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中立進化説って何ですか?
僕は進化論のことを、単純に自然淘汰とか適者生存の原理のことだけを言っているのだと思っていました。 でも進化論はそんな単純な話ではなく、中立進化という考えがあることを聞かされました。 これについて、理科系はど素人の僕にも誰か分かりやすく教えて頂けないでしょうか?
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まず、自然淘汰とか適者生存という概念もそれほど単純なものではありませんよ。 ダーウィンの時代には「遺伝子」というものの存在が未だ知られていませんでしたから(遺伝の法則を発見したメンデルは同時代の人ですが、彼が評価されたのは後の世になってから)、彼が突然変異を説明できなかったのはむしろ当然です。というより、遺伝子の存在すら知らなかったダーウィンが、これほど強固な進化論を考察することができた、というのが彼の凄さなんですが・・・ ちなみに進化論は現在も数多くの分野から修正、補強をされていますが、大筋そのものはまったく揺らいでいません。中立進化論もダーウィニズムを補強した理論の1つです。 まず、「進化」とは今風に定義すれば、「集団の遺伝子頻度が変化すること」です。 どういうことかというと、aという遺伝子を持つ100頭の集団があったとします。この集団の遺伝子頻度はaが100%ですね。 この集団内で突然変異が生じ、bという遺伝子を持つ個体が出現したとします。すると遺伝子頻度はaが99%でbが1%ということになります。 このbが不利な遺伝子であれば、早々に消えてしまうかもしれません。有利な遺伝子であれば、bは徐々に増え、数万年後にはこの集団はbが100%になっているかもしれません。 このような「集団内の遺伝子頻度を変化させる原動力」をダーウィンは自然淘汰で説明しました。つまり不利な遺伝子は頻度を減らし、有利な遺伝子は頻度を高める、というわけです。 ですが、突然変異には、有利でも不利でもない場合があり得ます。ゲノムの「遺伝子ではない領域」の変異や、遺伝子領域の変異であってもコードするアミノ酸が変異しないDNAの変異などがそれに当たります。 血液型のバリエーションなどは、ある特定の疾病に対する抵抗性が血液型によって異なるなどという場合があるので、それは厳密には自然淘汰の対象となり得るわけで、中立進化の例に挙げるのはあまり適切ではないかもしれません。 その「突然変異には有利でも不利でもない(中立な変異)場合がある」というのが、中立進化論の核心の1つです。 もう1つの核心は、ダーウィンが遺伝子頻度に変化をもたらす原動力を「自然淘汰」だと考えたのに対し(ダーウィンは遺伝子という概念を知りませんでしたが)、「偶然」によっても遺伝子頻度は変化することがある、というものです。 有利な遺伝子を持っていても、事故で早死にして子孫を残せない個体もあるでしょう。不利な遺伝子を持っていてもたまたま人並みに子孫を残せる個体もあるでしょう。 集団が十分大きければ、このような偶然によって遺伝子頻度が変化する確率はほぼゼロです。10万頭の集団中に100頭の「有利な遺伝子を持つ個体」がいたとして、それらが全て事故で早死にすることは実際にはあり得ませんから。 ですが、集団が小さい場合は、「偶然」によって遺伝子頻度が大きく変わる確率がけっこう高いのです。 このような「偶然によって遺伝子頻度が変化すること」を「遺伝的浮動」といいます。 アミノ酸変異をもたらさない突然変異のような、本当に有利でも不利でもない遺伝子が集団内でその頻度を変化させる原動力は遺伝的浮動のみです。有利でも不利でもない、というのは「自然淘汰の対象にならない」ということですから。 ですが、有利な遺伝子、あるいは不利な遺伝子で自然淘汰の対象になる変異であっても(淘汰圧を受ける、という言い方もできます)、遺伝的浮動によって集団に定着したりすることがあり得る、というのが中立進化論の成果の1つでしょう。 これによって、ダーウィニズムの「突然変異によって生じた遺伝子は自然淘汰によって集団内で増えたり減ったりする」という基本理論の、「自然淘汰によって」という部分を「自然淘汰あるいは遺伝的浮動によって」と補強したわけです。 この遺伝的浮動による遺伝子の定着あるいは消滅は、集団が小さいときに起きやすく、大きなときに起きにくいです。 例えばビタミンCの合成能を例に挙げます。 ほとんどの動物はビタミンCを体内で合成する能力があるのですが、ヒトやモルモットなどのごく一部の動物では、ビタミンCの合成に関わる遺伝子が欠損しているため、体内でビタミンCを合成することができません。 ビタミンC合成能の欠損は、間違いなく「不利な」変異だったでしょう。