• 締切済み

不思議で仕方ない??・・・感覚器官と脳の関係

常々、不思議で仕方ないと思っていることがあります。 目、耳、鼻、舌といった各感覚器官は、例えばCCDカメラ、マイク、匂いセンサーといった各センサーが感知してその電気信号を増幅器などの機械本体に伝えます。それを我々はTVモニターやスピーカーといったもので見たり聞いたりします。 つまり末端の各センサーは単に情報を拾い上げるのみであり、そのもの自体(位置している場所で)では見る・聴くという主体的なことはしていないのです。言うなれば、一方通行で情報(信号)を機械本体に伝え全てそこで処理しているのです。 一方、我々の場合ですが・・・ 目や耳といった感覚器官で見たり、聞いたりしたことは各神経により脳に伝えられます。脳の中でそれを瞬時に処理し見たり、聞いたりといったことをするわけですよね。ここまでは分かります。が、どういったらいいのか、それならば映像や音声といったものは常に脳(の中央後部あたりに感じる部分が集中しているとか)で感じられても不思議ではないのに実際は末梢の目や耳それ自体で(感覚器と脳との距離を全く感じない!)あたかもそれらが独立して感じているかのようです。 それは手足の指や体中の皮膚感覚についても同様です。 脳から遠く離れている足先の指を踏まれて「痛い」と感じるのは脳でしょうが、実際は踏まれた当の指の箇所が痛いのです。 思うのに神経回路は機械のセンサーのように一方通行ではなくて、瞬時に相互通行出来る(上手く言えませんが、丁度、家庭にある有線電話の同時通話のような?)ようになっていて、かつ感覚器自体で即座に感じ取るよう(脳とのギャップが生じないよう)出来ていると考えたらいいのでしょうか? 医療(医学)のカテゴリーでの質問も考えましたが、まず生物学でこのことが理解できたらと思いました。宜しくお願いします。

みんなの回答

  • mydummy
  • ベストアンサー率59% (55/92)
回答No.9

音は耳元で聞こえるとありますが、どこまでそうでしょうか? 一般的には音は「右から聞こえた」「遠くから聞こえた」など、ある程度身体を離れて定位することができます。最近は三次元音響を再現するバーチャルリアリティの技術も進んでおり、ヘッドホンや顔面前方に置いたスピーカーを使い「上から聞こえる音」「後ろから聞こえる音」などを作ることが可能になっています。 幻肢などを考える限り、感覚が発生している部位で神経活動が実際に起こっている必要は本質的にはないように思われます。そもそも、神経細胞の活動は神経細胞自身の場所の情報を持っているのでしょうか?われわれの位置知覚はどこから来るのでしょうか? 聴覚野の神経細胞活動は内耳に達した音波とよく対応し、内耳という場所で起きている現象と関係していそうです。では、聴覚野の神経細胞活動は聴覚野という場所の情報を持っているでしょうか? 意識や感覚が神経系の活動から生じているという前提をおけば、感覚は感覚が発生する場所の情報があれば生じるのであり、その位置情報が脳でしかるべく統合されれば、その場所に感覚が生じても不思議はないわけです。 逆さめがねの実験での学習などでは、末梢系への刺激の空間配置と知覚的空間配置の関係が後天的に変わりうることが分かりますが、末梢系の空間情報が学習されることにより、そこにあたかも感覚が生じるよう学習され、幻肢などもその学習の効果が残っていることにより起こると考えることはできませんか? ちなみに、逆さめがねの実験では、光の焦点が網膜にあっていることは変わりません。焦点という位置情報を網膜神経活動が持っているわけです。では、潜望鏡のようなもので頭頂部に光の焦点を持ってきて順応した場合、どこで見ていると感じるでしょうか?私は実験したことがないので分かりません。聴覚に関しても、両耳間時間差や耳介によるフィルタリングで耳の位置情報が聴覚的情報に反映されています。 体性感覚でひとつ有名な実験があるので紹介しましょう。 この実験では、サルの腰を固定して、道具として熊手を与え、熊手を使わなければ届かないところにエサをおいてとらせ、脳活動を計測しました。すると、実験開始時には熊手を操作するためには脳の広範な部位が活動していたのですが、実験が進むにつれ、熊手の操作や熊手への人為的干渉に対し、手と関係する脳部位で熊手に反応するようになったそうです。 「道具を手足のように使う」という表現があり、実際普通の人でも箸を使い慣れていれば端先で物をつまんでいるかどうかなどが感覚的に分かりますが、脳でも似たようなことがおきているわけですね。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「感覚器的には世界は倒立してるはずなんです。でも世界は正立して見える。なぜでしょう。」 まず、しつこいようですがこのことについて出来ましたらご回答者様ご自身の考えを伺いたく思います。 次に、「耳元」の件です。勿論、方向・遠近といったものを聴き分けたり、両耳ありますのでステレオマイクのようにきちんと音像定位も(意のままに)出来ます。私が申しましたのは感覚器としてそのもの自体(鼓膜や内耳)が構造的に眼球同様頭部のそれぞれの位置にあるので、空気中を伝わってきた音波は外耳から入ってきますから、まずそこで聴くことが出来るという(単に位置的な)意味なのですが・・・ 音は内耳で(蝸牛で各周波数帯ごとにピックアップ)情報処理され神経を伝わって脳の聴覚野に行きます。 ここでも先の眼球同様、耳元=内耳で聴こえているのは、実は脳の中で聴こえているということとして理解するのか?という点です。全身に汲まなくある感覚発生部位と違い、外界から感覚的な情報を集めるところ(しかし、それら集めたデータをただ一方的に脳に送る単純なセンサーではなくして)、かつ、あたかも「見たり聞いたり」そのこと自体を感覚器自身が独立して行っているように思えます。(何度も言うようにそれらは脳内で感じるのではなくてそれぞれで感じますので) 幻肢のこと・・・仰せの様に、言える事は感覚発生部位で神経活動は起きていなくて(神経細胞自身の場所情報はおそらく持ち得ない)、また位置知覚というのも脳からでしょうね。他については分かりません。 「潜望鏡のようなもので頭頂部に光の焦点を持ってきて順応した場合・・・」確かに見ていて実際の目の位置からの距離感を感じるでしょうね。下等な生物にそれらしいのがいたり、単純に持っている数から言えば昆虫の複眼(勿論、その機能や役割が我々のとは全然違う)などの方が上でしょう。そもそも各感覚器は脳からさほど遠くないところに全て位置している=つまり脳に密接した極めて中枢的なものだと言えます。 サルの実験の話・・・我々人間にとって、特に、指先というのは感覚的に、また学習能力から見ても明らかに別格です。(サルではすぐに限界がくるでしょうし) 字を書く、絵を描く、高度な楽器演奏をする、ものを作る、etc・・・指先が「第二の脳」とよく言われる所以ですね。

