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息子の病気・・・心が平穏になる言葉教えてください
- 息子の病気について心が平穏になる言葉を教えてください。
- 息子が筋ジストロフィの疑いで入院しており、私も落ち込んでいます。
- 質問者は息子の病気について心の支えを求めています。
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初めまして。 前回のご質問をされた際、拝読していました。 何とも言えぬこの世の理不尽さに、やりきれない思いで一杯でした。 その後の息子さんの容態、また質問者様はどうされていらっしゃるのか、ずっと気になっていました。 私の長男は、高校生のときに突然他界しました。 息子には何の落ち度もない悪質な交通事故でした。 病院に掛けつけたときには意識不明の重態で、その後、一言も言葉を交わすことなく天国へ逝ってしまいました。 今、生きていれば20代半ばになっていたはずです。 それから現在までのこと、これは書けば長くなるので割愛しますね。 >暗いトンネルの中にいるような気持ちだった時、 >どんな言葉があなたの心を救いましたか? 一つは、信頼していた叔母の言葉です。 「神様が、赤ちゃんをあなたに育ててくださいと授けてくださったのです。そして神様のもとへ帰られたのですよ。(神様は)『18歳まで育ててくださってありがとう』って仰ってるの。だから子息は生きているのです。違った形で。」 私はクリスチャンではありませんが、この言葉に救われました。 それから私は考えました。 息子が亡くなった意味、生きていた意味を。 確かに短い人生だったけれど、誰かの心の中に、息子にしか残せない何かを残したのではないか、そう思います。 それは、一緒に過ごした楽しい思い出かもしれない。または、命の儚さ、尊さ。あるいは普通の日常生活がいかに幸せで貴重な時間であるか。交通事故の怖さ、安全運転の大切さ… 息子と関わった全ての人の心の中に、何かしら、息子の死によって刻まれたことがある、私はそう思いました。 それなら、息子の死も理不尽ではありますが、決して無駄にはなっていないのだと。そう考えることができました。 もう一つ、これは今年の新聞で読みました。 作家の津島祐子さんの「不幸と不運は別もの」という記事です。 下記に、MSN産経新聞ニュースURLを貼っておきます。 よろしかったらご覧になってください。 一部を抜粋しますね。 ***************** 私は30年近くも前に8歳だった息子を失っているのですが、これだけの年月がたってもその存在は薄れることがないし、悔いも消えません。それが自分に与えられた生なのだろう、といつの間にか思うようになっています。当時、母から言われた言葉が今でも私を支えてくれています。 どんな不運に見舞われても、不幸になっちゃいけないよ。 この言葉を聞いたとき、私は奇妙なことに、ふと気が楽になったのでした。そうか、不運と不幸はちがうんだ、人間の力の及ばない不運はいくらでも起こりうる、だからといって、その人間が必ず不幸だと決めつけることはできない、と。 (「不運と不幸は別もの」作家・津島祐子さん MSN産経新聞より) ****************** 私など想像も及ばない苦しい病と闘う息子さん、それを支えて一緒に闘う質問者様とご家族の皆さん。 いつ、どんなときでも、必ず誰かの胸に、ご子息でなければ伝えられない何か、強烈なメッセージを送っているはずです。 医学も発達しています。不治の病と言われる病でも、いつか治る時代になる日も近いはず。 どんなに辛くても、それを信じて一緒に生きていってください。 【どんな不運に見舞われても、不幸になっちゃいけないよ。】 これが、私が一番救われた言葉です。 ※回答内容に配慮したつもりですが、質問者様のご気分を害する文章表現がありましたら申し訳ありませんでした。
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- shiroya