不利の程度も様々で、致命的なものではなくそれほど不利にはならなかったのかもしれませんが、進化が「自然淘汰のみ」によって起きるのであれば、ビタミンC合成能の欠損は淘汰されていたでしょう。 ビタミンC合成遺伝子に欠損が生じる確率はどの動物でも確率的には等しいでしょうから、ヒトやモルモット、スズメ等のビタミンC合成遺伝子が欠損している動物たちは、それぞれが遺伝的浮動によって集団内に定着してしまった、と考えるのが自然です。(それぞれ欠損部位は異なるので、欠損は独立して起きています) 中立進化論は、「中立な変異」では、分子時計に応用されています。変異が起きる確率が判れば、ヒトとチンパンジーが分岐したのは600万年前、というようなことが推測可能になるわけです。全世界の人類の共通祖先は20万年前にアフリカで暮らしていた1人の女性だということが推測できたりするのも、この分子時計の応用です。 また、「遺伝的浮動」では、人類が何回か絶滅寸前の状態まで個体数を減らしたことがある、というようなことを推測することにも応用されています。 この「分子時計」は、もちろん「獲得形質は遺伝しない」ことが大前提です。 細菌のような分裂で増える生物は別として(むしろ細菌では獲得形質が遺伝しないとおかしい)、有性生殖を行う生物では、ある個体の遺伝子が別の個体に仕えられる(すなわち遺伝する)のは、「子を作ったとき」だけです。(ウイルスによる遺伝子の水平伝播は除く) 親が筋トレしてマッチョになってから作った子は、生まれたときから筋肉モリモリでしょうか?違いますよね。 それは、筋トレしてマッチョになったことが「遺伝子の変異を伴わない」からです。遺伝的に持っている能力をトレーニングによって引き出しただけ、ということです。 では、親が肝臓ガンになってから作った子は、生まれたときから肝臓ガンになってますか?これも違いますよね。 肝臓ガンでは、肝臓のガン細胞の遺伝子は変異しています。でもその変異は生殖細胞(精子や卵子)には伝わっていません。ですから生まれた子にも伝わりません。 ですから、生後生じた「変異」が、生殖細胞にも伝われば「獲得形質の遺伝」もあり得るのですが、そのようなこと自体が起きないので「獲得形質は遺伝しない」法則は崩れていないのです。ガン細胞にしても、ガンがあちこちに転移するのはガン細胞自体が増殖しているからで、「ガン細胞に生じた変異が他の細胞に転移している」わけではありませんから。
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- remonpakira
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ずっと携帯からの投稿だったので、やっとパソコンか書けます。 ちょっとビックリしました。 Jagar39さん、ありがとうございました。 こんな論文出てたんですね。 学問的としてあっているか、厳密な意味でラマルキズムか、、という点は 置いておいて、すごい話ですよね。 獲得形質ではなくストレスが遺伝するというのがなんともですが。 >>確か筑波大学の村上何とかいう名誉教授はサムシンググレート(something great)なる 京大名誉教授にもいますし、とことんやるとやっぱり神が・・という結論に 達する人がいるのかもしれませんね。 ID論の論拠としてよく挙げられるのが、ミイデラゴミムシという1~2cmぐらいの 虫です。 過酸化水素とハイドロキノンを反応させて100度ぐらいの高熱ガスを外敵に対し 噴射するのですが、自然選択でここまでの機構が本当にできるのか??? 無理だって結論に達した人は神に走るのでしょう。 そろそろお話も終盤になってきたと思いますが、 ワグナーの隔離説だけ、名前をだして触れていなかったので、少し触れます。 隔離説は小進化を説明した説です。 地殻変動などでグループが2つに別れた際に、そこから長い年月がたつと生殖できなくなる 種分化を説明しています。 物理的に隔離されると、接触がなくなります。 Aグループ、Bグループでは別々に突然変異がランダムに起こりますので それが長年蓄積すると遺伝的な変異が多きくなり、生殖ができなくなり 種が分化します。 一番初期のお話に戻りますが、ダーウィンの進化論以外にも様々な説があり さらにそれがダーウィニズムを否定するものではまたないという事です。
お礼
回答ありがとうございました。参考になりました。神とか持ち出さなければ、ダーウィニズムを補強したりする説は色々出ていても根底から覆すようなものはないということですね。勉強になりました。
