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日露戦争
当時のロシアの意図として満州進出後から「朝鮮半島全土制覇」はあり得たのでしょうか? 当時のロシアが朝鮮半島全土を押さえたところで、特段にメリットはなさそうに思えるのですが。 それと 当時のロシアに、日露戦争に関わらず、日本本土侵略の意図があったとするなら、北方からの進出を企図しませんか?わざわざ満州→朝鮮→対馬海峡→九州・中国とかなり手間がかかるルートをあえて選択するのでしょうか。実際、WW2終戦直後、スターリンはトルーマンに、既に手中とした北方からの進出による北海道半分のソ連支配を要求しています。 いかがでしょうか
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歴史で示唆するべき問題なのだが 列強の植民地統治は大雑把に三つの体系がある (1)スペイン・ポルトガル型 重商主義的視座を重視した植民地の経済的拠点のみを抑える支配体型 支配上の旨みのない地域には手を出さない (2)前期帝国主義型(ベルリン会議以前の列強) 植民地を生産・消費の両面から捉え本国の経済利益を最大化しえる拠点だけを抑える支配体制 (1)と同じだが、単なる重商主義(貿易差益主義)から進化して多角的貿易・広義の経済活動を見据えた支配体制 (1)よりは支配地域は広範囲になりがち (3)後期帝国主義(ベルリン会議以降・・・あくまでも(2)がメインで(3)は付随的) (2)の発展系。国際社会が(2)を推進する上で地政的価値を勘案して、将来的な市場を前倒して植民地化する体制 地政学的要衝のみを抑える必然性があるが戦略性によって支配地域は可変的になる 当時のロシアにとっては、朝鮮は(3)に該当するだろう。国際情勢からして、中国進出の橋頭堡(特に遼東半島)としての朝鮮半島の価値は極東アジアでは比類ない価値があろう。(満州は(2)であろう) しかし、一方で朝鮮半島の市場としての魅力は判然としない。 朝鮮併合後に莫大な資本投下を実施した『大日本帝国』の植民地戦略は政治的情動であって、大した「国益論」もない愚挙だったことは言うまでもないだろう。 つまり、(1)(2)という経済因子による植民支配の動機は朝鮮侵出には指摘するのは現実的ではないだろう 当時のロシアが欧州侵出を断念することになった「ベルリン会議」を経て、求めるは、アジア侵出の拠点としての不凍港であったことは教科書レベルの話である ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、質問に返答しておきたい >当時のロシアの意図として満州進出後から「朝鮮半島全土制覇」はあり得たのでしょうか? 当時のロシア情勢としては、(1)全土制圧の必要性がないこと (2)財政不安・国内治安不安 (3)欧州方面への兵力投入の要請 などから全土制圧する軍事・経済・政治体力があったとは到底思えない 善悪あれど朝鮮の洋務運動は一定の進捗を見せつつある状況であったし、なにより、中国侵出を企図する列強の政治干渉の危険性は高いことから、全土制圧などを思慮していないだろう モデル(3)の支配で考えれば、ロシアは国境線・主要都市・主要交通網要衝だけに限定して抑える程度しか検討していないだろう。おそらくそれですら困難だろう。 (李氏朝鮮が進んで戦果を交えた結果においての結果的に全土制圧という可能性は皆無ではないだろうが) >当時のロシアが朝鮮半島全土を押さえたところで、特段にメリットはなさそうに思えるのですが。 概ね同意である。そもそも植民地支配において国土全土を抑えるのは愚策である。 残存するだろうレジスタンス・レコンキスト勢力を囲い込んで封じ込めるのがも合理的で、殲滅などは愚策 (その愚策をやった列強は衰退する) 朝鮮半島独自の旨みは、代替可能である財が多く、質・量とも朝鮮にこだわる必要性は認めにくい (おそらくこの質問について、ロシア侵攻史観の多くが回答できないだろう) >当時のロシアに、日露戦争に関わらず、日本本土侵略の意図があったとするなら、北方からの進出を企図しませんか?わざわざ満州→朝鮮→対馬海峡→九州・中国とかなり手間がかかるルートをあえて選択するのでしょうか。 慧眼である。 日本進出を画策するならばロシアは北方ルートの方が危険性の排除が可能であろう。 