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「物理学」崇拝

「物理学」崇拝 は物神崇拝と言えるでしょうか?

みんなの回答

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.10

あたしゃ宇宙論の専門家じゃないんで、ホーキングの論文を読んだことは無いんだが、物理屋だったら死ぬ前に一通ぐらい宇宙論の論文を書いてみたいなんて皆思ってんじゃないかな。 余り遠くない前に、別の研究室の元気な若いもんを捉まえて、 「お前名前な何て言う、そして、何をやっとるのか俺の部屋で話してみな」 って声かけたんだよね。そしたら、 「へい、わたくしは何々村の何兵衛と申すもんでございやす。一般相対論的宇宙論の運動方程式を数値計算で解かして遊んでおりやす」 って言ったんで、そいつに話さしたら、 「ビアンキの何とか型のモデルをこうひねくり回して、ああひねくり回して、そしてこんな大胆な近似をしちまいますと、その運動方程式が2自由度のハミルトン系の非線形の運動方程式になるんでございやす」 って言った。そこまで聞いてあたしゃ、 「チョと、タンマ、タンマ。あたしゃ宇宙論なんて全くの素人だが、ハミルトンの運動方程式とくりゃお手のもんだ。んで、その系は当然カオスが出るんだろう」 って聞いたんだ。そしたら、別に葵の紋の印籠をちらつかせたわけでもないのに、 「さすが御老侯はお目が高い。実はそのことに関してでござります。あの悪いお代官様がカオスは出ないんじゃって意地を張って、あたし達百姓をいじめてなさる。んで、わたくしめは何とかしてお代官様の鼻を明かしてみたいと思っているのでございやす」 と来たんだね。あたしゃ嬉しかったね。もしかしたら夢にまで見た宇宙論の論文を一通ぐらい死ぬ前に書けるかもしれないと思ったからね。んで、あたしは 「変数の物理的な意味は俺には全く解んないから、宇宙論を知っているお前に任す。あたしの方じゃ、セパラトリックスだメルニコフ積分だってなカオス理論の常識をあんたに教えてあげるから、それで何とか、有ること無いことでっち上げようじゃないか」 ってな具合になって、只今少しづつ進行中だ。もう半年もすれば芽が出るかもしれん。 だから、一寸ぐらいは宇宙論の耳の垢ぐらいの経験がある。そんな僅かな経験で物を言うのも気が引けるんだが、宇宙論屋さんってえのは、一見最も基本的な原理の問題をやっているような顔しているが、アインシュタインの流れを汲んじまって、始めからこの宇宙は決定論的に出来ているなんて決めつけちゃっているところがあるようだ。そもそも、我々の身の回りの出来事は本質的に非決定論的なんだが、そんなこと始めから問題にしていない。彼等は、宇宙の基本方程式は決定論的なんだが、我々には測定能力に限界があるから確率論的に扱わなきゃならないんだってな、今から100年以上前に出た理屈をいとも簡単に信じちまっている。 ところが、これはあたしが専門にしているカオスや非平衡統計物理学の大問題の一つなんだね。そして、宇宙論屋さんは基本原理を緻密に拘って計算しているような顔してるんだが、熱力学や統計力学を援用するときの粗っぽさったら、危なっかしくて仕様がない。だから、宇宙論屋さんはあたし達の問題にしているところをいとも簡単に避けちまって、世界を途轍もなく単純に見ているようなところがある。 彼等が言うプラトン主義だ物理的実在だ実証主義だ数学モデルだって言ったって、力学系での分岐点の周りの揺らぎだとか、新しい構造の非決定論的な創出とか、それと物理学の基本原理との関係なんて言う、統計力学が問題にするようなところは宇宙論屋さんは普段考えたりしていないんだよね。んで、自分たちの決定論的な世界観のドグマの中だけで物を言っているようなところがあると、あたしゃ見ている。だから、彼等の言うことは面白いが、参考程度にしているよ、あたしゃ。 そう言えば、あたしの知ってる偉~~い先生が、 「現在の宇宙論ちゅうのは殆ど何も解ってない状態なんじゃよ。だから、数学的に整合していさえすれば何を言っても良い段階なんだ。そんな状況で生き残るためには、数学的に整合した論理の中で一番奇抜なのことを言った者が勝ちだ」 って言ってたね。だから、宇宙論屋さんて皆さんが思っているよりよっぽど山師が多い業界らしいよ。 んで、宇宙論の専門家の方でこれに文句があるんなら一言コメント下さいね。そのコメントは、きっと私の役に立つと思うから。

noname#133759
質問者

お礼

確かにホーキングとかペンローズは山師的な匂いがしますよね。印税だけでも結構なもんだと思います。あと講演料とかも高そうだし。そういえば池田大作の「仏法と宇宙を語る」も信者以外に売れましたから、そのうちcyototu先生も一般者向けに宇宙論でも執筆されて、一発当てられては如何でしょう。ペンネームがcyototuであれば私も是非購入させていただきますので。 どうもお忙しいところありがとうございました。

