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前近代における無神論の普及について
- 近代科学の登場により、人類の平均寿命が延び、生活圏が拡大したことによって、従来は宗教に頼らなければ受け入れられ難かった問題が科学的に解決されるようになった。この背景から、死への恐怖心も科学的な解釈によって緩和される可能性が見出されたため、無神論の考え方も広まっている。
- しかし、前近代においても無神論が普及したのかは分かりません。答えがあるかどうかすら分からない疑問ではありますが、前近代においても無神論が存在した可能性は考えられます。
- つまり、前近代においても人々が宗教に頼らずに自己の理性や科学的な知識に基づいて信じることができる価値観を持っていたということは十分にありうると言えます。しかし、具体的なデータや証拠は存在しないため、仮説の範囲を超えることは避けるべきです。
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> そろそろ纏まりそうになっておりますから、 > もし可能ならば締め括りの御教授を賜れますでしょうか 私がこのQ&Aの纏めをするのはおこがましい話です。締め括りはJidousyaGaisyaさんにお願いします。 私の考えの纏めだけを述べたいと思います。 本題の「前近代にも無神論は普及し得たのでしょうか?」という問いに答えるにあたり、無神論は一神教支配への反動として生まれたという経緯があります。「神なんかいるものか」というテーゼは「全能の神」のアンチテーゼです。無神論は積極的に神の存在を排します。 これ以前の考え方に「神がいるかどうかはわからない」という不可知論があるわけで、神がいたっていなくたって何もかわらないという認識が生まれ、絶対普遍の真理なんて考える必要はなく、現実の状態をよくすることにこそ価値があるというプラグマティズムが起きました。この立場では神の存在は問題にしないのです。 本題への私なりの答えは、近代的無神論以前の無神論は孔子がそれにあたると思います。孔子のスタンスは神を排すのではなく神には頼らないというものです。 まず「子、怪力乱神を語らず」とあります。孔子は超自然的存在を否定したわけではないですが、不可解な人知では推し量れないこと、理性では説明できないことがらについては語らなかったということです。さらに「鬼神を敬して之を遠ざく」とあります。孔子の目指すところは良い政治の実施ですが、このために神(=鬼神・超自然力)の威信や脅威を利用するようなことはしていません。鬼神を敬すのは儀礼としてであり、その鬼神を政治や個人の感化に用いはしません。だから私は孔子は不可知論者で、実質的無神論者だと考えているのです。 歴史的事実として古代の東洋社会では宗教は先祖崇拝・自然崇拝といった土俗的なものにすぎず、国家を動かすような力はありませんでした。『救いの「一元神」への尊崇』やら『王権神授説』は一神教に固有のテーマだと思います。「一元神」への尊崇はヘブライ教徒の信仰がジーザスとパウロによって普遍化されて欧州に広まったものであり『王権神授説』は一元神信仰の政治利用です。 孔子が理想としていた君主は堯です。その堯の治世の真骨頂は「鼓腹撃壌 」という言葉に凝縮できます。「有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食帝力何有於我哉(老人がおり、食べ物を口に含み腹つづみをうち、足で地面を踏み鳴らして拍子をとりながら、このように歌っていた、日が昇れば耕作し 日が沈めば休息する 水が飲みたければ井戸を掘って飲み 食べ物を食べたければ田を耕す 帝の力が、どうして私に関わりがあろうか)」 帝は為政者としてのみ存在します。そして、その帝は老人の能天気な歌を聞いて自らの治世に満足します。ここには神はいません。たいへんプラグマティックだと思います。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.9&16です。 §4. 農耕をとおして 時間を知る やがて 時間の獲得に到った。 シャーマニズムによる人工的な歴史時間の獲得ではありません。成り振りかまわず髪を振り乱しおのれの意識を溶かすかのように人格を脱いでしまったあとの究極(?)の思考(?)によって 地球の鼓動にわが身と心を合わせるのではなく そうではなく あたかも初源のアニミズムの自然性をも取り戻してのように しかも新たな心性を 人は獲得したと思われます。 おそらくその前にも 子どもを養い育てるという時間の過程はあったかと思われます。それが 植物の栽培という作業をとおして 実のるというコトが起こった。 