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「桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな」について
「桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな」 水原秋櫻子 この句で「照るに」の「に」はどういう助詞なのでしょうか。直訳的にはどのような意味になるのでしょうか。教えてください。 「桑の葉の照る状態に堪える」という意味ではおかしいでしょうから。よろしくお願いします。
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俳句の全文を打ち込んで、検索にかけると、ヒットすることがありますので、まず試してみるとよいと思います。この句も検索にかけたところ下記のようなヒットがありましたので参考に。 「中学受験 学習用資料 俳句(2)」 http://www9.plala.or.jp/juken1/haiku2.htm 参考意見として2点追記します。 まずは問題の「に」ですが、「中学受験 学習用資料 俳句(2)」はこの部分を「照るに… 太陽の日差しが強く照り返している時に」としています。しかし、全文訳の方は、「日差しをまぶしく照り返している。その照り返しに」としています。「照る」の部分を動詞にとったり、名詞にとったりしていますし、「に」についても格助詞なのか接続助詞なのか今一つ曖昧さが残ります。この様な曖昧さがあるのは「桑の葉の照るに」の「照る」が四段動詞(現代語五段)の連体形であることにもよります。「に」には格助詞と接続助詞がありますが両者共に連体形接続(格助詞は体言にも接続)、意味も格助詞の「に」には原因・理由・目的を表すことがあり、接続助詞の「に」にも原因・理由を表す順接の確定条件を示すことがあるなど共通性があります(これは接続助詞の「に」が、格助詞から派生したからでもあります)。この識別ですが、連体形の後に体言が補えるものが格助詞、補えないものが接続助詞です。ここでは、「桑の葉の照る(こと)に堪へゆく」と連体形の「照る」の後に体言(名詞)の「こと」補うことができ、意味の面でも後の句に繋がりますので、格助詞の「に」ということになります。この部分の「照る」の後ろには名詞の「こと」が省略されているとも考えられますが、動詞の連体形の名詞的用法とも考えられます。「桑の葉の照る」の部分は「桑の葉の照り返し」もしくは「桑の葉が照り返すこと」という意味の名詞節をつくっていると考えられます。この名詞節を原因・理由として「堪へゆく」という動作がうまれることになります。ですから「時に」との訳し方は適切ではないことになります。 http://blog.goo.ne.jp/awakomatsu/e/8aa62f00bd4e53c1d4bc22c4b7777757 次に、感覚の事柄です。「桑の葉の照る」はどのような感覚で感じているのでしょうか。視覚とも考えられますが、「堪へゆく」と続きますので、皮膚感覚も加味されていると考えられます。視覚のみならず皮膚感覚を加味することにより全身で自然=故郷を感じることを示しています。和歌・俳句などの韻文の場合、五感=目・耳・鼻・舌・皮膚=についても考えることが大事であると思います。 以上、参考まで。
お礼
ありがとうございました。よく理解できました。 俳句そのものの検索はたまにしておりましたが、今回はしないまま質問いたしました。 桑の葉の照り返す中を進むことから「堪へて」という表現になったのですね。 「桑の葉の照る」ということを不十分な理解をしていたのでこんな疑問ができたこと反省しています。 また、「に」の格助詞、接続助詞ついて更に深めるよう努力してまいります。