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お礼ありがとうございました。 誤解があったようなので訂正すべく再度出て参りました。 >健全な魂は健全な肉体に宿る これ本当は誤訳なんですよ。 「宿る」ではなく「宿らしむるべき」なんです。 ですから、「本当のところ、そうだったらいいな、そうでなきゃいけないよね」程度の意です。 息子さんに訂正しといてください。
お礼
shiroyaさま 二度もご回答いただきまして、本当にありがとうございます。 >「宿る」ではなく「宿らしむるべき」なんです。 >ですから、「本当のところ、そうだったらいいな、そうでなきゃいけないよ >ね」程度の意です。 そうなんですか。 知りませんでした。 息子にも訂正しておきますね。 きっと私と同じように「そうなんだ!」と安心すると思います。 わざわざ教えてくださって、どうもありがとうございました。 心から感謝いたします。
- acchipoo
- ベストアンサー率44% (175/394)
2年前に第3子の長女をわずか5ヶ月で亡くしました。 当時のことはまだ所々記憶が抜けている部分も多く、3回忌を終え気持ちが落ち着いた今 考えてみると、やっぱり普通の状態ではなかったんだなぁ・・と思います。(当然と言えば当然ですが) 当時私は必要な最低限の外出しかできず、気晴らしにどこかへ行くなんてことはできませんでした。 ただ、残された長男・次男の夏休み、朝の送迎など気力を振り絞って彼らのために時を過ごしました。 私も長女にたいして「あんな苦しい思いをさせて、あげくたった5ヶ月で逝ってしまうのだったら 産まなかった方が良かったのか」と思ったこともありましたが、きっと彼女は 主人と私と長男と次男がいるこの家の子供にほんの少しでも良いから生まれてきたかったのだろうと 思い、主人には「私はまたあなたと私の子供としてあの子を産んで、今度はあの子に見送られて 人生を終えたいから、お願いだから生まれ変わっても私と結婚して」とお願いしました。 そんな日々を過ごしているときに、私は外出するときのためにウォークマンを買いました。 適当に家にあるCDを入れて持ち歩いていたのですが、長男がほしがった「嵐」のCDの中の1曲に とても励まされました。 「サクラ咲ケ」と言う曲なのですが、その歌詞の中に 「振り向くな 後ろには道がないから 前へ 前へ」 という部分が流れるときだけ唯一顔を上げて歩けたのを覚えています。 起こってしまったことは起こってしまったこと。どんなにそれを後悔しても始まらないのです。 (反省して次につなげることは大切だと思いますが) 後ろには進むべき道はありません。どうか、前へ前へ。 1周忌の時だったか四十九日の時だったか忘れましたが、お坊さんの説法の中で 「ただそこにあるというのはとても難しいことなんです。有ること難し。有り難うの本来の意味です。 今この一瞬にたいして有り難うと思ってください。」おっしゃられました。 どうか、気持ちを前へ前へ。 「がんばれ」という言葉は時として相手の人に重荷を背負わせてしまうこともあると言いますが、 母親が子供のためにがんばるのは自然なことです。 お母さん、がんばれ!!
お礼
acchipooさま ご回答いただきまして、どうもありがとうございます。 お礼が大変遅くなって、すみませんでした。 とても悲しい経験をされたのですね・・・・ 私のこのような質問で、つらい思いをまた思い返されてしまったのでは、 と申し訳なく思います。 >」「振り向くな 後ろには道がないから 前へ 前へ」 重い心をぐっと押してくれるような言葉ですね。 私は、今回の事でどうしてどうしてと思ってしまう事が多いです。 息子が悪いわけではなく、答えが出るわけでもないのに、 元気だった時のことがふと思い出されては、 過去にひきずられてしまっているようです。 振り向いても、仕方ないのですよね。 私も、息子と前へ前へ歩いていきたいです。 お坊様の言葉も心に響きました。 今、こうしていられること自体がありがたいのですね。 当たり前に生きていたら、命がある事自体がありがたいなど 思わずに過ごしていたかもしれません。 >お母さん、がんばれ!! 応援してくださって、本当にありがとうございます。 がんばりますね。 acchipooさまも、お子様方のために、 いつかまたお嬢様に巡り会えるときのために 前へ前へ歩いていらっしゃる。 私もそれを思いながら、前だけを見て進んでいきます。