もっとも輸送面において貧弱なロシア軍としては、満州方面の拠点を利用するのが経済側面で合理的だったことが大きな要因であろう。(シベリア鉄道の利用という合理性は大きい) 指摘の北方ルートは兵站・軍経費をクリアすればもっとも魅力的な侵攻方法ではあろう。しかし、それを実施できる時間・経済的余裕がなかった・・ということになろう。 ただし、ロシアは日本侵攻を当時において画策するだけの余裕はない、というべきだろう。もっといえば、ロシア側は、日本を防壁として政治利用する可能性を模索していたことも示唆しえよう。 当時の日本が「市場・生産地として魅力がない」とするのは問題があろうが、投下資源に見合ったリターンをロシア本国が確保しにくい事情は大きいだろう。(物流制約から) つまり、ロシアにとって”日本支配は旨みがない”(長期的にはあるが)。 あるとすれば、『不凍港』だが、博多は別にしてそれ以外の”日本の港”が魅力的には映らなかっただろう。 なお、博多は魅力的な不凍港であるが、それよりも朝鮮の釜山・馬山・仁川などの良港の政治攻防が重要視されることを言うまでもない。 ちなみに、「馬山浦事件」は史料としての考察が求められるが、歴史家の分析が杜撰というしかない。 (日本史家の世界視座の稚拙さ・狭さから誤解されがちである。) なお、質問にないが、私見を開陳しておきたい 当時の国際情勢として、朝鮮半島が、タイのような国際紛争緩衝地域に結果的になりえた可能性は高い。 国際政治力学的な結果論として、相互対立を回避する緩衝地帯は歴史的に多々見られる。 朝鮮半島は、地政学的価値は別にして、市場としての価値は当時においては高くない。 列強にとって欧州から遠い極東アジアの朝鮮での国際紛争は国内政治情勢との兼ね合いで大きな予算投下が出来無いだろう。 一方で、地力をつけつつあるアメリカ・日本の脅威に対して無策であることは望ましくない。したがって、国際政治の立ち回りとしては、朝鮮半島を緩衝地帯として相互不干渉とする条約・協定を締結する可能性は低くないであろう。 当時の情勢からして、『先ず中国市場への侵出ありき』であって、それに付随した価値しか朝鮮にはない、というのは極論にしても、不適切ではないだろう。 小生からみれば、【大日本帝国が誇大に危機感を持って、先制的自衛権を行使した】のが日露戦争の大局である。 現在でも識者の一部でも、「ロシアの日本侵攻の机上論」が指摘されるが、その動機は極めて説得力にかけるものが多い それらの説得力の欠如は、交戦コストと支配コストを勘案せず、希望的観測に基づいて植民地経営がなされる机上論をベースにした動機であることが多い これらは日本人の外交音痴さの証左であるが、 当時、ロシアが明確に”日本侵出を企図していない”という論拠のみで、反論するような稚拙な構造でもある。 そもそも、日露戦争の適否・是非なども精査して論じるべきだが、概して『勝利』とだけ認識するのみで、費用対効果などを論じれないのが日本の歴史家の低劣さだろう。アメリカのマクナマラのような国防設計も危険だが、「同じ轍」を踏みそうな歴史家・世論の方が問題は深刻であろう。 個人的には、こういう創造的な質問は好みなのだが、明確な史料をもって返答できないことも踏まえて力量不足を感じてしまう。 補足したい部分は多々あるが書ききれないので、補足質問で適宜応対することに留めたい。 以上
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- kawasemi60
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もっと勉強していくと良いでしょうねー 普通に中国という領域をロシアが広大な 面積を奪っている。ウラジオストクは本来 中国領土。ロシアの領土拡張主義は常識。
補足
ロシアお得意の火事場泥棒的沿海州獲得(不凍港ウラジオ獲得)は私が指摘した中国本土(華北華中華南)制圧を意味しません。 回答者様の根拠は「ロシア膨張主義」にあるようで、その主張については、当時世界の海を制した大英帝国の世界戦略よりもみなさん十二分に認識していらっしゃます
- kawasemi60
