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完全な無神論っておかしいですか?
もちろん今現在の科学が全てを解明してるとは思いません。 しかし、今私たちの意識を支えている脳髄が物理的に消滅した後も何らかの形で意識が継続するとしたら、それは全く私たちが現在の科学知識で知っている、認識できるものとは別の形だと思うのですが。 それを通俗な道徳観念から推し測って、あげくがそれに基づいてあげくが殺しあう、2CH風に言えばアホか馬鹿かと小一時間説教したいところなんですが。 反論を心からお願いします。 死後が完全な無って望む人はいないと思うので
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知っている知を全部として、霊性を大事にしないとも。 知識が多くて、小賢いけど熱いものがないというのか。 哲学の合理論や唯物論などそれも信じるものにしかすぎないとか。 宗教は哲学であったり、習慣であったり、霊性であったりするかもしれません。 倫理など今まで気づいたものを否定して、一からつくるなんて大変ではあります。 私は宗教学は知らないものの。
- Key_A
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戦争の原因の一つに宗教の相違があるのは確かですが、大概は 金銭というもっと現実的な事が絡むんですけどね。 まあ、神仏というと実生活からかけ離れたものと認識しがちだが、 思想・哲学の源流になっているのが宗教なのです。生き様によっては 無神論のつもりでも、実はそうではなかった場合も結構ありますねw 一般的な科学というのは、目に見える現象を解き明かしてきたモノなので、 死後に関して言えば、科学では解明しようもない。そういう意味では、 無神論者こそが、「死後は完全な無」と考えるのではなかろうか。 科学と宗教(まともな)で共通しているのは、因果を明確にしようと する姿勢です。ここで言う因果は、単純に原因と結果だと考えてください。 宇宙は神が創ったという一神教、死後に極楽浄土があると語る浄土宗、 まあ、このあたりはツッコミどころが満載ですが、結局は質問文においても、 霊魂、生命(?)をどう捉えるかということではなかろうか。 また、言葉遊びになるかもしれないが、無神論を信じるというのも ある種の信仰になるかもしれませんな。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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死後が完全な無だとあきらめようとしている人は多いよ。 それが自らの知性の限界だからだろう。 このカテゴリーの名物女、人の道嬢は、俺はそうだろうと、半信半疑に自らの限界を自覚する、どうか、それが真実だと証明してくれ。 こうした懇願を、勇ましい自己主張の形でしている。 意見主張と言われて本人は困っているが、質問ではなく懇願だと思えば笑える。 成立している。 俺の代わりに、死を(あきらめ)確認してくださいと言ってるんだ。 こういう輩は、自ら死ぬことにあきらめたい人と言うな。 死を望むほど絶望してみたい人は死後が無い事を望むだろう。 君の質問趣旨だと、死について検討するよりも、自らが何を望みだと考えてみると良いだろう。 自らの望みは人に教えてもらう事じゃない。 これが最高だ。 金持ちは尊敬を集める。 これは教えられて、中途半端に欲望を抱く事で、自らから発する望みではない。
- titelist1
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一神教の神を神だと思っているのでしょうか。天地創造の神などいる訳がありません。科学知識を説明するものが神ではありません。死後にあの世があるとも思っていません。 それでも私は感謝の念があるので神様を信じています。感謝の念とは子供の頃に命を助けられたからです。私の神様は多神教の神様です。仏様と神様が混じった先祖のような存在です。だから元々は人間であったのです。毎日やっていることは自宅の神棚のお水を替えることです。ただそれだけで余計な費用はかかりません。 心の中に神仏がいると物事に動揺しなくなります。合格祈願や戦勝祈願をする気持ちと同じです。貴方がそのような気持ちになるまで無理に神様を望むこともありません。完全な無神論と言っておられますが、宗教に対する反撥心があるのでしょう。多くのお金が必要な宗教は偽物です。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ★ 完全な無神論っておかしいですか? ☆ こと神にかんしては どう思いどう考えるか? と問うても 答えようがない。これが 投稿する回答です。 つまり人びとはほとんどみなが 無神論が・あるいは有神論が おかしいか おかしくないか それでよいか よくないかと考えをめぐらし まるで人間がその能力と努力とで知ることができ決めることが出来ると思っている。――これが おかしい。 そういうことではないでしょうか。 神について知ることが出来たなら その知るという範囲にかんする限りで その神のことを人間は承知していると言ったことになる。神にかんしてたとえその一部分だけだとしても 人間が認識できたことになる。 だったらその認識できて知っている範囲内は 神ではない。はずなのです。神と呼んでいるところの人間の知識のことです。あるいは 想像ですかね。 つまり結論として 人間にそのことが分かる神というのは 神ではない。これです。 言いかえると 人びとが論じている神は 人間の知識としての神 想像の産物としての神 あるいはつまり観念の神です。そんなものは いくつでも作ることが出来ます。ちゃんちゃらおかしい。こちらのほうが おかしい。ということになりますまいか。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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誰だって宇宙や他の界(あるとして)のどこかに神がいて鎮座しているなんて思わないでしょう。 そして誰だって一切の事が必ず物、物質で終始しているとも思わないでしょう。 だからといってそこに神を持ってくるかどうかはまた結論は出せないでしょう。 物質、物質界の前後がどうだとかこうだとかを立証的に論述もできないでしょう。 そういう前後の界の有無についても。 しかし物質たるものがどのようにして現れているかも物質の事だけでは語れないでしょう。 存在ということも。 だから完全な無神論とは存立が不可能でしょう。 神をどう観念するかの問題でもありましょうが。
- 雪中庵(@psytex)
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自己の肉体の有限を超えるのは、神(死後の世界)で なくとも、愛(他我)による他の喜びを自らの喜びと する=より深い社会生命的自覚による自律的社会行動 =助け合いとしての労働=生きる事自体による喜びに おいて、来世ではなく現世において救済され得るのだ。
- 177019
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「科学が全てを解明しているとは思いません」、科学では解明出来ないから「宗教」なのです。もっと次元を下げてお話しますと、私の実家は昔からのお念仏の家です。「人は死んだら地獄か極楽に行く、又閻魔様がいて・・」と母親から聞かされました。しかし、世の中死んで生き帰ってきた人間は誰もいません。これはお念仏の開祖が一般の人々が仏教に親しみやすいように作った架空の物語なのです。またお釈迦様の教えを勝手に自分達で変えて、「一般の我々は何にも仏教の事は分からなくても良い、修行もしなくても良い、」として広めたのが今のお念仏です。これは今の言葉で言えば「洗脳」だと思います。本来の信徒の姿は僧侶と共に修行する事なのです。だから今の若者は、結婚式は教会で七五三は神社で葬式はお寺でと、これでは風邪の注射もガンの注射も皆同じになってしまいます。これこそアホか馬鹿かですね。先ほどの回答者も言いましたが、死後は無の世界です。ただ臨終の時にその人の死相が悪い者は地獄に堕ちた証拠であり、良い者は成仏した証拠であると断じられています。
- hekiyu
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"死後が完全な無って望む人はいないと思うので" ↑ だからこそ、人間は神を創り、霊魂を創り出した のです。 人間に神がいるのなら、動植物にだって、ウイルス にだって神がいるはずです。 人間だけは特別、なんてのは傲慢に過ぎる考え方です。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
何も信じられないというのはどこかおかしいが、自分にはわからんないが、何かが根源的に存在するだろうと思えば、それは無神論ではないはずです。つまり神とは何かがわからなくても、それは神に相当するものだろうということです。またそれはいわゆる科学的思考とも関係がないと思います。
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