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文明とは何か
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No.2,9です。 No.9で「クレアモデル」としましたが、「クレィモデル」(クレーモデル、粘度模型)の間違いでした。 m(_;_)m 何にしても、形ができあがってしまうと、モニュメントや偶像としての役割が発生し、「何か」を「そこにある」ないし「そこを通じることで繋がっている」かのごとくに錯覚してしまうのでしょう。 「文明」として見えているものは、ある瞬間の「切り口」でしかないのだと思います。本来的には(その先の「何か」があろうと、なかろうと)切り口に対して直交する「流れ」(方向性)のみが本質的なものだろうと思っています。 その切り口に「繁栄」を見る人々もいるでしょうし「退廃」を見る人々もいるでしょう。または、「向かい・向かう」ことをしない人々もいることでしょう。。。 そうして、「そのような姿」になったのではなく、「そのような姿」として、それぞれに対する切断面として捉えられているのだろうと思います。
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- JidousyaGaisya
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#17の続きです。 派遣業務の話題に関しましての追記の為に、下記のURLの紹介をさせて下さい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E8%A3%85%E8%AB%8B%E8%B2%A0 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060905/247258/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E9%85%8D%E5%B8%AB http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD つまり、「こういう従業員虐待」と「粉飾決算による株価操作」と「買い替え需要操作」とが中心になって、現代日本での経済格差を助長した故に、連続的な技術革新が維持され得たのでしょう。
お礼
技術を持つものと持たざるものの格差は大きいですよね。また、技術を持っていても安遣いされたり、。こういう中抜き企業は存在しなくても良いと思います。日本企業も狡いことしてますよね。小泉も負の遺産をがっつり残した感じですね。グローバリゼーションを履き違えたというか。げんなりしますよ。 もっと夢や希望のある社会にしないと、尻すぼみですよね。勝てば良い、のでは続かないでしょう。 ご回答有難うございました。
- BuffaloAndJtp
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こういうページを見付けました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%80%E8%A1%93
お礼
ご回答有難うございます。 いろんな言葉の用法、意味などあり、楽しく読ませていただきました。 また、技術が文明を支えていることについての概略の説明があり、容易に読むことができました。 技法と技能の違い、メカニカルアートと言う言葉などに関心が行きました。技術は芸術に通じる何かであると直感していましたが、言葉にも確りとその意味が記されていたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC こちらもよく書かれていて、初めに読んでおいて損はないなと思い改めました。
- atomonados
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文化なくし文明はない。人間なくして文化はない。したがって人間の生存が文明には不可欠である。さらに人間は自然を不可欠とする。 現代文明が照らしていない暗闇は,(人),人間,自然,文明の可能な組み合わせの相互関係および再帰的関係のなかにある。 自然と人間の相互関係をとりあげると,自然に対して人間が弱者であることを現代文明は覆い隠してきたと思われる。本来文明は自然に対し弱者である人間を補完すべきものである。 いつか太陽も燃え尽きる。自然に対し弱者である人間の生存欲求は普遍的であろうから「人類の生存」を人類文明の基本理念とするのがよい。
お礼