我が家の長女は生れ付きの脳の障害があります。発達障害といった方が分かりやすいかもしれないですね。 長女の障害を疑ったのが2歳の頃、診断されたのは3歳です。 診断されるまで・・・ikamimiさんの言葉を借りれば、長いトンネルの中にいるような状態でした。どうやって抜け出したのか、もしくはまだ、トンネルの中にいるのか・・は自分では分かりません。ただ、時間が解決してくれた様に感じます。 以前は、何もかも悲観的で、娘の癇癪に、ただ一緒に泣くばかりの日々でした。しかし、ほんの小さな成長でも、大きな喜びを感じている自分に気付きました。 悲しみや苦しみが大きければ大きいほど、感じる喜びもより大きいのだと思います。 生きづらい世の中で懸命に生きようとしている娘の姿を見て・・・悲しみに明け暮れている自分の周りだけ時間が止まってしまっていることに気付きました。娘に寄り添って、辛い事や悲しい事も一緒に感じていこうって思う様になりました。 娘が通所していた療育機関の先生の好きな言葉で、きれいなポストカードに書かれていました。 悲しいことは 悲しいままに うれしいことは うれしいままに 好きなことは 好きなままに 大丈夫です。 無駄なことはひとつもありません (澤田 直見さんの言葉) 私もこの言葉が好きになりました。 娘の障害と向き合えずに、悲しみに明け暮れていた自分の弱さを許せずにいました。が、この言葉のお陰で、決して無駄な時間ではなかったのだと思える様になりました。 悲しみと向き合う時間は必要だと思います。いずれ、時間が解決してくれます。 どうか、無理をしないで下さい。
お礼
aosikaさま ご回答くださいまして、どうもありがとうございます。 お礼が遅くなりましたこと、すみませんでした。 お嬢様に障害があるということ、受け入れられずにいた気持ち、 とてもよくわかります。 先の質問では、どうしたら受け入れられるかということも 伺ったのです。あまりにも、苦しくて。 そして、「受け入れなくていい」と言ってくださった方々の言葉で、 楽になったのは事実です。 aosikaさまの経験談は、とても参考になりました。 失礼な言い方をしてしまってすみません。 でも、子どもが障害を持ったときの親の気持ちって、 なかなか本音を聞く機会がないのです。 先日は、「1リットルの涙」という難病の少女の手記を読み、 そこからそのお母様が執筆された「命のハードル」を買って読みました。 泣いてもいいのか、向き合うってどうしたらいいのか、 経験した方々はどう乗り越えていったのか、 本当にわらをも縋る気持ちの毎日でした。 aosikaさまの言葉ひとつひとつが本当に私には貴重です。 ポストカードの言葉もすごくいいですね。 「大丈夫です。 無駄なことはひとつもありません」 いいんだ、やっぱり無駄なことなんてないんだ。 意味があるんだって、背中を押された気持ちです。 それから、 >悲しみと向き合う時間は必要だと思います。いずれ、時間が解決してくれます。 >どうか、無理をしないで下さい。 と言っていただけて、泣いてしまう自分が許された気持ちになりました。 本当に感謝いたします。 心から、どうもありがとうございました。
- haruma0720
- ベストアンサー率0% (0/4)
こんにちは うまく伝わるかどうかわからないですが 少しでも、質問者様の心が安らげばいいなと 考えて書き込みいたします。 私は(30代男性)、子供が一人いますが、その前に流産を経験しています その時は、すごく辛くて妻と一緒に悲しい日々をすごしました。 その時、普通に生まれてくるのってすごいことなんだなって 思いました。また同じように普通に生きるもです。 一人一人皆さん普通って概念があるかもしれないですが、 けっして決まったことではないと思うんです。 どんなに健康でも不慮の事故に会うかもしれないし そう考えたとき、私は妻と「今を精一杯生きよう」って言ってます。 もちろん、精一杯生きるためには、休んだりすることも大切です 将来のことを不安に思うのは、大なり小なり皆さんも悩んでらっしゃる ことでもあります。 人は誰しも死ぬことをまぬがれません その時に、少しでも後悔することが少ないように 生きていきたいと思います。 とてもつらい環境にある、質問者様に対して答えになっているかどうか わかりませんが、とてもつらいことだからこそ 簡単に答えは出ないのかもしれないですね 書き込んだことが少しでも質問者様のお役に立てればと思います
