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宇宙は人間の自己認識の延長でしかないのでしょうか
そう考えたとき、なにかとても狭くて細い、塞がったような感覚がしました ニヒリズムというやつでしょうか・・・ この考えをとことん追い詰めていくと、活力が失われていく気がします。 結局、宇宙は人間の自己認識の延長でしかないのでしょうか? もしそうであるなら、超人になる方法を教えてください。
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この世界には、立場によって異なる3つの本質的ニヒリズムの源泉 があり、それらのいずれかの克服は、全ての克服につながります。 1つにはあらゆる生きがいをシャットオフするかの如き、死の存在。 2つには、世界の豊かな彩りの、空虚な真空と素粒子への還元。 3つには、広大な宇宙が、実は自己の射影として二次的である事。 まず人は、死を忘れる事で、生の喜びを確保しますが、「忘れる事 による充実感」は、日常においても生じる認識の深まりの必要に おいて、バックグラウンドに対する不安が生じます。 しかし、その「生の喜び」の価値を本質的に意義付けようとして、 存在の原理を分析していく還元主義的立場に立つと、何も無い 真空に塵埃ほどの素粒子が回転している実相が見えてきて、 虚無感にとらわれます。 そこで、それも「忘れ」ようとして、認識の深まりを放棄するならば、 詩的創作による表層的「充実感」は得られますが、妥協せず現実を 見つめていくならば、その「広大な真空に漂う素粒子」の先に、 そうした唯物論(決定論)的立場を相殺する、不確定性原理と、 その表出たる量子が見えてきます。 「究極の理論」と呼ばれる超弦理論は、全ての素粒子を、時空的 絶対性(先入的実体性)を否定する不確定性に依拠する量子の 定常波の振動状態として、二次的に導いたのです。 そこにおいて有限的性質=存在性は、そうした原理性(不確定性 原理の相補的不確定性)を確定せず、階層現象(量子>クォーク >素粒子>原子>分子>細胞>個体(脳))を表層的に捉える事 (経験の蓄積による定性的認識)で生じている事が理解されます。 その、無(=不確定性無限)の潜在としての「自我仮説(時間的流れ) と時空仮説(空間的広がり)の相補分化」において、この世界は 自分一人しかいないという新たな虚無感が生じます。 そうした還元主義的時期を経て、その『相補分化』を現実に演繹 する時、そこに見てくるのは「自己と無」ではなく、「自己と、その 必要としての世界=自律的生=生きる事自体による充足」であり、 また「自我仮説=認識可能性の時空的射影としての他人=自己 の生の敷衍としての社会生命的自覚化=愛としての生」なのです。 そして、その自己の肉体的有限性の超越において、最初の 「死の虚無」も解消されるのです。 「超(比較)」人になろうとした時点で、道を外します。 「凡(凡て)」人に忠実であれば、ニヒリズムは消えます(それは 相対評価の絶対化(優劣)により生じるものです)。
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この地球は太陽系の内にあり、太陽系は銀河系の内にあり、銀河系は小宇宙の内にあり、小宇宙は大宇宙の内にあると考えられていますよね。 で、大宇宙は何の内にあって、極大の宇宙に果てはあるのか、みたいな事を考えていると、人類なんてな微生物みたいなものだと感じます。大宇宙からすれば塵に等しいチッポケな辺境の惑星上で、我々微生物どもが何やかやと喚いて勝手に苦しもうが楽しもうが、なんにもなりやしませんよ。 宇宙が人間の認識の延長上にあるのではなくて、我々人間は小さいながらも宇宙を構成する一要素なんです。仮に全知全能の神とやらが居たとして、地球という細胞のひとつに巣食う我々微生物に対してだけ、特別な恩寵を垂れたり、厳罰に処したりするものでしょうかね。 自我は認識によって宇宙を定義し、己の存在の小ささを否定しようとするので、宇宙に対する考え方を中途半端に突き詰めると、活力が失われていく気がしたり、ニヒリズムに陥ったりする事はあるかも知れません。 そういう場合は、極大の宇宙を擬人化して、その視点で見て考えると、あまりの話のデカさに圧倒され、思考が停止し、チンケなニヒリズムは消し飛びます。お試しあれ。
お礼
回答ありがとうございます 宇宙を擬人化するとニヒリズムがチンケになって消し飛ぶのですか。 実存的でおもしろいです
- miko-desi
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信じて居られることは美酒を味わっているかのように居心地がいいです。 まだ酔っぱいになれもしない子供だから疑心案義で明け暮れるんです。 大人は信じていられるものを持っているから明るいものです。 「人の命は地球より重い」とか「ビックバンの起源は○国」とか! 思い込みが大きくあればあるほど疑うべき認識も超越するでしょう。 そんな無邪気さへ辿り着いた超人たる大人たちは 素面で頑張ってる奴は子供だましにあってるんだよって気になれます。 嘘が成功した例は知りませんが。 無根拠にとりあえず悟れます?
