- ベストアンサー
英語の時制表現とその意味について
- 英語の時制表現には過去形や現在形があり、未来形は存在しない。意識の表現には時制がなく、第五文型の文章では意識の流れが時の流れと一致している。
- 意識の流れは英語で語順として表現され、名詞に後置することで意識の対象の動きを表現する。
- 動詞の後に前置詞が来るかどうかで視覚の一体性や時の経過を判断することができる。分詞構文も意識の変化を表現する方法として使われる。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>この考え方が正しいか、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。 御投稿が復活できてよかったですね。たいへんだったとは思いますが、taked4700さんの熱意が通じたのだと思います。 ただ、Piedpipingさんの鋭い、貴重な御意見が消えてしまいました。せっかく切れ味鋭い御回答いただいたのに、本当に残念ですね。 さて、私の回答も消えてしまいましたが私の意見は変わっていませんので前回の回答はまだ健在だという前提で、敢えていくつかの反論を申し述べたいと思います。何かのお役に立てば幸いです。 (1) >英語では、意識の流れは語順として言語化していきます。He asked her to inform me of the news. のような第五文型の文章の語順は、正に、意識の流れが時の流れと一緒になっている例です。(彼が彼女に頼む)→(彼女が私にニュースを知らせる)と言う時の流れになるわけですから。 (a)動詞だけを抽出してそれに注目して考えればそうですが、まずheが来て、次にaskedが来て、次にherが来るという基本部分は、「意識の流れ」としては説明できないのではないでしょうか。つまり、仰せのルールの適用範囲が明らかでないように思いますがいかがでしょうか。 (b)「彼はそのニュースを私に知らせるように彼女に頼んだ」という和文を考えると、この和文においても正に意識の流れの順に言葉は並んでいるので、仰せのルールは何も英語に特有のことではなく、日本語においても成り立つルールではないでしょうか。更に言えば、多分、全ての言語において成り立つルールではないでしょうか。 (2) > He taught me English. のような文章を例にとれば、me English の並びになることによって、meとEnglishの一体化が意識され、He taught English. は、He taught English to me. よりも「私が英語を身につけた」と言う感覚が強く意識されます。 これら2つの文を比べたときに感じる大きな違いは、(a)SVOOはずぼらな感じがする言い方である、(b)toを用いた言い方は誰に教えたのかを紛らわしくなくはっきりと言う言い方である、という2点であり、仰せのルールで説明するとこれら2点が説明できないように思いますがいかがでしょうか。 (3) 文中に次の(a)~(d)の言葉がありますが、これらは同じ意味でしょうか。同じであればどれか1つに統一するのがよく、異なるのであればその違いを明らかにするのがよいのではないでしょうか。 (a)意識の中でも時の経過というか変化 (b)意識の流れ (c)意識の変化 (d)意識の動き
その他の回答 (1)
- golliwog
- ベストアンサー率0% (0/5)
理論構成を見ると、ディシプリンないなあ、というのがひとつ目です。 具体例も少ないけど、もっとあるのかなあ、というのが二つ目です。 数学とは違って語学は、ネイティブの意見を気かなければ「机上の空論」にしかなりませんよ。
お礼
ありがとうございます。 >理論構成を見ると、ディシプリンないなあ、というのがひとつ目です。 そうですか?特に、今回の投稿では、「理論」と言うところまでは行っていず、単に一つのアイデア、文法の切り口を示すというような意味での投稿でした。理論構成というような大そうなものではもともとありません。 >具体例も少ないけど、もっとあるのかなあ、というのが二つ目です。 具体例は、ひじょう数多くあります。というか、五文型の中で、自分が上に述べた原則に従わない文章と言うものを、自分は多分、見たことがありません。 >数学とは違って語学は、ネイティブの意見を気かなければ「机上の空論」にしかなりませんよ。 これは、そうではないと思います。文法規則として明文化するためには、言語をある意味、物理でものを取り扱う時のように、観察の対象化する必要があります。そして、この操作は、母国語に対して行うよりも外国語の方が簡単である時もあるのだと思います。 ともかく、文法的な説明が分かりやすく、合理的であればいいのですから、「机上の空論」ではないと思います。
お礼
ありがとうございます。 関係詞編にもご回答を頂き、ありがたいと感じています。 非常に鋭いご指摘をいただきました。 1.「仰せのルールの適用範囲が明らかでない」 これの説明は確かに中途半端です。また、ほとんど推敲せずに、カードも作らずに書いたものなので、アイデアだけを述べていて、その実際の適用例が甘いとは感じています。ただ、時間とこの投稿の文字数制限などがあり、なかなか詳しく書けないという点もあるのです。 実際の本として出す時には、もっときちんとした形で、実例を必要だと思える部分で出して説明ができると思います。 2.SVOOがずぼらな言い方とは思いません。一種の省略表現であると言うことはできると思います。ともかく、英語は、名詞が並ぶことにより、それらの名詞が一体感を持つ、つまり、視点の動きを表現するものは、基本的には動詞であり、その次に前置詞であるという説明ですから、動詞も前置詞もなく、直接名詞が並ぶのは、一種の一体化を意味すると言うことで、いいと考えます。 3.用語の統一ができていない。 これはそのとおりです。注意が足りなかったと思います。ただ、ほとんど推敲する時間も無く書いているので、現状では致し方ない面があることもご理解いただけたらと思います。でも、こういう言い方は甘えですね。 とても鋭いご指摘で、ありがたく思います。重ねてありがとうございます。
補足
すいません。一つ書き忘れがありました。 >和文においても正に意識の流れの順に言葉は並んでいるので、仰せのルールは何も英語に特有のことではなく、日本語においても成り立つルールではないでしょうか。更に言えば、多分、全ての言語において成り立つルールではないでしょうか。 これについては、自分もそう考えています。「他動詞と自動詞の違い」のPiedpipingさんからのご回答No.3への「お礼」の「補足」でも、次のように述べています。 >また、意識の流れが言葉となって文章をつむぎだすという感覚は、多分、どの言語にもあると思うのですが、どうなのでしょうか。 ただ、自分が今回の質問に書いた文章は、多少不正確で、誤解を招く表現だったと思います。 自分は、五文型について述べていて、一般的な文章の流れと言う意味ではなかったのです。たとえば、I'm happy to hear that. など、実際の出来事の順番と異なる語順を持つ文章は英語でも数多くあり、時間の流れと意識の流れが一致する場合が、一般的に、五文型と言う英語の基本形にビルトインしていると言う意味だったのです。 重ねてありがとうございました。