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生きていることの空しさ
振り返ってみれば、生きていることに喜びを感じられない。人生の大部分のときにおいて、喜びや、生きている意味がないという感じが強いです。 しかし、それは人生が、辛いことや悲しいことばかりであったということではない。そういうことも、あまりなかったような感じです。生きてあることは、空しいというか、価値がなく、不愉快なことや心の苦しみや憂鬱に満たされているという感じです。 ときを経過すると、その感じは、ますます強まり、何をすることもない空しい、憂鬱な、そして心の悔恨と苦しみだけの日々です。 このサイトで、ここ一週間、少し回答してみましたが、感じるのは、不快感が大きいです。元々、このサイトは、色々な矛盾やおかしいことのある場所で、不快感がありましたが、最近、回答してみても、喜びがありません。 もっと色々と回答できればよいのかも知れませんが、あまりにも無知で無学なため、回答できない質問が多すぎ、自分に回答できそうなものだけを、何とか回答していましたが、時間をかけて、間違いのないよう確認しつつ回答を書いても、意味がないとも感じられます。 わたしが愚かで、無能で、他者から蔑まれ疎まれているのだということが事実なのでしょうが、こういう匿名の場で、そういうことになるのかとおもうと、何か意味が分からなくなります。 わたしは賢明さがたりないが故、自殺することを考え続け、そして実行できなかった愚かな存在だとも言えるでしょう。いまでも自殺を考えても、いまさらに、何の意味もないのです。 「何であること」で、生きる喜びや、意味を感じられますか? わたしの空しさはいかに答えがありますか? カテゴリーを迷いましたが、「死とは何か」という質問がありますから、「人生の空しさとは?」も、ここでよいと考えます。 (回答中に、わたしの名を書かないでください。Jesu, meiner Seelen Wonne)。
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- smallpaul
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補足
皆様、回答をたいへん有り難うございます。 しかし、時間をかけて考えて行きたいと思っておりましたが、このサイトでは、「お礼」「補足」の両方に「字数制限」を設けたようです。 元々、人生の空しさについて尋ね、またその具体的な一例として、「このサイト」での空しさを記した私たちです。現在のこのような「字数制限」の設定が、一層に、「空しさ」や「無意味さ」として痛感されます。世は無常でしょうが、営利主義に走ることも、この企業サイトの維持にはあるいは必要なことかも知れません。 しかし、このサイトは、会員間の個人的情報交換の禁止を規約で謳い、実際に、メールアドレスなどを記した場合、強制的に削除などを行っているようです。しかし、元々考えてみれば、このサイトも、インターネットの空間に対し「開かれた」場であり、またそうであるが故に、大勢の人がこのサイトを訪問し閲覧し、あるいは会員となって質問したり、回答したりしています。 どうして、そういうことが可能になるのか、それは上に述べたように、このサイト場が、インターネット空間に対し「開かれている」からです。あるいは検索エンジンを通じて、あるいは、どこかのホームページや、そこの掲示板の書き込みを見たりして、多くの人は、このようなQ&Aサイトが存在することを知り、そこから閲覧者や会員が、このサイトには増えて行くということになるのでしょう。 わたしも、検索エンジンを調べていて、このサイトを見つけたのです。皆さんもまた。色々なきっかけで、このサイトを知ることになったでしょう。 もっと多くの字数があれば、皆さんと、何か話したいことが多くあり、それらは時間をかけて、考えて行くつもりでいました。しかし、「字数制限」は、それを許しません。私たちとしては、このサイトを通じてではなく、別の場において、皆さんと語り合いとも希望するものです。しかし、そのためにメール・アドレスなどを書くことは禁止されている訳で、事実、私たちは、そういう風にアドレスなどを書いたことは一度もありませんし、今後も、そういうことはありません。 しかし、少し視野を広げて考えれば、最初に述べたように、このサイトはインターネット空間に開かれており、私たちは、皆さんもそうですが、その「インターネットの自由な空間」から、この「限定されたサイト」に出入りしているというのが本当の姿なのです。 従って、別に、このサイトのQ&A欄で、個人のメールアドレスやサイトのURLなど書かなくとも、広大なインターネット空間で、私たちは、互いに、それと知らずにすれ違っているのだとも言えます。それは実は、インターネット空間の自由な広がりが、可能としているのです。 このサイトが、個人と個人の「心の交流」を禁止する規約を持っているなら、それに従いましょう。しかし、インターネットの空間での偶然か神の配慮によるのか、出会いによる交流は、「自由」であり、このサイトの規約などの遠く及ばない世界だとも言えます。 皆さんとは、また違う人との交流が、あるいはインターネットの空間にはあるかも知れず、そういうなかで出会った人のなかに、ここで回答された方が、実は混じっているという可能性も、ごくごく幽かかも知れませんが、ありうることでしょう。 ともあれ、この質問は、この質問として、「字数制限」のなかで、今後の「お礼」などを考えて行くこととし、私たちは、また、インターネット空間での新しい人々との「出会いの可能性」に、人生の空しさに対する思索や、共鳴の可能性を見出したいとも思うのです。 何か、このサイトを「棄てる」ような補足ですが、このサイトの管理性、特に最近の「改悪」には、空しさと絶望を強く感じるとも言えます。また、それが、このような「補足」を書くことになった理由だとも思えます。 (私たちは、あるいは本心では、他者の無償の善意を資産とし、それによって成り立っている、このようなサイトを、もはや後にしたいと思ってるのかも知れません。回答する意欲は、ほとんどなくなりました。いまや、Au revoir[さようなら]というべき時かも知れません。しかし、Au revoir はフランス語では、別の意味でもあるのです。「オ・ルヴワール、主は、我らの慰めであれば」)。 再度、回答をたいへん有り難うございました。 (2003/0412/2042-2104)