ご回答有難うございます。 文明の持つべき理念という新しい観点からのご回答を頂いたと思います。 自然の猛威にささやかながら抵抗すべく文明を築いてきた先祖と我々です。自然は闘う相手であり、けして共生しようという発想のできるようなものではなかったのかもしれません。それに太陽は、地球の生態系ごと揺り動かすような強大なパワーを持っていますし、地球の内部の運動など、そういった天体クラスの自然となると、人間の方はお手上げですね。 虫や猛獣には勝てた。植物の侵食にも打ち勝った。だけど生態系全体のバランスまでには気が回らなかった。 人類の生存のためには他の生物の生存が不可欠であり、それを維持するのには天体の適度な運動(太陽熱や地熱、磁気)が不可欠であるとも知った。 人類がどれほど長生きするのかわかりませんが、いつか地球を去らねばならなくなったときに、機械の惑星を作ったり、火星に移住したりといった夢物語が現実に起こる日が来るのかもしれませんね。もし文明が人類の生存をベースに進展して行くのであるなら・・・。 後、人類の生存を基本理念としない文明の行く末も気になります。人類を足場にして、「他の何か」が繁栄していたりして。。
- JidousyaGaisya
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私のせいで投稿の流れが滞ってしまったのかも知れませんので、 連続投稿で大変に畏れ入りますが、前回の内容の続きに言及させて頂きます。 ______________________________ たとえエネルギー資源の浪費が少なかったとしましても、 そもそも売り上げが入る前の研究開発費用は何処から賄われてきたのでしょうか? 産業革命以後の発展にも植民地政策による後押しが必要になっていたのでしょうから、 資金調達の為の犠牲者達の存在への注目が必要なのだろう、と思われます。 因みに、「二重盲検法」は代理人達の視点による見え方との共通性を利用していますが、 作業の代行の考え方はアウトソーシングやら機械化やらにも繋がっていきますね。
お礼
ご回答有難うございます^^ 投稿の流れなどは適当で良いですよ^^余り気になさらないでください。 現代文明も帝国のようなもので、その実態は理想とはかけ離れているのかもしれないですね。植民地の話参考になります。 二重盲険法からアウトソーシングや機械化などにもつながっていくと言うのは、そういう風にも見れるのかぁという感じです、意外ですね。作業目的や結果を知らされないで労働に携わる派遣業は、まさに二重盲険法に似ているなぁと思いました。
- JidousyaGaisya
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前回迄の流れとは直接的に関わってはいませんが、 思い出した話が御座いますので、追記を致します。 世界的な映画監督にも成られた元コメディアン男性の(短絡的な)御意見によりますと、 現代科学文明の繁栄はエネルギー資源の無駄遣いの結果なのだそうです。
お礼
はは、コメディアンらしいご意見ですね^^; しかし意外と的を得て(射て)いるかも。。 そうなると、資源が枯渇したときにこそ文明の真価が問われますね。 一説によると、古代繁栄した都市が滅んでいくのは、周囲の森林資源を採り尽した結果だと言う見方があるそうです。 同じように、化石燃料を採り尽くして滅ぶのが現代文明の行く末なら、原子力エネルギーの完全制御や自然エネルギーの有効利用を行う文明の形態が新たに立ち現れるのかもしれません。要注目でしょうか。
- JidousyaGaisya
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#3&#12です。 イデアの話には学者の先生が触れて下さっていますので、私ごときがそれに言及するのは申し訳無いと思われますから、今度には、#7の方の御意見にも注目して頂く為の回答を私は致します。 西洋近代の科学文明を発達させた切っ掛けは、周知の通りに、世界三大発明なのですが、特に活版印刷の発明の為には、東洋社会から西洋社会へ紙の製法が伝わる展開が必要でしたよね。 紙の製法が伝来する前の時代の欧州では、主に木片・石版・羊皮紙等へ文字を綴っていたそうです。 (蓋し、活版印刷発明前の識字率は低かったでしょう。) 従いまして、そういう社会では、「毛筆」よりも寧ろ「万年筆」の方が重宝しやすいのでしょうから、紙の製法が其処へ伝来した際にも、記載の様式が違った筈です。 そして、更に「絵の具」のチューブの発明は部屋の外での写生を助けてくれました。 そうしまして、西洋近代の【遠近法】が発達し、分析の記録の技術を確立させたのだろう、と思われます。
お礼
