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中立説と自然選択説の論争
こんにちは。 私は大学で生物学を専門に勉強しているものですが、木村資生著の「生物進化を考える」をよんでいくつか理解できなかったことがあるので質問しました。まず、ダーウィンの自然選択説での自然淘汰と木村資生の中立説がなぜ論争がおこったのかわかりません。まず、私の認識では中立説は突然変異が、塩基配列やアミノ酸を変化させても、表現型やタンパク質を変異させないという中立的なもので生命体にはよく頻繁におこっているという仮説で、自然淘汰はほかの同一種の個体はもってない、生活に有利な遺伝子をもった個体が生存競争を勝ち抜き、そしてその遺伝子が生物集団に固定され、進化が蓄積されるという説というふうに認識しています。しかし、これらの説は違う次元の話をしているようで、どちらが正しいときめつけることは無意味だとおもうのですが、どうして論争がおこったのかおしえてください。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AA%AC >すなわち、ハーバート・スペンサーの言う適者生存(サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト)ではなく、幸運な者が生き残る(サバイバル・オブ・ザ・ラッキスト)、と考えるのである。この考えは、ダーウィンの自然選択説に基づく進化の総合説に修正を迫る内容であったので、当初は大きな反発を受けたが、その後、様々な証拠が集まり中立進化説は次第に受け入れられていった。 その当時、自然選択説は全世界の完全な覇者のような威力を持っていたようです。研究者というのは実はとても保守的で、まったく新しい考え方を拒否するものがほとんどです。彼らは、ほんの小さな発見、それまでの知見に沿う形での発見を喜ぶのです。 実は、中立説と自然選択説が排除しあうものではないことも中立説の証拠が不十分な時点ではわかりにくく、論争の原因になったかもしれません。
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- sewall
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おおまかには質問者さんの御認識で中立説と自然選択説は合っています。また今回のご質問も、もっともな指摘だと思います。 が、今の時代ならともかく、塩基配列等の詳細が分かっていなかった一昔前であれば、この二つの説が、そもそも同じ次元の話か違う次元の話かの区別さえできなかったのではないでしょうか。「違う次元の話」と私たちがちゃんと考えられるのは、DNA⇒(転写)⇒RNA⇒(翻訳)⇒アミノ酸合成を経て蛋白を形成⇒発現…という一連のプロセスを前提知識として持っているからです。この流れが分かっていなかったら、私たちも、中立説と自然選択説がどうして両立できるのか、ちゃんと説明できることは難しいでしょう。 ですから、前提知識が一昔前までは無かったので、いろんな論争が起きるのもやむを得なかったかと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに、現代の確かな知識をもつ我々には理解できない部分なのかもしれませんね。 自分の質問が的外れなものでもないとわかりちょっとうれしかたです(笑) ありがとうございました。
お礼
返答ありがとうございます。 生物進化学の教科書にかいてない部分をしれました。ありがとうございました。