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満州国元首溥儀

(清朝最後の皇帝を元首とした国。) どういう意味ですか(・・? 全然わかりません。(泣) 教えてください。 用語とか全然しらないんで、 小学生に教えるレベルで教えていただけたらうれしいです。

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 ご質問の内容を2つに分けてご説明させていただきます。 「満州国」とは1932年3月に中国大陸東北部の満州(吉林省・遼寧省・黒竜江省)と呼ばれる地域に建国された日本の傀儡政権のことです。  日中戦争と太平洋戦争を1つの戦争と考える形で「15年戦争」と呼ぶことがありますが、この日中戦争の切っ掛けとなった南満州鉄道爆破事件を柳条湖事件と呼び、関東軍はこれを中国軍の仕業として武力で満州地区を占領し本格的に中国との戦争を始めることとなります。そしてここに関東軍が梃子入れをする形で建国されたのが前出の「満州国」です。見かけとしては独立国の様に見えますが、実態としては中国における日本の出先機関の様な存在です。  そこに「皇帝」とは名ばかりの形で王位に就いたのが溥儀(映画『ラストエンペラー』に登場する人物)です。この皇帝はそれ以前に清朝(夏から殷そして周と続いてきた中国の歴代王朝としては最後の王朝)の最後に僅か3歳で即位した皇帝で、辛亥革命と共にその帝位を去る形となります。満州国皇帝としての溥儀を喩えるならば「リモコンロボット」の様なイメージを思い浮かべれば分かりやすいかと存じます。  これらに関する書物は様々あり学説的に対立している部分も多いので、映画の『ラストエンペラー』や劇団四季の『ミュージカル李香蘭』などを御覧になっては如何でしょうか。  

回答No.2

「清朝」とは1616年に満州人が始めた国で、1644年にそれまで中国を支配していた「明朝」を倒して中国を「占領」しました。その最後の「皇帝」(王様より偉い人。でも仕事は王様と同じ)が溥儀氏(宣統帝)でした。 宣統帝は1906年生まれで、わずか3歳で皇帝になりました。父親が摂政として政治を助けました。 当時の中国は、1894年に日清戦争に負けて日本への賠償金を払ったり、西大后(せいたいこう)という、同治帝の母親のムダ使いもあって貧乏でした。そのため、宣統帝は税金を上げたりしたので民衆が怒り、全国的な暴動が発生しました。清朝はこれを兵隊を送っておさえようとしましたが、その兵隊の親玉の袁世凱という将軍が裏切って、1911年に清朝は滅び(辛亥革命)、中華民国になりました。 1931年、日本は中国東北部(関東州)を関東軍という兵隊で占領し(満州事変)、翌年に満州国という国を勝手に作りました。これは日本の言いなりになる、日本の植民地みたいな国でしたから、外国も「国」とは認めてくれない国でした。そこで、この国の元首を、満州人であり、清朝の元皇帝である溥儀氏を、日本のあやつり人形として「執政」という名前の職につけました。1934年、溥儀氏は満州国皇帝になりました。 「元首」はその国で一番偉い人で、始皇帝の「秦」から清朝までの中国の歴代の国家では「皇帝」がこれに相当します。中華民国では「大総統」で、今の中国では元首は「国家主席」です。アメリカでは「大統領」です。日本の場合、憲法には元首が誰かとは書いてありませんが、「内閣総理大臣」ではなく、天皇陛下が元首に相当するものと考えられています。明治憲法には「天皇は日本の元首」と書いてありましたから、それにならってのことであると思われます。

  • misawajp
  • ベストアンサー率24% (918/3743)
回答No.1

小学生にわかるレベルは 満州国という国が中国北東部にありました その国は、辛亥革命で滅亡した、清国という国の最後の皇帝であった溥儀が元首でした

nozokuma
質問者

補足

その革命は、満州事変の前に起こったことですか(・・? 後ですか(・・?

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