回答No.9

#1の者です。 >しかし特定の「階層に」かかわる人々は それは、“学問”的に、あるいは職業的に、その情報を扱っている というだけであって、世界観の一環としてそれを扱っている(=崇拝) のではありません。 実際は、全ての人は生物として生き、物理として存在し、社会的に 働いています。 普通の人々の多くが「崇拝」しているのは、「認識体の外に物体が あり、そこからの情報が脳内で意識を生んでいる」という、いわゆる 素朴唯物論と呼ばれるものです。 ここで色んな論理を開陳している人々も、そうした理論は知的ファッ ションに過ぎず、そのロジックを日常の感受の中で不断に適用して いる人は、あまりお目にかかった事はありません(新興宗教を除く)。

noname#133759
質問者

お礼

そうですか、当方のかん違いでしたか。 愚鈍者のたわごとだと思って聞き流してください。 どうもありがとうございました。

noname#133759
質問者

補足

あっ、そういえば、さいきんお玉ちゃんの姿が見えないのですが、先生知りませんか?

  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.8

No.6です。蛇足ですが。 質問者さんの問われていることは、「商品の価値は貨幣によって量化され、人間は商品を神のごとく大切に扱い 商品を中心に生活設計を行う」ということ「物理学=理念を世界の構成原理とする の理念を上の商品と同じく神のごとく扱うあつかう」ことは同じようなものではないか、と理解します。普通、人は何を神として扱ってもいずれの神も神であり 同様に扱うのではないか と申しあげました。 以上 失礼しました。

noname#133759
質問者

お礼

どうも悪いことを言っちゃったみたいですね。 愚鈍者のたわごとだと思って聞き流してください。 どうもありがとうございました。

noname#133759
質問者

補足

>理念を世界の構成原理とする の理念を上の商品と同じく神のごとく扱うあつかう」ことは同じようなものではないか、と理解します あっ、ちょっと説明不足だったかもしれません。 「物神崇拝」と「理念を世界の構成原理とする」は同じ構造を持っているのではないかということなのですが如何でしょう?

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.7

物神崇拝というのは、主にマルクスが『資本論』で唱えた用語の一つです。 もともと人間労働の生産物である商品・貨幣・資本が、逆に人間の生活を支配してしまう事を「物神崇拝」と呼びました。 なので、別に「物理学崇拝」というわけではありません。 「物理学」というのは、あくまでも諸現象を「物質と物質の相互作用」によって説明しようとする学問です。 しかし、自然科学の他の分野(化学、地学、生物学etc,,,)よりも数学との親和性が高く、ともすれば「物理学至上主義」的な様相を呈することもあります。 そんな時に、宗教に心酔する人に見立てて「物理学崇拝」とか言って揶揄することはあります。 ではでは、参考になれば幸いです。

参考URL:
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/hiromatsu/4no7.htm
  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.6

「物理学」崇拝は物神崇拝と言えるでしょうか。の答えとしては どなたか 言われているように 物神崇拝は物理学崇拝も含め幅広いものと思います。その通りとおもいます。 ところで猪突さんの物理屋は統一理論の第一原理を信奉している信者のようなものだというお話は興味深くお聞きしました。一つの宗教団体のようなものということのようです。宗教に浸かると そこから外の世界は宗教眼鏡でみるようになり 自由発想はし難いのでは思います。かなりの偏見ではないかと思います。昔、朝永振一郎が 紐理論を評価して 理論のある部分を物理現象に応用し 大部分は適応出来ない とし このようなものは物理学ではない、過不足なく理論が物理現象に適応されていなければ物理学とは言えない と言ってました。この言葉を思い出したわけです。猪突さんも朝永さんも これらはニュートン以来のモダン思想の現われとおもいました。 しかし、ご存知のようにゲーデルの不完全性定理が証明されて以後 公理さえ立て直せば 理論系は幾らでも可能(ポストモダン)なのです。物理学においても同様であります。統一理論が完成されたといしても それは終着点ではなく 新しい物理系は開拓されていくのです。私は 物理学者は 物理学信者ではなく 理論的に冷静に新しい物理学を創るという姿勢をもつべきかとおもうのです。部分しか応用できない紐理論も物理学であり、新しい公理を適用していくのも物理学であります。 現実には 物理屋には 宗教物理学者も 新しい物理学者もいると思います。