Jagar39です。 >ですが、それによって人類が何回か絶滅寸前まで個体数を減らした事があると考えるのは、まだ仮説に基づく推測の段階ではないでしょうか? 中立説に限らず、科学のほとんど全ての理論は厳密には「仮説」です。仮説といっても「まだしっくり来ないけど、他にこれ以上に妥当な説もないから、とりあえずこの説を採用しておこう」という程度のものから、「限りなく真実に近いと思われるが、完全証明もできていないので未だ仮説のレベル」というものまであるわけです。 ですから、「仮説に基づく推測の段階」と一口で言っても、その「仮説」のレベルによって様々なレベルがあるわけです。 中立説も組み込まれた現在の進化論もそういう意味ではもちろん仮説ですが、かなり「後者」に近い仮説です。 そもそも中立説は分子時計の話にしても遺伝的浮動の話にしても、ほぼ純粋に数学的な確率論ですから、今後微修正されることはあっても根本的に間違いだった、ということになる可能性はほとんどないでしょう。 例えばミトコンドリアDNAの変異を調べることで、現代のアフリカ以外に分布する全世界の人類は、およそ5~8万年前にアフリカを脱出した1グループの集団に由来する、ということが推測されています。これはミトコンドリアDNAの系統樹を描くと祖先がその時点で1系統に集まってしまうからです。 むろん、異なる時期にアフリカを出た人類集団は他にもあって(あったこと自体は既に判明しています)、それらの子孫も現代に生きているかもしれません。 でも、ミトコンドリアDNAの系統を辿る限り、その1系統のみの子孫しか現代には生きていない、という結論になります。 それはミトコンドリアDNAに限った話では、存在していた他系統が遺伝的浮動により消失してしまっているだけかもしれません。 まあY染色体でもほぼ同じ結果が出ているので、全世界の人類が5~8万年前にアフリカを出た単一集団に由来する、という説はそれなりに補強されてはいるのですが。 そこで「1系統」に集まる、ということは、その時代のその部位の遺伝子の多型性が1つしかなかったことを意味します。言い換えれば「この時代には問題の遺伝子部位は1種類しか存在しなかった」ということです。 調べている部位は中立変異のはずなので(どう変異しようが淘汰圧には関係ない)、本来ランダムにバリエーションが存在しているはずの部位なのです。 つまりその時期に1つのバリエーションしかない、ということは、その時代には「偶然1つのバリエーションしか存在しなかった」ことを意味します。これが遺伝的浮動です。 その「偶然」は、集団がもし大きければ、数学的に起きる確率がほぼゼロになってしまいます。 ですから、現に現代人の遺伝子中に「過去に遺伝的浮動が起きている」痕跡が見つかると言うことは、「過去に集団が非常に小さかった時代があった」ことを意味しているわけです。 例えば男女2人ずつの4人の集団を考えます。彼らはカップリングして男女1人ずつの2人の子を作る、と仮定します。その子達も同じようにカップリングして男女1人ずつの子を作れば、この「4人の集団」のサイズは変わりません。 その中で、最初の集団のある1人だけがAという遺伝子を持っている、とします。この遺伝子は中立変異の遺伝子なので自然淘汰は受けないとします。つまりこのa遺伝子が集団に広がるか否かは、純粋に偶然のみによるわけです。A遺伝子を持たない人をaとでもしておきます。 つまり1世代目は、A×aとa×aの組み合わせになるのは確定ですよね。a×aのカップルからは、aの子が2人産まれます。a男とa女です。 A×aのカップルからは、Aが生まれる確率は1/2なので、2人ともAが生まれる確率は1/4です。 この1/4の確率によって、2人ともAの子が生まれたと仮定します。 つまり、2世代目にはA×aのカップルが2組成立するわけです。(兄弟婚はしないという前提ですが) これらのA×aのカップルが2人ともAの子を産む確率は1/4で、これが2組あるわけです。 つまり、4人の集団の中で1人だけが持っていた遺伝子が、2世代の間に集団全てに行き渡る確率、は1/4の3乗で1/64になるわけです。 これは非常にシンプル化したモデルで考えているわけですが、単純に集団を大きくすればそれだけ遺伝的浮動が起きる確率は天文学的に小さくなる、という理屈はお判りになると思います。 つまり、現代人類のゲノム中に「遺伝的浮動によって多型性が失われている」痕跡があれば、その変異が起きた時代も分子時計によってある程度の誤差で計算できますし、その時代の「集団」が遺伝的浮動が起きる程度に小さかった、ということも意味するわけです。単なる確率計算の話なのです。 本題の中立論にはあまり関係なくなるのですが、ラマルキズムも簡単に補足しておきます。 先月、面白い論文が出ています。 http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2011/110624/image/110624.pdf 純文系の方には読んで理解するのは少々難しいかもしれませんが、これは要するにNo.6でremonpakiraさんが提唱した、 >私は性細胞でもエピジェネティックが起こることが > あるのではないのかな?と考えています。 ほぼそれそのものですね。それはあり得た、ということです。