- ベストアンサー
この世の中に希望はなくなってしまったのか?
- 最近、外国語大学を出たじいさんと優しい御嬢さんの会話を耳にしました。彼らの会話はスープに関してで、近所の子供がなぜ「彼はスープを飲む」と訳すのか疑問に感じていたようです。
- おじいさんはスープは水の代わりであり、水を食べるとは言わないと主張しました。一方、御嬢さんはスープについて「水の代わりにはどけてしまうべき」と述べました。おじいさんは御嬢さんの批判的な態度に対して厳しい言葉を返しました。
- この会話から考えると、男性は哲学、高齢者は宗教、おじいさんは聖書につきものだというような解釈が生まれるのかもしれません。しかし、それによって希望が失われるのかは明確ではありません。また、おじいさんが言うように聖書にはおじいさんがいないという可能性も考えられます。質問者はこのことについて教えを求めています。
- みんなの回答 (17)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
環境を変えてみる、とか。
その他の回答 (16)
- Nucleus_
- ベストアンサー率34% (8/23)
そもそも、聖書におぢぢは居ないのではなかろうか?
お礼
おぢぢは この Q&Aサイトを 自らの聖書であるとみなしているようです。 おれは絶対出ていかない!と各所でいっています。 後記 そのおじいさんは、いまだに 「テストに『火』はつきものである!院生時代、赤ペン先生だった。採点なんてちょろい。ごにょごにょで儲けまくりだ! いずれにしても 火の中でのテストで お前は零点である。 こどもはさがってろ!」 と主張し、自分の間違えを認めようとしません。効果はなかったようです。 どうすれば老人の無知を矯正(仕分)することができるのでしょうか? ご回答 誠に ありがとうございました。
補足
でしょう? でも おぢぢは、 「わしは、わしの考えを通じて 聖書とつながっている!」 「聖書から わしを 取り除くことはできないのだ!」と主張しています。 私の解釈としては、おぢぢは、引っ付き虫の一種ではないかということです。 「引っ付き虫の俺様から、『引っ付き』をたったら何も残らないだろゥがぁ! じゃまするのはやめろ!俺をほめないうるさい回答者はじゃまだァ!」 としか聞こえないのです。 愛のある人間が、愛について触れられているのを本などのものをつうじて感じれば、それは、感じている主体に愛がるという前提で展開するものです。 しかし、老人ほうむから受け入れ拒否を食らうような人には、愛がない。 で 愛を検証しようとする。 「おれさまが、お前らの愛を確かめてやる!」と 愛の有無を 罪や罰の議論・判断・完成の議論・真偽の理論にすり替え、自分の経験不足を隠し通そうとする。 さらに、聖書とのつながりは、「持つ」という行為だけです。 俺は聖書を持っているぞ!えらいのだ! という短絡的な観想は ばかみたい である と 断言できるのではないでしょうか? そういう問題について質問いたしました。 よろしくお願いいたします。
「パンドラの箱」の底には希望があった。 しかし、 「竜宮の玉手箱」には呪わしい煙がはいっていただけ…。 日本人の考えることには救いがないのか? 否 太宰治は答えた。 曰わく 「年月は人の救いである。 忘却は人の救いである(御伽草紙)」 大丈夫。 男もおじじもつきものでも、 希望が無くたって 血を吐きながらだって 私たちは繰り返し繰り返し その朝を飛んでいける!! (ややパクリですm(_ _)m) それで、 ヨーロッパの主食はパン。昔は保存優先でガチガチに乾燥させていた。 そのままでは食べられないので、 砕いてスープに入れ、おじや状態にして食べた。これがヨーロッパ人の基本の食生活。スープをスープだけで飲むのは、ずっと後の時代のずっと裕福な人達の食生活。 そんなわけで スープは「食べる」 なのだと聞いています。
お礼
のろいは売れない。希望は売れる。というスローガンは、生活のスローガンであり哲学のスローガンではない。 つまり、ブランドという観点から見るのが現実的であるが、生物学的文化的に原点に戻るとすれば、玄米食が望ましい。 飛んでいくためには死を体験するしかない。現に三島由紀夫も混乱して現世に救いを求めるということをしなかったではないか? いずれにしても考えることに救いはない。 つまり、哲学に救いはないが、おじいさんの意見も聞いておくことであるという 普通の意見ととるべきでしょうか? しかし、「ずっとあと」 が貧困である というのが現実です。 カップスープの希望を作り上げたのが味のTMであるということに目を向けてみる必要があるのではないでしょうか? 朝食にカップスープを飲むのは日本だけですので・・・
