古文の沙石集の訳で少し分からないところが・・・。
南部に、智運房といふ寺僧ありけり。あまりに物騒なりければ、(1、ひた騒ぎ)の智運房とぞ、人申しける。ある時に、向かひの僧坊に(2、焼失)ありけるに、騒ぎ出でて、手水桶の水を捧げて、傍らなる法師の首にかけければ、「これはいかに」と言へば、「御坊の顔に火のつきたると思ひて」とぞ言いける。火の光、顔に映りて見えけるを、火のつきたると(3、思ひけるにこそ)。ある時に、若き者ども寄りあひて、酒宴しけるに、続瓶子せむとて、瓶子を持ちて酒屋へ行きて、程なく帰りたり。人々興に入りて、瓶子なる酒を堤子に入れて見れば、浮き草あり。あやしと思ひて飲みてみれば、水なりけり。「これはいかに、一向に水にてあるは」と問えば、「(4、よも候はじ)。やはて汲みて候ひつるものを」と言ふ。「これは何と言ふことぞ」と問へば、「月は(5、おぼろなり。)雨に道すべりて、猿沢の池の端にてすべりて、瓶子をイケにうちこぼしつるを、やがて時を移さず、底を汲みたりつる」とぞ言ひける。
このカッコの中を訳したいんですが、よくわかりません。
分かる人教えてください。お願いします。
あと、玉勝間の訳で
出だすは、いと大事なり。行く度も返さひ思ひて、よく確かなる拠り所をとらへ、いづくまでも行きとほりて、違ふ所なく、(動くまじきにあらずは)、たやすくは(出だすまじきわざなり)。
このカッコの中も訳したいんですが、また、これもよくわかりません。打消、打消推量、打消意思の意味だということはわかるんですが・・・。