農耕をとおして・つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおして・つまりその種蒔きから穫り入れまでの時間の経過をとおして 人間は 自己もほかの誰かれも 時間的に過程する存在であることを知る。 要するに 自分たちは老いるとただ倒れて眠るのではなく死ぬのだという認識を得たということらしい。この死が つまりは生と死ということがからんでいるはずです。 時間的存在であることは ひとの心性を高めて その精神および身体において 歴史知性を獲得したと考えられます。世界へ その時間的存在なる自覚において 入った。 §5. 生と死を知るということ 死ぬ――これは 撓(しな)ふ・しなえるや萎(な)ゆ・なえるとつながっているでしょうか? それとも 漢語の死から 死‐往(い)ぬとして成ったのでしょうか?――ということは さらにそのあとどうなると見るかを別として 一つの節目となるのだと知った。 身罷(まか)る――これは 罷るが 任すのマカと同じ意を持ち 自然の力や流れに身を任せるようにそのままとするの意らしい――そのあとは 別の世界となるようだと知る。どうも 或る時心を決めて 葬った者のその後の状態を見てみると その躯(むくろ)に蛆虫が湧いてたかっていた。これを見て どうも死後については あきらめたらしい。同じ世界ではないのだと。 このように生きている時間が 生まれてから死ぬまでのアヒダ(間)としてのヨ(節・代)であると知る。限られた線分であるのだと知る。 このヨあるいはマ(間)としてのおのれの存在をも自覚し 世界と相い向かいその世界にイリする。 《わたし》という世界の動態を生きる。 §6. イリ歴史知性を獲得した人びと 日本人の思想(生活態度)は このイリなる歴史知性を基礎とすると考えます。 それは オホタタネコを市民の代表とし 市民からの推挙を受けて立った崇神ミマキイリヒコイニヱを市長としたミワ(三輪)市政に始まると思います。(紀元300年ごろ 奈良・三輪山ふもとあたり)。 イリヒコのイリが それであり その社会は《ネコ(スサノヲ市民)‐ヒコ(アマテラス公民)》の連関から成ります。ただし その連関形態の全体として 平屋建てです。アマテラスのイリヒコは 直接にスサノヲなるネコたちに支えられています。ムラオサ(村長)ないし市長であると考えられます。 物語によると 三輪山に祀ったオホモノヌシなる神が 聖霊となって イクタマヨリヒメに生ませたのが オホタタネコだと言います。ある時 疫病が出て困り 市長は このオホタタネコを探し求めたそうです。祟りという認識でしたから 祀れば 世の中は平らかになるだろうというものでした。(この同じ系譜のスサノヲやオホクニヌシの記述には 薬草を求め医療に熱心であったともあります)。 けれども 《ネコ》は 根子で大地の子であり 《ヒコ・ヒメ》は 日子(彦)・日女(姫)で太陽の子です。これは 一人の人における身体(=ネコ)と精神(=ヒコ)とに当てはめられるでしょうし あるいは 市民政府として 市民一般(=ネコ)と市長および公務員(=ヒコ)とに やはり当てはめて捉えてもよいと思います。つまり社会形態としても そのように確立し始めたと考えられます。 つまり この《ネコ‐ヒコ》連関は 基本的に一人の人間において 《身体‐精神》の総合なる存在を表わし また かれ(かのじょ)が 社会的にも 《市民(わたくし)‐公民(おほやけ)》の両要素の連関から成る存在であると主張します。 そしてそのような内容をもって 《イリ(入り)》なる歴史知性の誕生を見たと捉えます。 ミネルワ゛の梟は夕方に飛ぶというように この歴史知性の獲得は 弥生時代に農耕が始まってから進められていたのが やがて古墳時代に生活様式が変わり始めたあたりで――つまりは弥生人のたそがれとともに――成ったと思われます。 * ヨセなるスーパー歴史知性については アマテラス(または言わば統一第一ヒコ)の単独分立・果ては独立自存のことです。端折ってもよろしいかと。
補足
有り難う御座います。 「叙事詩」の様な一元的時間軸の上に出来事を並べずとも、 「連歌」の様に、自然に全体の流れが出来上がっていく、 という事なのでしょうね。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.9です。 ★(No.9お礼欄) ~~~~ 人類の不幸が「天変地異」だけによって引き起こされておらず、 『差別的な「身分制度」』によっても押し付けられ得る、 という事情を踏まえますと、 「心の拠り所」を集団が共有する為に、 『「宗教」やら「科学」やらと違う手段』として、 古代社会の日本人達はどの様な思想を保持していたのでしょうか? ~~~~~~~~~~~~~ ☆ §1.《境地》とも言える《知性》――この視点を視点とします。 