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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:竪穴式住居)

竪穴式住居の落とし穴説の可能性は?

このQ&Aのポイント
  • 竪穴式住居については、昔からの説では地面の冷暖房効果を期待したと言われていますが、他の説は無いのでしょうか?竪穴式住居は獲物用の落とし穴として使用されたのではないかという素人の見解もあります。
  • 竪穴式住居は、獲物用の落とし穴として使用された可能性があるという説があります。円形に掘り、ロープで覆い、獲物が上に来た時に落として狩るという方法が考えられます。解体後は周囲から柱を立てて獲物を縛り付け、内蔵など一部は次の獲物用の餌として使用するとされています。
  • 竪穴式住居は、落とし穴説の可能性があるという意見もあります。縄文時代の人々は、落とし穴を用意し、獲物を狩って解体し、周囲を覆って一週間ほど過ごすという暮らしをしていたのではないかと考えられます。しかし、暖房や冷房などの説は疑問視されることもあります。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.16

●落とし穴は単純なだけに存在の有無さえ確かに難しいですね。 ●地形から位置を推測し発掘するのも方法でしょうか? ○最初の頃の回答に書いたと思いますが、すでに落とし穴と推定されいる遺構は、多数発掘されています。  日本全体で数千基、いえおそらくは万単位で確認されているはずです。  それは「竪穴住居」などではなく、長径1~3m、幅1m前後、深さは発掘調査段階で1~3m(註1)の「落とし穴状土坑」(註2)と呼ばれている遺構です。  斜面地や尾根筋に散発的あるいは連続して構築されています。尾根筋に構築されるのは獣道を選んだのであろうと考えられています。  遺構の密度が低いため、斜面地などを全面調査しないと確認しにくいです。多摩ニュータウンなどではよく見つかっています。 註1 これは上部が削られてしまっているためで、構築当時はもっと深かったはずです。 註2 形態的には落とし穴と推定されているものの絶対的なものではないので「状」と呼称されています。

kawasemi60
質問者

お礼

ありがとうございます。 「落とし穴状土坑」とは学問的ですねー 全部をまとめた記録なり書籍は在るのでしょうか? 読んで見たいと思います。 化石捏造事件を嘆かわしいと感じていたら ピルトタウン人捏造事件というのが在ったと 思い出しました。これと比べると化石捏造は 手順が幼稚でかわいいものですよねー

kawasemi60
質問者

補足

知識が少し増えました。ありがとうございました~ ただ今、締め切りました。

その他の回答 (15)

回答No.5

竪穴住居が「住居」と考えられるのは、 (1)中央部に火を焚いた痕跡がある。 (2)生活用具が多数見つかることが多い。 (3)柱穴とみられる穴が複数見つかることが多い。(建て替え) (4)複数存在して「集落」を形成している。 (5)これを住居以外の用途とした場合、住居に類する遺構がない。 (6)火災に遭ったとみられる炭化材が出土し、その構成から「建物」と考えられる。 (7)少なくとも古墳時代以降の竪穴住居では上部構造が発見された例があり、住居以外に考えられない。 (8)廃棄後、土器捨て場や墓に使われることがあり、「生活圏内」にあるものであり、落とし穴とすると立地が合わない。  他の回答でも指摘されていますが、実際の竪穴住居はさほど快適ではありません。確かに夏場は涼しいですが、半地下であるがゆえに湿気が多く、冷気もはいってくるので冬もあたたかくないそうです。  近年では「生活のしやすさ」ではなく「建築技術の未熟さで 半地下にすれば上部構造は比較的簡易な構造ですみます。建築技術が向上し、柱や壁を組み合わせて構造物を造れるようなると竪穴住居はすたれていった、という説もあります。 ●縄文人は少数暮らしなので ○草創期~前期はそうですが、中期以降は大規模集落が営まれています。  現在では狩猟だけではなく、栽培なども行われていたと考えられています。 ●落ち葉を集めるだけで暖房は十分。 ○雪の舞う季節でそれをやればさすがに縄文人でも凍死すると思いますが・・・・。 ●外で眠る方が快適。 ○当時の日本には「オオカミ」が生息しています。快適云々の前に「危険」です。 ●水浴びという方法が在る。 ○寝ながら水浴びをすることはできません(笑)。  「寝るときに涼しい」という意味合いかと。 ●竪穴式住居の落とし穴説の可能性は在るでしょうか? ○すでに回答があるように「落とし穴」とされる遺構は見つかっており、竪穴住居の構造、立地、出土遺物から考えても「ありえない」と断言しえもさしつかえないかと思います。  着眼点としては面白いですが、実際の遺跡や遺構を知らない「机上の空論」です。

