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会ってみたい、歴史上の女性
- 私が会ってみたい女性は、何と申しましても細川ガラシャです。
- 彼女は明智光秀の娘として知られ、細川忠興の妻でもありました。
- 彼女は敬虔なクリスチャンであり、関ヶ原の戦いの前夜に非業の死を遂げました。彼女の教養と志操の高さは、彼女の辞世の句にも現れています。
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---会ってみたい、歴史上の女性--- それでは当方は・・、 # 甲斐姫‥!! --------------------------------------------------------- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E5%A7%AB --------------------------------------------------------- # 鶴姫‥!! ----------------------------------------------------------------------------- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%A7%AB_(%E5%A4%A7%E4%B8%89%E5%B3%B6) ----------------------------------------------------------------------------- ・・・辺り!!
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- higan7813
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会ってみたい、歴史上の女性 「クレオパトラ、楊貴妃、小野小町」 歴史に残る絶世の美女! このお三方に逢って本当に美しかったのか 自分の目で確かめてみたい?。
お礼
回答ありがとうございます。 >「クレオパトラ、楊貴妃、小野小町」 やはり天下の美女は、人気が高い。 先のお礼に於いて触れた為、クレオパトラ・小野小町に関しては割愛させて頂きますが、楊貴妃ですか、出来る事なら私も是非御目文字してみたい女性です。 クレオパトラ・小野小町は何となくイメージがあるのですが、楊貴妃ばかりは想像不可能。 相当に豊満であったとの伝承が一部にありまして、当時の中華風美的基準に照らし合わせてお綺麗だったのは間違いないのでしょうが、現代に生きる我々の眼から見て、果たしてどうなのか、興味は尽きませんね。
- 31192525
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isokenさん、こんにちは。 私はクリスティァンではありませんが 『聖母マリア』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 『リリー・クラウス』 一番好きな女流ピアニストでした。 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%92%E5%BC%BE%E3%81%84%E3%81%A6%E4%B8%8B%E3%81%95%E3%81%84-%E5%A4%9A%E8%83%A1-%E5%90%89%E9%83%8E/dp/4309017940/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1390662763&sr=1-1&keywords=%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%92 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9 すでに多くの方が回答してますが 『卑弥呼』 誰よりも早くこう聞きたい。 「邪馬台国はどこにあったのでしょうか」 「それはね、◎△×□よ」 ・・・ひと財産築けるかなあ(笑)
お礼
こんにちは、回答ありがとうございます。 >『聖母マリア』 古来より、幾多の巨匠が彼女をモデルとした作品を手掛けておりますが、本当のお顔はどうだったのか、興味のあるところではありますね。 >『リリー・クラウス』 彼女に関しては、浅学にして知りませんでした。 ほ~、第2次大戦前夜演奏旅行に出掛けたジャワで、日本軍に依り軟禁・保護されたユダヤ系の女性ですか、一つ勉強になりました。 そう言えば何となくユダヤ系を思わせる、エキゾチックなお顔立ちだが、日本に対しては恐らく感謝している事でしょうね、本国(ハンガリー)やウィーンにいれば、その生死がどうなったかすら、見当も付かない時代でしたから・・。 >『卑弥呼』 一財産どころか、巨万の富を築けるかもです。
- Twoods
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こんばんは。 静御前。 源義経の愛妾だった女性。 義経の兄である源頼朝の前で、義経への愛を踊りで語った白拍子の女性。 義経の逸話も色々、気になるものが多いので。
