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大鏡「道長、伊周の競射」について
中の関白殿、また御前にさぶらふ人々も、「いま二度延べさせたまへ。」と申して、延べさせたまひけるを、やすからずおぼしなりて、 { 「さらば、延べさせたまへ。」と仰せられて、また射させたまふとて、} {}の部分は誰から誰への発言・敬意なのか分かりません。 回答よろしくお願いします。
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結論から先に、道長から中の関白殿(御前にさぶらふ人々も含む)への発言で、作者から道長への敬意。 解説。最初の部分は「中の関白殿、また御前にさぶらふ人々も」と主語がはっきりしていますので、「いま二度延べさせたまへ。」の発言・動作は「中の関白殿、また御前にさぶらふ人々も」と言うことになります。その後を見ていくと、「延べさせたまひけるを」と接続助詞の「を」があるので主語が変わり、「やすからずおぼしなりて」以降は道長の発言・動作となります。 *接続助詞の「て」・「で」では主語が変わらず、「ば」「ど」「を」「に」の後は主語が変わるのが一般的ですので(例外もありますが)、覚えておくと便利です。 *「仰せられ」は、下二段動詞の「仰す(おほす)」に尊敬の助動詞「らる」が付いたものが一語になったもので、言ふ、仰す、仰せらるの順に敬意が高くなります。 「射させたまふ」の部分は「射さ」普通動詞、「せ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞で、「せたまふ」は二重敬語となります。本来地の文での二重敬語は、天皇などの最高身分にしか使わないので、最高敬語とも言われますが、大鏡は下記のように全文が会話形式なので、摂関などにも二重敬語を多用しています。(一般の文章でも会話文中では低い身分の者に対しても二重敬語は使われる) 「仰せられて、また射させたまふとて」の部分は地の文ですので、動作の主体はは主語が変わらないので道長ですが、敬意は作者となります。 *大鏡は少し特殊で、全文が会話形式となっているので純粋に作者ではないのですが、質問文中などに特に注意がない場合は作者として大丈夫です。
お礼
細かく説明していただきありがとうございます。 参考にさせていただきました。