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明治時代の日本について

明治以降、1945年までの日本の歴史は、日本の国家的安全を保障のため 朝鮮半島に進出し、朝鮮の安定のためには満州の安定、次いで蒙古、中国本土、 東南アジアへと進出の範囲を拡大する過程が具体的にどのようなものか知りたいです。よろしくお願いします

みんなの回答

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.2

松本清張の「昭和史発掘」を読めば宜しいかと、小説家と言えど あれだけの資料を集めたと思う程の膨大な量です。 松本清張のお得意の推理をせずに淡々と描かれているので、信憑性 が高い、松本清張、渾身の著作です。 --------------------------------------------------------------------------- 大日本帝国は勤王の志士と呼ばれているテロリストが徳川幕府 を倒して建国した国です、1868年設立され、1889年2月11日 に大日本帝国憲法が発布され正式に大日本帝国に、なりました。 大政奉還をしたのですから、討伐する理由は無いのに、難癖を 付けて会津藩などに戦争を仕掛けました、それが一段落すると、 テロリスト同志の争いになり西南戦争となりました。 国内には戦争する種がなくなったので、朝鮮に向かうなどとして 戦争戦争の連続で、320万人の国民の犠牲者を出して太平洋戦争 に負け、1947年5月3日に、大日本帝国は滅亡し、日本国と 成りました。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.1

>日本の国家的安全を保障のため(略)と進出の範囲を拡大する過程が具体的にどのようなものか知りたいです。 先ず、この考えの基本は「平田篤胤の考え」が基本になっています。 曰く「日本は神の国である。その子孫でる天皇が統治する日本は、世界の支配者だ。先ず、切り取りやすい朝鮮を支配し、次いで満州。中国を支配する」 彼は、古事記・日本書紀を信じた神学者なんですね。 この考え方は、幕末の吉田松陰・長州藩士など「討幕派の基本思想」となりました。 以外かもしれませんが、吉田松陰も朝鮮征伐を唱えていました。 明治維新政府も、直ぐに朝鮮征伐を計画したのもこれが原因です。 ※旧士族の不満を海外に向ける事が出来+上手くいけば朝鮮が手に入る。 西郷隆盛が「征韓論に敗れて下野」と多くの人は習いましたが、実は「西郷は、武力でなく交渉重視」だった様です。 朝鮮併合+満州国建国までは、成功?しましたよね。 が、ドイツナチス・欧米各国が中国に味方についたので中国支配は敗北。 ※ドイツと軍事条約を結んでいましたが、ドイツは中国に軍事支援を行っています。 ※中国大陸でのドイツ権益を失う事を、恐れたのですね。 まぁ、今も昔も「日本は、外交音痴」なんですね。

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