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必然と偶然

必然という言葉があります。 世の中の推移や経過はすべてが必然の結果だと考えるのは間違いでしょうか? つまり偶然だと思うのはそれに至る事情を知らないが故なのではないでしょうか? つまり偶然とはないのだと思っております。 なお、私は必然とは価値や理念への当為の行為や要請が為すところだと思っています。 ご批判、お教えをお待ちします。

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  • ベストアンサー
  • alterd
  • ベストアンサー率23% (137/595)
回答No.3

古来からあるテーマのひとつですね。 まず、人間がすべての理を明かしていない現在決定的には言えないと思います。 実際、人間はまだ、木の枝を離れた1枚の葉っぱがどこに落ちるのかすら 正確には予測出来ません。 そして、唯心論や唯物論、思想の右と左等、対立する様々な思想もありますが どちらが優れていると問うのは、どうやら、無意味のような気もします。 それは、ニュートンが否定した光の波動性が実際に存在し 実は、光が同時に粒子でもあり波でもあるという驚天動地の結果になったことや、量子が同時に違う状態を取り得る重ね合わせの現象から由来します。 「ニワトリが先かタマゴが先か」にも似ていますか。 後、必然には「当然起こるべくして起こった」というニュアンスを感じますが 偶然には「どっちでもよかった」とか「取るに足りない」というようなニュアンスを感じます。 しかし、コンピュータ・シミュレーションの結果から出た 蝶の羽搏きのような些細な現象が、やがて、台風の進路をも左右し得るという 所謂、「バタフライ・エフェクト」も存在します。 となると、なにが一体「取るに足りない」ことなのか言えなくなります。 更に、対生成で生まれた粒子と反粒子において、一方に起こった変化が離れた粒子に影響するという摩訶不思議な現象もあるらしく、この世で全く無関係なことなどないのではないかという印象さえ受けます。 さて、ここで、必然と偶然に戻ります。 それは、詰まる所、人が世界と対峙する態度に帰結するように感じます。 それは、大きく分けて、「世界のごく一部にしか価値がない」という態度と 「世界には総じて価値がある」とする態度のように感じます。 そして、前者は「権威的一元主義」に通じ、後者は、「民主的多元主義」に通じるように感じます。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございます。 該博なご知見でのご教示に感謝します。 やはり質問を起こしてよかったと思っています

その他の回答 (2)

  • okvaio
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回答No.2

>必然という言葉があります。 >世の中の推移や経過はすべてが必然の結果だと考えるのは間違いでしょうか? >必然とは価値や理念への当為の行為や要請が為すところだと思っています。 必然とは、(コトバンクより) 必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。また、そのさま。 当為とは、必然。 偶然とは、 何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。 世の中の推移や経過は「すべてが必然の結果」、ではなく、 世の中の推移や経過は、「必然と偶然の結果」だと思います。 尚、 必然とは価値や理念への当為の「行為や要請が為すところ」では、 行為や要請は、人の考えが基になっていると思いますので、 人によっては、当為ではない場合があると思います。

krya1998
質問者

お礼

そのようにも言えましょう。論理ですね。 仏教徒ではありませんが: 仏教では「因縁による」と考えます。 つまり「原因(因)と条件(縁)とが絡み合うことによって モノ、コトが起こる」ということです。 ここで重要なことは「因も縁も一つではない」ということです。 というお話もいただいております。

noname#238513
noname#238513
回答No.1

必然だと考えるのはただのこじつけです

krya1998
質問者

お礼

そのように見る見方もありましょう。 それで人生と人の存在が説明しきれるかですね。

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