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なんでだろう:使途不明な遺跡は儀式に使ったと言われてしまう
遺跡から発掘される品々や遺跡の一部。 使途がよくわからないものはぜんぶ、「儀式に用いられたと考えられる」と説明されてしまうのは、なんでだろう? 「わからない」じゃだめ? 人類はそんなに儀式が好き?
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補足します。 >昔の人でも、マジメばかりじゃなくて、もっと「遊び」があったんじゃないかと。 ありえますね。日本の発掘品の中にも玩具ではないかと推測されたものがあったような気がします。未開人の場合、生きた動物を子供に与えて玩具兼ペットとしているケースは各地にあるので、土器のかけらを子供に与えたかも知れませんね。 北米のアリゾナ州北部に住むホピ族は父親が子供のために彼らの神々(300以上もある)からおもなものを木彫りにして与えていました。神の姿と役割を子供に覚えさせるのが本来の目的ですが、子供に取っては同時に玩具になったと思われます。現在はそれらの木彫り(カチーナと呼ばれる)は商業化され、高い値段で売られています。
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考え方を変えてみましょう。 遺跡が発掘されて用途がわからない場合、理由もなく儀式に使われたと思われると決め付けているのではありません。遺跡の年代にもよりますが、奈良時代、飛鳥時代、更に古い弥生前期、縄文時代まで、過去の遺跡の発掘研究で 当時の人々の暮らしぶりや日常生活で使用していた道具類まで大体のことは分かっています。従って、過去の研究で明らかになっていないものが発掘されていた場合、日常生活で使われたものではないことが推測される場合に、「儀式で使用されたのだろう」と仮の結論が出されるわけです。結果は今後の更なる研究によって決まってきます。 古代に溯るほど民族特有の使途や儀式がへり人類共通のものになるので、日本で使途不明のものが外国で解明されたり、秘境の原住民の日常生活の中から発見されることもありえます。 原始社会や日本の平安時代ごろまでは、人々の暮らしは法律や条令よりもタブーや迷信、占いなどでがんじがらめになっていたので、それから免れるためにはあらゆる種類の宗教的儀式があったと思われます。その大半はよく分かっていないか忘れ去られています。
お礼
ありがとうございます!よくわかりました。 ・法律や条令がない世界 ・忘れ去られる が、目からウロコでした。 人間て、大事だと思っていたことでも、もっと便利なことが出てくると、以前やっていたことは、あっさり忘れちゃうんですねえ。確かにそうですね。納得。 で、現代のように考古学が大切だという時代でもなければ、貴重な過去を保存しようとか覚えておこうという意識は皆無ですねえ。人類の遺産である遺跡が、あっさり埋もれてしまうのも納得。 あ、それでも、博物館でよく思うのですが、そのよくわからないけど多く発掘される非日用品について、儀式とか権力誇示とかじゃなく、昔の人でも、マジメばかりじゃなくて、もっと「遊び」があったんじゃないかと。全部が儀式でなく、「趣味」とか、「おみやげ」とか、「子供の遊び」「恋人に告白するときに贈る(儀式の一種ですね・・)」の理由もアリなんじゃないかなと。でもこれは人文科学でなく、空想の領域ですが・・。
お礼
詳しい方から、面白いお話をありがとうございました!