お礼
haruma0720さま ご回答くださいまして、どうもありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、すみませんでした。 流産の経験をされたとのこと・・・・お辛かったでしょうね・・・。 その悲しみから、得られた答えが「今を精一杯生きる」 だったのですね。 私も今まで当たり前に生きてきてしまい、 精一杯生きるということを考えてなかったように思います。 今回のような経験をしなければきっと身に染みて感じなかった たくさんの尊い気持ちや世の中への思いや、強さや優しさや・・・ そういうモノがこれから見えてくるかもしれないですね。 haruma0720さまが貴重なお時間を、 私の心の安らぎのためにくださったこと、 こうした人の優しさや思いやりも、得ることができました。 心から、ありがたいと感じています。 本当に、どうもありがとうございました。
- shiroya
- ベストアンサー率10% (117/1143)
私にもまだまだ小さいですが息子がいます。 おかげさまで健康にすくすくと育っていますので、質問者様のお気持ちや息子さんのお気持ちを汲み取ることは出来ません(想像することはできますが、わかると言ったらうそになります)。 もし私の息子がそうなった場合、私自身は何を考えるのだろうと思ったところ、私自身は息子の体もさることながら、息子の精神状態が何より心配になるのではないのかと思いました。若いにもかかわらず体が思うに任せない中で、心を健全に保つなどなかなかに難しいことだとは承知しています。 最近ある冊子を偶然から手にしたとき、一節に物理学者スティーブン・ホーキング博士の言葉が紹介してありました(ご存知かと思いますが彼もまた筋ジスと似たような病気で四肢どころか言葉さえままならない状態です)。「体が病んでいるのに心まで病む余裕はない」何も私自身が質問者様のように悩みを抱えているわけでもないですし、そもそも心が救われる言葉でもないとはわかっていますが、その前向きな姿勢に心を打たれました。将来私自身が病むことになってもこんな心持で日々を過ごしてみたいと思いました(そう簡単に出来るものでもないでしょうけど)。 質問の意図にそぐわない話かもしれませんが、何かのご参考になればと回答してみました。
お礼
shiroyaさま ご回答くださいまして、どうもありがとうございます。 お礼が遅くなりましたこと、すみませんでした。 息子の精神面については、本当にそれこそ 親である私と主人が一番に気をつけなくてはならないことだと 思っています。 あの子が元気に笑ったり話していると安心しますし、 病気のことで落ち込んでいると、心配になります。 これから、症状がどう進んでいくのかわからない状態ですが、 今まで動いていた筋肉が動かなくなったり、 できていた動作ができなくなったりしたときに、 きっと息子もそのたびに落ち込むだろうと、覚悟しています。 そのときに、どう気持ちを安定させてやるか、 それが親の務めかなとも思っています。 ホーキング博士の、 「体が病んでいるのに心まで病む余裕はない」 すばらしい言葉ですね。 そう言えば、息子が前にこんなことを言っていました。 「健全な魂は健全な肉体に宿るって言うけど、 俺の場合は、どうなるんだろうね。」って。 私がなんと答えたのか忘れてしまったのですが、 一瞬、困惑して言葉を失ってしまったことは覚えています。 その時に教えていただいたホーキング博士の言葉を知っていたら、 うまく答えてやれたのになあ・・・と今更ながら思います。 今度また息子がそういう不安を打ち明けてきたら、 この言葉を伝えてやろうと思いました。 とてもいい言葉を教えていただいて、 本当にどうもありがとうございました。 心より感謝いたします。
- initialt
- ベストアンサー率24% (45/182)
