- 締切済み
考古学カテゴリに質問があります。
実は、3月17日である今日、自分の中で疑問であることが生じたんです。 それは、 ★人類が誕生した時はどういう言葉が使われていたか。むしろ使われてなかったかどうか。 ★人類が誕生した時~現在までで、現在使われている日本語が使われるようになったのか、いつ頃なのか。 ★人類が誕生した時~現在まで、どういう言葉が使われていたか。 例えば縄文時代と江戸時代使われていた言葉はどういうふうに違っていたかや、 旧石器時代と平安時代使われていた言葉はどういうふうに違っていたか、 江戸時代と現在使われていた言葉はどういうふうに違っていたか など。 ★人類が誕生した時~現在までで、例えば現在使われている日本語である「おはようございます」「こんにちは」「こんばんわ」「ありがとう」はどういう言葉だったのか。 などの疑問です。 wikipediaで調べると、 ●旧石器時代の語源はギリシャ語で παλαιός (palaios, 古い)+ λίθος (lithos, 石)である と書かれています。 それと、自分は過去に聞いた音楽や人の声、自分の声、犬の声、全ての音声が自分の頭の中や心の中で再生される感じがあって、そのまま再生されることもあるんです。 また、自分が心の中や頭の中で思ったり自分の外に吐き出したりした情報などもそのまま頭の中や心の中で再生されます。 過去の幻聴・耳鳴りの音声(例:バッチンだよ)も自分の心の中や頭の中で再生される感じもあります。 一日中止まらないこともあります。 このようなことが人類には人類の誕生した当時からあったのか、疑問が生じたんです。 ここで質問をします。 疑問が自分の中で生じたことについて、疑問が生じたことに対する回答を具体的に書いて回答を下さい。 それと、人類が誕生した時~現在までで、例えば現在使われている日本語である「おはようございます」「こんにちは」「こんばんわ」「ありがとう」はどういう言葉だったのかで、「おはようございます」「こんにちは」「こんばんわ」「ありがとう」以外の言葉でどういう言葉が使われていたかを知ってたら教えてください。
- みんなの回答 (23)
- 専門家の回答
みんなの回答
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
●インターネットには本当のこととウソのことが混じっている ○別にインターネットに限った話ではありません。世の中すべて本当と嘘が入り乱れています。 インターネットでは嘘の割合が高いだけです。
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
●wikipediaには時には間違ったことが書かれている可能性があると聞きました。 ○そのとおりですので「鵜呑みにする」のは危険ですが、概要を知るには便利です。 詳細を知りたいなら複数の研究者の著書を読むことです。学説も一つではないので。
お礼
再度回答ありがとうございます。 インターネットには本当のこととウソのことが混じっていると言うふうに前から思ってました。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
「誠実で素直でない回答をしている」#7および9です。少なくともこのような言葉をいただいた事に私は不愉快な思いを感じると共に憤りすらおぼえています。このことを先ずはお含み置きください。またまた宿題をいただいた模様ですが、僕の知識で答えることのできる範囲で答えさせていただきます。 >【B】No.8の方が現代語訳をみることのできるサイトを示されていますのでご自身で調べることを勧めます。図書館に行き「日本古典文学大系」や「日本古典文学全集」をひもときましょう。 >【A】「大和言葉」の意味について:wikepediaの記載ですが、一般論もしくはアウトライン的なものが書かれている場合と誤りと知らずに誤りの説明を記載している場合があります。この場合はどちらかといえぱ後者に属する範疇といえます。以下にその理由を明示します。 『古今集』の仮名序は「やまと歌は人の心を種(さね)として萬の言の葉とぞなれにける」で始まります。ここに見られる「やまと歌」は漢詩文に対して「日本語で綴られた詩文」つまり「和歌」のことを指す内容です。と同時に古今集は万葉集とは少し違うぞと、古今集の編纂に携わった紀貫之からのメッセージが込められています。 万葉集に収められている和歌が「漢字の“音”による表記」であることに対し古今集の和歌は「仮名」で書かれた作品です。つまり「万葉集」での日本語が耳で聴く文字(少し判りにくいかもしれませんが)であるのに対し、「古今集」の日本語が目で読んで意味を理解する日本語ということもできます。こうした言語分類の仕方を「表音言語」と「表意言語」と呼んで区別しています。 日本の歴史上(前近代)では外来文化を「唐物」「唐様」、日本文化を「和物」「和様」などと呼びます。