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死ねば、生を失ったうえで死を自覚する

今夜は最速バトルだ。 ついてこれるか? 実在する仮面ライダー。 最速の臆病者だ。 現在君たちは死に恐怖し、生きたまま死に取りつかれた生きる屍だ。 恐怖が君を生きたまま死者とする。 しかしだ、 死ねば生を失い、死そのものとなる。 そこには現在の生死観と違う死の実感がある。 これ、ちゃんと想像できるかい? 死後の世界とは、死そのものの世界だ。 君たちは間違いなく死ぬよね。 その死に対する考察を宗教といい、学問的には哲学の一部だ。 今の君が死に関していかなる哲学を持つのか聞かせてくれ。 お礼はアニキなツンデレで、死を笑いで吹き飛ばし、君をさらにみじめにする。

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  • ponyo7
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回答No.1

神は雄弁ではない。 多くを語る者は神ではない。 無こそ神である。 この世の全ては死して無に帰依する。 我々は仮の世で戯れているだけなのだ。 そして生きている時だけが神と接触できる唯一の機会なのだ。

Flareon
質問者

お礼

そうさな、 採点評価は、 花丸印だ。 ただ、最速バトルの挑戦に対する敵前逃亡の感触があるよ。 少なくても君には生きることの実感はもたらされるだろう。

Flareon
質問者

補足

ところで、今回の覚悟がきれいごとでなく、覚悟が決まっているのなら、聖霊が君に遣わされささやいてくれるはずだ。 聞こえているかい? 故事から親切なヒントを与えると涅槃とはあの世とは別の観念世界だ。 肉体が滅することは単なる変化、そんな永遠の生だ。

その他の回答 (1)

回答No.2

サハラ砂漠をチャリで走り、ヒマラヤや 南洋のジャングルを何週間も徘徊する間、 あるいは厳冬の日本アルプスにかじりつき ながら、日々『明日が人生最期の日になる かも知れないが、それでも行くか?』と 自らに問い続けた。 人生とは、死を避けたところに残るもの ではなく、不断に死を見つめ、死までの プロセスに最大限に自己を発揮する事だ。

Flareon
質問者

お礼

おねえさま。 りりしすぎますわ。 うるうるです~。