私は長いこと、不妊治療で悩んだ経験があります。 その時のことが参考になるかどうかわかりませんが・・。 私は結婚そのものが遅く、一刻も早く子供がほしかったです。 独身で働いていた時も、出会いがあれば早く家族を持ちたいと思っていました。 理由は、「自分一人のために生きる人生が空しくなったから」です。 愛する家族や子供のために生きたい、と思ったのです。 長年、高度医療の不妊治療を行っているときには、辛いと言えばすべてが辛く、苦しい ことでした。治療が長く続くほど、精神的、肉体的、経済的にも極限状態でした。 でも、目標をもちすべきことをしている間は、まだ耐えることができます。 そして、子供を授かろうと授かれないと、「自分にしかできない」と覚悟を 決めることで、腹が座りました。 貴方様は今、息子さんのことで大変辛い思いをされていると思います。 ただ、世の中には、どんなに願っても子供のために生きることのできない人もいるのです。 たとえ短い期間であっても、子供に寄り添い、してあげられることができるのは 幸せなことです。 そして、自分の母親にそういった愛情をもってもらえる息子さんもまた、幸せな人間 です。 世の中には自分の子供を虐待して殺してしまうような、哀れな母親、子供も 大勢おりますから。
お礼
initialtさま 早々にお返事をいただきまして、どうもありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、すみませんでした。 不妊治療というおつらい経験を通じて感じられたこと、 胸に響きました。 子どもがいるというだけで、幸せなのですね。 先の質問にも書いたのですが、 震災でお子さんを突然亡くされた方々に比べたら 命があるだけまだいい、と 失礼を承知ながら自分を慰めている、 正直、そういう気持ちがありました。 本当に、弱い人間です。 そしてさらに、産みたくても、お子様を持てない方のつらさ、 そこまでいたらなかった自分はなんて小さい人間かと 改めて感じています。 私は、息子が小学生の頃まで母親失格の鬼のような母でした。 それでも、あの子を愛しています。 あの子からの愛情も感じています。 それ自体が、何よりも幸せなことなのですね。 当たり前のことに気づかせていただいて、 本当にどうもありがとうございました。 貴重なお時間いただいたこと、心から感謝いたします。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
私の経験を述べさせて下さい。 私も高校一年の1学期に、再生不良性貧血と診断されました。 授業中に鼻血が止まらなくなり、救急車で大学病院に搬送されたまま、1年半の間、入院生活を余儀なくされました。 母親から聞かされていた病名は「ひどい貧血」 私の中では単なる貧血くらいにしか思っていなかったので、その割りにはえげつない治療やでと愚痴っていました。 抗がん剤の影響で、寝ている頭を少し左右に傾けただけでも、猛烈に襲ってくる嘔吐。 口の中は口内炎だらけになりました。 隔離されているので、母と話す時は部屋の中に設置されている受話器でした。 「辛い」と母に訴えても「そりゃひどい貧血やもん、仕方がないわ」もしくは「薬が効いてる証拠やなあ」とさらりと言う母。 病気に対する知識が全くないというのがこれ幸い。 母の言葉で、そうか、ひどい貧血ならしゃーないか、なるほど、薬が効いてるっちゅーことやなと安心出来たのです。 病室の外でも母は戦っていました。 妹の骨髄と一致したお陰で私には移植が可能となりました。 良い噂はあっと言う間に広がり、それまではロビーで母親同士の会話に参加出来ていた母は、陰口を叩かれ阻害されたそうです。 当時の母の気持ちを察すると心配かけてごめんね、支えてくれてありがとうでは足りません。 母の中にもあなた同様に葛藤があったと思います。 健康に生んでやれなくてごめんねと、後に言われました。 しかし病から得たものは色々とあります。 一番大きいのは感謝の気持ちです。 今でも再発の二文字が頭から離れることはありませんが、その分、今を大切に生きることが出来ています。 いつの日か、この出来事が人生の一部であると思える日が必ず訪れると思います。 どうか明るい太陽の様にお子さんの未来を照らし、先々まで暖かい光に満ち溢れさせてあげて下さい。