これは平安時代でも鎌倉時代でもその後の室町時代でも同様です。厳密な意味での日本固有の文化ということになればそれは縄文時代あるいはそれ以前かもしれません。世界中の文化を見回しても「他の文化からの影響を全く受けない独自に発生し現在に至る文化」がどこにありますか?。 実際に世界の各地で発見される「最古の土器」の共通点の一つが「尖底」と呼ばれる底の尖った形の壺などであり、それが最も最初にどこで造られ始めたかはまだ解明されていない問題の一つです。 うがった見方が許されるならば、日本に外来文化がもたらされる以前とはいつの時代を指すのか、との問いには質問者様ご自身の「外来文化」の意味や概念を提示していただけない限り、妥当な答えを返すことなどできないことになります。 日本全国から発掘されるナウマン象の化石が何を意味しているでしょうか?。日本がまだユーラシア大陸と地続きだったことの証ともそれます。象だけが日本列島にやって来たのでしょうか?。象や他の獣を追い求めてヒトもやってきた事も想定されるでしょう。 >【C】「日常生活などで何らかの言葉が使われていた」の「何らかの言葉」というのはどういう言語か。 これは他の回答者様が既にお答えになっています。と同時に僕も答えています。「史料や記録が残っていないのだからそれはわからない」。それを知るための一つの手掛かりが「万葉集」で用いられている「表音言語」の機能にある。「文字の持つ意味を無視するかたちで、取り敢えず“音声”にあたる文字を使って記録を残す」目的で文字を使って記録したと考えられます。それは英語であるとかフランス語であるとかドイツ語であるとかの言語属的分類でしめされる言語ではなく、言語を機能の側面から分類する「表音言語」と「表意言語」の考え方に基づくものである。 >【D】それと縄文語、弥生語という言葉を僕は聞いたことがあるが、縄文語、弥生語というのはどういう言葉を言うか。 単純に「縄文時代に使われていた言語」「弥生時代に使われていた言語」と言うしかない。これは【C】と同じ質問を繰り返しているだけである。現在それを知っている者および使っている者がいるかどうかも判らない。むしろその後の日本語の形成過程を辿る限り「いない」と考えることが妥当性を有する。 因みに現在使われている「一生懸命」はこの言葉が使われ始めた鎌倉時代では「一所懸命」と記されていた言葉です。「自らの領地を命を賭けて守る」との意味で使われていた言葉です。 現在の日本語「木(き)」「土(つち)」は縄文語、弥生語では何と言ったか。→当時の言葉が記録に残っていない以上、この様な質問に答えるすべはありません。「土」に関しては万葉集の第三巻に収められている山部赤人の長歌に「つち」の読みが「地」に与えられている事例はあります。 【原文】 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者 【読み下し】 天地の別れし時ゆ、神さびて、高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振り放け見れば、渡る日の影も隠らひ、照る月の光も見えず、白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪は降りける、語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ、富士の高嶺は 【釈文】 天地が分かれてこの地ができて以来、神々しく高く貴い、駿河の国の富士の山を、空に向かって仰ぎ見ると、太陽の光も隠れ、月の光も見えず、雲(くも)も山に行く手をさえぎられ、ひっきりなしに雪が降っています。この富士の山のことをいつまでも語り継いで行こうと思うのです。 そして最後に“疑問に感じたことがあったら先ず自分で調べて、それでもわからないことがあった時”にこの様な公共の場を利用しましょう。
お礼
再度回答ありがとうございます。 【A】まず >>#7,#9の方は誠実な素直な回答を真剣にくれているのかどうか疑問です。 : このことに対して >「誠実で素直でない回答をしている」#7および9です。少なくともこのような言葉をいただいた事に私は不愉快な思いを感じると共に憤りすらおぼえています。このことを先ずはお含み置きください。 : と言ったことについて、不愉快な思いを感じるのは何か理由があるのか、知りたいんです。 回答について、妥当かどうか知りたければ専門家に聞くと良いと思ったんですが、どうなのか、疑問です。 ここまで【A】について答えてほしい内容です。 【B】 縄文語、弥生語=「縄文時代に使われていた言語」「弥生時代に使われていた言語」についてですけど、「縄文語」など検索したら出てきました。 某サイトには以下のことが書かれてました。 ●縄文語では「私」は「アー」、「あなた」は「ナー」、 「空」は「アマ」、「海」は「ワタ」、「星」は「ボツィ」と言う。 ●髪:カミ 、顔:トゥラ 、耳:ミミ 、鼻:パナ 、くちびる:ピル 、手:タア 、胸:ムナ ここまで http://www.geocities.co.jp/Bookend/5607/kokugo/joumongo.htm からの引用です。 しかしこのような縄文語がどこの地域で話されてたのかはわかりません。 ここまで【B】について回答してほしい内容です。 図書館に行き、本で調べると書いてあると僕も思いました。
