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文章の意味を探ることできない

「江戸時代に遊廓の発達と共に成長した概念である「いき」は、媚態を含みながらも潔さ、プライドを失わず見苦しく相手に執着しない一種の悟りの境地に達している恋の美学を意味していた。」 以上の文章には、「見苦しく相手に執着しない」 の はっきりした意味を理解できないので、全文は曖昧です。 文章を分かりやすいとするために簡素にしてください、お願いします。

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noname#227653
noname#227653
回答No.3

「相手に執着する」はこの場合、男が遊女の一人を気に入って何度もその女性のところに通う、というような意味でしょう。 それに「見苦しく」がつくと、遊女の方は仕事のひとつだと思って彼に優しくしたり、好意を抱いているようなことを言ったりしているのに、男の方はそれに気付かず、彼女が本当に自分に好意を抱いているのだと勘違いして彼女に執着する、ということだと思います。あるいは彼女に嫌われているにもかかわらず彼女に執着する、ということかもしれません。本人は一生懸命なのですが、周りの人から見ると「見苦しい」わけですね。 ですから、それを否定する「見苦しく相手に執着しない」とは、遊郭の女性は仕事として自分とひと時を過ごしているのだということを忘れずに接し、関係がうまくいかなければ手を引く、というような意味だと思います。 「見苦く相手に執着しない」はかなり簡潔な(「簡素な」はちょっと変かな)表現なので、これ以上簡潔にするとかえって意味がわかりにくくなると思います。 だから「文章を分かりやす」くしたいなら、簡潔にするのではなく、ことばの数を多くしてていねいに書くしかないでしょう。 「自分も客のひとりなのだということを忘れて一人の遊女にのめりこみ、周りの人たちに『粋じゃないねあいつは』などと思われるような通い方をしない」という感じでしょうか。

MGhast
質問者

お礼

大変困難な文章です、私にとって。ご回答をありがとうございます、redgarberaさん!

その他の回答 (2)

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.2

私はこの文章の内容にあまり同意できないのですけれども。 江戸時代は結婚と恋愛は別の事で、遊廓では単にセックスだけではなくて(疑似的な)恋愛も提供する所でもあったわけです。 だから筆者は、「遊廓の遊女との疑似恋愛やセックスをあくまでも想像力の世界である、と理性をはたらかせて割り切る」、そういう事を「一種の悟りの境地」と表現しているのでしょう。 つまりこの筆者は、「お金の関係と割り切って、相手を追い求めたり、お互いの生活・人生を縛らない疑似恋愛をよしとする美意識が『いき』の意味である」と言っているのでしょう。 実際には遊廓の遊女にほれ込んで、借金を肩代わりして正式に結婚するとかいう事もあったそうですし(そしてそれが一種の美談としても語られていた)、ほれ込んだ遊女の他のお客に嫉妬するなどもよくあったようですし、遊女と心中(一緒に自殺)するのをカッコイイとするような「イキ」も流行したとの事ですので、「相手との恋愛が不全であっても潔さやプライドを失わないのがイキと思われていた」とは到底考えられないというのが私の意見です。

MGhast
質問者

お礼

Postizosさん、ご回答どうもありがとう!

  • tonimii
  • ベストアンサー率30% (185/607)
回答No.1

遊郭は今で言うところのソープやヘルスといったところです。 媚態を含みながらも潔さ → エッチなことをするけどお金を払うことで仕事化、作業化させる。(公私を分ける) プライドを失わず見苦しく相手に執着しない → 女性に要求するのではなく、お店にお金を払って仕事をしてもらう、割り切った関係

MGhast
質問者

お礼

ありがとうございます、tonimiiさん!

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