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つゆと落ち、つゆと消えにし我が身かな。
宿題なんですけど。 この回答で二重マルがもらえますか? つゆ?は、雨露ですか? この時、露イコール秀吉? 秀吉の価値を意味してますか? 露の落ちる速度イコール人生ですか? ここの部分は爺さんしかわからない。 人生は早いのですか? 難しいなぁ。
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- littlekiss
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こんにちは、hidetora1900 さん。 「つゆと落ち、つゆと消えにし我が身かな。」 ↑ これが回答なんですよね? うーん、二日考えましたよ。 この回答(宿題)の質問は… なんだったんだろうと。 秀吉といえば… 茶の湯 お茶関係していませんか? たとえば… お茶は、くらべてわかる。 ―日本全国綾鷹試験― 【問】 「急須でいれた緑茶にもっともちかいのはどれ?」 http://ayataka.jp/ ああ… 鷹が出てきたーーー! お訊ねでしたよね、「二重マル…」云々 二重マルではなさそうですね。 【鷹の羽】鷹の羽紋の例(丸に違い鷹の羽) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B9%E3%81%AE%E7%BE%BD 鷹の羽紋は、勇猛な様子から武士などから尚武的に用いられる「鷹紋」と同様に、尚武的な意味で用いたものである 【古代から中世の朝鮮半島情勢(日本と朝鮮、中国との戦い、亡命)、白村江の戦い、蒙古襲来、秀吉の朝鮮征伐(名護屋城趾、佐賀)、渡来人文化、とは】 http://kanazawa.typepad.jp/weblog/2010/08/kagakufudoki116.html 秀吉の夢… 損なこととは露知らず
- amaguappa
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...栲縄の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕は 消ゆと言へ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失すと言へ... ..... 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと (人麻呂) つゆは秋の季語でしたね。
「つゆ」は秋の朝露のことで、現れてはすぐに消えてしまう儚さの喩えのように思います。 秀吉のように立身出世を果たした人ほど、我が身の滅びゆくことの虚しさが強く感じられるのではないでしょうか。 私が仕事でお世話になった方で、事業に成功して億万長者になった人が幾人かいましたが その中の一人の方の言葉が今も印象に残っています。 「死んだら何も残らない、何も持ってはいけない それを考えると人間も終りよ。」 といった言葉でした。 苦労して手に入れた地位も財産も、老いては死ぬという事の前には、儚い無意味なものであるという虚無感に覆われてしまうのでしょう。 死への実感を前にした、現世への執着からくる深い虚無感や、無常への諦観といったもののようです。 このような暗い心理の中においては、まったく救いのない心だけなのかというと必ずしもそうではないように思います。 「つゆ」に我が身を喩えたところに 死とは避けることのできない自然なものである、という 死を含めた無常を自然で美しくすらある、と捉えている感じもするからです。 この感慨の延長線上にあるのが、よく知られた良寛さんの句でしょう。 「裏をみせ 表もみせて 散る紅葉」 ここには無常を呑み込んでしまった気配すらあります。 生死への執着を離れた世界から、現世を美しく見ているようでもあります。 秀吉の場合には執着を離れ切ることのできない悲しみや虚無感がこもっているように思います。 人間的といえば人間的ですが・・・ 推測ですが 秀吉は空海の三十帖冊子の一部を手にしたほどでしたから 禅の高僧の詠んだ「軒の玉水」の歌も多分知っていたのではないでしょうか。 そうであったとすれば、自らの読んだ「つゆ」の浅さも分かっていたのかもしれません。 自分はこれまでだが、これでいい・・・といった心境であったのかもしれません。 少し長くなってしまいましたが 秀吉の見た「つゆ」は、きれいな秋の朝露だったのだと思います。 その朝露に自分の人生を写し見たのではないでしょうか。 人生早いといえば早い、あまりにも早いと思ったかもしれませんね。 たぶん、ですが。
- Tefu_Tefu
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こんばんは。 歳をとると時間が早く感じるのはね、爺さんでなくても分かるよ。「体内時計」の問題なのだそうです。歳をとると生物のもとであるタンパク質の新陳代謝が悪くなるので体内時計が遅くなるんだって。たとえば一年経ったのに、自分の体内時計ではまだ一年経っていないんだって、要するに自分の生命の回転速度がついていけなくなるそうなの。「動的平衡」に書いてあったよ。 まあ、ウサギとカメだな。(笑) それから、何々秀吉の人生を物理 E=mc^2にしたの? 秀吉の天下取りのエネルギー=秀吉自身×露の落ちる速度(秀吉の努力と運(閃き)の速度)の二乗 なるへそ~ そして、今度は、経済学でその達成度 秀吉の価値=秀吉の天下取りのエネルギー ほう~ ここで、秀吉は人生の総幸福量を感じれたかどうか? この回答で二重マルがもらえるか?ん~ごめん分かりません(笑) 頑張って
- hanniyagi
- ベストアンサー率15% (14/88)
