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中2です。死が怖いです。

中2です。 今の人生はとても楽しいです。 ただ、時々、異様に怖くなったり悲しくなります。 それは「死」について考えたときです。 そして、大好きな家族との別れを考えたときです。 死後の世界があって家族と再会できるのなら涙が出るくらい、言葉に表せないぐらいうれしいことでしょう。今回は全く分野の違う3つ質問があります。 *この時期(中2くらい)は死についての恐怖。家族との別れへの恐怖が生まれる時期で普通なのですか? *死ぬと死後の世界で家族と再開できると思いますか? *数十年の間に凄い延命薬ができて凄い長生きできるようになると思いますか?【自殺・交通事故などは除く】

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  • Giuliani
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回答No.7

死ぬことについて考えたんですね。以下、私からの回答です。 1. 特別なことじゃないと思います。私もそのくらいの時に死ぬことについて考え、夜眠る前などによく怖くなりました。 2. お互いが望めば家族と再会できると私は信じています。私は昔飼っていたネコにも会えると信じています。 3. 40年ほど前と比較して10年程度日本人の寿命が伸びていますので、今後も寿命は延びていくと予想されます。 ※ いまは学校生活もおうちでもとても幸せなんですね。家族からたくさん愛情を受けているのを実感されているのではないでしょうか。とても幸せに感じるゆえに、その家族との幸せがいつかなくなってしまうんじゃないかと恐れ怖くなったんですね。そうですよね、愛する者との別れほど辛く悲しいことはありません。私は、あの世でも愛する者と会えると信じていますが、こればかりは現世に生きる者には残念ながら分かりません。ならば、いまこうして生きている時に愛する家族とたくさん話をし、たくさんたくさん聴き、思いや気持ちを伝え合い、助け合い、精一杯いまを生きていくことが私たちにできることなのかなとわたしは思っています。 家族との別れを思うと辛く悲しくなる、そんなあなたのいまの気持ちをずっと大切にして下さいね。その気持ちがあなたの家族を幸せにし、そして未来のあなたを幸せにすると思います。

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回答No.8

中二頃『死が怖くなって』抜け出せなくなりました、つまりノイローゼになりました。 そうして悪戦苦闘の末に32歳に恐怖症から抜け出す事が出来ました。入院森田療法と言うものを受けて4年後です。ノイローゼになる事や、治る事、或いは怖くなる事や不安と云う事、或いは安心する事や『安楽に生きる事や、安楽に死んでゆく事』と言う意味が良く理解できるようになりましたので、その経験から書いてみます。 人間が不安を覚えたり、恐怖に駆られる事は脳の作用ですが、その脳の作用は『疑問』にも及んでいます。思春期頃から、人間の脳は機能分化が完成に近くなります。この脳の機能分化の完成が『人間とは何者か?或いは自分は何者か?』と言う疑問に繋がっています。 そうして難しく世の中を『もう一度考え直す機会』になっています。このもう一度人生を始めから考え直す機会を『聖書では失楽園』と表現しています。 つまり人生を考え始めると言う『知恵が付いた』と言う意味ですが、同時にそれは『死を見通す機会ともなっています。』 結論から言うなら『死を怖いと思う内は未だ』人生の入口にいる事を意味します。死と生を別々な事にして見ている見方になっているからです。死も生も『同じ事』と言う見方が出来た時『人生は安楽に包まれてきます』 安楽なうちに生きて、安楽な死を迎える事が出来るという意味です。そうなる事が『自分自身を知る事』=『悟りを開く事』を意味します。 宗教を薦めるつもりはありませんが、死の恐怖を乗り越える事は『自分の中に宗教があったことが分る事』を意味します。それは脳の機能です。 不安や恐怖心を乗り越える事は『自分自身を学ぶ事』によって解決する問題です。そのヒントを載せておきますので、後は自分で学んで下さい。 一つは人間の脳の機能です。人間の脳内には二つの人格が存在している事実です。悩みや不安や恐怖とは『心の矛盾』を自我という心が感じていると言う意味です。 その心の矛盾の解消が『宗教の目的』と言う意味です。もう一つの自分の人格との出会いを仏教では『見性』=『自分自身を知る』つまり悟りを開くと表現しています。 キリスト教においては『神と和解する』と表現しています。どちらも同じ事を違う表現方法を取っているだけです。 その意味は『自我意識が、もう一つの自分の意識の存在を認める事が出来ない事が、自我の悩みや苦しみとなっていた事が分る事です』もう一つの意識は煮ても焼いても死なない存在と云う事が分かることです。 言い方を換えるなら『自分の肉体は滅びたとしても、自分の中には、もう既に永遠の存在が存在していた事を知る』と言う意味です。 自我が先に立って不安な生活になっていたところが、『全てを見通していながら全てを肯定して受け入れている存在』が、今度は先に歩いていって『自我はその後を歩いてゆく』と言うほどの意味です。 言葉にするなら『神の僕とないいて、、』と言う意味です。 人間の脳内に二つ意識が在る科学的な証明を載せて置きます、ウイキペデアからです。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。” 自覚出来なくとも脳梁を切断した場合には人間には二つの別な人格は存在しています。 もう一つは右脳の人格を直に体験した人の動画です。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この右脳からの情報を元にして人間の感情は『湧き上がっています。』この情報の受け取り方の誤りを『心の矛盾』と表現します。誤まった受取り方を『罪の意識や業』と表現しています。 今の時代はその湧き上がった感情を『身体の異常とした場合自律神経失調症』行動の異常とした場合神経症』『心や精神の異常とした場合精神科医や、心療内科』のところに行くようになって『宗教家のところ』には行かなくなっているようですが、宗教家の力が落ちたのかも知れません。 医師達には未だ『心の矛盾の解消方法』を編み出すまでには至らないように見えます。

