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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宗教の本質 十ヶ条)

宗教の本質 十ヶ条

このQ&Aのポイント
  • 宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれ、どのような原始社会においても発生している。
  • 宗教は全世界に隈なく分布しており、数千とも数万とも数百万とも言われている。
  • 宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されており、これを備えない宗教は存在しない。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

 前回の質問に引き続きよろしくお願いします。ただ、「宗教の本質十カ条」と言うことなのですが、本質と言うのは「必要最低限の構成要素」であると考えています。それを踏まえて、私の宗教十カ条を提示していきたいと思います。 1.宗教の発生  現在の人類進化学では、人類発生と共に宗教が生まれたとはいえません。人類進化の過程において複数の人類が誕生していますが、その中で宗教を持ち得た可能性を確認できるのはネアンデルタール人までです。しかし、ネアンデルタール人が宗教を持っていたことの決定的な証拠は、未だ見つかっていません。ですから、あくまで可能性という事でいえばネアンデルタール人以降と言うことになります。  ですから、宗教発生には「現生人類の約70%程の前頭葉の発達」が必要であるといえます。 2.宗教の数  ここは、同意権です。進化論学者リチャード・ドキーンス氏は「宗教は人々に広がっていきやすいミーム」という説を提唱しています。この宗教的ミームの特徴は必ずまったく同じであるということがないとも言っていますので、世界の人口分だけ宗教が存在するということも可能だと考えます。 3.宗教を構成するもの  これこそが「本質」と言う事に最も相応しい設問でしょう。しかし、宗教の中には「神」「天国」「地獄」の概念が存在しない宗教や、神がいても信仰されない宗教もあります。(前回の質問の中をお読みください)ですから、神、天国、地獄は、「宗教」と呼ばれる概念には必ずしも必要としないわけです。  では必ず必要な最低限の構成要素を挙げますと、二つです。ひとつは「人間の認知機能」です。先の質問で述べさせていただきましたが、簡単に言えば人間は宗教的なものを感じるように出来ているということです。しかし、これだけでは足りません。もうひとつは、その認知機能の「対象」となるものです。  つまり、宗教を構成する最低限の要素は「人間の認知機能」と「その対象」これが全ての宗教に共通して存在する、構成要素と考えます。 4.宗教の宇宙観  宗教とて「人間の認知機能」の表象ですから、それとて人間の認知機能の限界がそのまま宗教の宇宙観の限界と云うことも出来ますね。 5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教  これ、「宗教の本質」についての設問ではなく、「宗教の一側面」を示すものですね。本質を問う項目として私は削除できます。  ただ、宗教にもこのような側面はあります。。しかし、この問題を考えるときに「防衛機制」と言うことを考える必要があります。フロイトの娘、アンナ・フロイトが提唱した理論ですが「不安等の動機によって行われる自我の再適応」を指すのですが、悩みや苦しみからの逃避は私達は日常いたるところで行なっている行為であり、もちろんこういった側面を持っている宗教も存在しますが、これは人間そのものの特徴とも位置づけられます。 >>このことについてレーニンは「宗教はアヘンである」と言いました。  レーニンではなくマルクスではないですか。レーニンは「毒酒」ですよね。しかも、マルクスにとっての対象としたのは「ロシア正教」であり、後に以外の宗教に拡大解釈されるようになったに過ぎません。 6.儀式としての宗教  「死の儀礼」に関しては「死体をどのように扱うか」と言うことのほうが、重要であるように思います。死の儀礼はこの死体の処理の仕方を具体的に示すものです。  そして、「死」そのものや「死者との付き合い方は」その「死体」の延長にあると考えています。もうひとつ付け加えるなら、「死体」は人に宗教的感情、または推論を起こさせやすい「対象」であるということはいえるでしょう。 7.統治の道具としての宗教  ここでは宗教を統治の道具として捉えておられますが、これも「宗教の一側面」であり本質的な部分ではありません。こういった説明は人類学では機能主義といわれますが、機能主義に関しては「全然秩序維持とは関係ない宗教的規定」についての説明は無視される傾向にあります。この設問は「この社会において宗教がどのような役割を果たすか」ということには有効ですが、「宗教の本質」には相当しない設問です。 8.利益追求としての宗教  この設問も宗教のもっている一側面であって、本質にはならないように考えます。宗教が全てお金を必要とするということはありません。 9、宗教の未来  人間は宗教的なものを感じるように出来てますから、まだ宗教はなくならないでしょうね。 10.宗教の次に来るもの  次という時間軸が良く分かりませんが、新しい宗教もまだまだ生まれるでしょうね。 だらだら書き連ねましたが、「本質」の検討であるならば、最初の四項目くらいで充分ではないでしょうか?それ以外の設問は「本質」ということでは蛇足だと思いますよ。  合掌 南無阿弥陀仏