kawasemi60
質問者

お礼

ありがとうございます。 (1)火を必要とする一番は料理と言えるので 獲物の解体をすぐに行なったなら矛盾しません。 (2)生活用具は解体と料理に関して多いのでは? (3)動物をつるすのに最低3本の柱が必要です。 もし2~3頭の獲物が在れば5~6本の組み合わせが 合理的です。単に組み合わせただけですから長持ち しないので繰り返して使うことに成ります (5)夏には山や川、海岸に移動して過ごしていた と考えます。住居という建物が無くても以外に快適 に過ごせるものなんです。必要なのは冬ですね。 そこで落とし穴に解体用の柱を組み上げて周囲を 覆う。冬の獲物を得たら解体し炉の在る落とし穴で 煮炊きして食べた。杉の木の葉や枯れ草で眠る場所を 作り落とし穴の中で狩人の獲物を待った・・・ (6)冬の落とし穴はもちろん建物と言える構造ですね。 (7)人数が増えて周囲に鹿などが少なくなれば獲物は 激減し落とし穴としての役割は低下しますよね。栽培 の発達もあり人工が増え住居としての活用が増えた。 (8)私は逆に落とし穴を中心として生活圏が構成され ていたと考えるのです。実際に泊り込みで狩猟をしてみ れば判るのですが数日も過ぎると生活の廃棄物がでます。 ◎日本の集落は珍しく囲いが少なく開放的と言われます。 アイヌ集落も本格的な囲いは無かったのでは? 落とし穴から集落が発達したと考えれば開放的という事 が無理なく納得できると思うのです。

  • Kon1701
  • ベストアンサー率24% (1445/5856)
回答No.4

縄文時代の落とし穴、住居跡とは別に発見されています。博物館の展示で数箇所で見ています。一例では、深さは1m程度で底に竹や木などを立てた跡などがあります。 住居跡は環状に配されていて広場があったりしますが、周囲に堀があったりするなどこれを落とし穴にするには非常に無理があります。その近くにゴミ捨て場があるなど、住居、そして集落と考えると非常に合理的な配置になっています。なので、現在住居跡といわれるものを落とし穴と考えるのは適切ではないと感じます。 なお、竪穴式住居には住むにはまだ分からないことが多数あるといわれています。地面の冷暖房効果とも言われていますが、冬は地面に寝られるのかな? とも感じます。ただ、構造はさまざまな発掘品から現在の復元でほぼ正しいのでは? と思います。

kawasemi60
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も縄文前期から後期までのすべての竪穴式住居 が落とし穴とは考えていません。縄文人の人数が 少なかったと考えられる狩猟が主体の頃を考えます。 狩猟を目的とする落とし穴なら獲物の種類により 形状が異なると考えます。教えていただいた例の 構造は獲物の殺害に困難が予想される場合と考えます。 獲物は皮を含めて大切な収穫であり狩猟では出来る だけ傷つけない配慮をします。また落とし穴に見張り を残さず場所を離れる事は無いと思う。狼が居た時代 なんですから先取りされてしまいますから。そこから 殺害に至るような傷を獲物につけるのは狩るのが困難 な獲物用と考えるのです。たとえば熊のような・・・ 鹿ならば広く浅く掘れば骨折を期待できると思う。 私が言う落とし穴は解体場所でも在るのですから周囲に ゴミ捨て場が在る事は矛盾しません。環状に配置の意味 ですが中央に見張りが居たとすればつじつまは合う。 落とし穴の発達過程として鹿のような集団動物を狩る 落とし穴がまず発達しやがて固体を狩る形へと変化した と考えられないでしょうか?いわば平面落とし穴の成功 により単独の獲物を狩る落とし穴が各種作られたのでは。 落とし穴に注目するのは動物を狩猟するというのは大変に 困難な事なんです。移動でさえ音を出さずに行なうのは とても難しい。人間の耳でさえ気がつくんですから動物 の敏感な感覚では獲物の方が先に存在に気がつきます。 冬の地面はとっても冷たいです。雪の上に杉の木の葉を しいて眠る方が暖かい。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 こんにちは。少なくとも「現代の感覚」で歴史殊に古代史や中世史の領域を理解する事はナンセンスと言わざるを得ません。  竪穴式住居と狩猟および採集経済との関係を考えてみますと、青森県の三内丸山遺跡から出土した「炭化した食物」具体的には栗などの植物を意図的に栽培し食糧として備蓄していた痕跡があります。  また貯蔵用の穴というのであれば、それは底が円錐状になっている土器が出土していることから、樽のようにして底部を埋めてそこに食糧を貯蔵していたともされています。  残念ながら「落とし穴説」き現在の所では学界に提起されてもいません。仮に「周抗部分」が落とし穴だとしたら、その落とし穴に獲物がかかる迄の間、当時の人間は何処で生活をしていたことになるのでしょう?。こうした疑問も生じてきます。そしてかつては「縄文時代には稲作がなかった」とされていましたが、現在では稲作の期限も以前より遙かに先のぼって行われていた形跡も指摘されています。  ものは試し、青森の三内丸山遺跡を一度訪れてみては如何ですか。ご自身の眼で「縄文時代」の遺跡を見て実感を得ることも参考になります。その上で「落とし穴説」に確信をお持ちになれれば日本考古学界の機関誌に論文として投稿されてみては如何ですか。それにはこれまでの研究成果や海外の文献を詳細にあたることが必要です。そこには「キチンとした史料や遺物そしてそれに対する厳密なテクスト・クリティークと研究史的検証の必要性が求められる」ことが何れの論文からも読み取ることができます。  なお最初に付記した「古代史や中世史の領域に関する問題」の切り口として手軽に読める『日本中世の罪と罰』網野善彦・石井進・笠松宏至・勝股鎮夫編著-東京大学出版会刊をはじめ中央公論社から刊行されている『日本の歴史』(中世編・No.6~12)をお読みになることをお奨めします。そこには「史料から導かれた“中世の人間達の皮膚感覚”」が綴られています。また専門であるならば歴史学研究会の基調報告として発表された黒田日出男氏の「中世民衆の皮膚感覚と恐怖」と題された論文もありますのでご一読を薦めます。