回答No.6

 41歳です。死が怖いです。  これが答えになるか分かりませんが。  質問1・中学校二年生位に、死について考えたか?       考えました。私はかなりおマセだったので、夜も眠れない位でした。  質問2・死ぬと家族と死後の世界で再会できると思うか?       思いません。家族が生きているうちに精一杯、コミュニケーションは取りたいです。  質問3・凄い技術が出来て、長生きができるようになるか?       そんなに長生きしたら、自分が困ります。  と、なりました。私の場合。  私はもう、母も兄も癌で早死にしているので、そう思うのですが、生きている内に  精一杯、家族と仲良くしておく事です。私はかなり、親兄弟と仲の良い子供でした  が、それでも家族の死に関しては常に後悔と、悲しさと、寂しさを今も持って暮らし  ております。でも、人前で泣き喚くような事だけはするまい、悲しい話にだけはする  まい、と日夜、頑張っております。毎日、死んだ家族の写真を見て家族が生きてい  た頃の楽しい気持ちを忘れずに、死んだ家族の分まで楽しく暮らそう、と頑張って  います。正直、私のように、家族が癌で早死にしてしまうと、自分の「長生き」に関  しては5割くらいは、「無理なんじゃ」と思ってしまいます。でもまあ、不摂生・自業  自得などと言われない様に、常に「健康志向」「前向き思考」で暮らしております。  あとは、「死」に関する恐怖を克服するには、常にその恐怖の源が何であるのか考え、  恐怖に対してその自分の心の底を覗いてみるのも、ひとつの手、です。ぐだぐだに  悩んでみるのです。  そうすると、気持ちが天井が抜けたみたいに、スコーンと抜けて、死に対する恐怖、  薄らぎます。  私の場合は、死の恐怖というと、火葬にされた時に、自分が虫の息でも生きていないか、  という事でした。  死ぬ時はしっかりと、死にたいもんです。死後硬直がちゃんとされてから、火葬されたいな。  今はそれだけ考えております。家族の場合もちゃんと死後硬直は見たので、大丈夫です。  骨も拾いました。  家族との別れが怖くなったり、悲しくなったり、するのですね。それは、少しあなたが、  親や兄弟たちと距離を置いているからでしょう?決して、今は仲良くないんでしょう。  大好きかなあ。嫌いなんじゃ?  自分の気持ちを判ってもらえない、とか、常に一緒に家族が居てくれない、自分が一  緒に居てほしい時に?一緒に居て欲しくない時には家族が少し、邪魔。そう思ってるん  じゃ?  あなたの楽しさは、家族と一緒に居る楽しさではないのでしょう?  あなたの家族も少しそうなのかも。あなたと同じ気持ちなのかも。一人になりたいな、  そう思う時もあるんじゃ?家族以外の人達に会いたい。そう思ってるのでは?  私は思います。  血の繋がり、心の繋がり、家族の繋がりは、全く違う方向に向くって事は決して無い  と思うなあ。  これ、私の経験と、実感です。