『「宗教」やら「科学」やらと違う手段』ということではありますが ここで《知性》という視点は持ち出します。 コギト(思考とその建て物)とクレド(非思考の庭 =自由)とを捉える心の知性です。 前者のコギトは そのまま《科学》に通じます。たとえば実際の建物の技術にもかかわりましょうし あるいは病気を治癒する薬草の開発につながったりします。 後者のクレド――つまり信仰です――からは そこで得られた観想(テオーリア)を教義(テオリ=セオリ)とした組織的な《宗教》が派生した こういう事情が切り結びしています。 §2. 知性の萌えとしての《イリ歴史知性》――あらまし―― 古代日本人の精神史を次のように類型的に捉えます。 -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム 0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界への入り +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも 社会力学上(政治的に)押し並(な)べて 寄せる。 歴史的な順序で ヨリ⇒イリ/→ヨセ の歩みを想定しています。 イリ歴史知性 これが 現代日本人がわたしは無宗教だと言う時のふつうの知性のあり方であって それは有神論も無神論をもわざわざ自分は採りたくないといった心境を表わし得ると見ます。 ただしそのことは ぎゃくに言って 一方で はっきりと神はいますという非思考の庭のあり方を採ることもあれば あるいは他方でやはりはっきりと神は無い(無い神がいます)という信念を導き出すこともあり得ます。 ということは それは 良心・信教の自由にそのまま合致していますから やはり近代市民から現代人に特徴的なふつうの知性であると考えます。 これが 古代日本人が得た哲学です。 §3. ヨリなる原始心性から始まった(!?) 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性をこの宇宙の中で持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間でこういうことが起こったそうです。 一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。 巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。 ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし の体を重ねてみる。 そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。 おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないでしょう。 神体山(かむなびやま)であるとか神木とよばれた樹木 これらにひとが身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えます。その山の石(いはくら)や木が神との交流の依り代になっているということのようです。 人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと考えられます。アニミスムともよびますね。 同じ原始心性として もうひとつ別の形式があり得たようです。 ところがつまり この共通感覚をいいことに そこからは 自分でこの現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。 何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや上のアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となる場合です。 何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて(トランス状態) 何ものかの世界――つまりかみがみのでしょうが――に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。 狩猟・採集・漁労といった自然経済にもとづく生活から その内の採集経済において野生植物の栽培ということが始まった。人間の手によって育てる。実が成るまで時をかけて育て 穫り入れる。この《仕事》としての時間過程とともに ヨリ憑く心性が溶けてゆく。
お礼
言葉との邂逅は、果たして『原始心性由来の「技術」』にどういう影響を与えたのでしょうか?
