- 締切済み
思想や哲学とは個人の力によって生まれるものなのか
優れた思想や哲学は個人の深い思索によって生み出されるものなのか、 それとも一般の技術開発と同様、集団がチームを組んで考え生み出すことができるものなのか、 これからの時代、思想や哲学への取り組み方も違ってくるのであろーかとか、 どーなんだろうと、ふと考えてみたのであるが。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
チームで思索する光景は想像もつきませんが たぶん、漬かっているもの同士で喧嘩別れに なると思いますよ。 しかし、人の道さんの投稿を続けて観てみますと 確かにレベルアップしている様子がうかがえます。 従いまして、なんらかの干渉による効果があったのでは ないでしょうか。 もし、ご自分のホームページで、哲学者の方々に それぞれの考えを投稿してもらえたなら 更なる効果も期待できるかも知れません。 残念ながら僕は哲学者ではありませんので これで失礼します。健闘を祈る。
>哲学は歴史の流れの中で、進路を見失い途中から宗教に走ってしまった。 これは大きな間違いであり、途方もなく大きな損失をもたらした。 その結果哲学はこれまで何の蓄積も成果も生み出していないのである。 めちゃくちゃに言いますね(笑) 哲学がどのような思想を生み出してきたかを知っているわけではないが、何の蓄積も成果もないって言うことはないでしょう。
人類の脳の偏りにはいくつかの種類があると思います。 その為、同じ偏りを持った人間同士には理解されやすく 違う人には理解されにくいと思う。 従って、現象的階層性に於おける認識の深まりによって いづれの偏りに対しても共通であるといえる事を 数多く見つけ体系化したものが優れていると判断されるのでは ないだろうか。 精神的階層に於いては脳の種類の数ぶんだけの 異論に尽きるが、即物的階層では文化や趣味によって 再分化され、より多くの異論が派生する。 よって、根源的命題については、個人による思索と 他の種類の偏りを持った個人の思索が干渉しあう程度で為されるが 即物的命題では、再分化によって派生した多様性と相補性による あいまいさと、組織化された認識によって生じた、不合理と いいかげんさによる不確定性が、個人による思索を不可能に している為、会議という形をとらざるをえない。 結局、世の中から、これは違うといえる事を取り除いていき 最後に残ったものが、どんなものであれ真理となりえる。 従って、アルケーの神は、一つの真理であるといえる。
お礼
>人類の脳の偏りにはいくつかの種類があると思います。 確かに人間の脳にはいくつかの偏りがあると思います。 実際、これを血液型と結びつけてA型、B型、O型、・・・とかに分類しよーする愚か者が出現しています。 では哲学的指向性とゆー偏りをもった人間同士が集まり、チームを作って思索すれば何かマシな哲学が生まれるであろーかとゆーことをここで問うているのです。
それは、歴史的な蓄積によって生み出されるのでは無いでしょうか。そしてつどつどに才覚ある人々が現れて、その歴史を更新していくのであると思います。
お礼
哲学は歴史の流れの中で、進路を見失い途中から宗教に走ってしまった。 これは大きな間違いであり、途方もなく大きな損失をもたらした。 その結果哲学はこれまで何の蓄積も成果も生み出していないのである。
それは、歴史的な蓄積によって生み出されるのでは無いでしょうか。そしてつどつどに才覚ある人々が現れて、その歴史を更新していくのであると思います。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
人は自分の考えやすい方向に流されがちで、その折には 様々な“自分に不都合な要素”を無視しがちです。 異なった意見と戦わせる事で、そうした潜在的な問題点を えぐり出され、より認識を深める事につながります。 (レベルの低い相手では、自己顕示による攻撃のための攻撃、 単なる揚げ足取りに留まるので役に立たないが) 一方、ブレーンストーミング的な「皆で一緒に考えましょう」 というのは、言葉や文字による情報伝達速度が、思索に 比べて非常に遅く、「チームを組んで生み出す」という試みが、 哲学や物理といった根源的概念の転換を伴う思索において、 有効であった経験はありません。 現象的多様性の中での方法論的な「色んな案を出す」と いう場合には有効ですが。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>これからの時代、思想や哲学への取り組み方も違ってくるのであろーか 仁野みっちゃんよ、あんた爺の癖して随分青いこと言うね。蒙古斑がまだ消えてないんかね。もしそうだったらあんたは永遠の青年どころか、永遠の幼児だね。羨ましい。その歳になっても、まだ自分は特別な時代に生まれたってなこと本気で考えているみたいだもんね。 はよー大人になれや。
お礼
ちょとっちゃんよ、実をゆーとそれほんとーなんや。 わしは毎朝風呂に入ったあと鏡を覗くと、わしのケツの周りに青いハンコが2つ押されているのが分かるんや。 それでわしは確信しておるんや、あと50年は青年でいられると、ワッハッハ~。
補足
しかしなー、ちょとっちゃんよ、 ちょとっちゃんの回答は面白いのではあるが、何とゆーかそのー、 たまにはNo4の御方のよーに、哲学的内容を含んだ答えを返して欲しいなー、んー
- 巧(@TYR_efes)
- ベストアンサー率13% (305/2272)
・・・済みません、ちょっと狭く自分勝手に 言い過ぎました(酔汗) >確か芥川龍之介は他者との関わりを排除して創作活動に没頭した >言われております。 ・・・確かに「真理の探究には絶対的な孤独が不可欠なのだ」 という言があるのではありますが、そういった方が仙人の様に 一生涯山に篭った例を知りませんでしたもので・・・ 直接的な人間関係を絶ったとしても、集団の片隅に居を構えて 何らかのインプットを得ている状態で本当に「孤高」の様な表現を 当てはめても良いものか・・・実は私の中でもその答えみたいな ものは見出せてはいません。
- 巧(@TYR_efes)
- ベストアンサー率13% (305/2272)
んー・・・それが「優れた」と評するのは 生み出した本人ではありませんから(酔汗) 他者との関わりを排除しては成し得ないのでは。
お礼
んー・・・ 優れた文学作品、例えば「蜘蛛の糸」や「鼻」は芥川龍之介が一人で創作したが、 多くの日本人はこれを読み、感動し優れたと評しているのです。 確か芥川龍之介は他者との関わりを排除して創作活動に没頭した言われております。
お礼
哲学の方法論は紛れもなく哲学の中心テーマです。 そして思索においても個における思索と集団による思索を考えると、これは哲学の方法論の問題の一つでしょう。 このよーに考えたとき、 「たぶん、漬かっているもの同士で喧嘩別れになると思いますよ。」 で終わったのでは、あまりに物足りなくありませんか。