お礼
ni_si_kiさま 早々にお返事いただきまして、どうもありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、すみませんでした。 大変なご病気をされたのですね。 骨髄移植が成功され、こうしてパソコンに向かえるほどに 回復されて本当によかったです。 再発の2文字が頭から離れないとのことですが、 ご健康が維持されることを私も祈っています。 お母様の気持ちを思うと、私もまた涙が出てしまいます。 立派な、強く優しいお母様ですね。 我が子が大病で命の危険もあると知らされて・・・・ でも、それを我が子には決して悟られてはいけない、 その苦しみと葛藤の中で、 ただただni_si_kiさまの回復を祈っていらしたのでしょう。 「健康に産んでやれなくてごめんね・・・」 親は、我が子の健康が一番なのです。 そして母親というものは(人それぞれではあるでしょうけれど)、 それが自分のせいではないと理屈ではわかっていても、 子どもに病気でつらい思いをさせてしまったことで、 自分を責めてしまう気持ちを持ってしまう面があるのです。 私もお母様と同じように思ってしまいました。 けれど、ni_si_kiさまのような気持ちを、 いつかもし息子が思ってくれたら、私も救われます。 母として、出来る限りのことをするつもりでいます。 あの子が自立できるように。 生まれてきてよかったと思える人生を送れるように。 ni_si_kiさまのお話を伺って、私も勇気が湧いてきました。 貴重な経験を話してくださって、 本当にどうもありがとうございました。
- mamoru333
- ベストアンサー率39% (17/43)
こんにちは。 つらい話ですね。 >「必ず意味がある。」と自分で言葉を見つけました。 そうですね。そうだと思います。 私もそう思います。 こういうとき言葉は大変不自由ですね。 生きる時間は誰しもが有限であると思います。 長く生きる人もいれば、逆の場合もあります。 健常でありながら、世を恨んで終わる人や、 障害を持っていても、幸せに終わる人もいます。 それは、生き方の意味を自分で見つけられるか どうかではないでしょうか。 人生において、大きな壁が立ちはだかったとき 諦める人もいれば、 途中で放棄し考えるのを止める人もいますし、 制覇する人もいます。 息子さんは、自ら図書館に行き、いろいろ調べられたのですね。 息子さんは非常に勇敢な人間だと思います。 自らの人生を今、必死に探していらっしゃるのだと思います。 概ね人は、不都合な現実を直視することは避けます。 避けずに直視することは、それだけでも大変なことだからです。 有限の時間を一生懸命生きようとしても 過去の事実は変えられない。今はこの瞬間過ぎ去る。 未来は創れる。結果を残したとき、過去の意味は変えられる。 今の感情も、過去になった時どんな意味を持つかは これからの行動のあり方によってくるのではないでしょうか。 逃げるな。戦え。 と、私は提言します。 最後に、 五体不満足の著者である乙武 洋匡 さん がツイッターをやっていまして、割と返答が返ってきたりしますので アカウント作って質問しても良いかもしれません。 運がよければ、なにかアドバイスもらえるかもしれません。 http://twitter.com/#!/h_ototake
お礼
mamoru333さま 早々にお返事いただきまして、どうもありがとうございます。 お礼が遅くなりすみませんでした。 息子を勇敢だと言ってくださったこと、 正直私はそんな風に思っていなかったので嬉しかったです。 あの子なりにネットや書籍で調べて 自分の将来と向き合おうと思ったのかもしれませんね。 >有限の時間を一生懸命生きようとしても >過去の事実は変えられない。今はこの瞬間過ぎ去る。 >未来は創れる。結果を残したとき、過去の意味は変えられる。 >今の感情も、過去になった時どんな意味を持つかは >これからの行動のあり方によってくるのではないでしょうか。 とても考えさせられました。 奥の深い言葉だと思います。 これからも何度も読み返したいと思いました。 >逃げるな。戦え。 力強い言葉も、どうもありがとうございます。 また、乙武さんのツイッター情報は 思ってもいなかったので大変嬉しいです。 色々とアドバイスいただきまして、心から感謝いたします。 どうもありがとうございました。