人間でも同じ事が起きるのか起きているのか、ということはまだこれからでしょうけども。 でも、それがラマルキズムの復活には結びつかないと思います。 こういう「獲得形質が遺伝する」ような現象は、あくまで特定の条件が揃ったときに起きるレアケースですから。 また、このようなエピジェネティクスでは、あくまでDNAの後天的な「修飾」が主体であって、DNAの変異そのものはこの例でも起きていません。ということは、このエピジェネティクスは「進化の原動力」にはなり得ない、ということです。 ラマルクが主張したのは、「頻繁に使う器官は機能向上し、使わない器官は機能低下する。そしてその"獲得形質"は次世代に遺伝する。それが進化の原動力である」ということですから、それはこれからエピジェネティクスがどのように解明されても、やはり「決定的に間違っていた」ということは動かない、すなわちラマルキズムそのものが復活することはあり得ない、と思います。 アインシュタインの宇宙項なども同じですよね。アインシュタインが自分が提唱した相対性理論の方程式に基づくと宇宙が収縮してしまうため、「宇宙は定常的であらねばならない」という先入観あるいは感情論に基づいて斥力を仮定して式に導入したわけですが、その理屈そのものは決定的に間違っていたわけです。実際に"斥力"を導入しなければ現在の宇宙論が上手く成立しなくなって「宇宙項」が見直されているとしても、です。 ウイルス進化論も同様でしょうか。 ウイルスによる遺伝子の後天的な導入はウイルス進化論の提唱前から判っていましたし、ということはつまり「ウイルスによる遺伝子の水平伝播」も、別にそもそも現代進化論で否定されているわけではないのです。 これからももっと「水平伝播」の痕跡は見つかるかもしれませんし、それが進化的にある役割を果たしていた証拠もこれかせ発見されるかもしれません。 でも、中原らが主張したのは、「キリンの首が長くなったのは、ウイルス感染によって"首が長くなる病"に一斉に罹患したのだ」というような、「跳躍的進化」をウイルスによって説明しようとしたわけなので、これからどれだけ「ウイルスによる遺伝子伝播」の証拠が見つかっても、ウイルス進化論そのものが「正しかった」とされる日は来ない、と思っています。 >人が通常、慈善とか人道とか言って行う福祉政策(弱者保護)全般は結局、人類の遺伝子戦略に他ならないと解釈してもいいのですね。 そうとは限らないと思います。少なくともそれらは人類が「自然淘汰」に逆らおうとしているように見えますから。 でも、それも人類が作る社会の形態であって、そういう社会を作ればその中で繁殖率に差が出てくるのは間違いありません。先の回答の神学の例に返れば、成績下位者を進学させるシステムにしても(現に高校進学率そのものは既に学力とは無関係になっています)、そこでまた淘汰は起きるわけですから。 見方を変えれば、遺伝子は別に「進化しよう」という"意図"を持っているわけではないでしょう。ただひたすら自らのコピーを残すことに特化しているだけです。その結果、進化が起きてきた、というだけのことでしょう。 だとすれば、自然淘汰に逆らってでも全ての個体に生存のチャンスを残す社会を作ろうとしている、ということは、本来の「遺伝子戦略」には非常にマッチしているようにも思えます。 その結果、長期的に見てどういう結果を招くかはまた別の話です。そもそも遺伝子戦略は長期的な見通しは持たず、ただひたすら「目先の戦略」でしかないので、そういう意味でも矛盾はしないようにも思えますが。
お礼
回答ありがとうございました。非常に参考になりました。集団が大きくなれば遺伝的浮動が起きる確率は天文学的に小さくなるというお話は理解できました。 それからウイルスによる水平伝播やエピジェネティクスは進化の原動力にはならない、ということのようですね。この辺は自分で調べないとお話についていけなくなってしまうので、機会があれば一度勉強してみたいと思いました。
- remonpakira
- ベストアンサー率36% (780/2153)
>>人の善意は遺伝的な戦略か すべてを遺伝子でとらえるのであれば、一面的にはそうなると思います。 ただ、すべてを遺伝子で語ることは難しく またこの話を突き詰めると宗教的な話にまでいきますので。 アメリカを中心にID論(インテリジェンスデザインセオリー)という進化論がありまして アメリカの公立学校で教えている州もあります。 このID論は結局は聖書の創世紀を学問的にしただけのものですが 進化論の話が出てくると本当に自然選択だけで ここまでの進化がおこるのか?という話はいつも出てきます。 DNAのうち、タンパク質をコードしているのは1%で 残りは例えば、1980年代ではジャンクDNAと呼ばれ 過去には使っていたけど、いまは不用になったものという解釈でした。 