  • suiran2
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回答No.8

面白いご質問ですね。40年ほど前のことでしょうか,(歳が分かってしまいますね。)アメリカで生まれたての赤ちゃんの1つの感覚を使用することを禁ずると,全体的な感覚の発達が遅れるという内容の研究がありました。今考えますと何ともすごい研究と思いますが… 内容についてはほとんど記憶していません。しかし,物を舐めることを禁じられた一人の赤ちゃんは,弱い物でも強く握ってしまい物を壊すことがたびたびであり,また温度感覚や堅さ・柔らかさ等の質感とい概念も育たないという事例は記憶しています。そのような事例がいくつも列挙されていまして,結論は感覚は各感覚器が個別に感覚していても認識は各感覚を脳内で統合し総合的に発達するものだといった内容でした。 あなたは五体満足でお生まれになり,育ったのだと思います。ですから目で見たものはあたかも目そのもので見ているように感じ,耳で聞いているものはあたかも耳そのもので聴いているような感覚になるのであって,生まれながらにある感覚器を失っていたらどのように感覚・認識するのでしょう。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 仰せの米での研究は、確かに人間として倫理面からも絶対に行ってはいけない類のものでしょうね。 なるほど、成長の過程で脳内に於いて各感覚器の情報を統合的・総合的に発達させることは、一見当たり前のようで実に凄いことだと思います。 そこで、これまたよく思いますのに極端に感性が鋭いとか豊かな人(画家・音楽家・作家といった芸術家)は各感覚器自体の性能?は凡人とそんなに大差ないと思うので、やはりあれは脳自体の成せる業なのでしょうかね?

回答No.7

No3,6です。 目、鼻、耳、についてのリンク先間違えました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E7%A5%9E%E7%B5%8C

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 末梢神経には大きく分けて脳神経と脊髄神経の二つがあるということが理解できました。12対ある脳神経はそのほとんどが目・耳・鼻・舌・歯といった感覚器官や顔面神経、三叉神経といった主に頭に関係したものであることも分かりました。

