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信仰で病が癒される

私は、キリスト教のクリスチャンです。 プロテスタントです。 結論から言いますと、神を信じることによって病が癒されるという奇跡はあるのでしょうか? 私は、ある病を持ってます。 手の多汗症でした。その手の大量の発汗を止めるために、手術をしました(1997年より保険適用が可能になった)。しかし、その発汗が止まったのは良いのですが、その代償として、お腹、お尻、背中から、大量の発汗がでるようになりました。(医療用語で代償性発汗という) 医師からは、代償性発汗についての説明は、あまりありませんでした。 それは、おいておいて、私はこの代償性発汗のため、夏の社会生活は困難になっております。 このような体験をしている人は、日本に数多くいます。 中には、自殺した人も多数います。あるところでは訴訟にもなっています。 この手術は、不可逆的なものなので、元に戻りません。 その後私は、何かを求めていたのでしょう、キリスト教の門をくぐったのです。 私は、唯一の神がイエス・キリストであり、イエスは多くの病を持った人を癒し また、多くの奇跡を起こしたお方だと信じております。 私はどうしても、目にこそ見えないキリストを信じることにより、この病が癒されれば と切に願っています。 キリスト信仰において、このような病が癒されるという奇跡は起こるのでしょうか? 私は、もはや、キリスト信仰しかありません。 しかし、現実、この代償性発汗は尋常じゃないほどつらいのです。 どうか、ぜひ、コメント願います。

みんなの回答

  • under12
  • ベストアンサー率12% (202/1670)
回答No.3

質問者の精神状態は、何らかのモノにすがって依存しているだけで、キリスト教かどうかは 正直関係ないでしょう。また、宗教とは生きる活力を得るためのものといえますが、今のままでは 依存して目を背けているだけでしかありません。どうしてもキリスト教に依存するならば、そちらの神父か 関係者に尋ねるべきです。少なくとも、人としての生き様は正しいとは言えません。 その癒しは逃避に過ぎませんから。

noname#139595
質問者

お礼

ご意見、ありがとうございます。 確かに、どの宗教でもよかったのかもしれません。 たまたま、それがキリスト教であっただけのことかもしれません。

noname#177363
noname#177363
回答No.2

キリスト教の歴史の中で、信仰によって病が癒された奇跡というのは数多くあるかと思います。ルルドの泉などは代表的な例です。しかしそれは、医学的・科学的に証明されているものではありません。むしろ医学的・科学的には「あり得ない話」でしょう。 でも、現代の科学が絶対なわけではありません。まだ科学で解き明かされていない謎の方が多いかもしれません。 日本の言葉に「病は気から」という言葉もあります。 質問者さんの病気が、そういうことわざに当てはまるのかどうかはわかりませんが、一部の病気は気の持ちようでずいぶんと経過が変わってきます。 なので、病気をしたから何かを信仰するというのは、特に珍しいことでもおかしなことでもなく、それでご本人の気持ちが癒されるのなら結構なことだと思います。 ただ、気になったのが「目にこそ見えないキリストを信じることにより、この病が癒されれば と切に願っています」という話です。これってとても日本的で、「困った時の神頼み」という風に聞こえなくもないですね。 日本人は「現世御利益」と言って、宗教に対してすぐに「結果」を求める傾向があります。しかしキリスト教には(他の多くの宗教も)、そういう発想はないはずです。ただひたすらに信仰して、結果病気が治るかもしれないです。治らないとしても、それは「神が与えたもうた試練」というのが、キリスト教の考え方ではないかと思います。 あと一つ気になったのは、信者の悩みに付け込んで、何かを買わせたり高額なお布施を求めるような団体には気を付けましょう。プロテスタントと書かれているので大丈夫だとは思いますが、老婆心まで…。

noname#139595
質問者

お礼

ご意見、まことにありがとうございます。 「目にこそ見えないキリストを信じることにより、この病が癒されれば と切に願っています」という話です。これってとても日本的で、「困った時の神頼み」という風に聞こえなくもないですね。←そうですね、そんな自分もあるかも知れません。

回答No.1

もちろん治ります。 まずは壺をお買い求めください。

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