ご回答有難うございます。 遠近法にまで話が及んできましたね。膨らましてくださり有難うございます。 紙の伝来と絵の具のチューブですか。自分では思いつかない文明観の切り口です。 私は少し絵をかじった事があるのですが、自分の力量について、ああ、今の力量は大体エジプト時代くらいのものだなとか、ルネサンス期ぐらいのものだなとか、19世紀くらいまでは来ただろうか、などと評価することがありました。 それぞれの時代に開発された技法をマスターしているかどうかと言うことなのですが、絵画の技法と言うのは、実に科学的だなと言う印象を持った覚えがあります。もちろんパースを掴む感性などを自ら開発せねばならないのですが、絵と言うものは、理知的に進めなければ破綻してしまうのです。絵には法則、規則があるのだと知りました。 そういう経験があったので、絵の具のチューブが文明の発展に寄与しているという意見を聞くと、あんな小さな物にも壮大なストーリーが詰まっているのかと思え、わくわくしてきます。漠然と美術史に文明の発達を見る気はしていたのですが、道具の発明がそれの実現に一役買っているのかと知ると、文明の発達の複雑さを改めて意識してしまいます。 万年筆と毛筆の違い、皮と紙の違い、記載の様式の違い、色々な観点がえられておもしろいです。
KY投稿失礼します。 ご質問の >一体この文明はどうしてこのような姿になったのでしょうか? が、進化論における 「○○は、なぜこのような姿をしているのか」 と同じものと捉えて回答してみます。 文明はどんな形にもなりえた。世界各地に様々な文明の可能性が存在し、今もまた存在し続けている。その中で、産業革命以降、覇権的でありえたのが、今のこの文明である。文明の中で担い手であるヒトの脳も淘汰され、さらに文明を拡大していった。 今の文明がこの形であるのは、適者生存の結果である。戦争の世紀、資源の争奪戦を勝ち残った文明の担い手たちの想像力が、この形をしているのである。 しかし、今現在覇権的であることは、今後の地球人口100億超の資源枯渇時代を生き残れることを、ほんの少しも保証しない。その時の文明はまた、その担い手たちの想像力を映した姿をしているだろう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 KYなんてことはないですよ。 文明の担い手たちの想像力を映した姿であると言う話、興味深いと思いました。他回答者さまの、脳化社会にも通じるものを感じます。 進化論的に考えて、文明が今の形になったのは適者生存であったと言うのは説得性がある話だと思いました。遺伝子、ジーンに対してミームという言葉があるそうですが、そのミームの進化が文明の姿を形作っているとする見方と共通点がありそうだなと思いました。 人口が100億超の資源枯渇時代、また新たなミームを持った文明が繁栄するのでしょう。 昨今、バイオミミクリー、生物模倣という技術手法が脚光を浴びているようです。文明の産物が、本質的に、生物的に進化していくものであるという事を証ししうる技術として見る事もできるかもしれません。
- kusa-mura
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問いがあったので再投稿します。うーん、高校生くらいならイデア=理想でいいんですよ。僕も高校の倫理でそう教わりました。しかし理想で済むなら、理想と書けばよろしい。なぜ二つも語があるのかといえば、イデアは、美術の専門用語になっていて、元の意味と離れて、ごく狭い意味で使われるのです。あとは前に説明した通りです。 さて、もう一つの方ですが、質問者さんのいう文明、つまり技術の進歩を導くものを、僕は欲望と書いたが、それはお気に召さないらしい。医療技術の発展ともなれば、欲望という否定的なものでもないはずだ、というわけです。なるほど世のため人のためというところに、欲望と言いきれない人間の高尚さがあるのではないか、というのなら、高級車フェラーリとは事情が幾分か違うでしょう。 しかし、これは欲望というものをどう捉えるかにかかっています。どうも質問者さんは、欲望というものを、とかく悪いものだと決めつけていませんか。「人を助けたい」というのも、欲望と言い切って、僕は何の矛盾もあると思わないのです。というのも、欲望は多面的だと思っていますから。 質問者さんは、おそらく「欲望」以上に、何か高尚なモノがあると言いたいのでしょうけれど、説得的な言葉が探せていないというところだろうなぁと思って読んでいました。それはご自分で探してもらいたいと思いますが、助言すると、最初にイデアやエイドスなど、何かのタームをもってきて満足するのはやめた方がいいと思えます。むしろ自分の言葉で説明しきった後に、探してみる方がいいでしょうね。
お礼