それが1990年代に入り、何かしらの作用をしているのでは? という話になり、1998年にRNAワールドという仮説が出され これは2006年にノーベル賞を受賞しました。 タンパク質はDNAからRNAに転写されて、RNAからリボソーム内で タンパク質に翻訳されますが、タンパク質は一本の紐のような形をしています。 これが幾つも折れ曲がり、三次元的な構造をとって初めて 酵素などの機能を発現します。 DNAは二重らせんですが、RNAは一本鎖であり また三次元構造をとるので見た目はタンパク質とそっくりです。 このRNAが遺伝だけでなく、実際にタンパク質様作用をしている事がわかってきました。 これを機能性RNAと呼びます。 実際、DNAの中でタンパク質をコードしている部分は1%ですが mRNAへの転写は70%が行われていることがわかっています。 この機能性RNAは現時点でもあらゆる事に関与している事がわかっており(脂質代謝や細胞の癌化など) 機能性RNAの中でもっとも研究が進んでいるマイクロRNAだけで 昨年世界で3万本論文が出されました。 これまで原因不明だった疾患の原因解明などが期待され まさにエポックメーキングな話で 世界中で研究しても今後30年は研究しつくせないと言われています。 RNAワールドという仮説はこれから発展し 過去に生物はRNAだけを持ち、遺伝やタンパク質様の働きをすべて行っていたのではないか? RNAしかない生物の世界があったのではないか。 それが進化をするに従い 機能の一部をDNA、タンパク質に割り振ったのではないかという仮説です。 20年前には考えられない話ですが、いまは概ねあっているだろうという解釈になっています。 高校生物の教科書にも載りだしました。 またこの10年エピジェネティックという言葉が出てきました。 遺伝子のジェネティックにエピローグなどのエピと同じ 「後」という意味の接頭辞をつけた造語で「DNAの後置修飾」のことです。 これは遺伝ではなく個人の体単位の話なのですが 体の体細胞に異常が生じた際に、その情報は 次の体細胞には引き継がれません。 それが様々な要因でDNAがメチル化されるのですが DNAがメチル化された、体細胞が分裂した際に その娘細胞のDNAは始めは当然メチル化されていないのですが メチル化されたDNAの細胞から分裂した娘細胞は 原因はまだ不明ですが、のちに高頻度で同じ部分がメチル化する事がわかっています。 これが現時点で問題化しているのは幼児虐待です。 虐待などの過度のストレスを脳細胞が受けると エピジェネティックされ、脳細胞のDNAがメチル化します。 このメチル化された脳細胞は上述の話のようにメチル化が一生引き継がれ 一生脳が変わってしまう、性格がかわってしまうという問題がおこります。 いまは脳細胞のエピジェネティックが話題ですが 私は性細胞でもエピジェネティックが起こることが あるのではないのかな?と考えています。 これは私の仮説です。 そうであれば、ラマルキシズムがついに認められる日が お父様は本当に間違っていなかった日が 来るのかもしれません。
お礼
回答ありがとうございました。今回の解説もすごく参考になりました。おっしゃる通りで、創世記と進化論の論争を持ち出したらきりがない事は僕も重々承知しています。 確か筑波大学の村上何とかいう名誉教授はサムシンググレート(something great)なる、人知を超えた意思の作用を盛んに全国紙なんかで吹聴してますけど、僕なんかにはとても真偽の判断はつかないし、また結論も出ないんだろうなあと思ってる次第です。
No.4のJagar39です。 >そういう人達が淘汰されずに何世代も生き延びている事実は、中立説によって説明されるのですか? これは自然淘汰によっても十分説明できます。 まず、「能力の劣る人」や「才能のない人」について。 100万年前は石を砕いて石器を作れるというだけで十分「能力に優れる人」だったでしょう。100年前までは読み書きができるだけでも「有利」だったでしょう。 つまり自然淘汰は、その集団で常に働いているものですから、人類がどんなに進歩しても常に「淘汰される」個体は一定の割合で存在するのです。 学校の話を例えとして挙げます。 中学生は成績によって「淘汰」されます。(ここでの「淘汰」は単に成績を淘汰圧として考えているので、実際の生物学的な淘汰とは違います) 成績の上位1割は進学校に進学できますが、他の9割はここで「淘汰」されてしまうと考えてください。 では、上位1割だけが進学してきた高校では「成績下位」の人は存在しなくなるのでしょうか?違いますよね。 高校でもやはり成績によって淘汰され、上位1割だけが東大に進学できます。でもその東大でもやはり成績によって淘汰され、上位グループでないと高級官僚にはなれません。 というように、現代社会で「能力がない」とか「才能がない」とされている人でも、100万年前の世界に行けばスーパーマンです。同様に、現代のスーパーマンも1万年後の世界では落ちこぼれにしかなれないかもしれません。 