g3452sgp
質問者

お礼

>1.宗教の発生 ・・・・  ですから、宗教発生には「現生人類の約70%程の前頭葉の発達」が必要であるといえます。 人類は猿から進化したわけですが、いつまでが猿でありいつから人類なのかといった明確な境界線は引けませんし、そのようなことはここでの論点ではありません。 なのでここでは数百万年前の原人の時代にまで遡る必要はなく、およそ人間の文化が歴史的に認められるようになった時期(おそらくは数千~数万年前)をもって”人類の誕生”とします。 ここでの論点は宗教は人類の誕生とほぼ同時期に、そして地球上のどの場所でも例外なく発生した、つまり宗教は人類の誕生と共に自然発生したという事実です。 >2.宗教の数  ・・・・「宗教は人々に広がっていきやすいミーム」・・・・ どの宗教も常に改変され分化を繰り返します。宗教が無数にあるのはこのためです。 真の哲学や理念をもたないものはこのように不定となる運命にあるのです。 このように宗教が無数に増殖するのは、不定なる宗教の本質から来るのである。 宗教はもともとセレモニー、つまり儀式であり、哲学や理念をもつものではありません。 従って必然的に不定なる道を辿る運命にあるのです。 >3.宗教を構成するもの  ・・・・  つまり、宗教を構成する最低限の要素は「人間の認知機能」と「その対象」これが全ての宗教に共通して存在する、構成要素と考えます。 もし宗教を構成する最低限の要素を単に「人間の認知機能」と「その対象」であるとすると、1+1=2を含めあらゆる認識と学習の全て、物理、化学、数学、社会学、経済学、建築学、音楽、・・・・つまり人間が学ぶことの全てが宗教となります。 つまり人間の活動は全て宗教ということになり、宗教以外は人間の感知するものではありません言っていることに等しいのではないですか。 これは全く意味のない主張であり、全く受け入れられるものではありません。 4.宗教の宇宙観  宗教とて「人間の認知機能」の表象ですから、それとて人間の認知機能の限界がそのまま宗教の宇宙観の限界と云うことも出来ますね。 人間の認知機能の限界は有限なるものとは限りません。 実際この宇宙は無限の海の中に浸っています。 宇宙の中のありとあらゆるものが無限の連続の中にあるのです。 一滴の水滴の中にさえ既に無限は有ります。 この無限という普遍的概念を認識しない、もしくは受け入れない宗教は極めて特殊な制約されたものといえます。 >5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教  これ、「宗教の本質」についての設問ではなく、「宗教の一側面」を示すものですね。  ・・・・  レーニンではなくマルクスではないですか。レーニンは「毒酒」ですよね。・・・・ 100ある宗教のうち99までが悩み、苦しみからの逃避手段として利用されたとしても、それは宗教の本質ではないといえるだろうか。 因果の法則は物事の結果には全て原因があると説きます。宗教がこのような働きをするのであればそれはその本質から来るものなのです。 マルクスにせよ、レーニンにせよ「宗教はアヘンである」と考えていたのは間違いのないことです。 ただしここで知るべきは悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教はあくまでも一時的なものであるということです。 アヘンの効果は一時的です。永続はしません。アヘンに陥る人はここを忘れているのです。宗教も同様です。 目が醒めると以前より更なる悩み、苦しみが待ち受けることになるのです。 >6.儀式としての宗教  「死の儀礼」に関しては「死体をどのように扱うか」と言うことのほうが、重要であるように思います。・・・・ 死について特別な儀式は必要ありません。単純明快なるもの、直葬がよいのです。 そのほうが人々は死について悩む必要はなく、余程きれいさっぱりと死んで行くことができるのです。 >7.統治の道具としての宗教  ここでは宗教を統治の道具として捉えておられますが、これも「宗教の一側面」であり本質的な部分ではありません。こういった説明は人類学では機能主義といわれますが、機能主義に関しては「全然秩序維持とは関係ない宗教的規定」についての説明は無視される傾向にあります。この設問は「この社会において宗教がどのような役割を果たすか」ということには有効ですが、「宗教の本質」には相当しない設問です。 100ある宗教のうち99までが統治の道具として利用されたとしても、それは宗教の本質ではないといえるだろうか。 現に今の日本では宗教が政治の表舞台に躍り出て、宗教団体が政党を作り、堂々と政治活動を行っています。 またこのような宗教団体は宗教法人法の基で国の手により手厚く保護されているのです。

