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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:文明人として生きることに疲れていませんか?)

文明人として生きることに疲れていませんか?

このQ&Aのポイント
  • 引越し準備で時間を費やしている自分に疲れている
  • 手続きや書類整理に疲れ、繊細すぎる性格を認めている
  • 無人島での生活や未開の地を夢見たいと思っているが、現実は文明社会で生きていくことを余儀なくされている

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

同じような人たちが集まって、皆で一緒に未開の地を開拓したいなんて 夢見たりします。  ↑ そうすると、その集団内で、強者、弱者が 出てくるでしょう。 その世界は私にとって面倒なことは何も無い世界でしょう。     ↑ そうはいきません。 集団になれば、必ず掟というルールが必要に なります。 人間関係も出てきますから、面倒なことは 必ず発生します。 ”そもそも考えてみて下さい、食料の調達という作業は、 人間にとって絶対的に楽しいものであるとが運命的に決まっていると思いませんか? たとえば、子供が農園で収穫をしているとき、誰もが笑顔ではありませんか?”      ↑ この部分は鋭いと思います。 人間は、賃金労働になって安定を得ましたが、 生きることと、働くことが分離して、労働に 喜びを見いだすのが難しくなりました。 かつて、労働は生きることであり、人生そのものだ ったのです。 だから働くことが喜びと直結できたのです。 ”私のこういう夢想を無政府主義というのでしょうか”      ↑ 無政府主義ではなく、原始共産制に近いと思います。 ”確かに権威というものがなければ、 何かを督促してくる存在はないことになるので、自分の 本来の人生の目的に専念できそうです。”      ↑ 非文明国になれば、生きるだけで人生手一杯に なると思いますが、どうでしょう。 そこには、本来の人生の目的など、専念する余裕など 無いでしょう。 ”文明人でも野蛮人はいるかもしれないということです”     ↑ 歴史を鑑みれば一目瞭然ですが、文明人の方が はるかに野蛮です。 ”このような私の考えについてご意見ください。”      ↑ そんなアナタに、夏目漱石の言葉を贈ります。 「山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈だ。  とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。  どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。    人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。  やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。  ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。  あれば人でなしの国へ行くばかりだ。  人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」

object123
質問者

お礼

その夏目漱石の言葉は心に染みました。 理知的と非難され、お人よしで損をして、自分の信念を貫くも他人はついて来ない。それで嫌気がさして転職して住む場所も変えてもやっぱり生きづらい。それで私は、この質問をしたんですね。 なによりそんな自分の心理に納得ができました。 ご回答ありがとうございました。

object123
質問者

補足

まさか、自分が共産主義者だなんて、思ったこともありませんでした(笑) やはり、共産主義というものは、悪玉に仕立て上げられて不当に低い評価を受けてきた証かもしれませんね。 のどかなインディアンの社会に悪いイメージを持っている人は西部開拓時代のアメリカ人以外はいないのに、 共産主義と訊くと、ソ連の横暴を連想してしまうというのは皮肉なものですね。 原始共産制という言葉をwikipediaで調べてみたのですが、仰るとおり、私が理想だと考えている社会体制に他なりません。 ちゃんとインディアンのことも書いてありますからね。 それにしても、労働が喜びではなく、単なる義務になってしまったのは人類にとって残念なことですよね。 それが人生の大半を占めるということは、人生とはその大半が義務に満ちているということですからね。 産業革命で大量生産大量消費の時代に突入したのと同時に、かけがえの無いものをまた一つ失ってしまったのでしょうね。 そう考えるとですね、文明と言うものは生産の革命によって生じるといっても過言ではないのでしょうね。 先の原始共産制が廃れた原因も農業革命によるものという訳ですからね。 そもそも文明とはなんなんでしょうかね。 余剰生産物による貧富の格差が権力を生み、誰かが誰かを支配するようになることが文明なんでしょうか? それとも、科学や学問の誕生が文明なのか? 当然、一般に考古学の世界で言われるのは後者の方だとは思うのですが、どうも前者の方ももれなく付いてくるようですね。 それでもって、私が質問文で文句を言っている文明とは前者の方を言っている訳ですね。

