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戦前の女学校にかんして
戦前の女学校の通ってたかたの、実際に体験したエピソードをご存知の方、教えてください。 NHKの朝ドラの「おひさま」のような、ちょっとした笑い話、流行ってたもの、怖かったこととかなんでもけっこうです。 よろしくお願いします。
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わたしのばあさまは「不良」でありました。 東京のミッション女学校の出ですが、英語と洋裁、そして体育以外の成績は壊滅です。 そのかわり、英語は戦後、進駐軍兵士と怒鳴り合いのケンカしたほどで、死ぬ直前まで編み物をしており私のセーターの6割以上は祖母の手作り、竹馬、野球、ベーゴマは祖母に「たたき込まれ」ました。 ついでに、熱心なクリスチャンでもありました。 人望だけはあったようで、葬式のときにとんでもなく人がきてビックリでした。いわゆる、女の子にもてたタイプです。写真をみると、クセのあるショートで通していたようです。 野球が好きで好きで、当時は六大学野球ですが、学校を脱走して神宮にほどでした。本人も家にバットがあり、素振りをかかさない毎日という。 そんなある日、下級生が他校の生徒にナンクセつけられて、ネクタイをつかまれるということがあったそうです。祖母はその子に「絶対に先生には言わないこと」と厳命し、翌日、バットを風呂敷につつんで、学校の中に放り込んでから登校(正門で持ち物検査しているからです)。放課後、風呂敷包みを回収して、その下級生が「やられた」ところに乗り込んでいきました。 で、「相手」を見つけたわけです。4対1です。で、その相手生徒が集団で詰め寄ってきたときに、風呂敷包みからサッとバットをだして、すぐ脇の電柱を思いっきり ゲシッ 相手の顔色が変わったそうです。 そのあとは、バットの先で相手を小突きまわして、全員に謝らせたそうです。わたしには「先生に言ったら、こうはできないものねぇ」と言っていました。 また、近所のガキに「そのかっこう(セーラー服)じゃさすがに竹馬できないだろう」といわれたのですが、竹馬でケンケンして、もう一本を肩に鉄砲持つように担いで、 「ほら、騎兵だぞ。できるか」 と、町内一周しました。学校の制服のまま。翌日、通報されたのですが、悪いことはしていません、と言い張り、怒られたそうです。 親友の家にお泊まりに行ったら、その子の家がいわゆる本当の極道の親会社みたいな大物さんの家だったそうで、朝4時にトイレにおきたら、下っぱさんが庭の植木の葉っぱを一枚一枚丁寧に拭いていたそうです。その後朝御飯となったのですが、床の間を背負って親友父(極道の大物)、お母さん(極妻)、で、ゴハンだったそうです。大広間の下手半分には幹部がいたそうですが、大方ゴハンがおわったとき、イキナリ、そのお父さんが座布団をおりて祖母に向かって畳に手をつき頭を下げ、 「こんな稼業のかわいそうな娘ですが、せめてヤソ(キリスト)さまのお慈悲を願って今の学校にやらせています。どうか、ナカヨクしてやってください」 この時は、さすがの祖母もあせったそうです。その後、祖母の家には盆暮れ正月にかならずそのお父さんが、なにか持ってきて挨拶して行ったそうです。 昔のヤクザと戦後のはちがう、というのが、祖母の持論でした。 ------------- ただ、こんなひとでしたが、わたしに 「イエス様に顔向けできないことはしてはいけません」 「俺、という言葉は汚い言葉だから使ってはいけません」 「映画のあとで買い食いしてはいけません」 と、終始言っていました。 口語訳になった聖書がイヤになって、私が物心ついた時はもう教会には行っていませんでした。 まだまだネタはありますが、このくらいでどうかご容赦を。
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- SPS700
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#2です。訂正です。 「、、、これぞ七つの結びなりけれ」とか書きましたが、これは僕の覚え違いで、正しくは 下記のように 「ぞる こそれ 思ひきやとは はり やらん これぞ五つのとまりなりける」 でした。係り結びは、今も習いますが、この室町時代の三十一文字の形で、祖母は戦前の女学校で身につけたことを申し上げたかったのです。 http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/40107/40172/50713954 意味は「ぞる」= 係が「ぞ」なら結びは「る」 「こそれ」=係が「こそ」なら結びは「れ」といった係り結びの決りを歌にしたもので、「ぞ」が来ると、○○形で終わる、という規則よりも、理屈抜きで、直読直解に近い方法で古文に親しめる教育法であった訳です。 僕はこういうところなど、戦前の女学校に学ぶべき点があるように思います。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 先に書いていただいた「、、これぞ七つの結びなりけり」は、女性として守るべきことをうたった和歌のようなものかと思っていました。 歌を使って係り結びを覚えていたんですね!! 確かに、戦前の女学校では学ぶべき点がたくさんあると思います。 色々興味がわいてきます。 ありがとうございました。
- SPS700
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僕は実際に体験したことがありませんし、父も祖父も女学校にいたことは無いそうですが(当たり前ですね)祖母が、正真正銘、戦前の女学校にいました。 床の間の袋戸棚に手が届くようになったある日、蛇腹の写真機、バイオリン、お茶の道具、三味線などを発見し、「これ誰の?」と聞いたら「女学校の時習ったの」と祖母が言いました。 「、、これぞ七つの結びなりけり」という歌で古文の係り結びを覚え、気取り屋のガールフレンドからの変体仮名の手紙が読めないので、祖母に読んでもらいました。おかげで恋文の内容が筒抜け。 「埴生の宿」などという歌を調子外れに歌っていましたが、あとになって 'Mid pleasures and palaces though we may roam で始まる英国の歌で、やはり女学校の音楽の時間に習ったのだそうです。 まあこういうことで、日本の古典文学、東西の音楽、書道、茶道、華道、写真術、など広範囲に亘る一般教養を身につける場であったようです。
お礼
古文の係り結びとか懐かしいですね。 高校時代に習ったような・・・。 今の時代にはない、清さを感じます。 女学校時代に習われたことを、大切にされている、おばあさまはお育ちの良い素敵な方であったんだろうと想像がつきます。 ありがとうございました。
- thomasedinburgh
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中年の男性ですので読んだことしかお教えできませんが、 戦前の女学高の文化について研究した論文を読んだことがあります。 文集やイヤーブックなどを中心に考察したもので結論としては 男子校と同じようなはっきりした厳しい年齢の序列があり、年下の学生が好きな先輩を「お姉さま」と呼んで憧れる 外部社会と隔絶したむせ返るような少女趣味の「お姉さま」文化があったようだと書いてありました。 ミュージカルのない宝塚みたいなもんかと思いましたね。それを読んで。 女学校にいったのは中流以上の家庭の子ばかりだったことを考えるとあり得る話です。
お礼
なるほど! 宝塚のような感じ、と言われると少し想像付きますね。 私も本とかで探して多少は読んだことはあるんですが、実際に体験された方はどんなものなのかなぁ・・・と、NHKのおひさまを見て気になっていました。 ありがとうございました。
お礼
とっても興味深く拝見しました。 お祖母さまは「不良」ではあっても心の温かい方だったようですね! 昔と今のヤクザが違うように、不良といっても今とは違うようです。 女学生のガキ大将ってかんじでしょうか!? ヤクザのお嬢さんのお話は胸が熱くなりました。 ありがとうございました。