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命を賭けて
こんにちわ adviserです。 よく日頃「○○に命を賭ける」とか公言している人がいますが成功したよいですが失敗したり間違ってしまた場合本当に死ぬ人っているのでしょうか? また本当に死なければならないのでしょうか? 戦国時代の武将だったらするでしょうけど。 変な質問ですがふと疑問に思ったもので。 宜しくお願いします。
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- gekkou
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生死に関わる程の事柄をして、その代償として事故などにより命を落とすということはもちろんありますよね。 それとは別に、公言する場合は、やはりそれ程の思いで望むという事の表明で、比喩表現の一種でしょう。 自分の子どもに対して「目の中に入れても痛くない。」などと表現することと同様だと思います。 目に入れたら痛い事くらい誰でも知っていますし、それ以前に目に入るわけもない。 ・・・命を賭けるも、それを聞いた聴衆もまさか失敗して死ぬことを予想したり、死なないことに対して特に批判する事も無いでしょう。 ですが、ですが、中には公言通り失敗の責任を取って死んでしまう人もいます。 特に最近では不況にあえぐ企業の管理職に従事している人の自殺など、ある意味この事の実例といってもいいと思います。 本当は死ぬことは解決ではないのですが。
それは端的に、言っただけだからでは無いでしょうか。 ウインドウショッピングで見てるだけとか。 現物とは直接関わらないから。 俺は○んこ食う!って言っても、食ったり食わなかったりしますよね。 ようは、口約束ってことです。 さらにいうなら、命をかける→人生の時間をかける こんなカンジではないですか? 死ななければならないってことは無いでしょう。 誰がそれを強制するんです。 命を懸けると公言したとして、それでなにか公益が生まれるわけでも無いでしょう。 公にしてみれば、「お前の命?そんなの欲しくない。」 って気持ちで一杯ってことだってあると思うし。 かけられ迷惑っていうんですかね。 最近いろいろ「かけられ迷惑」多くてさぁ、みたいな。 そんなのかけなくていいから、よこすもんよこせって言うのが、現代的だと思います。 命を賭けると、死を賭してっていうのは、おんなじなのでしょうか? 質問の場合、どちらかというと、生を賭けてるのでは? つまり、それで生きていきます、みたいな。 さらにいうと、生を費やしている。 それだけの気がします。 どちらにしても、生を全て費やしたら死ぬわけだし。 生の切り売り、バラ売りって感覚ではないでしょうか。
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- Ulu_lun
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いのち-がけを辞書でひきますと「生命を捨ててもよい 覚悟で事にあたること。」とありますので、必ずしも 死ななければならないというわけではないと思います。
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- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
本当に「命を懸けた」人って、結構いると思いますよ。 ・独裁政権下での反政府活動家 ・戦場ジャーナリスト ・治療法の確立していない伝染病の研究者 ・電磁気学草創期の雷研究者 ・登山家 ・レーサー ・ボクサー ・チェルノブイリ原発事故直後の作業員 etc. 失敗して自分から死ぬ人がいるかどうかは知りません。
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