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その他の回答 (4)

回答No.5

非文明ってことは法律が支配するのではなくて、弱肉強食、サバンナの世界になりますので、弱い者、繊細なものは辛いとおもいますよ。 辛いだけなら良いけど、奴隷にされて売られてしまうかもね、、。 まあ、文明の世界に留まって、PCでインターネットを使う生活をエンジョイするのが良いのではないかなぁ。

object123
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 たしかに、ここに書き込んでいる私はネットが楽しみなわけですが、決してこれで主に生計を立てているわけでもないため、問題は解決とは行かないのです。

object123
質問者

補足

肉体的には繊細ではありません。病気もしない方だと思います。 腐ったものでも食べることはあります。 今回の弱いというのは、制度化させれた社会での不適応について述べています。

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  • neneco3
  • ベストアンサー率43% (405/935)
回答No.4

 市民農園程度でも良いんですが、畑作業を1年以上して、作物を収穫したことがありますか?仕分け作業が苦手、整理整頓が苦手、作業が同時期に重複するのが苦手となると、自給自足的な非文明社会での生活って実際問題として不可能ですよ。  畑で1種類の作物だけを作るのなら良いですけど、それを1年間食べ続けるとなると、保存も必要だし、栄養も偏ります。ですから、自家消費用に作物を作る場合、複数の作物を植え、1年中、何かしらの作物を収穫して食べられるようにするのですが、複数の作物を植えれば植える時期を少しづつずらしたり、複数の作業を平行して進めたり、何をどこに植えたか、どういう肥料を与えたか、前回は何を植えたか等の情報の整理も必要で、あなたが苦手とする作業がすべて含まれてきます。  無人島とかで魚や動物を捕まえたり、自生している植物を採集したりする生活をするとしても、冬の間は食べ物が少なくなります。畑作業でも似たようなものですが、食料を確保できる時期に多めに確保して、保存するというのは基本です。書類は腐りませんが、食料は腐ります。自然にある食べ物で、そのままの状態でその辺に放置して腐らない物なんてありません。レトルトやインスタント、冷蔵庫もない非文明生活で、保存できる食料を作ろうと思ったら、同時にいくつかのことができないなんて言ってられませんよ。干し野菜だって1日干しただけでは常温保存できませんし、発酵食品等も発酵の様子を毎日見ながら手を入れないといけません。それを、日々の食糧を手に入れる作業をしながら平行して進めるんです。そして、保存食ですからどこかに保存する必要がありますし、整理整頓ができないとどこに何を保存したかわからなくなり、せっかくの食糧が無駄になります。  ご自身の性格を直す直さないはあなたの自由ですが、現実逃避で非文明社会へ想いを馳せるなら、目の前の問題を一つ一つ解決した方が建設的ではあると思います。文明社会でも非文明社会でも、面倒な問題がない世界などあり得ないと私は思います。なぜなら、生きることそのものが面倒なことだから。機会があったら非文明社会で生きてみるのも良いかと思いますが、長期にわたるなら、飢え死にの覚悟はなさった方がよろしいと思います。

