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満州とロシアについて
ポーツマス条約で日本はロシアから、遼東半島南部の租借権とハルピン~旅順間の鉄道の南部の割譲を受けましたね。 これをもとに日本は大陸への進出の足がかりとするわけですが、満州事変で全満州を支配するまで、北満州を支配しているロシアとはどう折衝したのでしょう。 権利をロシアから買ったとかですか? それとも租借の期限が終わって返したとか??
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ポーツマス条約で日露両軍は双方の権益のある鉄道守備隊や付属地、炭坑の軍隊を除いて引き揚げるという内容でしたので、露軍は日本に割譲した残存権益である北満鉄道守備隊を残して、後は引き上げました。この北満鉄道は1935年、満州国がソ連から買い取りました。
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- shoyosi
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回答No.2
ロシア(ソ連も)は日本の旅順・大連のような租借地はなかったのですか> 旅順・大連はロシアから引き渡されたもので、中国からロシアの租借地はなくなりました。ロシアはこれ以後、国内の革命勢力の力が大きくなり、国内の引き締めがやっとでした。その後、革命により社会主義政権が樹立され、資本主義国の干渉戦争(シベリア出兵)の後、中国からモンゴルを奪い取り、中国に革命を輸出する段階で北支で国民党、関東軍と衝突することになります。
お礼
とても為になるURLでした。アメリカの中国援助はなぜなんだろう、というのが以前からの疑問だったのですが分かりました。 ところで、ロシア(ソ連も)は日本の旅順・大連のような租借地はなかったのですか。満州事変のとき、関東軍がソ連権益とぶつかって、みたいなことはなかったのですか。