回答No.6

 No3です、補足読みました。 面白い考え方ですね。   目、鼻、耳、となると書くと、ながくなるので、ウィキペディアで勘弁してください。    ところで、脳神経と脳じゃなくて、末端神経だよ、名称が紛らわしいけど。(ウィキペディアを読んだときに、わかりやすいようにと思って書き込みました。) ​http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E7%A5%9E%E7%B5%8C​ 手足の痛みについて、それが、脳からの信号だと理解する手っ取り早い方法としては、  『論より証拠』 肘の近くに、ぶつけるとジ~ンと痺れる場所がありますよね。  そこを、適度に自分で叩いてください。  尺骨神経にそって、叩かれていない手や指まで痺れてくる筈です。  ところで、尺骨神経については、下記URLを参照してください。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BA%E9%AA%A8%E7%A5%9E%E7%B5%8C  面白い質問をありがとう。  

  • mydummy
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回答No.5

網膜には倒立像が投影されています。 あなたの網膜の下のほうには、あなたから見て上のほうにあるものが映っています。 あなたの網膜の上のほうには、あなたから見て下のほうにあるものが映っています。 なんで世界はさかさまに見えず、正立像であるかのように見えるんでしょうか? 近代光学の父イブン・アル=ハイサムもこの問題を扱いかねて、光学原理を捻じ曲げてまで正立像が投影されるかのように図説しています。 感覚器的には世界は倒立してるはずなんです。 でも世界は正立して見える。 なぜでしょう。 とりあえずこの問題について考えてみてください。 あと、原理的に感覚が遠心性フィードバックを必要とするとは思えませんね。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すみません・・・先の「回答へのお礼」のところで眼球内の網膜に映る像も上下逆だということを書き忘れてしまいまして。(ご指摘有難うございます) 仰せの様に、上下にも左右にも逆転した像を網膜に結びます。そして、(ここが重要なのですが)外の世界は上下逆さまに写されたまま、もとに戻されることはなく、脳に行っても脳の上側(背側)は下の視野に、脳の下側(腹側)は上の視野に対応しています。 ご存知の様にカメラ内に映る像は上下逆です。これはレンズですので物理的に説明ができます。 出来上がった写真そのものは上下逆です。しかし、逆でも見るときにヒョイと逆さまにすればいいだけですから・・・ ではどうして我々が現実にこの目で見ている外界の映像は上下・左右が逆転しないのでしょう・・・上手くは言えないのですが、もともと上下といった「概念・観念」の無い宇宙空間ではこのことは全く必要ありません。 しかし、重力が存在する星=この地球上で誕生し進化発展し、適応していくために、日常的に行動するためには明らかに地に足をつけることの必要性からあえて、「上下」を認識するために脳が「解釈」しているとも思えるのです。つまり、人間は目に見えるものをそのまま見ているのではなくて、様々に解釈しながら見ているということでしょうか。例えば「逆さメガネ」なるものをかけてあちこちぶつかりながら痛い思いをしてやがては脳が「これは本当は上下逆なんだな」と理解しやがて正しい向きに修正していくのでは?と思います。ですから最初から決して、「網膜上で上下は反転している」などと定義されてはいないのです。 「映像」として情報は入ってきます。それをどう解釈して現実の世界だと思えばいいのかは脳には分からないらしいのですね。単にものを見るというしごく日常的なことは確かに脳の学習・解釈によるものが大なのですね。 *整理しましょう:外界の光(映像)は水晶体を通過し眼球自体までは像が上下反転状態、その状態で視神経を経て脳にいきます、その時点ではまだ脳内でも反転のまま情報を受け取っています、そして「解釈」がされて修正・補正後、外界と同じ映像が浮かぶ、と、こう説明が出来ます。 しかし、眼球(感覚器)そのもの自体の場所で正しく見えている状態というのが何とも不思議なんです。同様に音も脳で聞くというより確かに「耳元」で聞こえますよね?

jupitan
質問者

補足

「とりあえずこの問題について考えてみてください。」 ・・・ご回答者様ご自身はどうお考えですか?ご意見をお聞かせいただければと思います。

回答No.4

専門外なので適切かどうかわかりませんが。 結論から言うと、痛さなどを感じさせる信号は、感覚器から脳までの一方通行だと思います。指先が痛いのも、あくまで脳内で指が痛いと情報処理をしているだけ。フィードバックするのは、痛みではなく痛みに対応するための方策だと思います。緊急を要することなら脊髄が反射するでしょうし、そうでなければ大脳でのんびり処理して、痛みの原因から距離を置くなどなど。 参考urlに、幻肢についてのことが書かれています。もし脳から四肢まで痛みの信号がフィードバックされることで情報処理が終わるなら、幻肢痛は発生しないはずですよね。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BB%E8%82%A2
jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 幻肢痛のことはたまたま先般、TVでやっていたのを見ました。 確かに不思議な現象です。これは長年そこに腕や足があったという日常的な「習慣性」も影響していると思います。事実、脳からそれぞれへ神経系は依然として出ているわけで、末端の器官が無くなっても相変わらず「存在するもの」「いつもの習慣」として、つい、これらの「名残り」的に指令や反応といったことが生じてしまうのでは?と思います。事実、「ミラー・セラピー」と言われる鏡を使った治療で効果があるのには視覚が多大に影響していると考えられていますね。