補足
強力粉と塩だけで、砂糖やほかの穀物は使わないという建前にはうんざりしているところです。 現に、法制によって規制を受ける対象が主食であり、ためにならない添加物を混ぜろというのが、フランスにせよ日本にせよ 国政です。 現に本場では、砂糖少々・コーンスターチもしくは豆レシチンの類を混ぜいれて知らん顔をしています。 属州によっては、かつて規制を通じて混入を義務付けられてさえいました。 裕福な使徒がスープをスープとしていただく。そう云う経緯であったというのは神話の類です。 バゲットはおいしいという神話と同類の信仰であると述べることができるのではないでしょうか。
- yukiyama30
- ベストアンサー率0% (0/1)
今凄く憂鬱です。 もう私はだめだと思います。 ストレスが凄い。戦えないし戦いたくない。希望はない。 もうわからない。 哲学も宗教も有名なのは男性ばかりです。ジェンダーとかフェミニズム的には男性の作りだしたものかもしれません。 もう哲学を破壊し放棄するのが一番かも。 問うこ…ここまできてつまり、言語とは男性のカルチャーなのでないでしょうか?昔、財産管理をするために文字の記録が始まったといわれています。子どもの数の記録ではなく。なんのために人は文字を発明した?金勘定…
お礼
文字の始まりは占いです。象形文字が最初です。絵画はそれより古い。 人間は聖書よりはるかに長い心の歴史を持った生き物です。 西洋的唯一神より 心 のほうが寿命が長いのであり、 心を軽んじることは 人間を軽んじることにつながる大罪悪です。 自分に心が そして 心に基づく愛がない 老人男性は自由に消え失せるというのが、しきたりです。 いやなら 他人の意見を受け入れ反省するべきです。 コレまでさんざん他人を小ばかにしてきたうえに こけにする。ということを やめない。 どう反省しても いまさら 孤独を解決することはできませんが、 消え失せる前に自分の非を知るべきであるということは言えます。 おぢぢが あなたに八つ当たりしているのは見るに堪えませんでした・・・ あなたをコケにしたおぢぢは地獄に落ちるでしょう。 注意をしても無視・・・ おれには ゆきやまに いけんをいう 権利がある! というのは 単なる驕りです! 許してはなりません! ご回答ありがとうございました。
補足
おもうのが だめの 原因かもしれません。 布団干しをしたあとのフカフカのお布団の中で 目を閉じないで微笑んでみるというのが私にとっての幸せです。 一瞬ですが 夏の暑さを忘れることさえできます。 晴天を待ち 布団干しをしてみるのはいかがでしょう。 言語について ミュケーネ文化を調べると 回答者様の言われていることはかつて現実であったようです。 でも そういう文化は滅びました。 でも うた も 文化の一つです。 あえて カルチャー という言葉は使いません。 甲状腺の病気で 眠るときに目を閉じられない 方もいらっしゃいます。 一眠りして リラックスできるかどうかが一番重要なのではないでしょうか。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>この世の中に 希望は なくなってしまった の? この世の中に希望はあるのだが、それを手に入れる方法を見失ってんじゃあんめいか? ちなみにアチラでは、カップやグラスに入れられるものは飲み、皿や深皿に入れて供されるものは食うのじゃ。 内容物ではなくて、食器の形式要件と考えればよろしい。
お礼
マグカップに入れたスープをまぐまぐすする。(プハーッ) 力強さとリアリズムあふれる表現ですが 国際性・普遍性という観点から分析しなおす必要があるようです。 しかし 「愛は 聖書がはじめだ! 聖書以前に愛はなかった! 俺の言うことを信じろ!」 というのは 幸せを手に入れるための手段ではありません。 だいたい 本より感情のほうが先に出来上がっている というのは 自明の事実です。 自分が 「火の中のテスト」で落ちてしまっている人が、 地獄の中でもがき 他人も地獄に落とそうとしているのは我慢がならないと思い質問いたしました。 後記 そのおじいさんは、いまだに 「テストに『火』はつきものである!院生時代、赤ペン先生だった。国語は得意である!採点なんてちょろい。ごにょごにょで儲けまくりだ! いずれにしても 火の中でのテストで お前は零点である。 こどもはさがってろ!」 と主張し、自分の間違えを認めようとしません。効果はなかったようです。 どうすれば老人の無知を矯正(仕分)することができるのでしょうか? ご回答 誠に ありがとうございました。