noname#133759
質問者

補足

あっ、どうも、お忙しいところありがとうございます。 例えば、ボーアは物理学者ですけど、こう言っています。 「量子的世界というものは存在していません。抽象的な物理的記述が存在しているにすぎません。物理学のなすべき仕事は、自然界がどのように存在しているのか見つけ出すことと考えるのは間違っています。物理学にとって重要なのは、自然界について何を述べる事が出来るかなのです」 物理学崇拝者(一般素人がほとんどだと思う)に対する指摘だと思います。 また、物理では、数学と違い勝手な公理を前提とするわけにはいきませんが、公理の意味を間違っている人も多いように思います。 で本題なんですが、原始宗教における「物神崇拝」をマルクスは資本主義社会の本質的特徴を表現するために用いました。資本主義社会は、あらゆるものを量化し、対象化し、物化する。例えば、人間の労働は商品として対象化され、相互に交換される。諸々の商品の価値は貨幣によって量化される。人々は貨幣という物に振り回され、ほんろうされる。人々はその豪華な商品=物を神のごとくに大切に扱い、人間そのものよりもそれらの事物を中心にして生活設計を行う。 こうした構造というのは、物理学=理念を世界の構成原理とする(例えば、量子的世界が存在する)といったようなイドラと同様ではないか、というのが質問の趣旨です。

回答No.5

物理学を崇拝する者などおらんじゃろうが。 崇拝ってのは、思わず目を瞑ってしまうことじゃ。 物理学の方は目をひんむいて頑張らなくちゃなんねえ。さもないと数学になっちまうんじゃ。 だから、物理学を崇拝するなんじゃ形容矛盾か、またはContradiction of termっちゅうんじゃ。

noname#133759
質問者

補足

>物理学を崇拝する者などおらんじゃろうが。 確かに、世界中がモクゾウ100ネンさんのように、恐ろしく認識力の高い人ばかりならそうなんでしょうが、例えば、中学生や高校生の頃のころなんかはどうだったでしょう? No6さんへの補足もちょっとご覧になっていただければ幸いです。

  • kusa-mura
  • ベストアンサー率30% (7/23)
回答No.4

崇拝という行為それ自体が、既に物神崇拝(=フェティシズムfetichisme)なのです。何かに精神的に依存したりすれば、そこには常に物神崇拝が起きると言えます。だから物理学だけを特化する必要はないと思えます。

noname#133759
質問者

お礼

あっ、どうもご回答ありがとうございます。 >だから物理学だけを特化する必要はないと思えます。 全くその通りだと思います。

回答No.3

 こんにちは。  ★ 崇拝  ☆ ということが問題になると思うのですが その崇拝になるかならないかは 人間という存在をどう捉えるかで決まると考えます。  おおよそ自由意志の有無ということに帰着するのではないでしょうか。    動物や植物までを含めて質料の運動として生きたり現象したりすることと そして人間が意志によって生き動き存在するということと これらの間に違いがないとみれば 崇拝という現象が起きる。  早い話が 桜も魚もウソをつくことはありません。むろんウソという概念も持ち合わせません。    モノはいっさいウソをつかないのだから モノで出来ている人間も とうぜんウソをつくことはない――とは言えそうで言えないようです。  まづこの事情についてみれば ウソをつかない人間はいないと考えられると同時に わたしのようにイツワリのためにウソをつくことはない人間もおそらく大勢いると思いますし ウソをつくのが生きがいな人間も中にはいるように思います。  で この現象を物理として見るか(見ることができると説明できるか) これをめぐって明らかにすることが必要でしょうし 肝心であるように考えます。  それができれば 崇拝が起きているのかそうでないのかも明らかになるのではないでしょうか?  ★ 「物理学」崇拝 / は物神崇拝と言えるでしょうか?  ☆ 大雑把に言って 言えるでしょう。言える場合があるでしょう。  でももっとはっきり言えば 自己崇拝という人間の病いであると思われます。それは 弁明をし始めるといったことが すでにみづからを語っていると見てよいでしょう。そういうものです。自己崇拝の中身は もっと言えば 認識教なのではないでしょうか?

noname#133759
質問者

お礼

どうもご回答ありがとうござい安す。 なかなか難しいお話なので、応えに行き詰ってしまうのですが、もう少し考えてから補足させていただきます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