再投稿どうもありがとうございます。 イデアの用法には限定的なものもあると言うことですね。 確かに私には欲望を否定的なものと捉えている節があります。一方で、それは回答者さんのおっしゃるような多面的なものであるという捉え方もわかります。 文明がもっと高尚なものに牽引されているはずだと言うよりは、欲望のパワーだけでそれが可能なのかな?という端的な疑問があったのでした。 イデアやエイドスといった言葉を使うのは少しひっかかりがあったのは事実です。おっしゃるように自分の言葉で表現した方がよかったかなと思います。しかしそうなると簡便でわかりやすいものではやはり理想といった言葉になるのですが、もう少し言うと、人間の希求する表象、といった言葉になるでしょうか、人間が求めたところの先に、現代の文明ないしこれからの文明のすがたがあるのではないかと思うのです。 そして、その人間の求めるところと、欲望によって導かれるところは、同じではないだろうと私は思うと言うことなのです。しかしそれも回答者さん的には、欲望の範疇に入れてもよいのではないかと言うことだと思うのですが、それではその広義の欲望にはどのようなものまでが含まれるだろうか、と言うことを知らねばならないかなとも思います。美の探究は欲望の範疇に入るだろうか、善の希求もまた欲望の範疇に入るだろうか、などなどです。 しかし色々お話いただきまして、楽しく回答を読むことができました。有難うございます。 またよろしければおいでくださいませ。
- JidousyaGaisya
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#3への御返事と#11の御意見への感謝とを込めまして、再度の投稿を致します。 視聴覚優位の典型例の1つは、逆説的ながら「二重盲検法」でしょう。 マクロな視聴覚情報は第三者達によって代理で確認されましても余り変化しない、と考えられてきた様ですので、西洋近代医学の場合には、主観的な要素を減らす為に、「二重盲検法」が頻繁に利用されて参りましたね。 それに対しまして、鍼灸等の様に触覚に頼る技術の場合には、相手の状態を探ろうとした途端に御互いが影響を及ぼし合いやすいですので、第三者達による中継が比較的に難しい、と言えるでしょう。
お礼
再びのご回答有難うございます。 二重盲検法、初めて聞く言葉です。少し調べましたがなるほどですね。 それが逆説的に視聴覚優位であることを示唆しているとはおもしろいです。 東洋にも漢方薬などがありますし、西洋にも触診があることから、完全に異なるということでもなさそうですが、その比重が随分と差があるのでしょうね。 勉強になります。もし、触覚優位の文明であれば、また違った様相になりそうですね。興味深いことです。
- 来生 自然(@k_jinen)
- ベストアンサー率30% (80/261)
No.2.9,10です。 や、失礼。口、いや筆が滑りました。 >>> 切り口に対して直交する「流れ」(方向性)のみが本質的なものだろうと思っています。 <<< ではなく >>> 切り口に対して直交する「流れ」(方向性)もまた本質的なものだろうと思っています。 <<< でした。 No.3のJidousyaGaisya氏の「視聴覚有意」もまた本質的だろうと思います。養老氏の唯脳論では、さらに「視覚の聴覚に対する優位性」から「脳化社会」を引き出していますが、 http://ynomura.dip.jp/archives/2006/01/post_16.html それはまさに、「この文明はどうしてこのような姿になったのでしょうか」に対する一つの回答になっていると思います。 すなわち、切り口(切断面)が「人間の脳」という共通の形状・機能を有する器官(特に知および視覚)によって捉えられるからこそ、「明るさ」という概念が「文明」として共有化されやすく、仮想的・幻想的であるはずの脳内感覚が、共有の場である「都市(ないしネットワークの)仮想空間)」へと投影され続けるのだと思います。
お礼
明かりと目と、脳の話ですね。それが現代の都市像に投影されているものであると。 なるほどわかりやすい話だと思います。現代のように沢山の電飾に彩られた都市ができたのも、人間の視覚に頼る傾向の表れだと言うこともできるのですね。視覚優位のことなど、勉強になります。 ありがとうございます。 脳化社会というモデルも、なるほどと思わせるところがあります。脳を設計図として、人類共通の認識だけがより色濃く反映されている社会、都市文明であると読み取りました。
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お礼
ずばりの回答ですね。 なるほどです。今ある姿は切り口に過ぎないと。 その流れこそが本質的なものであると。興味がわきます。 >何にしても、形ができあがってしまうと、モニュメントや偶像としての役割が発生し、「何か」を「そこにある」ないし「そこを通じることで繋がっている」かのごとくに錯覚してしまうのでしょう。 いまある文明の姿に痺れてしまって実態をつかめていなかったのだと思いました。 >そうして、「そのような姿」になったのではなく、「そのような姿」として、それぞれに対する切断面として捉えられているのだろうと思います。 一歩進んだ考え方をありがとうございました。