object123
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 回答者様は食品のことにお詳しいようですね。 たしかに、そういうことに携わっていない者がいきなり自然界にノコノコ現れれば、最初のうちはまともな食事はできないでしょうね^^; しかし、そうやって試行錯誤することも人によっては楽しいことかもしれません。文明社会はある意味でその楽しみを奪っているのです。それを楽しいと思わない人は文明社会に向いているのでしょうね。自炊もせず、外食ばかりで、虫も触れないような人は特に。(回答者様は違うと思いますが) つまり、向き不向きの問題なのですよ。 文明社会でも非文明社会でも、面倒な問題はあると仰いますが、それを決めるのは個人ですよね。何が面倒で何が楽しいかは人それぞれなので、誰かにとっては面倒なことでも、他の誰かにとっては楽しいことであったりすることもあるのです。性格というのは変えられません。変えることに成功した人はいないはずです。そもそも、変える必要があるのは、環境の方なのです。 つまり自分をどういう環境に配置するかということなのです。 同じ環境に居る限り、そこで適応するためには、自分が変わるしかないわけですが、生物が一世代で変わることは不可能で、自分を虐げるだけです。 そのような誰も達成したこともないことを他人に勧めるべきではないのです。どんな成功者も自分を変えた人はいないはず。

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  • yoruaru-q
  • ベストアンサー率17% (476/2703)
回答No.3

未開の地を開拓して共同生活をすると、おそらく、最初は小中学校の友達関係のような誰も止める人がいなくていじめが発生してしまうような状態か、体育会系の部活(理不尽な内容でも先輩の言うことをきく、同調圧力など)のような感じになると思います。それじゃいけないということで、納得するまで話し合いをする会議や集団を維持するための法律や役所のような工夫が生まれたんじゃないかと思います。

object123
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 社会がどのように生じてきたかということですよね。 おもしろいテーマだと思います。 未開の地へ出て行った人たち(ピューリタンなど)は実際に居ますから、彼らの歴史を調べてみると、私の未開の地同好会を立ち上げたときにどうなって行くかある程度予測できそうですね。

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  • mudpuppet
  • ベストアンサー率35% (388/1095)
回答No.1

読んだ限りでは文明非文明と全く無関係なところに問題があると思います。 まあ見方によっては問題とは言えませんし、 質問者さんにとっては実際に問題だと感じてらっしゃらないでしょう。 この現代社会の中で質問者さんが抱えるであろう摩擦の元を挙げると 1.まずご自身でもお気づきの通り整理整頓ができない 2.他人と心を通わせる付き合いに価値を感じていない 3.一つのことに集中できない この3つの性格的な特徴に絞れるのではないかと思います。 これでは他人から見ると、無気力でだらだらしてるだけの あまり面白みの無い人間として捉えられているでしょう。 そのため質問者さんは一人前の人間として認知されることもなく おっしゃることに理があったとしても誰も聞こうとはしません。 その結果として今の境遇があるのではないでしょうか。 性格を直そうという強い意志をお持ちであれば 周囲からアドバイスもしてもらえると思います。 しかし困難に立ち向かうのに不向きな性格ですから 現実的には性格からくる問題を解決するのは難しいでしょう。 もし現代社会で生きていく決意ができたときには アドバイスを別の質問で求めみてはどうでしょうか。 質問の答えにはなっていないかも知れませんが 非文明の社会で生きていけるような強さは全く持ち合わせてないでしょう。

object123
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 言っておきますが、性格を変えて成功した人はいません。 性格を変えるということは不可能だからです。 貴方は性格を変えたことがあるのでしょうか? ないと思いますよ。それいいです。変えなくて。 変えるべきは環境だからです。 性格を変えなくても、環境を変えて、短所を長所に変えて、能力を伸ばせば、他人は「変わったね」というでしょう。しかし、本質はなにも変わっていないんです。それで良いんですけどね。

object123
質問者

補足

1も2も3も違います。 1は整頓の基準が厳しいから、終わらないだけなんです。几帳面すぎるんですね。 2は人とのビジネス的な関係が疲れるだけなんです。むしろ心を通わせないような付き合いが嫌なんです。初対面の人を相手にするのが疲れるというのはそのためなんです。気心が知れないため気を遣い過ぎるんですね。 3はまったくの逆です。むしろ一つのことにしか集中できないのです。 だしかに、一人前として認知されていないのは事実です。 しかし、その内容は違います。無気力ではなくて、無駄なことばかりしていて、面白みはあるけど、現実的でないという感じです。自他共に認める事実です。

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