補足
時間の都合で、 十分な読解が出来ていないのかも知れませんが、 早い返事が望ましいだろう、と思われましたので、 補足欄への入力を試みました。 <<良い香り>>によって、死から死へと至らしめられ得る、 「無神論者集団」の状況と違いまして、 古代の日本人達には、 『東洋医学的な「小宇宙」』との結び付きが有った、 という認識を致しましたが、誤りなのでしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
先輩達の難しいご回答を走り読みしましたが、私にはどうも迂遠で判りづらかった。 わたしは思うに、いつの時代も日々の生活中心原則や現実大切原則はありました。 宗教的信仰、あるいは宗教的にせよ物象を解釈したり考えたりすることを日々の中心にしている人はそれほど多くはなかった時代もずいぶんあると存じます。 宗教からの社会規範や風習が人々を規律するようになってきたのもそれほど昔からではないのではないですか。 一般の庶民の生活や人民の考え、その歴史、そして状況がどの程度、歴史や文字に残っているでしょうか。 いえ投影記録されてきているでしょう。 そういう人たちは所謂る、論としての無神論ではなくても、無論、有神論ではなかったでしょう。 深遠にして高邁な思索や弁証などとは距離があったでしたでしょう。 こういう人は現代の私たち庶民よりも素朴ではあったかもしれないが、無神論とも有神論とも距離があったのでしょう。 現代の無視論も論としての無神論も、生活としての無神論も、そして信条としての無神論もありましょう。 当時も反宗教というのはあったと存じます。働きもしないで難しいことをいったり、人と違う奇人変人や世捨て人を蹴飛ばす態度の人。 そういう意味の無神論はいろんな寓話に出てきますね。 それから禅は一つの宗教で、合理性を無視しないで不可視の世界に修行していますね。だからキリスト教の神ではないが、ある種の自己存在のあり方という意味では広い意味の神を無視してはいないでしょう。 それから儒教の歴史では無神論といえないこともない派もあります。 孔子は、白川新さんの推論ではお父様は先頭をいく肉弾的武士。おかぁさまは巫覡集団の方(まぁおかぁさまも社会的には低いですね。地域に限定されない横断的な職業集団であったそうで、後に孔子たちの全国放浪の利便にも為ったかもしれません)、祈りや葬送のことに関っていたかもしれません。 孔子自身も、幼いときから貧乏であらゆる仕事をしてきたとも述懐しています。 それに全国放浪の途次、二、三日病で臥せたとき、愛弟子の純朴な子路が、『先生、どうか平癒の祈りをさせてください。』と許可をもらいにいきます。 孔子はそっと涙を隠し拭き、いいます。『私が鬼神に祈ることを無用だといってきているのにか。しかし私はずぅっと天に祈り続けてきているのだ。祈りのない生活・人生は卑しいものだ。ひとはうろんな鬼神に祈ることはすべきではないが、天には祈るものだ。人に祈ってもらうものではなく、自分で祈るのだ』というのですね。 こういうことから、孔子が無神論だったということは少し無理かと存じます。(下村湖人の論語物語その他を読んで) 私は禅も孔子も決していうところの無神論ではないと存じます。 当時のインテリやエリートでは無神論は少ないと存じます。中国の権力者の逸話では多少あります。 信長などもそうでしょうが。庶民は無神論も有神論もないというのが実態でしょうか?
お礼
別ページ(http://okwave.jp/qa/q6800988.html)でも御教授を賜れますと、非常に助かります。
補足
有り難う御座います。 『「存在を否定される神」の存在が意識されていなかった』 という事情から類推しますと、 「絶対無」という考え方が当て嵌まるのではないか、 と私は勝手に想像しましたが、 その認識は誤解なのでしょうか? 勿論乍ら仮説でも構いませんから、 御意見を賜れませんでしょうか? 宜しく御願い申し上げます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
獣にとって、無神論もクソもありません。 脳とは、感覚器官(環境)と筋肉(行動)を結ぶ 情報処理機関に過ぎず、実用的な条件反射的な 判断でコト足りたのです。 人間は、そうした条件反射的な判断による固定的 行動パターンではなく、五感の相関した刺激パタ ーンを蓄積し、神経線維のネットワークを構成し、 その網に外界を再構成することで、長期的な予測を 可能にしたり、道具を作れるようになったのです。 しかし、そうした情報を統合した環境認識の発達は、 一方で、知らない事への不安を生みました。 自分の知恵や力の及ばない領域に、第一原因を 求めるようになったのです。 神話によって生きる意味を納得し、祈ることで力の 及ばない事象に作用したつもりで、満足を得たのです。 逆に言うと、「前近代」でも、あまり昔は神の存在は 必要とされなかったでしょう。 ネアンデルタール人の埋葬跡に、花が捧げられて いた数万年前あたりから、宗教的観念は生じたと 思われます。
お礼
http://okwave.jp/qa/q6870895.html 此方にも話題を発展させました。
補足
有り難う御座います。 ネアンデルタール人の登場に興味をそそられました。 でも、畏れ入りますが、拝見しました文脈の中で、 分かり難い箇所もが残っています。 「神話によって生きる意味を納得し、 祈ることで、力の及ばない事象に作用」させる発想には、『「神の存在」への意識』が必要にならなかったのでしょうか?