もうひとつ、「能力が劣る」も「病弱」も含む話です。 「不利な遺伝子」をいくつか持っていても、ヒト(に限りませんが)の遺伝子は1つで優劣が決まるのではありません。病弱な人でも頭が良かったり、他に「有利な遺伝子」を持っているかも知れません。というよりほとんど絶対と言っていいほど「不利な遺伝子だけでできている人」など確率的に存在しないでしょう。誰でも「有利な遺伝子」はいくつか持っているものです。 ですから、「自然淘汰」や「適者生存」といっても、それほど単純な話ではないことに気づくと思います。 不利な遺伝子を持つ個体が「淘汰」された場合、必ずと言っていいほど「有利な遺伝子」もいくつか一緒に淘汰されているのです。逆に有利な遺伝子を持つ個体が多くの子を作ったとき、やはり必ずといって良いほど他に「不利な遺伝子」もいくつか一緒に"残って"いるのです。 ですから自然淘汰によってある遺伝子(形質)が淘汰される、選択されると言う場合、厳密には「十分大きな集団で十分長い世代数で見れば」という前置きが付いているのです。 もちろん幼くして死んでしまうような極端に不利な遺伝子は、かなり早急に淘汰されてしまうでしょう。どれくらい有利かあるいは不利か、というのを「淘汰圧」と言いますが、淘汰圧が高ければその遺伝子は急速に集団から消失するでしょうし、低ければ長い時間をかけて徐々に減少していく、ということになります。 もうひとつ。 「進化論的に有利か不利か」という話を、我々の価値観で測ってはいけません。 「有利か不利か」という問題は、進化論的には最終的には「子孫を多く残せるか否か」という一点に帰着します。残す子孫の数が全てです。 ですから、我々の価値観では何の能力も才能もないような人物でも、例えば有り余るほど性欲があってレイプ魔になってしまったとしても、それは一定の子孫を残せる可能性があるわけですよね。 例えば生涯に300人の女性をレイプしたレイプ魔がいたとします。 すると単純に確率的には、10人少々の女性を妊娠させることが可能になるわけです。そのうち何人が実際に生まれて、さらにそのうち何人の子が成人して次の子孫を残せたか、というのは不確定要素が多くてざっくり計算してしまうわけにはいきませんが、まあゼロということはない、とすると、このレイプ魔は我々の価値観では問答無用で反社会的な「悪」ですが、進化論的には「適応的」と言えなくもないことになります。 ヒトであれ他の動物であれ、その「社会」に上手く適合できる資質というのは進化論的に「有利」であることに間違いはありませんし、適合できない資質が「不利」であることにも間違いはありません。その「社会に上手く適合できるか否か」を私たちは「価値観」としても認識しているわけです。 ですが、進化論的に適応的か否か、という問題は、それが全てではない、ということです。 2番目の話に戻りますが、300人レイプするにはいかなる時代でも「社会の敵」でしょうから、監視や敵視の目をかいくぐってレイプを続ける「ずるがしこさ」のような「能力」も必要でしょう。その能力すらなければ、1人か2人、せいぜい数人をレイプしたところで捕らえられてしまうでしょうから、子孫を残す可能性は極めて低くなりますよね。 ではこのレイプ魔が「平均より極めて旺盛な性欲」と「監視や敵視をかいくぐるずる賢さ」という2つの「有利な遺伝子」を持っていたものの、他は全てからきしダメだったとします。 他の遺伝子が全て不利なもの(あまりに不利な病気の遺伝子などはここでは考慮しませんが)だったとしても、この2つの遺伝子だけで、この個体は何人かの子孫を残せる可能性があるわけです。 では、この2つの遺伝子が他のもっと他にも有利な遺伝子を持っている個体に入ったらどうなるか? 「旺盛な性欲」の方は、社会的に成功できれば多くの愛人を囲うことによって、さらに多くの子孫を残せる「非常に有利な遺伝子」となるかもしれません。「ずる賢さ」の方も、他にいくつか有利な遺伝子を持っていれば、社会的に成功するための「有利さ」は増すでしょう。 このレイプ魔が「成績がまったくダメだった」という"不利な"遺伝子を持っていても、他の遺伝子の組み合わせによっては子孫を残し得るし、逆に「旺盛な性欲」という「有利な遺伝子」を持っていても、「ずる賢さ」の遺伝子さえ持っていなければ、子孫を残せる可能性は低くなります。 病弱な人でも、頭が良かったり他人の感情に対する共感能力が高かったりといった、他に有利な遺伝子を持っていれば、子孫を残せる可能性が十分にあります。 ですから、十分多くの個体数で、遺伝子の組み合わせも環境による影響も運不運も平均化すれば、「旺盛な性欲」や「ずるがしこい」遺伝子を持つ人は、持たない人より多く子孫を残せるでしょうし、「病弱」な人は頑強な人より多くの子孫は望めないでしょう。 それが「自然淘汰」ですから、不利な遺伝子といえどもそう簡単に消えてなくなるわけではないのです。 繁殖年齢前の幼少時に死んでしまうような圧倒的に不利な遺伝子であっても、近親婚を回避すれば発現はしない(劣勢ホモにならない)程度まで頻度が低ければ、それ以上はそれほど強い淘汰圧はかかりません。ヒトだけでなくたいていの有性生殖をする生物に近親婚を回避するシステムは備わっています。 というわけで、「自然淘汰」や「適者生存」というだけのことであっても、そんなに単純なわけではないわけです。