回答No.3

こんにちは、大学生の回答でもよければ、 人間の神経の伝達速度は物凄い速いんですよ。 解剖生理学の実習で、筋電図を調べてみたところ、アキレス腱反射では、たった千分の26秒、アキレス腱を叩いてから、意識的に足首を動かすのも、千分の50秒。(これは、個人の体の大きさによって違います。 もちろん大きくなるほど、伝わるまでの時間も大きくなる) 針などで指先をつつくと、自分では意識しなくても、勝手に指が引っ込みますよね、 これを、「引込め反射」といいます。反射の場合は、いちいち脳を経由せずに背骨の中にある脊髄までいって、痛い信号が痛い箇所に信号として伝わるから、これも、物凄く速い。  しかし、No1の回答者さんもおっしゃっているように、一歩通行です。  踏まれたと同時に痛いと感じているように感じますが、実際は、千分の何秒か時間が掛かっているのです。 これは、筋電図と、叩くハンマにセンサーを付けて解剖生理学の実習で調べました。

jupitan
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 #1さん、#3さん、貴重なご意見を本当に感謝致します。 ・・・ですが、私の疑問点とはちょっとご回答のポイントが違うように思います。(すみません) 私の疑問点は・・・では何故、足の指を踏まれて確かにそこがダメージを受けたのに(事実、その場所で痛みを感じているわけです)一度、神経伝達系で脳までいき、脳が「痛み」を感じ(でも、それは頭の中で痛みを感じるのではない)再び足の指の踏まれた箇所に「痛み」の信号をフィードバックさせてそこが痛いと認識させる(この間のスピードは仰せの様にほぼ瞬時だと思います)。一方通行ではないでしょう? ここなんです!事実、痛みを感じない一種の神経障害の病気があるそうです。一見、「痛くないのならケガや重い病気でも平気だから便利!」そう思いがちなのですが、これは違うんですね。「痛み」はケガや病気のバロメーター(指針)なのです。ですから、人体にとって重篤な状態になろうと全く痛みを感じないのは、本当はとても危険な状態であるのに当の本人には分からない=知らず知らずのうちにとても命が危険な状態になっている・・・ですから、「痛み」を感じるというのはとても大切なのですね。 すみません、話が少しそれました。で、感覚器のことです。 取りあえず、目(眼球)に限定します。「正確には目でものを見ているのではなくて、あれは脳で見ているのだ」などと言います。 確かに眼球から出ている視神経は左右交差して大脳につながっています。大脳内でそれを映像化し、認識しているのです。しかし、考えてみてください。その映像は頭の中、脳内にあたかもスクリーンのように映りますか?いえいえ、それは眼球というか目そのものの器官内でじかに見えているでしょう。違いますか?他の感覚器も同様です。 つまり、私が言いたいのは脳は膨大な情報処理とか思考とか感情とか記憶とかを司る偉大なスーパーコンピュータ(臓器)であり、目や耳といった感覚器(自体)に「第二の脳」としての機能を授け、あたかも脳の「出先機関?」として機能を任せていると言ったらいいのか。勿論、お互いは密に連携しているわけですが・・・ このあたりが分かりません・・・引き続きご回答お待ちしております。

jupitan
質問者

補足

すみません。少々早とちりしたようです。 「反射の場合は、いちいち脳を経由せずに背骨の中にある脊髄までいって、痛い信号が痛い箇所に信号として伝わるから、これも、物凄く速い。」 ・・・であるとすれば「回答へのお礼」で私が言った、足の指・・の箇所は明らかに間違っていますね。 では、目や耳、鼻といった感覚器はどうなのでしょう(つまり各感覚自体をどういう経路で感じるかということ)?これは脊髄経由ではなくて直接、脳にいっていると思いますが・・・

  • moritan2
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回答No.2

すいません、書き間違いがありました。 背中のように感覚の鈍いところは小さい でした。

  • moritan2
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回答No.1

感覚神経は一方通行です。脳の中の感覚を感じる大脳皮質には、体全体に対応したモデルのようなものがあります。ただし、指先のように感覚の鋭いところは大きく、背中のように感覚の鈍いところは大きい不恰好なモデルです。足先を踏まれたら、大脳皮質の感覚を感じるところの足先に相当するところに痛いという信号が伝わります。それをあなたは「足先が痛い」と意識するわけです。

jupitan
質問者

お礼

ご回答有難うございます。

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