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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:デカルトの物体の存在証明について)

デカルトの物体の存在証明について

このQ&Aのポイント
  • デカルトは「我思う、ゆえに我あり」として、精神が実体として存在すると主張しています。
  • 物体とは延長という属性を持たないため、精神は別種の実体であるとも言っています。
  • しかし感覚器官自体の存在が疑いえるため、物体の存在を証明することは難しいと言えます。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#150036
noname#150036
回答No.2

さっそくですが,ゲーテは,かく語りき. 「自由でないのに,自分は自由だと思っているものほど  奴隷になっているものはない.」 これが意味するところは,我が選択しているにもかかわらず, そこには我に選択させているものがある.つまり, 「我思う故に,我をそうさせるものあり.」ということです. この命題もまた,循環論法の域を脱しない感があり,不完全で あり,あまりに人間的な感じがします.これはボクの意見じゃ ないんですよ.ツァラトゥストラがそんな風に言ってました.

yusuke________
質問者

お礼

回答有難うございます。 なるほど、そのような解釈も出来るのですね。 臆見ですが、デカルトは、人間は有限で不完全な知を有しているが、その知が不完全であることを認識出来るということは、完全な概念というものを了解できるということだ(つまり神の概念などのことですが)、というようなことを言っていました。ですから、彼はア・プリオリな概念の存在を認めているということで、そういう意味でも、「我思う」は純粋に能動的な精神行為足り得ると彼は考えていたのではないだろうかと思いました。 いずれにせよ、頂いたご回答を参考にしながら、もう一度著書を読み込もうと思います。 有難うございました。

その他の回答 (1)

noname#159900
noname#159900
回答No.1

デカルトは、あなたの意見も含んでいると思いますが。 どちらにしろ、あなたの意見とデカルトの考え、両方私は支持します。 デカルトに固執しない、私の意見です。

yusuke________
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 心の存在範囲の定義の変遷について調べていたのですが、その途中で浮かんだ疑問でした。 私の意見を支持して頂けるとは思ってもみなかったので、改めてデカルトの著作を読み直してみようと思います。

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