お礼
回答ありがとうございました。ご意見には大いに納得しました。僕は理系科目を捨ててしまった文系人間なので、自然淘汰とか適者生存をそもそも単純なものだという前提で質問してしまったんですけど、回答を読んで大いに勉強になりました。我々が築いている現代社会の価値観だけで自然淘汰とか適者生存を考える事自体が間違いだと気付きました。
- remonpakira
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中立説は、さきほどの話の他に中立説の名前の由来になった 「遺伝子の変異はプラスでもマイナスでもなく中立である」 という事も説明しています。 DNAの中でタンパク質がコードされているのは1%です。 ですのでDNAに変異がおこっても、ほとんどの場合がタンパク質をコードしていないので 何もおこらず、自然選択を受けません。 (タンパク質をコードしていない部分も機能性RNAというノーベル賞を受賞し、 今後この分野からさらなるノーベル賞がいくつもでるだろうと言われるほど大切なんですが とりあえず今回は関係ないので置いておいて) ですので、遺伝子への変異は蓄積します。 つまり進化するにつれて生物は遺伝子の多様性を広げています。 遺伝子は多様性がある方が有利です。 例えば、赤血球の血液型は4つありますが もし血液型が一つだと赤血球に化けた細菌がいた場合人類は全滅してしまいます。 4つの多様性があれば、一つの型は死滅しても 残り3つが生き残る事ができます。 そして様々な選択を受けて今に遺伝子を繋いできた個体には 何かしら有利な部分がある事が多いです。 一見人の世の価値基準で劣っていても特定の細菌などに強いなど遺伝子資源を持っている事もあります。 特に人間は社会というものを作り、 他の動物では生き残れない弱い個体も保護してきました。 これは人類が遺伝子の多様性を広げる戦略をとっているという見方が中立説からはできます。 今は能力が引く、細菌にも弱い個体が持つ遺伝子資源が 将来人類が遭遇する未知の敵に対し有利かもしれません。 人類が遺伝子運搬ゲームの中で取っている戦術の一つですね。
お礼
詳しい解説ありがとうございました。すごく参考になりました。僕は文系人間なので、DNAの中でタンパク質がコードされているのはたった1%だというのは今初めて知りました。 遺伝子の変異が蓄積され、人類が遺伝子の多様性を広げる戦略をとっているという解説も大いにうなずけました。 では、人が通常、慈善とか人道とか言って行う福祉政策(弱者保護)全般は結局、人類の遺伝子戦略に他ならないと解釈してもいいのですね。
- SPROCKETER
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進化と言うと、人間の知性が発達したり、文明を築いた点だけしか考えていない人が多いですが、たとえば、魚類の例を考えてみますと、流線型が適者生存、自然淘汰に不可欠なものであれば、どの生物も全て流線型に進化しているはずです。 ところが、実際には海中生物はプランクトンのような浮遊生物が多く、高度に進化が進んだ魚類や魚類を食べるイルカやクジラの類の哺乳類などに流線型のものが多いだけで、速く泳ぐのが適者生存で強い自然淘汰が加わるとは、必ずしも言えないようです。 むしろ、大型生物になるほど流線型にならざるを得ない適者生存の自然淘汰が加わっていると考えた方が良いようです。実際、海棲生物でサメやイルカ、イカなどの大型生物なのに流線型をしていないものは存在しないようです。もちろん、昆布のような植物や群生生物のサンゴなどは別ですが。 人間も大型生物に属する動物です。ゾウやライオンのような動物とは違いますが、大型化する時点で適者生存、自然淘汰に晒され、人類へと進化したと考えるべきです。 人類が小さなネズミぐらいの大きさしかなかったら、知性を持つ必要も文明を作る必要も無かったはずです。大型化し、周囲の肉食動物から餌として発見されやすい立場になった段階で、敵となる動物と戦って勝ち残る必要性が生じ、それを達成する為に道具が必要になり、道具を扱う知性が必要になり、脳の進化に繋がったと考えるべきです。 他の星に高度な知的生命が存在するとしても、同じく適者生存の自然淘汰があったはずですから、知的生命がネズミのように小さいはずはなく、高度な知性と文明を持つ生物は人類と同じか、それ以上に大きいはずです。大型生物だけが知性を持った生物へと進化し、文明を築けるのです。
