモンゴル民族は、一神教という強力な
統一原理を持たなかったため、あれほど広大な帝国を建国しても、文化的には
統一できず、それがまた長続きしなかった原因でもあり、あまり禍根が
残らなかった理由です。