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心の豊かさと頭の良さの相関

心の豊かさ(または感情の強さ)と頭の良さには相関があるのでしょうか?

みんなの回答

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.13

12支縁起に(の一つにですが) 無明・行・名・識・・・とあります。 無明、を縁として行が起こる。行、を縁として、名、が起こる。 名、を縁として、識、が起こる。識を縁として6所、執着、だったかな? これは、何も知らないまま赤子は泣き声を上げ、乳首を吸うという行動 をし、その行動を対象とする、やがてその対象、名、の意味を認識するようになる。 という、個体発生を表現しているとも見ることが出来ます。 人間の精神も、個体発生は系統発生を繰り返す、ではないでしょうか。

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.12

心の豊かさ(または感情の強さ)と頭の良さには相関はないと思います。 例えば、日本語力が弱く、しょっちゅう外国人に日本語文章の手直しをされる人がいます。 その文章は文脈がノタクリ回っていてひどいものです。 もう老人の部類に入っていますので、日本語の経験は十分にある筈です。 それでもチャンとした文章が書けないのは頭が悪いのだと思います。 しかし、親切に指摘されているのにもかかわらず、カッカカッカと怒ります。 感情が非常に強いのでしょうね。 一つの例できめてしまうのはどうかと思いますが、実例ですのでご参考にどうぞ。 (認知症になると感情のコントロールができなくなりますがそれではないと思います)

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#176957
noname#176957
回答No.11

「相関関係」はあります。 「因果関係」はなさそうですが。 神経心理学的に、「自己覚知」は記憶や思考力の上位に位置付けられています。つまり、記憶力や思考力が十分に整わないと「自己覚知」という脳の機能は働かない、というものです。 自己覚知(=自分の心の隅々まで、歪みや暗部すらも認識すること)が、「心の豊さ」の必要条件であることは、論を待ちません。 そうであるなら、 頭の良さと心の豊さには相関関係がありそうです。

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.10

NO.3 自分の質問の真意を、自分で理解していないのか? もう一度自分の質問をよく読んで、愚かさを自覚しなさい!

noname#139917
質問者

お礼

意味が分かりません。きちんと説明してください。 感情を制御できないという話を私が質問文に書きましたか?そんな極端な例について知りたいわけではありません。

  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2909)
回答No.9

感性が表現力 知性が論理力 と考えたら 両者は全く別ベクトルです。

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#194996
noname#194996
回答No.8

すみません、NO.6 です。 前回の補足として。 >心の豊かさ(または感情の強さ) この中の「感情の強さ」を「感(受)性の強さ」の意味で書いておられるのなら、もう少し微調整せねばならないかもしれません。 心の豊かさと感受性の強さとは必ずしもイコールではないと思います(場合によってはそれが心を弱く狭くする場合もあるでしょう)が、(感受性は)「感情の強さ」よりも一定の人格の指標になることの多い、分かりやすい言葉です。 感受性の強さは心の深さをより深くし、結果として心の容量を大きくし豊かにすると考えられます。 感受性は知性とは無関係ともとれますが、知性の磨き方次第ではこれを同時に強く深くすることも可能であり、知性がそれを要求することもおおいにあるでしょう(芸術家の必然)。 したがって相関性はある、と思います。 ご参考になれば。

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.7

心の豊かさと頭の良さはどちらも精神活動の成果であり,精神活動能力が一つであるとしても,相関する成果が表れるとは限らない。感情の強さは成果でなく,むしろ精神活動能力の指標。また,強い感情の表出は成果であり,これも他の成果との相関が成立するわけではない。つまり,相関は可能的にあり,現実的にはないと考えるのが妥当。相関は人格の理想態に現れるかと思われる。

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#194996
noname#194996
回答No.6

心の豊かさ(または感情の強さ) 必ずしもこのくくりには賛同できませんが、気持ちは分かります。 豊かということはたーくさんあることで、何でも多ければ他を圧倒して優位を保てます(民主主義?)。 心が強いとは普通言いませんが気が強いとは言います。 感情の強さと気の強さは近いけれど幾分ニュアンスが異なります。 いずれにせよ弱いよりも強いほうが良いに決まっていますが、 感情も気もそれ自身は良くも悪くもなるニュートラルなもので、ですから 一方的に強くても困る場合もあるでしょう。 それで、質問者様の仰りたいのはこれらの方面ではなく、やはり原点に戻って心の豊かさなのでしょう。 といいますのは、 相対する”頭のよさ”というのが栄光に満ちているからで こればかりはよすぎて困ることがないからです。 これに相対するのは心の豊かさ(多いというよさにしぼって)しかないのでしょう。 また原点に戻って 心の豊かさってなんでしょうか。 私は気が多いこと、さまざまなことを持っている、あるいは持つ余裕がある。入れ物が大きくて何でも受け入れる(こころという容器が大きい)と説明できると思います。 単にサーヴァーとしての記憶容量のことを言っているのでなくて、あるものは容認し、あるものは入り口で拒否するという狭量さを持たず、選別はするけれどある意味容認して受け入れる姿勢で居られる。毒物であっても、それをも肥やしに出来るかどうかはともかく、受け入れられる耐性を持っているという自信があってそうしているということでしょう。 これらには知性がかなり絡んでいると思います。単にたいしつとしての大食漢でしかないという人も居るのかもしれませんが、多分少数派でしょう。 つまり、 >心の豊かさ(または感情の強さ)と頭の良さには相関があるのでしょうか? かなりある、大いにあると私は思います。

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.5

 心の豊かさって人情とか、同情心とかになったり。  何かの芸術を理解したり、創作したりすることにもなったりしますね     頭の良さって学問が出来たり、宗教的なこととかに理解できたり。要領が良かったり。  でもどちらも人間の機能であり、ぜんぶを頭の良さとその分野の違いとして括ることもできますね。  だから私は、違いがないと存じます。  良心的ということも頭がいいのだと存じます。  働く分野の違いではないでしょうか?  

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.4

脳機能の測定の基準としては、いくつかの側面が考えられます; 1.学校のペーパーテストで測定される、教科書的事実の暗記能力、   ないしそれに基づく決まったパターンのクイズ的応用力。 2.感覚器官の感度と脳のニューロネットのシナプス結合の敏感さに   由来する感受性の強さ。 3.1の暗記による加算的知識ではなく、それらの情報の相関性の   蓄積における乗算的な認識の深まり。 4.上記の複合による環境認識に対して、シンクロ(意識的コントロール)   させて発揮させ得る意志の強さ。 最初の方が、学校教育で評価される「頭の良さ」、後ろの方ほど、 社会人としての「頭の良さ」や、「心の豊かさ」につながる。

noname#139917
質問者

お礼

ありがとうございます。

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