物理学者ちゅうのはね、物理教信者のことなんじゃよ。 あらゆる学問の中で物理学は他の学問には無い極端に神懸かった世界観を持っている特異な学問なんじゃ。それは、この世の中には第一原理なるもんがあって、あらゆる現象はその第一原理に矛盾せずに説明出来る物だと信じていることだ。カッコいい言葉を使うと、一元論的世界観ちゅうんだね。こんなこと、未だに誰も証明出来たわけでもないし、将来証明出来るかどうかすら解っていない。だけど、物理学者はそれを信じちゃってるんだね。そして、その信仰が正しいんだと言うことを確認したいんで、毎日石に齧り付きながら血の涙を流しながら修行しているんだね。 世の中には、この世の中の現象を合理的に説明出来ればそれで良いと思っている連中もいくらでもいるんだね。そんなのは物理学者じゃないよ。この世の中に、実験事実や観測事実から、誰にも否定出来ない確実に正しいことが一杯有る。そこで、その誰にも否定出来ない事実から出発して、それに数学的な構造を入れて、合理的に、無矛盾に現象を説明したり予測したりすることに恍惚としている方達も一杯いるんだ。でも、この方達は物理学者じゃないんだ。まあ、数理科学者か工学者ってところだね。こう言う考え方を物理学じゃあ、現象論と呼んでいる。どんなに確実で否定が不可能な事実から出発しても、その確定した事実がまだ第一原理から説明されていない限り、それを現象論と呼ぶんだ。現象論の出発点になる正しい事実は幾らでもあるんで、現象論的な方法で世界が解った気になるのを多元論的な世界観て言うんだね。 んで、物理学者はそんな現象論には、本当のところは興味が無いんだよ。だから、極論すると、目の前の個々の現象を論理的に間違いなく理路整然と解き明かすことは物理学屋の本来の目的ではないんで、そんなことには物理学者は余り興味を持っていないんだ。そうじゃなくって、この世の中にはこの現象あの現象と森羅万象の現象があるが、その裏に果たして統一原理と呼ばれる第一原理があるのかどうか、だからこの目の前の現象がどう第一原理と関わり合てっているのかに興味を持っているんだ。そう、現象その物でにはなくて、その裏にある統一原理とその現象との関係に興味を持っているんだ。だから、その統一原理に繋げられる論理が見付かったら、その現象その物の詳細なんかに余り興味を持っていない。だから、しばしば物理屋の現象の説明は数値的には大変粗っぽい所がある。だから、物理屋の言うことはいつも面白いんだが、それで物が出来たり、機械が動いたりしたためしが無い。だから、物理屋に物を作らしたら駄目だよ。あたしの学生には1年を365日なんて言ってるようじゃ本物の物理屋には成れないよ、1年は大体400日だと言えるようにならなきゃ駄目だって教えている。 ところが、工学屋さんは機械が動かなくちゃ話しになんない。別に第一原理なんてえのはどうでも良いことで、確実に解っている事実から出発する現象論を使って、数値的に出来るだけ精密に現象を予測する事の方のがよっぽど大事だ。だから、工学屋さんや数理科学者さん達は宇宙がどうの自然がどうのなんて物理学者のように大風呂敷を広げないよね。 だから、物理学っちゅうのは物理学者によって崇拝されている宗教の一種なんじゃよ。

noname#133759
質問者

お礼

あっ、これは、どうもありがとうございます。 いや実はcyototuさんが暇そうなので質問してみたのですが。 >はたして統一原理と呼ばれる第一原理があるのかどうか、 その「ある」の意味なんですが二通りあると思うんです。 例えば、ホーキングがこんなことを言っているんですが、 「基本的にペンローズはプラトン主義者で、唯一の物理的実在を記述する、唯一の観念の世界が存在すると信じている。一方、私は実証主義者で物理理論は私たちが構築する数学モデルにすぎないと思っているし、また物理理論が実在に対応しているかどうかを尋ねるのは無意味で、それらは単位観測結果を予言するかどうかだと考えている。」 cyototuさんはどちらですか?

回答No.1

この宇宙に、「物理学」という存在はない。 原理的に把握すれば物理学、日常的に厳密化すれば生物学 や社会学、大きく捉えれば宇宙論や哲学、といった具合に、 アカデミズムが勝手に仕分けているだけであって。 私は、この世界を深く知りたくて、世界中を旅したし、哲学や物理 も学んだし、遺伝子解析もやった。 しかしそれは、ただ1つのものを深く知ることでしかなかった。 理論を、認識を深める過程としてではなく、自己主張のための カッコつけの飾りとしか考えない人間にとって、「物理」や「哲学」 といった形式が重要になるのは、ここを見ていてよく分かるが。

noname#133759
質問者

お礼

あっ、どうもお忙しいところありがとうございます。 あれっ、普段の言明とはちょっと違うような(笑)。 例えば、知識の階層を、扱う対象ごとに作ったとして、系の複雑さの度合いでランク付けしたとします。すると当然、一番下には物理学がきて、その上に化学、生物学、心理学といった様な具合になると思います。しかし特定の「階層に」かかわる人々は必ずその階層の自律性を主張します。これは知識の段階が不十分だからではなくて、各階層を崇拝しているからで、それ崇拝というのは人間性の普遍性に根拠があると思います。

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