kawasemi60
質問者

お礼

ありがとうございます。こんにちは。 落とし穴説が今まで学会で検討された事が無いという のが驚きです。そういわれればアニメにも在りません。 現代の猪猟における待ち伏せ猟銃の役割が落とし穴と 同等と思い竪穴式住居の落とし穴説を考えました。 底が円錐状の土器は確かに食料の貯蔵に使えますね。 私が思うに他にも適した使い方が在ります。それは 獲物を解体する時に内臓を受け止める容器としてです。 吊り下げた獲物の皮をはいだら内臓を取り出すのですが ぐにゃぐにゃして扱いづらい物です。円錐状の土器は 内臓をまとめて受け止めるのに最適と考えます。 実験した人の記録が在ると大きな参考になりますよね。 落とし穴を使う季節は冬では無いと思えるので寝場所と してはツル植物の中心に在る空洞で在ろうと思うのです。 直径1~2メートルの落ち葉が積もった空間で上部を含めて ある程度植物の葉で覆われています。私が思うのは縄文 時代に専用住居を作る必要が無かったという考えです。 冬以外は落とし穴として使い冬には食料を備蓄し住居 として住んでいたと考えるのです。 確かに厳密な研究とするには円錐状の土器に内臓の痕跡 が必要です。どなたかがすでに研究されたでしょうか? 血の一部や体液が浸み込んでいるでしょうから。 参考図書の御紹介、ありがとうございます。

回答No.2

住居としてはおかしいとのご意見の理由を拝見してなるほどと思いました 落とし穴説はいまひとつピンとこないですね

kawasemi60
質問者

お礼

ありがとうございます。 落とし穴説は縄文時代の獲物が鹿のような集団 か猪のような数頭を対象にした場合を想定しま した。この様な場合には深さより面積を大きく 取り獲物の落ちる率を高くするのが合理的です。 足を痛めれば追いかけて仕留める事が容易に成る のと穴の周囲から仕留める事も可能です。 少人数の不利を補う知恵として落とし穴は役立つ。 移動する生活が基本の場合に住居だけの目的に大 きな労力をかけるのを選ぶでしょうか? 北海道には深さ2メートルの竪穴式住居が在ったと されていますが落とし穴なら深さの必要が理解で きます。縄文時代はヒグマが多かったと思えるので。

  • river1
  • ベストアンサー率46% (1254/2672)
回答No.1

答えには、ならない物かもしれませんがご参考まで 北海道にアイヌ民族が住んだアイヌ家屋があります。 茅葺の竪穴住居その物ですよ。 明治まで使われていたアイヌの道具等が中にあり、その中での生活の仕方が解ると思います。 アイヌ民族こそ縄文・弥生時代の末裔で、古来蝦夷と言われていた人達の末裔ですから。

kawasemi60
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かにアイヌ文化に見られる移動狩猟生活は 縄文時代の暮らしを推測する良き参考に成る と思います。

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