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ロシア帝国は双頭の鷲を掲げるローマ帝国の 継承を自認する国家であり国是として全世界 を支配する資格と権利が在るとしていました。 それが帝國の支配領域を広げる根拠です。 ロシアは数百年かけて広大な領土に拡大した。 日本支配の意図が在ったかに疑問を持つ人達は そういう歴史の流れをご存じ無い。 満州を支配し朝鮮を支配し日本を支配すると いうのはロシア帝国数百年の歴史による政策。 アメリカの国鳥が鷲なのもローマ帝国の影響 が在るのです。世界支配のシンボルが鷲の旗。 樺太は江戸時代末期にロシアに奪われた我領土。
補足
世界支配ならばときの大英帝国との直接対決は不可避でしたが結局直接対決はありませんでした 世界支配第一でゆけば極東では中国本土制圧(列強数ヵ国との直接対決)が第一では。ロシアに対日侵攻意図があったなら樺太領有時点で動きが起きているでしょうし、日本も北方防衛に力を注ぐ筈も現実は両国とも辺境認識。1950年前後にスターリンが大陸から樺太へ海底トンネル(北海道侵攻準備)を堀りはじめたような動きはこの時代にはなかったです。 ロシアには世界はおろか満州併合でさえ財政的裏付けがあったとは思えませんが 大英帝国ですら無意味な拡大はしていませんよ
- lasah
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回答ではなく補足的と言うか薀蓄を 帝政ロシアと言うのは皇帝以外に地位の安定した人物が存在しない つまり責任を取るのは皇帝ただ一人であり、どんな大臣もたんなる廷臣に過ぎない という背景があります 満州への権益拡大は皇帝の意思というより エヴゲーニイ・イヴァーノヴィチ・アレクセーエフ の宮廷内での発言力を確立する為に朝鮮→対馬ルート構想を掲げて 朝鮮に木材の会社を設立したりしています 彼にとって満州が重要な地域でありさえすればよく、実際に対馬までとろうとおもっていたかは 疑問です
お礼
回答ありがとうございました
補足
ロシアの満州進出、ロシアの意思も当然ですが、ロシアのスポンサーであったフランス金融資本の意向がかなり強かったのではないでしょうか 特に満州鉄道、その利払いのためにロシアはなりふり構わず稼がなければならなかったのでは このスポンサー構図、セオドア・ルーズベルトがポーツマス調停において日本側にそれとなく仄めかしていますね
- kawasemi60
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北方の日本領土であるカラフトをロシアが 全部手に入れた後での朝鮮半島へのロシア 進出という状況です。それで当時の我政府 と国民が国家的危機感を持ったのです。 ロシア帝国が行なったのは北と南からの日本 挟撃です。だからこそ国家的反撃に我国は出た。
補足
ロシアは樺太には本格的な軍を置いていなかったようですが
- Verhalten
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ロシアは純粋に不凍港を目指して南下していただけです。 しかし、 ロシアがシベリア鉄道を完成させ、海洋貿易を行う事は列強にとって大きな脅威そのものでした。 その為、 欧州列強は次々とロシアの南下政策を妨害します。 ロシアいじめは凄まじいものでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%B8%8B%E6%94%BF%E7%AD%96 エジプト・トルコ戦争やクリミア戦争で諸外国の軍事介入に遭います。 たて続けの戦費と無駄骨が ロマノフ王朝滅亡の原因とも言えましょう。 やむを得ず極東へ目を向けます。 186年、北京条約で念願の不凍港ウラジオストックを得ます。 次に旅順港を得たのです。 トルコ、インドに目を向けていたロシアと英国は深い対立状態になりました。 そこでイギリスは日英同盟を結んだのです。 当然、ロシアは時局さえ許せば 朝鮮を傘下に加えて諸外国の干渉に武力で立ち向かいたい所でした。 しかし、国力は限界を迎えていたのです。 エジプト・トルコ戦争介入やクリミア戦争でのたて続けの戦費で国内は疲弊し、 黒海の覇権も得られなかったロシアは革命を起こします。
お礼
回答ありがとうございます ロシアの国土位置上からどうしても不凍港は必要でしたね しかしロシアは北方で日本と国境を接していたにも関わらず、アメリカイギリスフランスと違い日本に対してさほど強圧実力行為はなかったですね
- tanuki4u