お礼
こんばんは、回答ありがとうございます。 >静御前。 御指摘の通り静御前に関しては、鶴岡八幡宮に於いて、頼朝の怒りをかった義経を慕う歌と舞いが有名ですが、吉野での義経との別れ、或いは出産した我が子に纏わる悲劇等、その他にも色々と悲しい思いをされておられる。 天国で義経と連れ添い、幸せにお暮らしであられる、そう信じたいものです。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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クレオパトラ&グレース・ケリー…どんだけ美人やったん?? 今回は熱く語れずスイマセン
お礼
回答ありがとうございます。 >クレオパトラ&グレース・ケリー…どんだけ美人やったん?? クレオパトラは、私の中ではもうエリザベス・テイラーのイメージでして、それこそギリシャ系で肌が浅黒く、それはもう妖艶な女性。 一方のグレース・ケリーは、山の様に実在している写真と映像を見る限り、絶世の美女と申し上げても過言ではないでしょう。 個人的には、何かと対比されるイングリッド・バーグマンやマリリン・モンローより、遥かに美しい女性であったと思っておりますが・・。 他方人気女優からモナコ大公妃へとの華麗なる転身、更にはケリー・バッグ成立へと至る逸話他、その全てがまさに現代版シンデレラですね。 >今回は熱く語れずスイマセン 次回こそは、熱いメッセージをお待ちしております。
- tzd78886
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淀殿、皇女和宮。二人とも本心から幸せだっのか知りたいです。 これだけではありきたりなので、「実は女性だった」という説がある人物。 上杉謙信と、徳川家重。男性として生きた生涯はいかなものだったのか知りたい。
お礼
回答ありがとうございます。 >淀殿、皇女和宮。二人とも本心から幸せだっのか知りたいです。 う~んどうでしょう、淀殿は先の御回答へのお礼で触れましたので、皇女和宮に関して申し上げれば、御存知熾仁親王との婚約が成立していた状況に於いて為された、言うなれば典型的な政略結婚でして、まあ激動期貴種の女性に課せられた、或る種の悲しい宿命ではありますが・・。 傍から見る分には、降嫁の条件とされた鎖国体制への復帰は反故にされ、加えて巷で取り沙汰された天璋院(篤姫)との確執、更には家茂の死去及び嫁ぎ先の徳川家の苦難等々、32歳でお亡くなりになるまで、それこそ御苦労の連続のようにも感じられますが、果たして御本人がどう思われていたのか・・。 >これだけではありきたりなので、「実は女性だった」という説がある人物。 >上杉謙信と、徳川家重。男性として生きた生涯はいかなものだったのか知りたい。 いやいや、ありきたりどころか先のお二人で充分に有り難い、コメントに窮する難解な人物を御提示ですが、先に述べた皇女和宮に関する拙文を以って、お礼とさせて頂きたいと存じます。
こんにちは。 額田王・・です。 漫画や小説、テレビドラマなどの影響ですけど・・。 高校生の時、日本史は大好きでした。
お礼
こんにちは、回答ありがとうございます。 >額田王・・です。 絶世の美女であったという風説はともかく、彼女もまた誠に謎多き女性であらせられる。 ただ万葉集に収められたその歌に、えも言えぬロマンを感じます。 例えば細川忠興・ガラシャ夫妻でやり取りした、以下の歌にも似た・・。 「靡くなよ わがひめ垣の女郎花(おみなえし) 男山より風は吹くとも」 (忠興) 「靡くまじ わがませ垣の女郎花 男山より風は吹くとも」 (ガラシャ)
- Nannette
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こんにちは わたしが会ってみたい歴史上の女性…、歴史上と言う場合、その範疇に入るのかどうか。 津田塾大学の創始者、津田梅子さんにお会いしてみたいのです。 教育者としての理念、アメリカで得た多くのもの、そして、当時にあって女性に教育を 施す必要を感じたその動機など、そんな話題でひとときを過ごせたら最高です。
お礼
Nannette さんには初めて御回答頂けたかと・・、誠にありがとうございます。 >津田塾大学の創始者、津田梅子さんにお会いしてみたいのです。 津田塾創始者である彼女の御高名のみは、無論予てより存じ上げておりましたが、その実業績他よく知りませんで、知ったかぶりする為に急いでウィキで調べましたところ、なるほどあの当時優秀な幕臣の子弟が辿った、一典型であろうかと。 当然ながら存在した女性としてのハンディを乗り越え、女性に対する高等教育付与に尽力されたそのお姿は、新島八重さんとはまた一味違った在り方及び先取性、その謦咳に接したならば、古い・新しいそして洋の東西を問わず、現代女性にとってもそれは有意義な時間となる事でしょう。
こんにちは! 会ってみたい歴史上の女性、それは小野小町です。 どれだけ妖艶で美しいのか、興味津々です。 できれば百人一首をしていただきたいものです。
お礼
