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心はどこにある?
思考はどこにある?と聞くと、みなさんは頭を指しますが、 心はどこにある?と聞くと、ほとんどの人が胸を指します。 科学的には、人間の感情というのは、思考と同じく、脳内で 行われています。ですから、身体の情動の活動も、思考と同じく 脳内で行われているはずです。 でも、なぜか、心は胸にあるように、言います。なぜでしょうか? また失恋すると、頭ではなく胸が痛むのはなぜでしょうか?
みんなの回答
- disciple777
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神秘思想ではチャクラというものを説明します。 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/チャクラ 胸のチャクラは愛のセンターなので「心」の概念に近いと思われます。 このチャクラが開いている人は優しいです。 失恋すると今まで胸で行われていた愛の交流が途切れるので、苦しくなります。 実際には7つの精神的エネルギーの中枢があるとされています。 このバランスが性格を作ります。 基底部が強い人は気が短く情熱的、といったように。 喉のチャクラが強い人はおっとりしてるが意思が強いですね、 頭頂のチャクラは宗教的な統合精神で開くと後光になります。 心にもご飯を食べている時から、宇宙の神秘を感じる時まで様々あります。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
それはどちらでもいいのです。 脳か心胸かなどを議論しても何も生まれませんよ。 自律神経の重要な機能を考えれば、身体全体にまでそれらは及びます。 ですから、脳か胸かなどに拘らずに体全体と考えましょう。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
心とは、観念の総体です。従いましてあなたの仰るとおり脳の活動のことです。それなのに「心は胸にある」という言い方をされるのは何故か、ということです。 それは、「観念」は思考で有り判断で有り、気持ちなどの感情をも含む人間の「考える」「判断する」「近づく」「距離を置く」「怒る」「好き」等々も含んだ総体です。その中の「気持ち」の部分に関することを胸を指して「こころ」という意味でつかっています。 この「こころ」はおもに「気持ち」(感情)について語られるときに使われます。「こころがない」とか「心に響く」とかの使い方です。このときの「こころ」は、関係性の遮断とか中断、否定とか豊かさ等々をイメージした言葉になります。 この他者(ものも人も含む)との関係が築けない状態では人間は生きていけません。(精神的に)それは、丁度心臓の働きが止まると死に至るのと同じ理屈をイメージしていっているように思います。心臓の働きがなくなると身体は生きていけませんので、目に見えない「こころ」というものを誰にでも分かるように心臓に置き換えて「こころ」と言うのではないでしょうか。目に見えない「こころ」を見える形(理解出来る)の身体に置き換えた比喩だと思います。
- ta_kuchan
- ベストアンサー率24% (1287/5162)
>なぜか、心は胸にあるように、言います。なぜでしょうか? ハート = 心臓 及び 心 というイメージかな? イメージは頭かもしれないけど 頭でイメージして 指令を出す訳だから。 思考= 考える だけだから 頭 だけど 動きや痛み(精神的な事も含む)は 考えた結果 頭から指令が出てる訳だから その先が痛むんじゃないのかな 失恋すると胸だけじゃなく 胃も痛いよね^^;