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いろいろなものを崇拝してしまう
僕は、いろいろな物や事を崇拝します。執着心が強いっていうか、こだわりがあるようです。 僕は、大学を出ていなくて、東京大学をとても崇拝してしまいます。 一人でいるときでも、 「ふふふ、僕が持っている本、東大教授のばかり」 「ふふふ、僕を誰だと思っているんだ? 東京大学の教授の本を読んでいる人間だぞ」 「ふふふ、僕は、東京大学の教授の中でも、名誉教授を、東京大学名誉教授を特に崇拝しているんだぞ」 「ふふふ、東京大学最強。日本で一番凄い大学。まあ、僕も、東京大学名誉教授の本を読んでいるけどな。まあ、当然だけどな。」 「ふふふ、まあ、当然、東京大学でしょ。大学といえば、東京大学。まあ、当然だな。僕だって、東京大学の教授が書いた本を読んでるし。」 とか、異様にというか、異常な感じで崇拝というか崇めるんです。 次は、キリスト教かな。 「キリスト教って、世界に歴史的に沢山の国にどれだけ影響を与えてると思っているんだ? 最強。やっぱり、キリスト教だって。イエスだよ、イエス。ヤハウェもいるね。ユダヤ教の後にできた宗教。イエスだよ、イエス。ヤハウェね。そのキリスト教だよ。哲学者にも沢山影響を与えてるし、もう、歴史だって、キリスト教の影響を沢山受けてる。まあ、最強の宗教だな。キリスト教。まあ、宗教といえば、キリスト教なんだよ。まあ、当然キリスト教だな。宗教=キリスト教。まあ、当然。当たり前よ。」 とか。でも、僕はキリスト教に入ってません。 いろいろなものを崇拝するので、結構疲れるんです。 皆さんはどうですか? 崇拝しますか? こういう崇拝をどう思いますか? よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
自己満足で執着心が強いといったところではないでしょうか。 東大教授を崇拝するというのであれば、本にとどまらず、講演会参加や、実際に学生でなくても、一般大学生でもやっているような署名な先生の講義を聞きに行ったりすると思います。 実際に言ってみる、あるいは教授に会いに行くのが崇拝であると思いますが…。 崇拝は、うやまっている、おそれおおい、といった感情を持つものです。 人にべらべらと話したりはしないでしょう。 カウンリングでも最終的に行き着くところは、仏教的な境地に至ることが多いようですが、学会誌等にも仏教用語を違和感無くさらりと引用されています。 仏教用語をさらりと説明され、周辺のことを話されたりもします。 いろんなものを崇拝といわれておいでですが、多感的で広いことに関心があるという風に思います。崇拝という言葉で、ご自身を拘束しているようで、大変だと思います。ブリーフ(考え方)を修正されることをお勧めします。 人にご自身の持つ関心事のよいところを要約し、説明できれば、良いですね。 そのエネルギーをよい方向に持っていくことで、質問者さんの今後が明るいものになるかと存じます。 アメリカの著書を翻訳した本を現在読んでおりますが、キリスト教の聖書のことばに多くアメリ人が救われている実例を読みました。 キリスト教系の老人ホームで、聖書の朗読などのボランティアをされれば、質問者さんも重宝されるのではないでしょうか。 ミサのあとに質問者さんが持って居られるキリスト教の知識をホームの方に話されれば、有り難い存在になるかもしれませんね。 また、高校生でも、東京大学の内田教授の民法の本が結構読まれていると聞きます。 民法が詳しければ、将来宅地建物取引主任者試験受験や、司法書士試験、公務員、司法試験など将来の職につながる知識が身に付きます。 知識にとどまらず、それを生かせるように方向付けられれば、将来的にも安心なのではないでしょうか。 「活かす努力」をしてみてください。
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- hana81