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
No.1です。 >『御神体を拝む際にも、「無神論」は必要だったのでしょうか?』 御神体とは何でしょうか? 日本の神道に代表される、いわゆる原始宗教では、山、岩、川、更にはあらゆるものに「神が宿る」と云います。 それが性器の形をしたものになり、宗教の発明に伴い、人型をしたものや人型を描いた絵画、あるいは経典等具体的なものとなったと思います。 ある人にとっては触れることすら恐れ多いものでも、別の人にとってはなんでもないものもあるもです。 日本人に限らず、他国に旅行に行き、その国の宗教上大切なものにさわったり、壊したりして問題となっています。 >『御神体を拝む際にも、「無神論」は必要だったのでしょうか?』 答えは「不要」です。 その「御神体」を拝むことを知らなければ、良くて美術品、というところです。 無神論以前に「猫に小判」「豚に真珠」のことわざどおりです。
お礼
http://okwave.jp/qa/q6903532.html http://okwave.jp/qa/q6902708.html 此方の内容にも御詳しいでしょうか?
補足
有り難う御座います。 敢えて私が「御神体」と申し上げました対象物は、 神社に祭られたりしている御神木等のことです。 それの題名を失念しましたが、 或る書籍を読ませて頂いた際に、 『「御本尊」やら「偶像」やらと「御神体」との違い』が強調されていましたので、『「前近代の自然観」と「宗教意識」との違い』の有無につきましての御教授を賜りたい、と願いまして、 私は今回に此の質問を提出させて頂きました。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#11です。 書き忘れましたが、禅は貴方の言う無神論その物じゃないですか。
補足
有り難う御座います。 確かに、『「禅定」の際の「無心」』は、 神仏への認識を必要としないですね。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#7です。 >酷く叱責されている様な印象を受けましたので、「怖い」と思いまして、前回の補足入力を致しました。 それではご要望にお答えしまして、普通の口語体の文語で書くことに致しましょう。寅さん口調で表現するのは親しみの表現でもある筈なのですが、ただ見馴れないと言うだけで違和感から全く逆の受け取られ方をするとは、言葉の複雑さの面白さですね。 >因みに、存在の否定ではなく、否定される神の存在さえをも想定していない、という状態の心情(?)に基づく、「無神論」が成り立ち得るのか否か もう他の方から回答が出ていますが、貴方の言う意味での無神論に近いのは孔子様ですね。もう一つは、昔読んだのではっきりした記憶はありませんが、新井白石の『鬼神論』はやはり孔子的な無神論だったと思います。 さらに江戸時代の石門心学の勇、山片蟠桃の『夢の代』の中の巻之十「無鬼上」では儒学の鬼神論を批判し、巻之十一「無鬼下」では神道を批判し、更にその勢いで、釈迦も耶蘇もマゴメテン(マホメット)も俎上にのせて糞味噌に批判し、孔子や白石の無神論よりもっと徹底させております。 因に、この『夢の代』と、同じく石門心学の学徒鎌田柳泓 (りゆうおう) の『心学奥の桟(かけはし)』では、共にダーウィンより40年近くも前に進化論を唱えていたことで有名です。特に『夢の代』では『心学奥の桟』ではまだ出ていなかった進化のメカニズムとして、自然淘汰の概念まで具体的な事例を示して出ています。
お礼
普及し得たのか否かに、私は注目しています。
補足
すいませんでした。 私の様に、直接的に授業料を支払っていない「愚か者」を、 『「下等生物」の1種』に過ぎない、 と見做されて、駆逐の為に、差別的な意図で、 荒々しい口調を使っていらっしゃったのだろう、 という気が直ぐに致しました。
- woowq
- ベストアンサー率23% (7/30)