お礼
回答ありがとうございました。生物は大型化していく中で適者生存の自然淘汰が加わるというのは回答を読んで初めて知りました。これも参考になるのでよく覚えておきたいと思います。
- remonpakira
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まず、ダーウィンの進化論も仮説です。 ですので、様々な説があります。 また、ダーウィンの進化論と矛盾する説、共存する説などがあります。 古典的に言うと、ドフリースの突然変異説、ラマルクの用不用説、ワグナーの隔離説があり 20世紀になり提唱されたのが、木村資生さんの中立説です。 まず、ダーウィンの進化論は適者生存ですが その適者がどのように誕生するかが説明されていません。 その点をドフリースが提唱した突然変異により生物は進化したという 突然変異が説明できます。 ですので、ダーウィンの進化論とドフリースの突然変異説を統合させた進化論を総合説と呼びます。 中立説、中立進化論は、主に表現系に出ない進化を説明するのに用いられます。 ダーウィンの進化論、適者生存では血液型など 体の表面にでない形質は関係ない事になります。 であれば、世界中で、血液型の割合は等しいハズです。 選択を受けないのであれば親の割合が子の割合になりますからね。 でも、実際は日本ではAが40%Oが30%Bが25%5% みたいな偏りがありますし ヨーロッパではBが多かったり、アフリカではA型が多かったりします。 これがどうしてかを説明するものが中立進化論であり ダーウィンの進化論と衝突せず ダーウィンの進化論が説明できないものを補足するものです。 いま、碁石が黒5000個、白5000個入った瓶があるとします。 そこに、あなたが手を突っ込んで、碁石を10個取ったとすると だいたい白5個、黒5個になりますよね。 これが碁石の数がグッと減って、20個になるとどうでしょうか? 10個とると黒8個、白2個のように偏りが出やすくなります。 (この辺は確率論で説明できますが、理系が苦手なら感覚的に理解してください) これを瓶首効果(ボトルネック効果)と呼びます。 人類は何回か全滅の危機に瀕死しています。 固体数が大幅に減少した時に交配すると 上述のボトルネック効果により偏りがでます。 たとえば、ヨーロッパにB型が多いのは ヨーロッパの人類が絶滅しかけた時に たまたま偶然、B型が多く残っただけです。 中立説は偶然によりおこるので適者生存に対して 「幸運者が生き残る(サバイバルオブラッキエスト)」と呼ばれます。 以上が中立説の中核です。 ちなみに先にあげたラマルクさんの用不用説は親の獲得形質が遺伝するという考え方です。 キリンの首は親が何代も渡って高い木の葉を食べようとしたからだと説明されます。 ダーウィンの進化論では、首が長いキリンが残ったとなりますよね。 これが本当だと親が筋トレすれば筋肉質の子供が生まれるという話になってしまい ラマルクが存命中から否定的に扱われていました。 ラマルクのお墓には「お父様は間違っていない!」という文章が娘によって刻まれています。 これは逆に当時でも風当たりが強かった証拠でしょう。 ただ、近年細菌のレベルでラマルクの用不用説的な 獲得形式の遺伝が認められています。 もしかしたらわかってないだけで、人間にもあるかもしれません。 進化論はあくまですべて仮説ですので、 ラマルキシズムの大復活の可能性も含め 今後もどんどん新説、新解釈が出てきます。 進化論は仮説で、いろんな説があるという認識が正しい認識ですよ
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詳しい回答ありがとうございました。参考になりました。 つまり適者生存(the survival of the fittest)に対して中立説は幸運者生存(the survival of the luckiest)という事ですね? では、僕が前から不思議に思ってた事ですけど、社会にはどんな時代にも、必ず一定割合で能力の劣る人や才能の無い人、病弱な人達が存在してますよね?(決して差別発言ではなくて客観的事実として。) そういう人達が淘汰されずに何世代も生き延びている事実は、中立説によって説明されるのですか? (これは差別思想とか全く関係なく単に僕の素朴な疑問です。)
お礼
詳しい回答ありがとうございました。こちらのご意見もすごく参考になりました。遺伝子頻度が集団内で変化するのは「自然淘汰によって」と「遺伝的浮動によって」の2本立てにしたのが中立進化論だと心得ました。 この遺伝的浮動による遺伝子頻度の変化が集団が小さくなった時に起きやすいという所までは分かります。ですが、それによって人類が何回か絶滅寸前まで個体数を減らした事があると考えるのは、まだ仮説に基づく推測の段階ではないでしょうか?