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必然
この世で起こることはすべて必然だと考えますか? 私はそう考えます。この質問も必然です。
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質問者が選んだベストアンサー
過去の事になってしまったものは必然以外の何ものにもできない。
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こんにちは 最近、理屈っぽい質問を見かけるなぁと思って よく考えたら哲学カテゴリーなんだもんね。そりゃ理屈っぽいわけだ。 自分も初めのうちは、真剣に考えていたんですよ。 でも、めんどくさくなってきて、自分なりに 自己満足できる技を身に着けました。 過去――選択1――現在1―― 干渉 ――未来1 | ↑ | (同じ結果)―― | | 選択2――現在2―― 選択2――未来2 | | 選択3――未来3 こんな感じで、考えることによって、結果、最善をつくしたのなら 悔いは無く、どのみち連続性に欠ける事も無い。 パラレルワールドにおいては、それぞれの未来が存在しており それらの連続性によって、すべての結果が必然であると言えるのではないだろうか。 現在の自分がいる世界を、感受表面世界とか感受顕現界などと、 自分で名前を付けてみたら、さらに自己満足度アップすることまちがいない。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
必然か偶然か、という問題は、決定論的な因果律に 由来する疑問であるのは、他の皆様の回答の通りです。 ここで大事なのは、存在の本質は確率的なものであり (不確定性原理)、我々の見知っている有限な性質を 有する存在性は、不完全な認識(本質に把握せず階層 現象性を表面的に定性化する)によって二次的に派生 するものである点です。 よく言われる、「認識される事で量子状態が崩壊して 存在化する」という事は、認識されてしまった過去は 確定的な因果律を呈するが(=必然)、まだ認識されて いない未来は不確定性のまま(=偶然)、という事です。 人は、過去と未来は連続した時空を形成しており、 “自己(認識体)”という二次的な存在が、その中を移動 していると考えがちで、確かにそうであれば「認識 された(量子状態の崩壊した)過去の決定論的因果律は そのまま未来に延長される」と思って当然です。 しかし、無(=無限不確定)の潜在としての認識可能性 (感受表面での量子作用=現在=光速)から、過去(記憶 =超光速)と未来(予測=光速下)が相補分化し、その 異なる時点の積層(異なる認識可能性の自我化=h(プラン ク定数)の収束の時系列化=宇宙膨張)において時間性が 生じている時、過去(確定性=必然)と未来(可能性= 偶然)のどちらかが先入する必要はありません。 たとえば、素粒子レベルにおける経路積分において、 「素粒子の相互作用において、Aの状態からBになる確率 は、途中の色々な可能性のそれぞれの確率を足したもの」 =素粒子は複数の経路を経る、という事があります。 それはミクロな話だけでなく、完全に1個、2個と数えられる 電子を、1個ずつ二本のスリットに向けて発射すると、その 向こうのスクリーンには、二本線ではなく、干渉縞が描かれる =1個の電子が2つのスリットを同時に通り、自分で干渉し 合うのです。 このようなものについて、「偶然か必然か」を問うのは意味が ありません。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- o-sai
- ベストアンサー率19% (199/1001)
宇宙の物理法則に準じて起こる事象が「必然」です。 人はそれに準じて出来ているのだから、大きく考えれば人の成す全ても必然。 しかしながら、遺伝子のシャッフルによる進化は偶然に期待した「必然」。 だから偶然ともいえるし必然ともいえる。 人間社会における日常の中の出来事の全ても、そんなふうに定義可能です。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
辞書によると、「偶然」とは、 「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること」などとなっています。 しかし、何かの事象が何の原因もなく生じることはありませんから、おっしゃるように、起こり得る全てのことは必然的な結果の現われ、と一応は言っても良いと思われます。 ただ、そこに意志が絡んでくる場合には、必ずしもそうとは言えないような気がします。 なぜなら、意志は「選択する」ことが可能だからです。 ここで質問しない、という選択も可能であった以上、この質問が必然であったとは言えないでしょう。 逆に、いや、そうは言っても現に質問したのだから、やはり必然であったのだ、という見かたも確かに可能だと思います。 また、そのような意志が兆すこと自体が必然であった、という捉え方もできます。 このような場合は、選択するという人間の意志の存在を否定した思考法になるでしょう。 だから、どうというわけでもないのですが、人間の可能性という視点から考えるとあまり面白みはないように個人的には感じます。 結局、視点、というより始点をどこに置くのか、ということによって違ってくるだけで、どちらとも言えるわけですし、好みの問題になるのでしょう。 時と場合によりけり・・・で十分、とわたしなどは思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
ANo.3です。ANo.4の方に質問があります。 「必然であるならば、刑法の存在理由はない」とのことですが、刑法では「人間は罪を犯す可能性を持つ生き物である」だから「その罪によって刑罰の種類を決めて、罰する」との「性悪説」の立場をどう説明されるのでしょうか。素朴な疑問です。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
必然だ、と考えると、少なくとも刑法の 存在は否定されます。 お前は、犯罪を侵すか否かの自由を持っていた。 それなのに犯罪を侵した。 これはけしからんから罰する、てのが 刑法の立場です。 刑法が無くなっった社会と、刑法が存在する社会を 比較して、差異があれば、この世ので起こることは 総て必然だ、とは言えなくなります。 我々の歴史に対する知識は、必然性を否定しています。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
>>>刑法が無くなっった社会と、刑法が存在する社会を 比較して、差異があれば、この世ので起こることは 総て必然だ、とは言えなくなります。 比較ができないのだから必然だと私は思いますが・・・
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
必然ですね。「なぜ~」ということは、それによって起こること(原因あるいは根拠)といってもおかしくはないからです。「原因があっての結果」はこれまでの科学の歩みを通じても明らかでしょう。尤も一部の人に「天地創造」のような不可知論的なモノに拠り所を求める人もいないではありませんが。
お礼
同意見です。ご回答ありがとうございました。
世の中何でも偶然です。 あなたがこの世の中に生まれてきたのも、数億個といわれるお父さんの精子の一匹が偶然お母さんの卵子に入り込んだからです。 .
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
どうしてそれが偶然だと思うのでしょうか? 私には偶然も必然も否定出来る知識はありませんが・・・
お礼
確かにそうですね。 ご回答ありがとうございました。
補足
起きた事は必然であるから私は必然だと考えます。