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自国の歴史を隠すことは自国に誇りを持てる歴史ですか?
- 自国に誇りを持てる歴史を教えるべきという論調が高まっています。しかし、それは自国にとって都合の悪い事実を隠すことでしょうか?過去の過ちと向き合い断罪し、自国の長所を言えることが〝自国に誇りを持てる歴史ではないでしょうか?
- 近年、日本国内で先の大戦における日本の行動に批判的な意見を述べると反日扱いされることが多くなりました。また、日本を愛せないと主張する連中に対して「中国、北朝鮮へ行け」という書き込みがなされることもあります。しかし、このような主張をする連中こそが中国や北朝鮮と同じレベルだと思いませんか?
- 自国の歴史を隠すことは自国に誇りを持てる歴史でしょうか?私は違うと思います。過去の過ちに向き合い、断罪することが大切です。自国の長所も語り、それを基盤とした誇りを持つことが真の自国愛だと考えます。
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問1 敵を知り、己を知れば、百戦すれども、危うからず。 自国の長所・短所を正確に把握し、過去の失敗を、後世に正確に伝えてこそ、その民族は歴史から学んで繁栄出来る。 問2 然り。 <参考> 然れども、言論の自由は尊重すべき。 政治判断・社会的意味合いは、長期に渡る結果で判断すべき。 ネット上の論は感情論・印象による論が多い。 例:2年ほど前、国籍法改正は、日本社会に多大の影響を及ぼす悪法であるという大反対がネット上でだけ展開された。 改正後の現状は、法務省のホームページで確認できる。このネット上の論が正しかったかどうかは、今なら正当な評価が出来る。 例:民主党が政権を取る前、ネット内では、マスコミは民主党支持という論が多く見られた。 民主党が政権を取ったことで、「マスコミは政権与党を批判する」という一般常識が、ネット上でも常識になっていくのではないかと思われる。
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- shepherd_100
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回答1 歴史の解釈に正解などありません。 立場が違えば歴史の解釈が変わって当たり前です。 例えば500年以上も前の出来事である英仏百年戦争は、いまだにイギリス人にとっては正当な領土権を主張した戦争であり、フランス人にとってはイギリスの一方的な侵略戦争です。 >自国に誇りを持てる歴史を教えるべき これは自国にとって都合の悪い事実を隠すことではありません。 ただ、自国の立場にたった歴史を教えるべきとだと思います。 先の大戦の当事国である日本と中国で戦争の解釈が違うのは当たり前の事です。 ただ中国の視点からみた歴史を日本で教える必要はありません。 日本では日本人としての視点から見た歴史を教えるべきだと思います。 回答2 質問者様のおっしゃる通りです。 日本人には日本人の歴史観があり、中国人には中国人の歴史観があります。 どちらも自分の歴史観を相手に押し付ける権利などありません。 中国が自分の歴史観を日本に押し付けようとしたからと言って、日本の歴史観を中国に押し付けようとする事は、相手と同じことをやっているだけだと思います。
- ruggerno3
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1 我々は世界の、とりわけ日本に関連する近・現代史を勉強する必要があります。学ぶ素養としては遠くはギリシャから古代ローマ、下って中世の世界各国の歴史の勉強が必要です。 2 日本の近・現代史と関係する各国の歴史に限って言えば幕末から明治維新、更には日清日露の抗争から学ぶ必要があります。 3 さらに言えば歴史を語る人達の「立ち位置」を知っておく必要があります。大きく分けて4つに分類でるでしょう。 (1) 先の大戦後の「極東軍事裁判」の結果をそのまま信じ込んでいる人。この人達は米国(に限りませんが)の情報操作の巧みさ、悪辣さを殆んど何も知らない人々です。「世界人類皆兄弟」のお人好しスローガンに何の疑いも持たない、殆ど馬鹿としか言いようのない人びとです。 (2) 社会主義国家になることが日本にとって一番幸せと思い込んでいる人。「科学的歴史」などと称して自己主張に合わない事実は捻じ曲げて解釈したり、極端な場合は、「そんなことは無かったんだよ」と強弁して憚らない人の語る歴史を有難がる人々です。これも一種の馬鹿といえましょう。 (3) シナや朝鮮にとって、歴史とは政治に奉仕するものであり、古来「易姓革命」の考え方に立脚して語られるものですから、我々が考える「事実は何か」「当時の国際環境はどうであったか」「時の政府や学者、言論人は、どのように考えたか」などを推考して組み立てる「歴史」ではありません。 (4) 四つ目は、上記(3)項後半の考え方で論述される「歴史」で、尤も妥当と云えるものでしょう。 4 誰かを断罪して語る「歴史」ほど眉唾ものです。読んでいて「水戸黄門」のテレビを見ているようにすっきりするかも知れませんが、まさに読むに値しない「クズ本」でしょう。 5 最小限、次の歴史書をお読みになることをお勧めします。 (1)「歴史」トウキュディデス著、古代ギリシャ半島の抗争史で、「我はいかに正当で、敵国はいかに非道か」を延々語る弁論史ともいえます。存亡をかけた抗争にはこんなに激しいプロパガンダ合戦をしていたのかと驚かされます。 (2)古代ローマ関連本はそれこそ無数に出されていますが「ローマ史論」(マキャべルリ著)「ローマ人盛衰原因論」(モンテスキュー著)「ローマの歴史」(モムゼン著)「ローマ帝国衰亡史」(ギボン著)「ローマ人の物語」(塩野七生著、物語風で一番読みやすい)などがお勧めです。 (3) 近・現代史では次をお勧めします。 ア 「アメリカの鏡・日本」(ヘレン・ミアーズ著)日本占領軍マッカーサー司令部の一員として占領直後に日本に呼び寄せられましたが、日本のしてきたことは米国と変わらず、かえって米国より「マシ」なこともあったとの意見を昭和23年に著したもので、さすがに日本での出版は差し止められましたが、こんな本があることに気付いた人により、最近、和訳出版されたものです。内容的には一部?なところもありますが、内容と、世情に惑わされず自己の見解を堂々と発表する勇気に敬服します。 (4) 「戦争とプロパガンダ」E・Wサイード著の4部作 (5) 「大東亜戦争への道」中村粲著 (6) 「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著:3部作 (7) 「昭和の精神史」竹山道雄著 まだまだいっぱいありますが、まずは己の読書量を増やし、自分で判断できるようにならないと「右翼だ」「左翼だ」「国粋主義者だ」等のレッテル張りの言説に色眼鏡をかけられ、これに惑わされることになってしまいます。 貴方のご質問に直接お答えする文章にはなっていませんが参考にして下さい。最後に一つだけ申し上げますが「歴史を断罪する」とはどういう意味でしょうか。歴史とは事実と時の情勢を「こういうことではなかったか」と論述することであって、何を過ちとして断罪すると云うのですか。それは日本だけのことですか。過ちと断罪を言い出せばどこの国もまっ黒けで、それこそ外交は成り立たなくなります。ある特定国だけの「過誤と断罪」などと云うものはまことに見当はずれな物言いで、それこそどこかの国の「易姓革命」史観に乗ぜられたもの言いだと私は思っています。