こんにちは、回答ありがとうございます。 >会ってみたい歴史上の女性、それは小野小町です。 もうじき出てくると思ってました、世の男性は須らく美女に弱いですからねぇ。 まあ彼女こそは、その殆んど全てが謎に包まれたお方です。 但しその名前は絶世の美女の一典型として例えられ、且つ「小町=可愛い娘」とすら形容されるに至っては、もうこれ以上の名誉は無い。 無用な詮索は無粋かも知れません、知らぬが華という事もありますから・・。
ご健在のエリザベス女王に会って、本当に故ダイアナ妃の暗殺指示を出していなかったのか確認したいです。 ウィリアム王子が、最初の半年、キャサリン妃に実家で子育てを許可し、オムツも買って行くところに、英国王室も変わったと思いました。 しかし、故ダイアナ妃のときは、故ダイアナ妃とチャールズ皇太子の間に確執があったため、エリザベス女王は完璧にチャールズの味方だったような気がします。 ウィリアム王子が故ダイアナ妃に似ていることは、キャサリン妃にとって、とてもラッキーなことだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >ご健在のエリザベス女王に会って、本当に故ダイアナ妃の暗殺指示を出していなかったのか確認したいです。 まあダイアナ妃死去に至るその真相は、我々如き庶民の想像が及ぶところではありませんが、その昔より、英国王室は或る種のスキャンダルと無縁とは申せませんね。 古くはイングランド国教会を創立したヘンリー8世、新しいところでは、人妻であったシンプソン夫人との結婚の為、王位を返上したエドワード8世等々。 ダイアナ妃も死して或る意味伝説となられた、チャールズ皇太子はともかく、ウィリアム王子が無事英国王となられるのを、祈念するばかりです。
こんにちは。 回答も続くと続きますね。 卑弥呼の回答が多いようです。 大和の場所云々とそのミステリアスな存在が 我々の興味をひくのでしょう。 古代日本女王国・・・一度ゆっくりお話したいものです。 細川ガラシャ、仰るとうりでしょう。 教養と志操の高さ・・・私も異存はありません。 名前を玉と言いましたか? 彼女の、父光秀に宛てた書状が残されております。 「この度は大変なことをしてくれました・・・恨みに思います、 おかげで私は忠興に離縁されてしまいました・・・」 このような意味合いの書状だったように思います。 夫婦は二世と言います、私も分からないわけでもないのです。 当時、四面楚歌であったろう光秀・・・ せめて娘らしい言葉がなかったものか? 私のセンチメンタルでしょうか? >会ってみたい歴史上の女性 そうですねぇ・・・私も沢山おりますが日本史で言えば「淀殿」、 後世あまり良く書かれているのにお目にかかったことがありません。 我侭放題、自由奔放とまあ酷い言われようです。 まあ、確かにそうだったのかも知れません・・・ でも、犬猫でもあまりいじめられると性格曲がりますからねぇ(笑) 会って自分の眼で確かめてみたいものです。 テキヤ、笑いましたとても面白い。
お礼
こんにちは、回答ありがとうございます。 >回答も続くと続きますね。 多くの御回答を賜りまして、有り難いやら何やらで、turukamejirou さんのお気持ちが、少々分かった気がしますが・・。 >細川ガラシャ、仰るとうりでしょう。 例の「関ヶ原」で、細川ガラシャを演じたのが若き日の栗原小巻、あの頃の彼女はそれこそ溜め息が出るほどに美しい、加えて忠興を演じた竹脇無我と共に、匂う様な美男・美女のカップルでして、まさに私が持つ細川ガラシャ像・イメージは、栗原小巻その人なんです。 平均的に綺麗になられたとの印象を持つ昨今の女性達ですが、一方に於いて、その昔のような飛び抜けた美女が少ない気も少々・・、話が横道に逸れて申し訳ありませんが・・。 尚細川ガラシャに関する逸話・寓話の類は、それこそ枚挙に暇がありませんが、仰る通り、気の強さ・冷厳さを感じさせる伝承も少なくない、それこそ氷の如き微笑を持った美女、或いはその辺りも私が魅かれる理由の一つかも知れません。 >日本史で言えば「淀殿」 この方に関して言えば、遥か後年に於いてすら、「淀殿」或いは「淀君」というその2文字に例えるだけで、或る程度の想像力が付与されるほどに、ネガティブなイメージが定着しておりますが、豊臣家の滅亡に至る全ての責任を押し付けられた如きの伝承はどうでしょう。 根が浅井・織田という武家貴族の血を引く御姫様ですから、当然それ相応の我儘なお方ではあったのでしょうが、その晩年に於いて怠った秀吉の責任までが彼女に被せられたようで、誠に御気の毒としか言いようが無い気もします。 仮に関が原に於いて、或いは大坂の両陣で豊臣方が勝利しておれば、もう少し違った形で後世に伝えられた可能性が強い、やはり歴史は勝者に於いて作られるもの、そういう事でしょうか。
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お礼
回答ありがとうございます。 >甲斐姫 / 鶴姫 おや、随分とまた渋い御選択。 「のぼうの城」私も観ましたが、邦画エンターテイメントとしては最高点を付けたいほどに、個人的には大変面白かった。 尚甲斐姫が秀吉の側室となった顛末には、諸説あるようですが、何れにしても誠に波乱万丈の生涯、「東国無双の美人」と謳われたそのお顔、見てみたい気はしますね。 一方に於いて、秀吉の没後途絶えたその消息といい、更には実在の有無すら議論される、誠に謎に満ちた姫君ですが・・。 他方鶴姫に関しては、よく存じませんでしたが、ウィキを見ましたらなるほど、Ae610 さんは女傑がお好きなようで・・。