#6の返信になります。 >つまり、『信仰の態度の有り方が、望ましい状態へ更新された』 >という見方をすれば宜しいのでしょうか? 私はそのように思っています。 ただ、現状、科学の扱える範囲は宗教の扱う範囲よりも遙かに狭く不完全(例えば来世や精神)です。また、一般に科学は宗教と同一視されていませんので、その先の可能性を信じれる人も少ないでしょうけどね。 ただ、これほどまでに不完全にも関わらず、その一方で宗教にある教えを見事を否定するような立証(分かり易い例だと地動説や進化論など)をしており従来の宗教心の平安を壊していますのでかなり乱暴にも思います。望ましい状態へ更新される過渡期であり仕方がないのかもしれません。 あと、2,3世代先になると人類が何を信じて居るのか実に楽しみですね。 余談ですが、再生医療のような医療技術やロボット技術の加速度的な進歩があれば50年以内には、2,300年は余裕で生きられると言われています(私は勝手に信じて居る)のでここに期待したいと思っています。 参考http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%9A%84%E7%89%B9%E7%95%B0%E7%82%B9
補足
有り難う御座います。 返事が酷く遅くなり、申し訳が御座いませんでした。 因みに、他の方から私への問題定義が有り、 近代科学が成立した西洋文化圏では、周知の通りに、 未だに宗教意識から開放されずに留まっていますね。 そこで、学ばせて頂きたいことが出て参りましたから、 身勝手ながら伺わせて下さい。 つまり、 『人間関係等の社会的な問題が残る限りに於いては、 所謂「一般的な宗教」への依存から、人類は開放され得ないのでしょうか?』という内容が、次の疑問です。 若し可能でしたら、御指導を賜れませんでしょうか?
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 日本古代人は むしろ無神論をいだいていたのではないかという暴論を試みます。 大野晋によると 日本語の《かみ(神)》は文献〔あるいは民俗学等々〕で分かる限りでは 次のような意味を持ったと言います。 ○ かみの原義 ~~~~~ 1. カミは唯一の存在ではなく 多数存在している。 2. カミは何か具体的な姿・形を持っているものではない。 3. カミは漂動・彷徨し ときに来臨して カミガカリ(神憑り)する。 4. カミは それぞれの場所や物・事柄を領有し 支配する働きを持っていた。〔産土(うぶすな)神・山つ霊(み)・海(わた)つ霊〕 5. カミは――雷神・猛獣・妖怪・山などのように――超人的な威力を持つ恐ろしい存在である。 6. カミはいろいろと人格化して現われる。〔明(あき)つ神・現人(あらひと)神〕 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ この(6)の《神の顕現 ないし 人格神》は (3)の《神憑り》――つまりいわゆるアニミズム=すなわち《ものごとにヨリ(憑り)をする》原始心性の――を一段高いところに立って再び採り入れたものと考えられます。それに従えば ほんとうは《見えない》〔つまり(2)〕けれど 仮りに姿を見せたという捉え方および表わし方をおこなった。 つまりすでにこのように問い求めた定義からすれば われらがおや(祖先)たちは 《超自然・非経験》の領域を 何も表わさなかった。つまり強いて言えば《無い神》を立てていた。 古事記の初めには アメノミナカヌシ以下三神が登場しますが これらは《独り神となりまして 身を隠したまひき》とあります。一般に思われているアマテラスオホミカミは もっともっとのちの神です。 どうもこのように――わざと 無神論を見ようと――して来ると 日本人には 《表わさない》=《言挙げせず》という基本線があるのかも知れません。 朝 日向かしの空より昇る真っ赤なおてんとさまを見て あるいは西の山の端に沈みゆく夕焼けをながめて ――あはっ。(ああ! Ah ! Oh ! ) と口をついて出た。そこに 絶対の神を見たのかも知れません。見なかったかも知れません。これが言われている《ものの〈あは〉れ》であり《随神(かんながら)の道》なのだとも思われます。《隠れたる神 Deus absconditus 》。 ▲ (柿本人麻呂 万葉集 巻三・235番) ~~~ おほきみは 神にしませば 天雲の いかづちの上に 廬(いほ)らせるかも ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ という歌には 思想もしくは信仰が現われていると考えます。わたしの解釈では こうです。《世の中の通念は 大君が神であると言う。なるほどそれゆえ 雲の上・雷の丘の上にお住まいである。そうかもね》と。 人麻呂には神について 絶対の概念があったからではないですか。《通念は 絶対の神と 相対の神々の世界とを混同している》と述べていませんか。人麻呂にとっては 神が《目に見えない。