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こんばんは。 崇拝とかこだわり、というよりは 自分に自信がないから、既に多くの人に支持されている品質が確かなブランド(ここでは『東大』『キリスト教』)ものを身の回りに置いてみて、 そんな自分のことをすごいと思いたい。安心したい。 そんな感じかな、と思いました。 ブランドに目が眩んで、ものの本質が見えなくなっていませんか? ブランドでもノーブランドでも、本当に質が良いもの。を見抜ける柔軟性が身に付くと良いですね。
お礼
皆さん、沢山の回答ありがとうございました。
- sorakaisei
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面白いといっては、お気を悪くされるかもしれませんが、読んでいて興味深かったです。 人にはそれぞれ、大なり小なりこだわりがあり、絶対的存在を信じたいという心を持っていると思います。 corbinさんのように、素直に人を賞賛できることは、自分で迷いがなければ、素晴しい事だと思います。 ただ、一つ残念なことは、読んでいて少しcorbinさんの天井が低いのかなと感じた事です。 今の感性を持ち合わせたまま、もう少しもっともっと知らない世界があって、知らないことも山ほどあるんだ。と認めるだけでも違うと思うのですが、corbinさんは、多分ですが、本を読む、その人の話を聞く、テレビを見る等の視覚的刺激の強い情報が真実になってしまわれるタイプのように感じてしまいました。 違ってたらごめんなさいね^^; ただ、現実社会で生きていくには寂しい思いをすることが多いのではないかと、思いました。 他の回答者様のお礼の欄にありました、数学や経済学や社会学の考え方のお話ですが、ここの考え方に少し、普通とは違った隔たりがあるのと、それからその隔たりを自分だけの特別な能力のように思っているような部分(いわゆる自分だけに見えている真実)がありませんか? そのズレをご自分で納得すればきっと、これからご自分が孤独を感じたり、寂しさの感情を無理やりそういった権威のあるものに押し込めるような無理なことはしなくなるのでは?とおせっかいながらも感じました^^; もちろん、人間は多面体ですからcorbinさんの全てがそういったものだとは思っていませんので。 世界は広く、全て謎だらけですがつながっている部分もあるのです。 数学→コンピューター→テレポーテーション→無限の可能性・科学はもちろんのこと、医学の分野でも期待されています。そして、国は予算配分ではそういう進歩の見られる研究には消極的です。 倫理の問題もからんでくるのでしょうし、そとの財閥からの圧力ももしかしたらあるのかもしれません笑。 医学の進歩によって人口が増えると食糧難に…といった危惧も当然でてくるでしょう。 経済は権力ではなく、お金を持った資産家によって動かされています。 政治と経済は別物です。 などなど、「色んな人の意見を聞く」という行為がいくつになってもできるような人間であれば、いくつになっても成長できるという証拠であり、自信にもなり、それが良い方向への個性となると思います。 まずは、corbinさんのまわりにきちんとお互いの話を聞いたり話したり出来る相手がいることを確認してみて下さい^^ いれば、私の心配は取り越し苦労です。
- sinkyou
- ベストアンサー率39% (212/531)
補足とお返事いただき、コメントが役に立ったかなと思いました。最近サイトのせいか回答しても、返事(「お礼」というたいそうな形はちょっとと思うので私は返事と解釈しております…) >皆さんは、崇拝っていうか、憧れっていうか、執着っていうか、こだわりっていうか、そういう趣味はありますか? ということで、現在、カウンセリングを学習中です。介護職なので、対人関係を深く知るのに県の研究会に参加したのがきっかけで、箱庭療法などを体験しています。 崇拝といった大層なことではありませんが、伊勢神宮(内宮・外宮)を参拝し、自然の多さ、神宮の自然を生かした社などをみて土産がてら、簡易神棚を購入し、朝と夕に祝詞をあげています。 祝詞(神棚拝詞)には、そのくだりに「世のため人のために尽くさしめ給え」とあります。 