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戦後すぐの国鉄労働争議の原因は?
戦後に国鉄の労働争議が起きて、下山事件なども発生しますが、 どうして国鉄経営はうまくいかなかったのでしょうか? 大規模な馘首が行われていますが、どうして労働者過剰となったのでしょうか? 戦後に入り、産業復興ということで、国鉄は忙しくなったと思うのですが。 それとも不況で乗車人数が減ったのでしょうか。 よろしくお願いします。
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>どうして国鉄経営はうまくいかなかったのでしょうか? 経営感覚が無かったからです。 例えば、駅構内の蛍光灯が切れたとしますよね。 私鉄だと、250円程度の蛍光灯を買ってきて交換します。 が、国鉄では「3000円近い蛍光灯で交換」するのが常識だったのです。 何故か? 国鉄では、多くの直系企業を持っていました。 A社からB社C社と経由する度に、蛍光灯の価格は値上がりします。 最終購入者である国鉄は、250円の蛍光灯を3000円近い値段で購入するのです。 また、従業員は「公務員としての特権・利権」を謳歌していました。 国鉄連絡線(高松宇野航路)乗組員の場合。 片道約1時間の運行を1往復すれば、一日の仕事は終わりなんです。 航海後は、船舶運行指令所内にある「風呂場」で、湯につかって帰宅していましたよ。 実質4時間勤務で、8時間勤務の給料を貰う事が出来たのです。 民営後、クビになった乗組員を(政府依頼で)採用しましたが「全く仕事をしない」ので有名でしたね。 採用半年後には、会社都合で解雇しました。 民間会社と国鉄では、全く考え方が違うのです。 ○阪市役所で「特別採用枠で採用された、ゴミ収集車職員」と同じです。 >どうして労働者過剰となったのでしょうか? 雇用対策として、多くの採用を行なったからです。 失業率を改善する簡単な政策は、公務員採用なんです。 国鉄だと、現業ですから何人でも採用出来ます。 同じ失業対策を行なったのが、今のギリシアなんですね。 失業者を公務員採用としたので、ギリシア国民の約15%が公務員です。 余剰人員ですよね。国家予算も、人件費で消えます。国家財政破綻。 ここで、リスイトラ・給与削減・雇用条件改定を実行しようとすれば、公務員が暴動を起す訳です。 労働問題ですから、赤色の旗が翻ります。 (連日、TV報道で暴動が流れていますよね) 旧国鉄も、同じ状況でした。 が、GHQとか政治家が「左翼撲滅」に絡めてしまった点もあります。
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- mekuriya
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戦後すぐの国鉄労働争議は国鉄の経営とは全く関係ありません。戦後のハイパーインフレに対応して賃上げを要求したことが表向きの労働運動の目的でした。当然ですよね。物価が信じられない勢いで高騰しているのに給料が変わらなかったら食べていけません。だから国鉄に限ったことではないんです。国鉄労働組合、通称国労が全労働界において主導的役割を果たしたというだけです。それも当たり前のことです。官民含めて国労が最も多くの組合員を抱えていたのですから。 いいですか?国鉄経営も労働者過剰も戦後復興も不況も乗車人数も全然関係ないんです。物価の上昇に給料の上昇がついていかなかっただけです。当たり前なんですね。古今東西の歴史において、給料が物価より先に動いたことはありません。常に物価が先に動くのです。普通は給料は1年に1回しか変わりませんが、物価は毎日変わることができます。商店が値札を書き換えるだけですから。となれば給与所得者はひとたまりもないわけです。それが戦後のハイパーインフレによる社会的混乱なんですね。自分が国鉄労働者になったつもりでよく考えてみてください。自分が当時の人になりきって考えることが歴史を理解するコツです。
- olutier
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前の回答者様の、「経営感覚がなかった」には賛成です。 しかし、公営がダメで、民営ならよい、というわけではないと思います。 国営=無競争、民営=競争、とは限りません。 たとえば、京葉線と総武線、内房線と外房線などの、ほぼ並行する路線が、別の国営企業によって分けて経営されていれば、公営であっても競争原理が働いたであろう、と思います。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
満鉄など海外にあった日本資本の鉄道会社からの引揚者や鉄道連隊に所属した兵士の再就職先が国鉄だったため、人員過剰になったのです