- sachi7283
- ベストアンサー率21% (256/1170)
蓮のつぼみは泥の中にあって、でも光を目指して花を咲かせる。 映画で出て来た言葉ですが、人生はこれにつきると思います。 どんな辛い中にあっても、幸せが見えなくても、人は幸せを目指して生きて、いずれ幸せを見つけるんだと思います。 ホーキング博士は有名な方なのでご存知だと思います。彼は筋ジスでは無いようですが、数年で亡くなるはずの病気でした。 でも、発症してから結婚もし、子供もいます。何より著書「ホーキング宇宙を語る」はベストセラーで、私もファンです。 大学時代に発症し(うるおぼえ)老年の今、まだ存命です。 何で彼は長生きしたのか?それは病気の不幸にとらわれず、自分が出来る幸せを見つけたからだと思います。 じゃあ私が同じ病気を発症したら、そんなに前向きに生きていけるかと問われれば、それは疑問ですが、息子さんにはそういった生き方を見つけていただきたい。 30で死ぬんじゃなく、じゃあそれまでに自分は何が出来るのか、何をして生きて行くのか。見つけていただきたい。ホーキング博士のように。 友達のでも家族の為でもなく、自分の人生の為にです。
お礼
sachi7283さま 早々にお返事をいただいて、どうもありがとうございます。 お礼が遅くなりすみませんでした。 ホーキング博士については、以前から名前は知っていましたが、 今回息子がこうなってから、何度も家族の中で博士の話をしています。 私は、息子にも博士のように病気であっても前向きに生きて欲しい。 遠い将来、人様の手を借りなければ生活ができなくなるかもしれない。 でも、その時に「どうせ自分は一人じゃ何もできないよ。」 と思いながら生きるのと、 「カラダは自由がきかないけれど、自分にはこれがある。」 とある種のプライドを持って生きるのでは、 まったく生き方が変わっていくと思うのです。 自分の置かれている状態を、ただ嘆くのではなく 自分に何ができるか、それをこれから見つけて欲しいと願っています。 いただいた言葉のように、 泥の中の蓮でも、光に向かって花を咲かせて欲しい。 息子のためにも色々と考えていただいたこと、嬉しいです。 本当に、感謝いたします。 どうもありがとうございました。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20298/40239)
貴方には愛する息子さんが「いる」。 それ自体が既に心の平安なんだよね? 貴方は実は恵まれている。 確かにご病気は辛い。 難病に対する向き合い方は。 本人だけではなくて、家族にとっても大きな問題。 今直ぐにここで何かを導く必要は無い。 その時その時の自分たちとして。 出来る事をやっていけば良い。見つけていけば良い。 その見つけていくプロセスを「共同作業」にしていけば良い。 時に喜び合い、励ましあい、受け止めあい。 家族だから出来る事をしていけば良い。 そして、出来る事をやっていく課題と。 今まで積み重ねてきた関係性やコミュニケーションを 「変えずに」対応していく事も大切。 障害が見つかったから。 じゃあ息子さん自体が「変わった」のか? そうではないんだよね? 息子さんはいつでもいつまでも息子さんなんだよ。 貴方と息子さんの心の繋がりには何の「障害」も無いんだよ。 今まで積み重ねてきた歴史が変わる事も無い。 これから色々な変化が在るんだと思う。 生活も変わるし、身体状況も変わる。 だからこそ、 「変わらない」存在が力になる。支えになる。 別に良いんだよ、貴方がショックを受けても。 それも貴方の素直な感覚だから。 別に誤魔化さなくても良い。 息子さんはそういう貴方も「わかって」いる。 空元気を振りまこうとしなくても良い。 ただ、息子さんにとっては。 貴方はいつでもお母さんなんだよ。 変わらないお母さんなんだよ。 障害があるから、障害が見つかったからと。 息子さんに対する対応を変える必要は無い。 