ちょっと方向は違いますが、孫子の兵法には、「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という著名な言葉があります。現代風に応用すれば、相手のことを知り、自己を知っていれば、良好な対応・接し方が出来ると解釈できます。 自身のため、今日出会う相手のために、よりよい関係を築いていければと思います。 宗教信仰者は、滅多なことでは信仰宗教を語りません。周りの方々をみられても日々実感されていることであると思います。 神道信仰になりますが、範囲は個人で家の中で自身の日々、感謝の気持ちを忘れない事を大切にするためにしています。
はっきり言います。 間違っています。 なぜなら、 真実はいつもひとつ!!(コナンかよ!) だからです。 でもいろいろありすぎてどれが真実かわからないというのも多くの方の意見かと思われます。 ですが、もしあなたが真実を求め続けるならいつかはその真実にたどりつけることと思います。(回答が脱線してますね。すいません。)
- wandfull
- ベストアンサー率13% (32/245)
最強への憧れはコンプレックスの裏返し、といったら単純すぎますかね。 崇拝癖を表面に出すと、人間関係に支障をきたす可能性は否めないでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 他人に言って引かれたことあります。 コンプレックスなのかもしれません。
補足
僕も、異様な頭の使い方っていうか、落ち着きが無いんだと思ってるんです。 そういう系統のっていうか、メンタルっていうか精神サポートっていうか補助のサプリメントを飲んだら、いろいろ考えるのが落ち着いたっていうか、いろいろ考えなくなったことがあります。一時的にですけど。サプリメントが聞いてる間。まあ、気のせいかもしれないんですけど。 他人に、僕の好きな芸能人の素晴らしさを延々と言っているときは、笑顔が異常で、異常な笑顔だったようで、気持ち悪いと第三者がこっそり言ってました。 僕も、楽しいというか、そういう自慢話っていうか、素晴らしさの解説してるときは、非常に興奮して、気持ちが高ぶって、ニコニコ笑いながら、笑顔で、次々と延々と言っていくんです。 で、結局、同じような言葉の繰り返しになるんですけど。 だいたいのものの素晴らしさ解説はできます。まあ、メジャーなものならだいたい。数学でも、社会学でも、政治学でも、宗教学でも、哲学でも、倫理学でも、工学でも、法律学でも、なんでも、最強の学問だって、解説するんです。そういう解説しなくても、自分で、普通にそれを勉強したら良いんですけど、なぜか、頭の中が「素晴らしい、素晴らしい」っていっぱいになるんです。 例えば、数学なら、「今の社会、複雑な社会だよ。コンピュータが発達して、デジタルな社会。インターネットもどんどん利用されてる。機械的な本当に、人工的な社会。こういう社会では数学が大事。この現代の複雑な情報化の社会では、数学が一番大事なのだ」とか考えてます。 あと、社会学なら「今の社会、複雑な社会だ。いろいろ争いも起きるだろうし、その中のいろいろな集団というか社会っていうか部分社会の特徴などを知ったりしないと、今の社会ではやっていけないよ。昔の社会と今の社会どう違うか知らないと、今の社会で暮らしていけないよ。社会学は、一番大事な学問だな。身近な学問だ。」とか、政治学なら、「結局、世の中は、権力なんだよ。権力があれば何でもできるって。まあ、悪いことはしないけど。倫理とか道徳なんて、弱いものだよ。権力最高。政治学で、権力の仕組みとか強さとか勉強して、権力を意識して、それを掴むために生活していかないと駄目だぞ。平凡に生きていては駄目だ。政治学は、一番大事な学問だ」とか、いろいろ考えてます。 なぜか、分からないけど、いろいろ考えるんです。他人なら、もっと、スマートに、普通に、勉強するんだろうけど、僕の頭の中は、こういう妄想っていうか、趣味とかコンプレックスとか執着してることを、たくさん考えます。 皆さんは、もっとスマートに、っていうか、こういうことを考えないですよね?