回答No.5

永遠に生きられるとしたら あなたは勉強しますか? 夏休みだからといって、友達とどこかに行きますか? 就職しますか? 食事をしますか? 結婚して人はあふれるほどいっぱいいるのに 子供を産みますか? 限られた時間があるからこそ 充実した時間をすごさなければなりません 「生きる」という3文字を 500年かけて書いてくださいといわれて (1000年でもいいですよ) あなたはじっとこの3文字を書きますか? それよりも「生きる」をテーマに あしたまでに原稿用紙に3枚書きなさいと言われたほうが なんといそがしく充実した時間がすごせることか 人は死ぬことはないのです 生きている時間しかありません

  • 1951715
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回答No.4

1番目の回答ですが、中2くらいの時期は人によって違いますが感受性が高い人に、「死」と言うことに不安を感じる人も、おられます。しかし、あまり、この事ばかり考えると、楽しい事、嬉しい事などがつまらなくなるので、又、将来の事、希望を持ってほしいと思います。 ちなみに、私は、「死」と言う事に対してこのように思っています。神様が、私を人間として、あの世(人間の住む世界)に「修行に行って来い」と命令され、生まれて来た。そうして、この世で、言葉を覚えたり、愛を感じたり、辛い勉強に打ち勝ったり、仕事を覚えたり、人間関係を保ったり、自分の意見を言えるように努力したり、結婚をして愛しあったり子育ての苦労を乗り越えたり・・・。と、色々修行をして、「そしてこの世(神の世界)に戻って来い。」と。 「誕生」とは、人間の世界での修行の始まり。そして、誰にでもおとづれる「死」は修行を終えて「旅立ち」と思っています。だから私は、親が死んだ時、心の中では「修行、ご苦労様でした」と言って送りました。 これが私個人の「死」に対しての考えで、そう考えると「不安」や「恐ろしさ」は軽減すると思います。(2番目、3番目の回答は分らないですが・・・)

  • cubetaro
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回答No.3

 いえ普通です。  そういう事を考える時期だと思います。  家族が大好きで今が楽しいというのは素晴らしい事かと。  死ぬ事は怖い事ですが、これから大人になって年を重ねるウチに心の準備ができてきますので、気にしなくて大丈夫です。  死後の世界については、あると思えばあるのでは。  数十年の間には、延命薬は無理でも、ガンへの効果的な治療などは出来てくると思います。

noname#186980
noname#186980
回答No.2

1.私も子供の頃は寝るのが怖い時がありました。でも成長するにつれ、薄らいで行きました。思春期にありがちですよ。 2.そういう世界があるというのがわかれば嬉しいですね。善行をすれば叶うと思います。 3.癌とエイズの治療薬は開発されると思います。 人生の先輩としてのアドバイスです。勉強、友人関係、恋愛が順調であれば人生は楽しいですよ。自信を持って下さいね。

回答No.1

中二女子です。 私が以上に「死」について恐怖を覚えたのは小6くらいだったと思います。 ですが小六の考えることなので 好きなマンガの最終回がみれない 大好きな人に会えなくなる もう好きなご飯が食べられなくなる くらいでした。 質問の回答ですが 1つ目は、私も同じ時期(2年ほど早かったですが)に同じことを感じたので、普通なのではないでしょうか? 2つ目は、死んでみなければわかりません 3つ目は、数十年では無理に等しいでしょう。医療技術が上がって、平均寿命はかなり高くなると思いますが、そのような魔法の薬ができるとは私は思えません。 最後に、私はもう「死」は怖いものだと思ってはいません。 死がなかったら、毎日を一生懸命生きることができないと思うからです。 死があるからこそ、毎日を充実させるよう努力し、精一杯頑張ることができると思います だからあなたも、死を恐れて生きるより、毎日を精一杯生きて、死ぬ時は悔いのないように生きてみませんか?

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