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セクハラの次は。。。
言葉の力がすごいと感じたのは、「セクハラ」についてです。 この言葉が世の中に登場したお陰で、職場等で昔なら使われたであろうセクハラに相当する会話がされなくなりました。 これだけの影響力があるなら、次の新しい言葉としてヒューマンハラスメントで良いのかどうか、要は人間として言ってはいけないよ。と言うことを表すスローガンが出てくれば良いなと思っています。 例えば、本人に悪気は無いのは分かっていますし、ほかに気の利く言葉がないので、挨拶代わりに「お前また太ったな」と言う会話は良く聞かれます。 でも、言われた方は「また太っている話かよ。いい加減にしてほしい。」と思ってたりします。 こう言う会話の場面で、言われている人がいやな顔をしたりすると、「ああ、いい大人でこうだから、子供のいじめが無くなるわけないな」なんと思ってしまいます。 次なる新しいスローガンを作ることについて、皆さんはどう思われますか? <余談> Aさんと海外から一時帰国したBさんの会話。 AさんがBさんに対し、「お前太ったな」と言いました。 Bさんも久しぶりに見たAさんに素直な印象として、「お前も太ったな」と言いました。 Aさんは、確かに太っていると自分でも思っていますが、社内の人からは、普段そのように言われることはありません。 ところが久しぶりに見たBさんの目には、本当にそう見えたのでしょう。 自分が人に言ったことと同じ事を言い返されただけなのに、Aさんは意外とむきになって反論していました。 なんだ、Aさんも人から言われると嫌なんだと思いました。
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- taroimo_hasami
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無駄でしょう。セクハラが浸透したのは、先進国でそういう思想があるから、という外国コンプレックス的なものも背景にあったように思われます。 しかも、セクハラ、と言っても、その定義の曖昧さたるや呆れてものも言えなくなります。好意を持つものの性的言動は許され、それ以外のものならセクハラ、顔がスケベそうという理由だけで些細な言動がセクハラとして足をすくわれかねない現実…何なんですか? コミュニケーションのような複雑な領域に、一定性が求められる法概念を持ち込むこと事態に、実は無理があるのです。ただ、職場でのセクハラが社会的にみて法概念を持ち込むことの不利益以上に利益があると考えられたから、セクハラというものが認められたのでしょう。だから、職場の上司と部下、などの特定の関係にのみセクハラ行為は成立する事になっています。 ヒューマンハラスメント、なる概念を導入せずとも、この問題こそ倫理観で対応可能だと思います。人間として言ってはならない事を言う人間を、人は人間の○○と言います。そして、そういう言葉を吐く人間は、人から軽蔑されます。太い、という言葉を禁止したいなら、そういう風潮を作る努力をすれば良いのであって、ヒューハラなる造語の必要はないと思われます。
- Lorenzini
- ベストアンサー率25% (8/32)
大人気ない言葉のやり取り(会話)と、ユーモアのある大人の会話の違いは、やはり、つかっていい言葉を使っているかどうかではなく、その人のセンスというか人となりあたりが深く関係するところではないでしょうか? おそらく、人として言ってはいけない言葉、文脈もしくは・・・という研究分野はあるのでしょう。ただそれを突き詰めると、映画でヒーロー(およびヒロインと書かないと差別かな)や強いキャラクターに白人を用いるのも不当な映像表現ということになりかねません(実際、スターウォーズ、エピソード1では有色人種を醜く描いているということで激しい論争が引き起こされました。) 私の経験では、スパイスの利いた大人の会話でその懐の深さに感動したことがあります(ネタをばらすと、THE PLAYER という映画ですが) この世でもっとも多く読まれている小説のテーマは恋愛ですが、この世でもっとも多くのトラブルと悩みを作り出すのは人間関係でしょう。セクハラという概念が持つ社会的障壁は減っても、人間関係が持つトラブルの生産性の高さは計り知れない(可能性を持っている)のではないでしょうかいくら正論を並べ連ねたところで、あまり大きな効果は期待できないような気がします。 効果があるとしたら、それは国民性を変える(意識変革)ほどの概念を持つ言葉の浸透(議論)が必要でしょう。 ある意味それは、人から見られた自分を意識するということと関係があると思います。そいういう言葉を使ったら嫌われる。○△に嫌われてもかまわない・・というわけにはいかなくなった。兎角人の世は住みにくい・・というような。 日本でこの意識変革が起きにくい理由として私は二つのことが思い当たります。 まず第一に、外見を気にしない、気にするのは美徳ではないという意識です。イギリスのクラブハウスと日本のゴルフ(カントリー)クラブを経験すると、なぜ日本人は恥ずかしげもなくこんなことができるのかと驚愕してしまいます。もちろん最近のワカモノの話ではなく、立派な地位を持った年配の方の話です。ただこの場合、同年代層に感覚的なコンセンサス(共通意識)があるのも原因でしょうが。見ていて、かっこ悪いのがかっこいいのだろうか?と思ってしまうことがあります(私は日本人ですが)。ただ年配の方とまったく同じ問題は最近の若者にはありませんが、やはり形を変えてあらわれていると思います(ネチケット、携帯電話 etc) 第二に、人は人、自分は自分という考え方がひねくれた形であらわれている場合です。人はそうやっているかもしれないが、自分には関係ない、もしくは、多数人によって評価されている事柄について感心をもたず従来の自分を通すという面です。(深入りすると質問の趣旨からずれてしまいますが) こういう根本的な問題まで入り込んだ上での変革なら賛成ですね。
- disease
- ベストアンサー率18% (1239/6707)
人の不幸を笑うのは人の本能ですから、悪口、イジメ、犯罪、戦争は永遠に不滅です!!!(長島調に)
お礼
回答ありがとうございました。