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「偶像崇拝」の禁止
こんばんは。 「偶像崇拝」は、 禁止の場合と、禁止でない場合と、あると思うのですが、 「禁止!」の場合、 その歴史について、お詳しい方に解説して頂けないでしょうか。 【訊きたいポイント】・・・「偶像崇拝は、禁止」の歴史とは。 宜しく、お願い致します。
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私は詳しくもありませんし、勿論余り深く考えたことがありません。答えではありませんがお許しください。偶像崇拝禁止はイスラム教しかしりません。キリスト教徒の対比として考えると。違いはムハンマドが人であり君主であり軍事指導者であるのに対してイエスは人であり、救世主であり時には神?と同一視されているところ。 イスラム教(ムスリム)がムハンマドによって広められた頃、アラビア人伝統の多神教を信じるマッカの人たちから迫害を受けヤスリブ(マディーナ・アン=ナビー)に拠点を移し、布教活動と軍事行動を行っていた。最終的に多神教の聖地であるカアバ神殿の神像をムハンマド自ら壊したということです。そして終始貫いたのは自分は神ではなくあくまで人であること。アッラーフは全知全能唯一絶対であり、すべてを超越する。「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされる存在であるため、あらゆる時にあらゆる場にあり得て(遍在)、絵画や彫像に表すことはできないという教義により偶像崇拝を禁止せざるを得なかった。 キリスト教は後世に布教の上でイエスを人としてよりは、より神にちかい存在としたため、結果的に偶像化せざるを得なかったのでは? それにしても不思議な事にイスラム教ではムハンマド(マホメット)、キリスト教ではイエスが天使に会い、神より啓示を受けている。怒られるかも知れませんが、根元はとても似ていると思います。キリスト教黎明期はローマなどの多神教、イスラム教は多神教が信じられていた時代。キリスト教は多神教の神々を天使に置き換えたり融合させているのに、イスラム教は唯一神のもとで多神教の神々を悪魔としているのではないのでしょうか?(間違っていたら済みません。私見です。)
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- hekiyu
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そもそも神様なんて偉大な存在を 偶像化など出来ないはずです。 それを偶像化するのは、神に対する冒涜 であり、矮小化であり、誤解を生むモノです。 だから禁止が当然です。 しかし、それでは布教に不便です。 つまり、信者を増やすことが出来ません。 信者が増えねば儲かりません。 かくて、偶像化が進められ、宗教は宗教産業になりました。 それでは問題だ、というので偶像禁止を確認する ようになったのです。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「そもそも神様なんて偉大な存在を 偶像化など出来ないはずです。」 なるほど。 問題は、「「偶像」そのものを、「有り難がる」かどうか、というニュアンス」にあると思いました。 「偶像」なんて、(神と比べたら、)単なる「モノ」ですよね。そんな「モノ」を神みたいに崇められては、神が迷惑だ、ということでしょう。 >「それを偶像化するのは、神に対する冒涜 であり、矮小化であり、誤解を生むモノです。 だから禁止が当然です。」 これは、Ano.2様とは違って、徹底的に「偶像」を「モノ」と理解するわけですね。 >「しかし、それでは布教に不便です。」 はい。「布教」には、、、現代では「冊子」などが用いられているようです? >「つまり、信者を増やすことが出来ません。 信者が増えねば儲かりません。 かくて、偶像化が進められ、宗教は宗教産業になりました。 それでは問題だ、というので偶像禁止を確認する ようになったのです。」 んーーー>「宗教は産業になりました」 「政治と宗教の分離」ですか。 言われてみれば、「宗教」も、(現代では政治の機能である「資源の再配分」という観点からすると、) 昔々は、もっと支配的だったのかもしれないですね。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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神を象徴にすると絶対から転げ落ちるとでも言いたいんだろう。 絶対は脆弱で現実離れしていて、現在も多くの暴力の元となっている。 その点、私の永遠は盤石だ。 観念にすでに常在する私にとって、肉体の消滅は死ではない。 生が永遠であるのだ。 しかし君たちはしょせん死ぬよね。 さよなら。 ケラケラ。
お礼
Flareon様、こんばんは。(正直、予期してませんでした)ご回答ありがとうございます。 >「神を象徴にすると絶対から転げ落ちるとでも言いたいんだろう。」 そんなことは、申しません。 ・・・「信教の自由を侵害しないでね」とは、多分、そんなことです。 >「絶対は脆弱で現実離れしていて、現在も多くの暴力の元となっている。 その点、私の永遠は盤石だ。 観念にすでに常在する私にとって、肉体の消滅は死ではない。 生が永遠であるのだ。 しかし君たちはしょせん死ぬよね。 さよなら。 ケラケラ。」 これも「歴史」に、
お礼
kurione様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「私は詳しくもありませんし、勿論余り深く考えたことがありません。答えではありませんがお許しください。」 はい。 >「偶像崇拝禁止はイスラム教しかしりません。キリスト教徒の対比として考えると。違いはムハンマドが人であり君主であり軍事指導者であるのに対してイエスは人であり、救世主であり時には神?と同一視されているところ。」 ・・・まあ、宗教についてはですね。それこそ「どれが正しい」なんて、言えません。 ご見解は尊重いたします。 (「「一緒だ!」と言って悦ぶ」ようなことではない、と思います・・・) あ、この後、歴史のご解説ありがとうございます。 >「イスラム教(ムスリム)がムハンマドによって広められた頃、アラビア人伝統の多神教を信じるマッカの人たちから迫害を受けヤスリブ(マディーナ・アン=ナビー)に拠点を移し、布教活動と軍事行動を行っていた。」 「アラビア人伝統の多神教」というのが、あったんですね。 >「最終的に多神教の聖地であるカアバ神殿の神像をムハンマド自ら壊したということです。」 そうだったんですか。初めて伺いました。 >「そして終始貫いたのは自分は神ではなくあくまで人であること。アッラーフは全知全能唯一絶対であり、すべてを超越する。「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされる存在であるため、あらゆる時にあらゆる場にあり得て(遍在)、絵画や彫像に表すことはできないという教義により偶像崇拝を禁止せざるを得なかった。」 イスラム教のそれ(禁止)については、そういう理解なんですね。 >「キリスト教は後世に布教の上でイエスを人としてよりは、より神にちかい存在としたため、結果的に偶像化せざるを得なかったのでは?」 「「イエス」を偶像化した」ということですか? 「「神に近い存在」を偶像化せざるを得なかった」と、 そういうことなら、「禁止」ではないのですね。 >「それにしても不思議な事にイスラム教ではムハンマド(マホメット)、キリスト教ではイエスが天使に会い、神より啓示を受けている。怒られるかも知れませんが、根元はとても似ていると思います。キリスト教黎明期はローマなどの多神教、イスラム教は多神教が信じられていた時代。キリスト教は多神教の神々を天使に置き換えたり融合させているのに、イスラム教は唯一神のもとで多神教の神々を悪魔としているのではないのでしょうか?(間違っていたら済みません。私見です。)」 なるほど。 「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」などは、どのように位置づけられるんでしょうね。