- shihaimon
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corbinさん。それは執着ではないです。 趣 味 で す 。 崇拝ってのそんなもんじゃないですよ、きっと。 本当に崇拝してたら洗礼受けますよ。 東大に入る努力しますよ。 だから軍マニアが 「このファッキンニューガイ(くそったれの新兵)」 だの 「サーを語尾に付けろ!」 とかいうのに似ています。 また鉄道マニアがやっぱ300系だよな。何てったって世界一の安全性だもんな。みろよあのフォルム。 一生300系に乗っていたいぜ。 まあJRには就職しないがな。ってのと変わらんのじゃないかな? まあ風変わりだとは思いますが、まだまだ許容の範囲ですよ。 個人的には宇宙ヤバイに似てるな、と。
お礼
回答ありがとうございます。 僕は前に、話し方のことで相談したことがあるんですが、 そのときも、好きな芸能人のことの話し方が、その「宇宙ヤバイ」というのに似てると言われました。やっぱり似てるんですね。 趣味ですか。なるほど。そうですよね。 ありがとうございます。
補足
皆さんは、東京大学の教授をどう思っていますか? 特別ごだわりませんか?
お礼
回答ありがとうございます。 そういえば、あんまり実践というか、それを活かしたりしてません。 他人に話して引かれるぐらいでした。 東京大学教授の講演会とかには行ったことありません。感受性豊かなんですね。そして、いろいろなことに関心持つんですね。なるほど。 キリスト教だって、「僕は、キリスト教の本誰のを読んでると思う? 当然、荒井献先生の本だ。東京大学名誉教授の荒井献先生だ。」とか思っているのですが、やっぱり、それを実際に活かしたほうが良いですよね。 東京大学の教授の本を読むときも、手を合わせて、「渡邊二郎先生、東京大学名誉教授の渡邊二郎先生、ありがとうございます。ハハーッ。神、神、神。超人、超越、神。こんな素晴らしい、立派な人の、最高な人の、本を読めるなんて、僕はなんて恵まれているんだ。最高だ。本当に、感謝だな。ありがうございます。」とか一人で言って、手を合わせてます。 僕も、超人っていうか、そういう立派な人に近づけるように、というか、少しでも、能力を上げるために、努力しようと思います。 やっぱり、本を読んで崇めるだけではなくて、書いてあることも、どんどん、覚えないといけないですよね。いろいろ、資格とかも取って、権力を得るっていうか、立派になろうと思います。
補足
僕のコンプレックスは非常に強いと思う。なぜか、いつも、本の最後の著者紹介を声に出しながら読んだり、「ハハァーッ」といって崇めたり、手を合わせたり、「神、神、超人、最強」とつぶやいたりもしています。 本を読むときは、かならず、その最後の著者紹介を見るんです。自分でも良く分からないけど、コンプレックスなのかな。 「渡邊二郎先生、どんなに凄いと思っているんだ。1931年に、東京にお生まれになられてだなあ、それて、1953年に東京大学の文学部哲学科をご卒業になられてだなあ、それから~」とか、ニヤニヤしながら、一人つぶやくっていうか、言ってるんです。 ちょっと前に、アルバイト先で、僕の好きな芸能人の素晴らしさを力説してて、引かれたから、それからは、あんまり他人に話さないようにしてるけど、なんだか、どうしても、他人にいろいろな素晴らしさを話したくなるんですよ。 一人で、「六本佳平先生、六本佳平先生、むふふふふ、東京大学名誉教授の六本佳平先生、フルブライト奨学生かなんかで、アメリカのカリフォルニア大学に留学されているんだよ。当然、東京大学もお出になられてるんだ。」とか、いろいろ思っていて、こういうことを伝えようと思って、インターネットの掲示板に書き込んだりもしたことあるんですが、馬鹿にされるんです。 自分でもなぜ、こんなに熱狂するのか分からないけど、でも、回答をいただいて、その活かす努力をするように頑張ろうと思います。 いろいろ資格とかとって、ちょっとでも、近づこうと思います。 皆さんは、崇拝っていうか、憧れっていうか、執着っていうか、こだわりっていうか、そういう趣味はありますか?