お礼
回答ありがとうございます もしそうだとすると不完全でいることが完成になりますね おもしろいです
冬の星座をご覧になったことがおありかと思いますが・・・ この時期になると オリオン座を含めた一群の星が大変きれいに見えます。 その空間的な広がりは素晴らしいものです。 それらを見ていると、一見ランダムな配置でありながらも、確としたものがあるように感じられます。 また、宇宙はすぐそこにある、といった感じもします。 閉塞感もありません。 毎晩見えてくる星の光からは 常に、確としたものが放たれているように感じられます。 星の下にいる自分が、星に見られている・・・そんな感じさえします。 星を見るということは、宇宙との小さな触れ合いの体験に過ぎませんが 変わらぬ永遠の中に小さな自分がいる、という実感を味合わせてくれます。 宇宙論に疲れたら、星を見てください。 星があることが、当たり前のこと以上に感じ取れる機会があると思います。 星と自分は繋がっている、自分は永遠の中の一部分・・・といった感触が得られるかもしれません。 誰もが、それぞれに、身近な宇宙的感覚を手にすることが出来ると思います。
お礼
回答ありがとうございます 詩的でおもしろい内容です。 しかし、日本の夜は宇宙を見えにくくしています。残念です
- Mokuzo100nenn
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>宇宙は人間の自己認識の延長でしかないのでしょうか んなことはない。 あんたが存在するまえから宇宙が存在していたと考える方が普通でっせ。 余計な心配せんと、常人の儘で世間の役に立つ人間をめざいしておくんなせい。
お礼
回答ありがとうございます 確かに、哲学はアンバランスですから そう考えるのも大切ですね
ああ.ツァラトゥストラの声が聞こえる. 若者よ.超人に成りたいのか.成るためには数々の,青春の 幻影たちを,墓場に送り届けなければならない.そしてその 墓場から復活を遂げ,高いところを目指すのだ.そのとき君 は閃光となり,不死身となり,超人となるであろう. しかし,決して折りたたまれた過去を,展開しようと考えて はならない.過去は既に収束しており,相対性理論に於いて のみ概念的に展開されるのであって,超人であっても過去は 変えられないのだ.時間とは,ただ収束するだけのものだ. 未来は確率の波の中に有る.そしてそれは自我の認識によっ て現象となる.しかし,ここで自我について学ばなければな らない.我々は,ただ一粒の光から派生した,多数の自我で ある.人,動物,植物,微生物,細胞,ミトコンドリアに至 るまで,一粒の光から派生したのである.そしてそれぞれに 自我が有る. つまり我々は,認識による現象化という作業を,分業化する ことによって,個を多として,その表層的階層現象化および 共有を可能にしたのだ. 若者よ,我々は,その分業化の中に埋もれてはいけない. 更に高いところに認識を置かなければ,何も視えはしない. そうだ,それだ!未だ認識されずに,収束をみない現象を視 るのだ.それは君によってのみ認識され,収束し,現象とな って現れるのだ.それは他我愛である.愛すべき全ての生物 への,慈愛である. そのとき,真理は我らを自由にするのである.