しかも心の目にさえ見えない》ことは当然のことだったのでは? (精神論でさえないと)。 (ただし 外(と)つ国へ出かける友に向けては 別れのあいさつを言挙げぞすると言っています)。 もっともカミがまったく姿を現わさないかと言えば 例外の事例があります。ヒトコトヌシ(一言主)のカミが 現実の姿になったところを 雄略ワカタケルは葛城山で見たし 話しをしたと言う。一言主の神は こう名乗ったそうです。 あ(吾)は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言 言離(ことさか・言い放つ)の神 葛城の一言主の大神ぞ (古事記) でも雄略ワカタケルは日本書紀では 同族を暗殺して《大悪天皇》と呼ばれている人物です。そのことを理解するために カミとヒトおよびモノとコトとの位置づけを見ておきます。 ○ (モノとコト e = mc^2 ) ~~~~~ モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主) コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主) ↓ ↓ ↓ 自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ * あるいは次の図式も得られます。 モノの木――――――ねこ(根子)――――――生命の木 日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源) ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまりは 先の(6)のカミは 明つ神もしくは現人神として 《オホモノヌシ=ヒトコトヌシ》なるカミの座に人間が就いたことを意味すると考えられます。 つまりは 神は《無い神》であって あとは仮りの分身なる神々。
お礼
有り難う御座います。 「近代科学が存在し得ない古代社会」の日本人達が、 宗教にも頼らずに天命を受け入れてきた、 という事情の理由がよく分かります。 人類の不幸が「天変地異」だけによって引き起こされておらず、 『差別的な「身分制度」』によっても押し付けられ得る、 という事情を踏まえますと、 「心の拠り所」を集団が共有する為に、 『「宗教」やら「科学」やらと違う手段』として、 古代社会の日本人達はどの様な思想を保持していたのでしょうか?
補足
有り難う御座います。 問題文の主題に直結した回答の纏め方は流石ですね。 是から山桜を「拝ませて」頂くべく外出を致しますので、 時間が足りないものですから、後で追記をさせて下さい。
- tumaritou1
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『前近代にも無神論は普及し得たのでしょうか?』 東洋では可能でした。『死への恐怖心をも科学的な解釈によって緩和させ得る可能性が見出されてきた』 と云う事はもう既にお釈迦様の時代からです。 今日ではもう日本にしか存在し無くなったと鈴木大拙博士が書いていますが、『禅』の中にその痕跡が見られます。禅の要諦は『自身の中の不安を起こしている者を掴む事によって、不安を根こそぎ解消する』と云う事が眼目です。 その根拠を書いてみます。人間には『感情を沸かせている心』と、感情が湧きあがってその感情を言葉にして『感じている心』と二つの意識(心)が存在しています。ですがそのどちらも自分の心です。 この事実が東洋において禅を普及させたり、或は東洋においての『無為自然』或は、『無』と云う事を普遍的な事として、今の世においても信奉している人達も大勢存在すると感じます。 私は無神論ですし、無宗教ですが、過去の体験から書いてみます。 禅に付いては門を叩いては学んだ事は有りませんが、鈴木大拙博士の全集を持っています、その中から学びました。14歳から32歳まで『死に対する恐怖症』が在って、28歳の時に2ヶ月間、入院森田療法を鈴木知準先生の所で受けました。 鈴木知準先生の所で、講話と言う時間に沢山の話を聴かせていただきました、主に悟りを開く事、剣道や柔道などでの、免許皆伝や、道に至ると云う事がらです。その当時は自分のノイローゼと、悟りの関係などは、知る由が在りません。従って先生の話はチンプンカンでした。 先生は『今は分からないだろうが、分かる時が来たら、ぴたりと分かるから、聞いて置く様に。』という言葉から始まっていました。 そうして、時折言っていた言葉があります。