答え、下の句、は。浪速のことも夢のまた夢、でしょう。 どうして、一つの歌を、分割して、質題したり。解釈したりしようとするんですかね? 分割して、支配せよ。とか、分割して統治せよ。とかの方法論めいた言葉はありますが。 分割出来ない、分割すべきでないものを分割して理解しても。全体理解にはならない場合も ありますよ。 この回答で2重丸がもらえますか?私なら、回答しただけで2重丸ぐらいあげますが。 暇ぎみ、ですので。勝手な辛口?採点をしてみましょう。 つゆ、は雨露ですか? ×× 特定する要因はありません。朝露を連想するのが多数派 でしょう。 この時、露=秀吉 秀吉の価値を意味していますか? ×O 命、の在り方、の認識であり。価値観、とは言えないか も、秀吉自身の命も当然含まれます。 露の落ちる速度=人生ですか? ?O 落ちる、を死ぬ事、と捉えれば、露が葉っぱなどに 留まっている間が生になります。 落ちる、を生まれ落ちると捉えると。おっしゃるように 地面に落ち、砕け消えるまでの、時間が人生、となり ます。時間=距離=速度 という在り方が解った上 で。速度=人生 と表現しているなら。 凄い知恵・・かも。 この部分は爺さんしかわからない × 考える力は歳と比例する訳ではありません。 人生は早いのですか ? × 自己の認識としての人生に、長いも短いも、早いも 遅いもありません。 常に、今、生きている。との認識があるだけです。 最後は今、死ぬんだな。との認識に変わるかも。 難しいなあ そうでしょうかねぇ~ 秀吉は、その時その時の仕事に全力を尽くしたという。 その結果太閤になったのであり。けっして運がよくて百姓から天下を取ったわけではない。 という文章を見たことがありますが。 人生は、常に、今、やるべき事、出来る事、をするしかないのです。 がんばって下さい。と人には言っておこう。 へ
- amaguappa
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たくわえ、とどまり、重みに堪え、きらきらと輝き、やがて落ちて消える。 読んだ通り、露の情景なのではないですか。 伊勢物語の 露と答へて消えなましものを ってのがありますが、露にはさながら美と官能と命がこもっているようですね。夜露はあまたあれども、たった一つの露に特別の感興を詠み込むのだろうと思います。
- TANUHACHI
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この歌は秀吉辞世の句とも言われていますが、だとすればオカシナところもあります。 全てを掌中に納めることそしてそれが必ず実現できると夢見ていた人物が「あっさりと諦める」ような歌を遺すだろうか?との疑問です。 最初の「つゆ」は「夜露」だとは思いますが、後の「つゆ」は「つゆとも知らず」のように使われる「打消しの副詞」とも理解できます。つまりは「露と落ち 露とも知らぬ我が身かな………」であれば秀吉が自らの人生を嘲笑したとも理解出来る可能性はあります。 普通に読むならば、結局は何一つ手に入れる事も出来ずに野望のままで全てが砂上の楼閣のように消えた妄想に取り憑かれた哀れな老人の最後の言葉でしょうね。 けれど「打消しの副詞」ならば、秀吉は自らを客観視し揶揄できる「日本の前近代では唯一の思索家」だったことにもなります、むろん英雄気取りをしていた人間にはそのような認識はないのでしょうけれど。笑
- moto_koukousei
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「この回答で二重マルがもらえますか?」 どれが回答ですか? ?(クエスチョンマーク)つきの文章で、意味内容がはっきりしない状態で宿題の回答にしたら、○はもらえないでしょう。 もちろん二重丸はもらえないでしょう。 辞世の句でも、俳句や和歌でも、読み手のあなたの理解を書けば、それなりの理解ならば×にはならないでしょう。 「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」 - 石田三成 「嬉しやと 再びさめて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空」 - 徳川家康 「曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」 - 伊達政宗 「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」 - 蒲生氏郷 これを読んだ上で、 「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」 - 豊臣秀吉 戦国時代を戦いに生き、策謀を駆使して、それなりに成功して名や功を挙げたと思っている人が、敗戦して辞世を詠む場合でも、病死するので辞世を詠む場合でも、(わびしい、はかない、別の生き方もできたのではないかというような感覚を持つ)でしょうか。 最後まで豪放磊落、肯定的で淡々としているのではないでしょうか。 上の五首も、にこやかに笑いながら、酒杯を傾けながら、したためる(筆を執る)というイメージもありではないですか。 死に臨んで、走馬燈のようにこれまでの人生が頭の中に浮かんでも、悔恨や後悔、思いが残るようなものではなくて、もっとあっさりした(色々なこともあったけど、短かったな~)ってなものじゃないですか。 爺さんならば、(長いようで、案外短い人生だった、一夜の夢の中でも、あれこれ起きるし)と80歳で死んでも、そう思うのではないでしょうか。 遺恨が残ったり、怨念や妄執が残るような死に方と、(戦いでの勝ち負けは、世の習い。自分なりにやることはやった)と思って【精一杯生きてきた人間の最後の感じ】は似てくるのじゃないですか。
- kusama1
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つゆとおち 天から授かった命 つゆと消えにし 命尽きる とも取れるし つゆとおち 戦乱の世に沢山の命が消えていった つゆと消えにし 自分もその一つとなる とも取れるしで三者三様の取り方がありますから先生が宿題を出した意図はたぶん生徒がこの文をどう解釈したかを見たいんだと思うのでネットで調べてきたような答えをそのまま書いてしまうと違和感が出るかと思います(^^;)
- darkside7
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>露イコール秀吉? >秀吉の価値を意味してますか? >露の落ちる速度イコール人生ですか? ・・・その通りの解釈だと自分は思います。 似たような表現も結構ありますよね。 人間50年下天の内を・・もそうですし、 夏草や兵どもが夢の跡・・などもそうだと思います。 自分も40歳を過ぎて思いますが、本当に1年が 早いです。多分、このまま50歳、60歳と生きても その頃は自分の人生はあっという間の出来事だった・・ と思うでしょうし、小さい頃、若い頃に夢見た野望や 栄華や没落・失望なども、死ぬ前となってしまっては 夢見たいなもの・・と思えるのでしょう。 ・・でも、俺はこのまま没落した状態で死ぬのはやだ~~。