- ベストアンサー
死ねば、生を失ったうえで死を自覚する
今夜は最速バトルだ。 ついてこれるか? 実在する仮面ライダー。 最速の臆病者だ。 現在君たちは死に恐怖し、生きたまま死に取りつかれた生きる屍だ。 恐怖が君を生きたまま死者とする。 しかしだ、 死ねば生を失い、死そのものとなる。 そこには現在の生死観と違う死の実感がある。 これ、ちゃんと想像できるかい? 死後の世界とは、死そのものの世界だ。 君たちは間違いなく死ぬよね。 その死に対する考察を宗教といい、学問的には哲学の一部だ。 今の君が死に関していかなる哲学を持つのか聞かせてくれ。 お礼はアニキなツンデレで、死を笑いで吹き飛ばし、君をさらにみじめにする。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
神は雄弁ではない。 多くを語る者は神ではない。 無こそ神である。 この世の全ては死して無に帰依する。 我々は仮の世で戯れているだけなのだ。 そして生きている時だけが神と接触できる唯一の機会なのだ。
その他の回答 (1)
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
回答No.2
お礼
そうさな、 採点評価は、 花丸印だ。 ただ、最速バトルの挑戦に対する敵前逃亡の感触があるよ。 少なくても君には生きることの実感はもたらされるだろう。
補足
ところで、今回の覚悟がきれいごとでなく、覚悟が決まっているのなら、聖霊が君に遣わされささやいてくれるはずだ。 聞こえているかい? 故事から親切なヒントを与えると涅槃とはあの世とは別の観念世界だ。 肉体が滅することは単なる変化、そんな永遠の生だ。