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「年を取った頃に」と「年を取る頃に」の違いとは?
- 「年を取った頃に」と「年を取る頃に」の違いについて疑問を抱いていませんか?この記事では、日本語で未来や過去の事を表現する際の表現方法について説明します。
- 「年を取った頃に」と「年を取る頃に」の違いに関するルールや意義についても触れています。また、この表現に関する文法用語についても紹介しています。
- 学校での日本語の文法学習についても触れており、英文法との違いについても言及しています。最後に、文法に関するおすすめのサイトも紹介しています。
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質問者が選んだベストアンサー
#1です。補足です。 慌てて最初のご質問にだけお答えしておりました。 1。「年を取った頃に」は間違いですか? 冗談ではありません。前にも申した通り、立派な日本語です。 2。「年を取る頃に」だけが正しいのでしょうか。 いいえ、両方とも正しいと思います、 3。 日本語がそうである理由をお尋ねしたというよりも、★たとえば、完了の「た」を用いない「年を取る頃に」とはどのように文意が違ってくるかが具体的に分らないのです。 これは「(年を)取る」のような、前後の状態が変わる動詞では、意味があまり変わりません。死ぬ時も、死んだ時も、たいして変わらないのと同じです。 しかし「食べる」など途中の過程があると、「食べる時」と「食べた時」は、違います。ですから動詞の性格で、「完了」が表に出る場合と微妙に違う場合があると思います。 言葉というものは重複の多い意思伝達の手段で「時制(テンス)」が無くても「時相(アスペクト)」で表現出来ますから、別にヨーロッパの言語の一部の、過去現在未来に、右へ倣う必要は無く、「時制」がないから日本語には欠陥があるとも考えていません。 日本語の文法を習う前に僕は日本語を話しました。どの言語でも、話すのが「先」、文法は「後」からついて来る物で、外国語学習には役に立ちますが、ネイティブには無用の長物だと思います。
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- nebnab
- ベストアンサー率34% (795/2317)
No2です。 >英語と混乱しますね。必要がないということはどういうことなんでしょう。 >厳格さは国語が要求しなくても、文明人にとって必要性が無いとは言えないでしょう。 先の私の回答で言いたかったことは「日本語では過去・現在・未来を表す必要はない」ということではなくて、「日本語は英語のように時制に応じた動詞の変化で過去・現在・未来を表す必要はない」ということです。 もちろん日本語でも過去・現在・未来をはっきりしないといけない場合はあります。 ただ、その際には完了や推量、意志の助動詞を使えば表現できる場合もありますし、明確に時制を表現したければ「昨日の」とか「来年に」といった時間を表す名詞句を使って表現します。ここが動詞の変化で時制を表す英語との違いです。 私の先の回答は「日本語では過去・現在・未来を表す必要はない」とも取られかねない表現になっていました。 私の文章力の弱さが露呈してしまったようです。失礼しました。 >日本語がそうである理由をお尋ねしたというよりも、 >★たとえば、完了の「た」を用いない「年を取る頃に」とはどのように文意が違ってくるかが具体的に >分らないのです。 この点についてはNo3さんが的確な回答をつけていらっしゃいます。 私もNo3さんの説に賛成です。
お礼
文章力の弱さなんてことはありません。私の返事がそう受け取られるものであったら申し訳ありません。意見の応答ができる知的サイトであり気付いた事を指摘あってこその回答とお礼に思いますので、知識を交換し合って参りましょう。 どうも時名詞頼みのようですね。日本語は。 回答者さんには一番のポイントをご提示していただきました。 今後ともご指導よろしくお願いします。
- nebnab
- ベストアンサー率34% (795/2317)
英語の授業で「現在形・過去形・未来形」などを習うので混乱してしまうのですが、日本語は英語のように動詞の変化や動詞に助動詞を伴うことによって過去・現在・未来(文法用語では「時制」と言います)を明確に表す必要はない言語です。 「なぜそうなのか」と言われても「そういうものである」としか言いようがないのですが。
お礼
分りやすいご説明有り難うございました。
補足
英語と混乱しますね。必要がないということはどういうことなんでしょう。仕方がありませんが国語(自分の思考)の注意点として初等中等教育で強調されるべきですね。日本語である以上いい加減な思考になっている限界が何かという認識です。厳格さは国語が要求しなくても、文明人にとって必要性が無いとは言えないでしょう。明確さというか特定性の問題ですね。それを英語学習から学ぶという皮肉でしょうかね。 日本語がそうである理由をお尋ねしたというよりも、 ★たとえば、完了の「た」を用いない「年を取る頃に」とはどのように文意が違ってくるかが具体的に分らないのです。 ありがとうございました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
「た」は、過去ではなく完了を表しますから、未来にも使えます。 「明日山田さんが見えた時、お話ししておきます。」 「来週の忘年会、あいつの顔を見たとたんに、反吐が出ちゃったりして」
お礼
なるほど理由は完了ですか。 法に悩まされている庶民はそれに気がつかないんです。 ありがとうございました。
お礼
考え改めまして、「年を取る頃に」の方はおかしな日本語ではありませんかね? >「「時制」がないから日本語には欠陥があるとも考えていません。」 >「ネイティブには無用の長物だと思います。」 ご主張は私も同意者だったのですが、最近は、日本言語も外国語から勉強させてもらうべき点を認識すべきように考えています。具体的にはその使用者である日本人の思考を省みる作業になります。 ファッションリーダーである日本語言語学者の論調に感じることですが、日本語は日本語、どっちも正しいというような相対主義にひたるのは非生産的立場に陥ると思います。 本題の差には完了や完了の強調がありますね。無用の長物とおっしゃいながらも、動詞「食べる」の文法的ご説明は私の助けになっています。 ご教授ありがとうございました。