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復辟
中国では清朝最後の皇帝の溥儀を始めとする 溥傑、川島芳子など皇族たちの その後の活動を見ると みんな清朝復辟を目指して動いてますが、 日本では江戸幕府が滅亡して以来、 復辟の動きが無かったのは なぜなんでしょうか?
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徳川家は王朝でもなんでもなく、単なる「征夷大将軍」だったから、でしょうね。 実態がどうであれ、表向きは、征夷大将軍とは、王朝の主である天皇から授かった官職に過ぎません。つまり、天皇によって剥奪されることだってありえる。しかも、最後の征夷大将軍であった徳川慶喜は自ら将軍職を願い出て辞職しています。 なので、筋としては徳川家ができるのは単に「再び徳川家の当主を征夷大将軍に任じてちょうだい」と言うことだけ。でも、その征夷大将軍という官職は王政復古の大号令なるもので1868年に廃止されました。 王朝でもない徳川家が、自ら返上し、その後廃止された職に復帰するために兵を挙げる、そんなことを支持する勢力なんてありませんでした。奥羽列藩同盟が求めたのだって、会津藩・庄内藩の「朝敵」赦免ですしね。彼らにとってすら、日本の正当な王朝は徳川将軍家じゃなかった。
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