- iwatyann
- ベストアンサー率38% (5/13)
草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 我が手と付けろ これの針持し の意味は下記のブログで元高校教師が解説されています。 防人の妻の歌です。 草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 我が手と付けろ これの針持し」 (4420番・防人の妻の歌) ※「まる寝」は衣服のままのごろ寝。「たえば」は、切れたら。「あが手と」は「自分の手で」。「もし」は「持って」 http://blog.goo.ne.jp/ryuukoh/e/f7fb33ec9c6398eec52180b630fcfb99 防人の歌 http://www5c.biglobe.ne.jp/~n32e131/tanka/sakimori04.html
お礼
再度回答ありがとうございます。 防人の歌は、奈良時代のみの時代に作られたものでしょうか? 再度回答下さい。 時代によって言語が違うということが回答から理解できた気がします。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
コメントありがとうございます。再度お尋ねいただいた御質問ですが、僕の知る限りでのお話しをさせていただきますがそれでよろしいでしょうか?。 ・【A】『「大和ことば」はまだ文字がなかった時代に』の「文字がなかった時代」というのは何時代のことを言っているか。 日本に文字が伝えられたのは5世紀(一部の研究者の間では「大王の世紀」とも呼ばれています)のことで、朝鮮半島の百済から来日した王仁(わに)が儒教の『論語』と共に『千字文』をもたらしたのが「文字文書」として最古のものとされています。他に奈良県の石上神社に伝わる「七支刀」の銘文や熊本県の江田船山古墳から出土した鉄刀、をはじめ三角縁神獣鏡の銘文などの遺物もありますが、これらに記されている文章は全て「漢文」で記されています。ですから「文字」という意味でいえば、それがなかったとされてるのは縄文時代から弥生時代の中期あたりといえます(今後、縄文土器や弥生土器から文字とおぼしき痕跡が発見されたならば、日本での文字の発生はその時代にまで遡ることにもなりますが、現時点では弥生中期以前の考古遺物からは文字が検出されてはいません。ここで考古遺物というのは土器や木器、金属器のことです)。 ・【B】大和言葉が使われるようになったのは何時代の時なのか。 日本の国内で物的な記録としての文書が“意識的に”残され始めたのは奈良時代です。「律令」をはじめ公式記録としての「日本書紀」「風土記」。口分田班給や徴税の基礎台帳的な存在としての「籍帳類」があります。ただしこれらも「公文書」としての性格が強いことから漢文で記されています(書紀は漢文と宣命体の併用部分もあります)。 これに対し「大和言葉」が綴られている書物は「万葉集」です。全てが大和言葉というわけではありませんが、漢字の意味とは無関係に音訓だけを借用して日本語を表記しています。次にその事例を挙げます。 「草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 我が手と付けろ これの針持し」 (原文:久佐麻久良 多妣乃麻流祢乃 比毛多要婆 安我弖等都氣呂 許礼乃波流母志) また万葉集はそこに収録されている作品が7世紀の前半あたりから8世紀半ば頃のものであることから、文献資料の見地としては遅くとも飛鳥時代末期から奈良時代には大和言葉が“確実に”成立していたことが裏付けられています。 逆に飛鳥時代以前の古墳時代ではどのような言葉が使われていたのかとの疑問が寄せられると思いますが、日常会話などで何らかの言葉が使われていたことは事実としてあるものの、残念ながらそれを実証する証拠が発見されていないことから現時点では如何なる見解も仮説の一つにしかすぎないと言わざるを得ません。
お礼