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帝国主義というのは、資本主義の発展形です。 資本主義が何かといえば「コスト効率のいいところから、損をしない(と想像できる)」ことから手をつける。 ロシアの基本方針は、南下して不凍港を獲得するというもの。 その獲得する不凍港が、東アジアだろうと、イラン方面だろうと、バルカンだろうと、どこでもいい。 日露戦争で、日本に負けて、そっち方面がコスト効率が悪くなったのでロシアは、 ○ さっさと日露協約を結んで手を打つ 1907年 これは、南下政策の三つの選択肢の中で、他に頑張るというもので http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E9%9C%B2%E5%8D%94%E5%95%86 東アジアとイラン方面は、イギリスと手を打つという大きな流れ なので 1912年にバルカン同盟を結ばせて、バルカン半島に傾注します。 日露戦争で勝っていれば、躊躇なく朝鮮半島に来たと思われます。 全土を抑えるかどうかは不明です。 帝国主義は、コスト効率計算をしますので(その計算が、合っているかどうかは別の話ですが) タイは、実質的にイギリスの東南アジア支配の一環の中に実質的に組み込まれています。 米西戦争で、キューバはスペインから独立しましたが、実質的にアメリカの支配下に入ったので、植民地とか直轄領にする必要がなかったので、独立させたということになります。
お礼
回答ありがとうございました
補足
>ロシア南下不凍港獲得 これと対立していたのが時の大英帝国で1840英国中国(極東)進出 1860ロシア沿海州獲得→(1864薩英戦争)→1868明治維新 1898ロシア遼東半島獲得→(1902日英同盟)→1904日露戦争 と英国からみてコスパ高の日本利用であったということでしょうか また 朝鮮を同様に利用しなかったのは、これもまた、日本に直接支配させた方がコスパ高と判断したからでしょうか 遼東および朝鮮がロシア圏になるならば、これは中国(清)における英国勢力圏(縄張り)にとって穏やかではありませんね
- hekiyu
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1,ロシアが半島を押さえた場合のメリット。 (1)中国大陸に対する足がかり。 (2)日本侵略の為の、橋頭堡。 元寇は対馬を中継点にして日本を侵略 しています。 2,”北方からの進出を企図しませんか?” ↑ 露寇の時も、第二次大戦後も、北からでしたね。 しかしです。 半島を押さえれば、日本侵略のルートが 二つ確保できます。 北と南です。 これはある意味、理想的ではないでしょうか。 日本としてみれば、どちらか一方だけの方が 守りやすいでしょう。
お礼
回答ありがとうございます なるほど北・南と2方面からの侵略拠点という見方ですね 日本侵略という前提に立てば納得出来ます
お礼
回答ありがとうございます >『先ず中国市場への侵出ありき』 >相互対立を回避する緩衝地帯は歴史的に多々見られる 同意です。日英同盟準備段階における英国の初回提示案では朝鮮の独立がはっきり謳われていましたし、同時期の日露協商でのロシア案でも朝鮮の中立・非軍事色が顕著であり、1900年過ぎまで列強が朝鮮を中国のように分割していないことからも列強にとって(日本を除く)同半島は「緩衝地帯」という共通認識があったと思います。植民地獲得競争にて列強同士が直接戦ったケースは稀?では。WW1・WW2でのドイツフランス、WW2でのドイツ(ポーランド)ソ連、これらを見ても列強が直接国境を接することの危険性はいうまでもありません。 >財政不安・国内治安不安 >列強の政治干渉の危険性は高 義和団以後も満州に居座るロシア軍に日本と米英が抗議していることからも明白ですし、そもそもロシアには満州を完全占領するだけの財政的余裕もなかったようです。朝鮮半島へはよくて幾許かの経済的利益(+不凍港)を求めていたに過ぎません(それでも列強の暗黙の了解「緩衝地」という認識は当然に有していた)。 極東における列強の意思としては、日露戦争後のアメリカが端的にそれを表していると思います。朝鮮半島には目もくれずただ満州を目指していたと。 結局日本は自ら国境線を半島の北側に設定したことで大きなリスクを抱えることになったと思います(その後巨大な緩衝国家「満州国」が必要に」なったのだから