お礼
回答ありがとうございます ツァラトゥストラですか。哲学書は読みにくいですね。
- ok9608
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自己認識の延長とは おそらく 科学上の宇宙から個人経験の有形、無形のもの まであらゆる認識対象を指すのでしょう。多少疑問なのは 他人の同様の自己認識を認識しているか です。しかし それらを含め自己認識として宇宙と定義するならそれで 回答者がいうことはないと思います。それでも生きる目的を消失し虚無感に悩まされており 超人間になって問題解決したい、そこで超人間になる方法を聞いておられるわけです。 超人間とは 生きる目的を与えるもの であって 答えは人それぞれであるとおもいます。例えばですね、人類の大問題は いつかこの人類種も絶滅するのですが それをいかに延命するか です。現在人口70億人/地球ですが 人口容量は100億人とも言われています。100億人になるのは間もなくでしょう。大量食料不足がはじまり大量餓死がはじまるのです。あるいは原子力放射能による大量の病死が始まるかもしれません。戦争死かもしれません。要するに人類の延命は近未来の大きな問題なのです。この延命策問題に目をむけて 個人として何かできるはずであると考え 虚無感から脱出することも考えられるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます 人間の認識する世界とは別に、新しい真理的な何かを想像してしまいます そこから生まれた超越者的視点を助けるには、個人では少し物足りないかもしれません
- lv4u
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>>結局、宇宙は人間の自己認識の延長でしかないのでしょうか? 釈迦が悟りを得たとき、「宇宙即我」という境地に到達したといいます。宇宙全体まで、自己意識が拡大し、地球や月を宇宙空間から眺めたりしたようです。もちろん、他の銀河系までも見ていたのでしょうね。 まあ、宇宙の果てまでは無理でも、成層圏くらいから地球を見るくらいの境地までは、がんばればいけるかも? まあ、自己認識がちょっとアップして、宇宙を「ちらり」と感じたとしても、それを「自己認識の延長」というのは、本末転倒っていう気がします。 何かの機会があって「会社社長の本心」を平社員がちょっと知ることができたとしても、それでもって「社長は私の自己認識の延長でしかない」とは言えないですからね。まあ、そうであっても、「私が将来、この会社の社長になるぞ!」と頑張れば、そうなる可能性はありますけどね。 宇宙については違うと思うけど。 >>もしそうであるなら、超人になる方法を教えてください。 仏陀は、あまり使わなかったようですが、仏典によれば、多くの超能力を持っていたといわれます。そして、霊界では、念力によって物体を生み出すのが普通の世界ですし、時間や空間はねじ曲げることが可能だといいます。その物体は霊界だけで存在するのではなく、この3次元世界の物体として出現されることも可能といいますし、そういう実験は、19世紀に多く行われています。 つまりは、そういう「霊界」「魂」とか「奇跡」というものを「普通に存在するもの」「あって当然」と思えるようになること。さらに、「この世こそ、仮の世」「あの世こそ真実の世界」と心の底から理解し納得するようになることで、霊界パワー、いわゆる超能力を使えるようになるそうですよ。 誤った信仰、すなわち「唯物論」の教えである「この3次元世界が全て、霊界は無い、宇宙人はいない、奇跡なんてありえない!」という教えを捨てるところから始めるのが良いと思います。
お礼
回答ありがとうございます 原始仏教は、形而上学的な問いに対し「無記」を貫いたといいます しかしニヒリズムはそれを理解できないのです・・・
- skip-man
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超人になるって質問の意図はわからないけど 自己認識の延長? って所に釣られて意見を述べると 「宇宙は,人間の認識の拡大を促している」と思っています。 次々と既成概念を覆す観測結果が得られている。 わくわくしませんか?
お礼
回答ありがとうございます わくわくします
- devilsbear
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超人の定義を教えてください。
補足
説明不足でした、 超人というのは、思想家であるニーチェがニヒリズムの無意味さを乗り越えるためにあげた概念です。 主体的な人間として、新しい価値の創造者であることがニヒリズムの克服であるとしています。
補足
なるほど。 ニヒリズムの解消はかなり迂遠であり、最終的には圧倒的な自己を認識してしまうことが 肝要であるってことですか。すべてを肯定した、達観というものでしょうか? しかし比較人としての生存は避けることができないのでは。 僕だけが感じていないように、ニヒリズムの時代が押し寄せてきているように感じています。 そういった中で、達観?というものが各々に広まっていくと、この先どういった社会を構築するとお考えですか?