再度回答ありがとうございます。 お礼の返信が遅くなりました。 wikipediaに書かれていた内容を書いておきます。 ●「大和言葉」といった場合には日本(やまと)に大陸文化が伝来する以前の、日本列島で話されていた言語そのものを指すというニュアンスがある : 【A】日本に大陸文化が伝来する以前というのは、何時代をさすか。 【B】それと万葉集の以下の表記についての意味を教えてほしいんです ●「草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 我が手と付けろ これの針持し」 (原文:久佐麻久良 多妣乃麻流祢乃 比毛多要婆 安我弖等都氣呂 許礼乃波流母志) : つまり日本語訳を教えてほしいということです。 >飛鳥時代以前の古墳時代ではどのような言葉が使われていたのかとの疑問が寄せられると思いますが、日常会話などで何らかの言葉が使われていたことは事実としてあるものの、残念ながらそれを実証する証拠が発見されていないことから現時点では如何なる見解も仮説の一つにしかすぎないと言わざるを得ません。 : 【C】「日常生活などで何らかの言葉が使われていた」の「何らかの言葉」というのはどういう言語か。 【D】それと縄文語、弥生語という言葉を僕は聞いたことがあるが、縄文語、弥生語というのはどういう言葉を言うか。 現在の日本語「木(き)」「土(つち)」は縄文語、弥生語では何と言ったか。 それも疑問に感じたことです。 再度【A】~【D】などに対する回答を下さい。
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
No.7での指摘を受けてNo.5で私が書きました「大野晋の「タミール語日本語源流説」はいわゆる「とんでも説」なので鵜呑みにしないように。」が別の説のことと勘違いした誤りであることに気づきました。 謹んでお詫びするとともにこの部分につきましては発言を撤回させていただきます。 大変申し訳ありませんでした。
お礼
回答に対するお礼が遅くなりました。 #5でURLをあげてくださり、ありがとうございます。 暇な時に見ようと思いました。 ただwikipediaには時には間違ったことが書かれている可能性があると聞きました。 大野先生のタミール語日本語源流説に関しては、wikipediaに書いてあったのを見ました。 でも把握はできてません。 #7,#9の方は誠実な素直な回答を真剣にくれているのかどうか疑問です。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
#5および6の方のお答えに関して疑問を少々。 【縄文時代の日本で話されていた言葉は大和朝廷の力が及んでいた場所では「大和ことば」(万葉かな)です】。このような見解は歴史学の成果を全く踏まえないトンデモ説といえます。縄文時代に大和ことばがあったなどの証拠はどこにもありません。「大和ことば」はまだ文字がなかった時代に中国から朝鮮半島を経由して日本にもたらされた表記手段としての文字である「漢字」をそれまでの日本で使われていた音声信号にあてはめたモノです。恐らく回答者の方がお答えになっているのは「万葉集」や「古事記」などを想定していると思われますが、そこで記されている表記言語としての日本語表現は殆どが当て字であることも知られています。 幕末に越後長岡藩の家臣だった河井継之助がいますが、彼の旅日記の『塵壺』には次の表記が散見されます。「六ヶ敷き」「八ヶ間敷き」でありこれは「難しき(むつかしき)」「喧しき(やかましき)」と読みます。また奈良時代の交進付札と呼ばれる木簡史料には「堅魚(かつお)」などの事例もあることから、万葉仮名がそのまま使用されていたとはなりません。そも「縄文時代にら万葉仮名があった」などとは時間軸としての歴史を理解しない人の突飛な空想にしかすぎません(「竹内文書」などのインチキ・デタラメ・でっち上げをまことしやかに信じることも同様です)。 【日本語の源流としてのタミル語】に関しては日本語の形成に関して議論が続いている状況ですので、一つの見解として担保する程度の認識では問題があるでしょうか?。個人的には一つの仮説程度と認識していますが。 【ありがとう】に関しては、元々は「有り難たし」であり、「めったにない」ことの意味から転じて現在使われている意味になったとされています。「めったにないことをしてもらった」→「感謝に堪えない」→「ありがとう」と変化してきたプロセスです。 【こんばんは】この言葉は「こんにちは」などの挨拶文と同様です。「こんにちは」の後に何かの言葉が続き、たとえば「こんにちは、いいお天気ですね」などと使われていたものがいつの頃からか省略され「こんにちは」だけでも挨拶文として通用するようになった、と言われています。 【例えば縄文時代と江戸時代使われていた言葉はどういうふうに違っていたか】→縄文時代には言葉そのものがなかったのだから調べようがない。但し奈良時代以降ことに平安・鎌倉以後では調べる方法は幾らでもある。 【旧石器時代と平安時代使われていた言葉はどういうふうに違っていたか】→同上。 【江戸時代と現在使われていた言葉はどういうふうに違っていたか】→奈良時代以後ではその人が属する階層によっても使われていた言葉が異なる。例えば宮中の女官が使う「女房言葉」と寺院などでは違いがある。と同時に現在の方言にあたる地域ごとの言葉もある(江戸時代の読本作品である式亭三馬の『浮世風呂』には江戸の女と上方の女の遣り取りを見ることができる)。