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日露戦争後(1907年)の経済恐慌のきっかけについて
いつもお世話になっております。 日露戦争後の日本経済の動向について教えていただきたく、質問いたします。 ポーツマス条約締結によって朝鮮半島と満州地方の実質的支配権を得た日本は、重工業を中心とした好況状態に入りますよね。 その好況が一転して「1907年には経済恐慌に陥った」と参考書などには書いてあるのですが、そのきっかけはいったい何だったのでしょうか。 もともとの好況自体が、外国資本・外国の技術に依存した脆弱なものであったのがそもそもの原因かとは思うのですが、実際に株価が暴落する際に何か発火点になるような事件があったのでしょうか。 どうか宜しくお願いいたします。
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- searchingboy
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回答No.1
1.日清戦争では賠償金が取れたので,戦争で使った軍事費は回収されたが,日露のとき賠償金が入らずに、軍事費が増大したままであり、土地が増えただけで,徐々に財政負担になっていった. 2.朝鮮半島や台湾をてに入れたためにそのための費用も負担になった.抗日抵抗運動のための軍事費のさらに増大. 3.そのために増税をして,軍事産業.重工業に重点天が置かれて,農民の暮らしは良くならなかった。 4.金に裏打ちしない紙幣が乱発されて,紙幣が信用しなくなった.いまの国債の乱発も明治と似ているのではないか.と比較されてきています. **戦争がすべての原因ではないでしょうか.
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですか、日露戦争後には不換紙幣が発行されていたのですね。 ということは、日清戦争の時に賠償金として手に入れた金はその後の軍事拡大で消費されてしまったということですか? まだまだ勉強の余地がありそうです。頑張ります。