補足
補足の質問) 希望を手に入れる方法とはどのようなことでしょうか? 解釈 古代言語的なアプローチで いけということと理解いたしました。 つまり 皿の代わりにマグカップにいれたスープは、まぐまぐである。 湯呑の代わりに皿に盛ったおであれば、さらさらモリモリである。 結論としてスープは吸うそしてぷはっといただくのがよろしい。 皿の代わりにマグカップを使いすするということである。 経験を感じさせる 扶桑のおのこ の ご回答をありがとうございます。
- Tefu_Tefu
- ベストアンサー率27% (87/322)
こんばんは。 nananissethe2nd さん相変わらず、頭も切れるし、 闘争心旺盛ですね。 >哲学に 男はつきものである。 宗教に高齢者はつきものである。 聖書におぢぢは つきものである。 と言うか、そういう人たちが、哲学、宗教、聖書を必要と しているんでしょうね。 他の人は、そんなもの無くても分からなくても幸せですよ。 貴方が、聡明すぎるだけでは。 只、あまり自分に自惚れることのないように、相手のことを 聞かなくて、自分のことばかり主張してると、 ミイラ取りがミイラになるよ。 たぶん、貴方は、貴方の哲学が創れるのでは。 私は、哲学はよく分からないけど。 ( ● ^ - ^ ● )
お礼
年寄りを前にして自重せよ! 自分を主張するな! という基本内容は、残念ながら10シーベルトが発表されることになった軟弱な現在では、必要なことなのかもしれませんが個人的には疑問に思っています。 正直 黙っていてはだめである と存じ上げます。 あと 幸せな人が多いというのは 現状に 当てはまらないのではないでしょうか? おれは英語の訳がうまい!というウソの主張をするぼけ老人に対し 高い評価をくだし、 英語の訳もろくにできない人の話を聞く というのは理不尽です。 女・子供だという理由だけで 意見を無視するというのはいけないと思います。 後記 そのおじいさんは、いまだに 「テストに『火』はつきものである!院生時代、赤ペン先生だった。採点なんてちょろい。ごにょごにょで儲けまくりだ! いずれにしても 火の中でのテストで お前は零点である。 こどもはさがってろ!」 と主張し、自分の間違えを認めようとしません。効果はなかったようです。 どうすれば老人の無知を矯正(仕分)することができるのでしょうか? ご回答 誠に ありがとうございました。 あと仕分しても 勢いづけさせない というは当然の前提条件です。
補足
このよのなかは 意外と幸福な人が多い。 しかし 基本的に 何か ものが 必要であるという人間は 「不幸」であり、 何かが必要であるという 渇望を紛らわせたい という 不遇な方々がいらっしゃるというのも事実である。 とりあえず ほかの方の意見を聞いてみるのが身のためである。 うぬぼれは いかん。 あと ミイラぴょんは かわいいかもしれない。 という ごいけんである と解釈いたしました。 きちょうであり かつ 意味深長なる回答 お ありがとうございます。
- Gletscher
- ベストアンサー率23% (1525/6504)
スープは飲み物ではなく食べ物です。前菜と同じです。
お礼
事実関係を精査いたしましたところ、 「お米の代わりにスープを食べる」だと 翻訳としては 減点されるようです。 失礼とは存じ上げます。しかし、 スープは、食べ物であっても「飲む」と表現するのが通例であるようです。 かれは男らしいから英語の点数もよいであろうというのは あくまで推論であって、男らしいイケメンは、素晴らしいのですが、英語の点数とは関係ないよいです。 後記 そのおじいさんは、いまだに 「テストに『火』はつきものである!院生時代、赤ペン先生だった。採点なんてちょろい。ごにょごにょで儲けまくりだ! いずれにしても 火の中でのテストで お前は零点である。 こどもはさがってろ!」 と主張し、自分の間違えを認めようとしません。効果はなかったようです。 どうすれば老人の無知を矯正(仕分)することができるのでしょうか? ご回答 誠に ありがとうございました。
補足
わかりやすい回答をありがとうございます。 つまるところ 正しい翻訳は 「お米の代わりにスープを食べる」という ことですね。 漢らしさの漲る ご回答 まことに ありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
ご回答 ありがとうございました。