更に明治維新以後では職業分野で職人が遣り取りしていた言葉を源流として派生した言葉(大阪弁や船場言葉など)もある。 【それと、自分は過去に聞いた音楽や人の声、自分の声、犬の声、全ての音声が自分の頭の中や心の中で再生される感じがあって、そのまま再生されることもあるんです。また、自分が心の中や頭の中で思ったり自分の外に吐き出したりした情報などもそのまま頭の中や心の中で再生されます。過去の幻聴・耳鳴りの音声(例:バッチンだよ)も自分の心の中や頭の中で再生される感じもあります。一日中止まらないこともあります】 →この問題はお尋ね質問とは異なる性質の問題ですので、専門のドクターの診察を受け治療されることをお奨めします。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。 疑問に思ったことがあります。 >縄文時代に大和ことばがあったなどの証拠はどこにもありません。「大和ことば」はまだ文字がなかった時代に中国から朝鮮半島を経由して日本にもたらされた表記手段としての文字である「漢字」をそれまでの日本で使われていた音声信号にあてはめたモノです。 : 【A】『「大和ことば」はまだ文字がなかった時代に』の「文字がなかった時代」というのは何時代のことを言っているか。 【B】大和言葉が使われるようになったのは何時代の時なのか。 再度A、Bに対する回答を下さい。
- iwatyann
- ベストアンサー率38% (5/13)
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-28.html 縄文時代の日本で話されていた言葉は大和朝廷の力が及んでいた場所では 「大和ことば」(万葉かな)です。 http://blog.hix05.com/blog/2006/10/post_1.html 東北方面は 蝦夷語といってよいか解りませんが アイヌ語の混じった言葉です。地名からも判別できます。今回の地震でも 昔の古地名が見直されています。余談ですが 志登根・蛭井(蒜井)などは昔 湿田地帯でしたので 液状化が起きても不思議ではありません。 http://blog.hix05.com/blog/2006/10/post_1.html 日本の神話から紐解けば何かがわかります。
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
【B】ある種とは何か。要するにある種→サル→人間の進化の過程をたどったのか。 違います。でももう回答するのが面倒なので http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E9%80%B2%E5%8C%96 を読んでください。 ちなみに大野晋の「タミール語日本語源流説」はいわゆる「とんでも説」なので鵜呑みにしないように。
- iwatyann
- ベストアンサー率38% (5/13)
例えば現在使われている日本語である「おはようございます……… この件については 国語分野と思いますが 日本語は何処からきたのかに 興味を持ち 大野 晋 先生の本を 図書館で借りました。http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/k020924.htm 先生は 「タミール語」が今の日本語に近い発音であり 文法も良く似ています。 http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2798334/7175562 朝鮮から来たとの説もあります。 大陸説・海洋説でも 意見が別れています。 また 先住民は文字をもっていなかったため 口伝のみで言葉が受け継がれています。 民俗の分野でも 研究されるといろいろわかってくるし・地質学からも 動物の進化形態へと 発展してゆき 分野の広いのが 考古学です。 今回の東日本震災で 埋没した物を 発掘でもすれば 考古学の分野に近未来なる可能性もあります。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼の返信が遅くなってしまいました。 タミル語というのは縄文時代などに日本で話されていた語のことですか?
お礼
再度回答ありがとうございます。 >世の中すべて本当とウソが入り乱れていることについて : (1)専門家の場合は本当の割合が高いですが、ウソのことも稀にある (2)専門家の言うことは全て本当である (1)か(2)のどちらになると思いますか? 専門家というのは、リアルで顔を合わせている精神科の主治医の先生および体操教室のインストラクターさん 他にも顔を合わせてない人だと精神科医やカウンセラーなどです。 ただ医学書にはウソを書いてはいけないと聞いたことがあるんですが、 医学書でもウソのようなこと(=間違ったこと)が書かれていることは有り得るか疑問です。 再度回答下さい。