それこそが貴方が伝えられる一番の「愛」。 貴方は貴方だよと。 大切な貴方だよと。 貴方にしか伝えられない事かもしれない。 貴方だからこそ伝わる事かもしれない。 そう考えたら。 必要以上に貴方が十字架を背負ってしまう事は、 息子さんの為にもならないでしょ? そういう貴方を息子さんは求めていないでしょ? 今でも立派な「生」があるんだから。 障害が生の価値を左右する訳じゃない。 平穏を求める、というよりも。 彼の波と一緒に向き合っていこうと。 時には一緒に流されていこうと。 でも、私がいる以上。 お互いに転覆する事が無いように。 波との付き合い方を見つけていこうと。 仲良くしていこうと。 その「付き合えている」感覚こそが。 貴方の言う所の「平穏」なんじゃない? 波があるというのは生きている証。 これからも色々な波との付き合い方、 向き合い方があるんだと思う。 焦らずに向き合っていけば良い。 息子さんを支えていく為にも。 貴方自身のバランスも重要になる。 一日一日を大切に。 貴方には愛する息子さんが「いる」のだから☆
お礼
blazinさま 早々にお返事をいただきまして、ありがとうございます。 お礼が遅くなってすみませんでした。 私の心に響く言葉ばかりです。 そうです。私には愛する息子がいる。 それだけで実はとても恵まれていることなのですね。 下を向いて、今後のことで悩んでいても きっと何も解決はしないですよね。 blazinさまの言葉、私の心に優しく語りかけてくださって、 本当にそう、そうなんだ、と思いながら 涙しながら読みました。 >あなたは変わらないお母さんなんだよ あの子の母親は私だけです。 これからもあの子が障害あるなしに関わらず、 今までと変わらない母でいます。 あの子は、私が元気で生き生きしている方が 嬉しいみたいなのです。 それで安心するみたいです。 自分のためにも、無理せず私らしく 息子を支え、家族で波とうまくつきあっていこうと思いました。 本当にどうもありがとうございました。 心から、感謝いたします。
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お礼
c-rippleさま ご回答いただきまして、どうもありがとうございます。 お礼が大変遅くなって、すみませんでした。 前の質問を読んでくださったのですか。 そして、気にしてくださっていたとのこと、 本当にどうもありがとうございます。 息子さんのこと・・・なんと申し上げていいのか・・・ 世の中には、本当に理不尽なことが起きるのですね・・・・。 前の方のお礼にも書きましたが、 私がこのような質問をしたせいで、 当時のおつらい気持ちを思い出されてしまったのでは、 と申し訳なく思います。 長い長いトンネルを歩かれて、そこから光を見いだした方々の言葉には 理屈ではない強い本物の力がこもっている、 c-rippleさま始め、皆さまのご回答に本当にそう感じています。 c-rippleさま、息子さんの死は決して無駄ではなかったと そう思えるようになるなんて、すごいと思います。 そこにいたるまでの苦しみや思いを想像するだけで、 頭が下がります。 >いつ、どんなときでも、必ず誰かの胸に、ご子息でなければ伝えられない何か、強烈なメッセージを送っているはずです。 そのc-rippleさまからこう言っていただけて、 うまく言葉に表せないのですが、勇気のような、自信のようなものが 私の心の中に湧いてきました。 他の方にも言っていただきましたが、 本当に無駄なことはないんですね。 必ず、意味があるのだと。 紹介してくださったURLはすぐに拝見させていただきました。 言葉が出ませんでした。 うまく表現できなくて、すみません。 圧倒されてしまったのです。 >【どんな不運に見舞われても、不幸になっちゃいけないよ。】 本当にそうですね。 今回の息子の病気も、不運だったかもしれない。 でも、それで不幸になってはいけないんですね。 不幸になるか、幸福になるかは今後の進み方なんですね。 気持ちのあり方でもあるのでしょう。 すばらしい言葉を紹介してくださって、 心から感謝いたします。 気分を害するなんて、とんでもないです。 本当に、どうもありがとうございました。