『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』と云う事と『ノイローゼの一年は十年座禅をした事と同じ』と云う言葉です。 退院してから、4年後の事、ある体験をしました。それは『自分の意識が、自分の無意識の意識と出会う』という体験です。その日を境に、ノイローゼになった事も治った事もすっかり忘れていました。その日の日記に『無意識にも意識が在った』と書きました。 あれから、もう30年以上経っています。その間に少しは書物も読みました、東洋の『無』とお釈迦様の教えは繋がっていると感じています。仏教は宗教と感じますが、お釈迦様の教えは『心理療法』と感じます。その心理療法という側面を直に伝えているものが『禅』と感じます。 その理由を書いてみます。 人間には『意識が在る』その意識は『感情を湧き上がらせている者』が存在する事によっている。その存在とは『自身の命を働かせている者』と云う事です。自身の命を働かせている者とは、科学的に言うならば『右脳に存在する意識』です。 人間の何気ない日常は、意識と無意識が交替制を取っていて、そのバランスがうまく調和している状態を『健常者』と言っていると感じます。そのバランスが崩れた状態を『病む』と言っています。 人間の意識の根底で『漠然とした不安』が湧き上がる時があります。その状態を意識した場合、その意識した内容を具体的に『症状』と言っていますが、その症状の事を『一切皆苦』と表現しています。 それは『意識性』を人間は問題にしている事を意味します。心に加わっている圧迫は『無意識からの脳梁を通して、伝えられている情報』です。ですが本人には分かりません。何故ならば『意識』は『無意識になった時の自分を知らないからです』 この事が過去の歴史の中で『宗教文化の発展』として、人類が(分からないながらも)後押しをしてきた事になります。 はっきりと言葉にするなら『心の矛盾』を人間は『心の苦しさ』として、感じていた事を意味します。今日では『宗教』はすっかり力を無くしてしまい、その効果である『心の平安』と言うものを提示できなくなっている傾向があります。 替わって心療内科や精神科医の元へ『心の平安を失った』迷える子羊たちが殺到しているように感じます。ですが今の人達は『不安の元の解消ではなくて』妄想として現れている表象のみの除去に追われています。 言い方を替えるなら、妄想の相手をしているように感じます。妄想の原因を相手にしていない、言い方を替えるなら『人間の心が如何して苦しくなるのかを』理解出来ていないにも拘らず、治療が専攻している事に弊害が出ている事を言っています。 闇雲に『薬』が専攻してしまっている現況を嘆いているものの一人です。
補足
有り難う御座います。 現時点で、愚かな私は別の分野の職業に就いていますが、 過去に東洋医学を学んでおりましたので、 「宗教」やら「(近代)科学」やらと違う自然観の存在を模索しており、 『「陰陽五行」の「相生相剋」関係』の中に、 その可能性を見出せまいか、と予想しておりました。 因みに、今では少しずつの変容が有り、 一部で西洋医学と東洋医学との越境が試みられつつある様ですが、 『「視覚・聴覚による分析が最優先される基本姿勢」の弱点』が、 未だに西洋医学分野で見直されていませんので、 両医学の将来的な歩み寄りの可否が、個人的にも「気になって」おりました。 そこで、御忙しい中へ勝手に御邪魔を致しまして畏れ入りますが、 追加の質問をさせて下さい。 『要素還元論的な「西洋医学」への依存症もが信仰に属している』 という考え方は誤りなのでしょうか? 尚、御礼の気持ちを添えまして、 下記のページを御紹介させて頂きます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E4%BE%BF http://tetsushiratori.web.infoseek.co.jp/pg23.html 御存知でいらっしゃるのかも知れませんが、 「故・甲田光雄医学博士」に関しましてのページです。
お礼
http://okwave.jp/qa/q6755450.html もし可能でしたら、此方への御教授をも賜れますと、助かります。
補足
親切な御指導を提供して下さいまして、 誠に有り難う御座います。 存在の否定による『「相対」的な無』ではなく、 否定対象の存在の可能性さえもが認識されていない、 という『「絶対」的な無』に関わっているのですね。 非常に良く分かりました。 又何かの機会が御座いました際にも、 もし宜しければ、再度の御教授を賜れますと、幸いです。