g3452sgp
質問者

補足

(順番が前後します。すみません) >8.利益追求としての宗教  この設問も宗教のもっている一側面であって、本質にはならないように考えます。宗教が全てお金を必要とするということはありません。 世にある宗教の多くは肥大化することを第一目標にしており、このため、   信者集め → 高額なお布施料、葬儀料 → 巨大神殿建造 → 国政参加  と邁進するものです。 >9、宗教の未来  人間は宗教的なものを感じるように出来てますから、まだ宗教はなくならないでしょうね。 理念や哲学を持たない宗教は儀式に頼る以外ないが、儀式や統治の道具としての宗教は力を失いました。 外国のことははっきりしたことは言えないが、少なくともこの日本において宗教は確実に死に絶えています。 これは近代科学、近代文明が発達した結果として起こる自然な結末なのです。 それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に薄れてきました。 つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。 >10.宗教の次に来るもの  次という時間軸が良く分かりませんが、新しい宗教もまだまだ生まれるでしょうね。 つまるところ宗教も人類文明の一時期に起こったトレンドにすぎなかったことがそのうち分かるのです。  

その他の回答 (9)

  • ma3zu
  • ベストアンサー率27% (285/1036)
回答No.10

完成させねばならないわりには 自身の意見を曲げることがない つまり十ヶ条は完成しているのでは?

g3452sgp
質問者

お礼

物事を完成させるには検証が必要です。 十カ条を検証するには一度これを宗教のるつぼの中に浸し持ちこたえるか見なければなりません。 もし十ヶ条が間違っていれば宗教のるつぼの中で溶けて無くなるに違いない。 もし十ヶ条が正しければ宗教のるつぼの中に浸せば浸すほどますます輝きを増し、最後には黄金の光を放つのです。  

回答No.9

たびたび失礼いたします。 >>浄土真宗のお坊さんがGaramond系の細いセリフ書体とかMyriad系のサンセリフ書体、あるいはiPadやiPhoneの話を持ち出すとは意外でした。 >>ほんとに世の中変わったんだな~、と思いました。  こういったイメージは一体いつ頃からあるんですかね。   >>一つには現在の宗教界の荒れ果てた姿です。 >>仏教界は文化財保護と宗教歩人法を盾に、布施料、戒名料の要求ばかりしか考えず、これを仏教界にのみ認可された独占業務であると勘違いしているという状態にあります。 >>要するに宗教をビジネスとしか考えていないのです。 私もそんな中にどっぷり浸かった人間ですから、否定するつもりもありません。まぁ、否定した所でその悪名が払拭されるとも思いませんし、その悪名を背負って坊さんやるのもまた一興ですよ。 >>2つ目は、歴史を振り返ったときに見えてくる宗教界の姿です。 >>キリスト教に支配された長い長い中世ヨーロッパの暗黒時代。 >>日本でも仏教界が権力を握った時代がありました。 >>信長の時代、比叡山が権力闘争に明け暮れていた時代、そいて焼き討ちの裁き。  ここでは、「十字軍の遠征」等の宗教戦争や、教団内部の権力闘争についてお考えをお持ちのようですね。  宗教戦争について考えるとき、「宗教戦争は政治経済的な要因をもって起こるもので、宗教は無罪である」と言うことをおっしゃる方がいらっしゃいますが、私は宗教が無罪であるとは考えていません。しかし、宗教のみが原因でないことも確かです。  例えば、「ポソ宗教戦争」という戦争がしばらく前にネット上で話題になりました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%BD%E5%AE%97%E6%95%99%E6%88%A6%E4%BA%89  これは、地域のイスラム教徒とキリスト教との抗争が原因と言われていますが、「あの戦争でいったい誰が得をするのでしょうか?」。拓殖大の研究チームの現地調査によれば、戦争解決のためには巨額な政府予算が組まれます。治安対策予算は半年後ごとに数十億ルピア規模の予算が半年ごとに組まれていましたが、この予算を延長をするかしないかを検討する時期になると、まるで計ったかのように爆破事件がおきるのです。また、非難民への援助予算もすでに約1600億ルピア(約18億円)の予算が組まれ支出されているが、このうち約1000億ルピアが役人や地元有力者のものとなり、避難民には渡ってはいないといいます。このようなことより、この戦争は外部の者の先導や工作が原因とも考えられます。 詳しくはこちらで http://blog.livedoor.jp/osinoue/archives/50190317.html# はたして、「宗教戦争」の原因は何なんでしょうね。 >>3つ目は身近にみる宗教オタクたちの哀れな末路であります >>この乱世の世の中最後に信じるべきは宗教ではなく自分自身であるということを悟る姿です。  私にしてみれば、こんなにいい加減な自分自身なんてあんまり信じられませんけどね。しかし、だからこそ学び続けているのかもしれませんがね。 >>ここで宗教の本質について考える理由について述べなければなりません。 理由は分かりましたが、だからといって「本質」の意味を捻じ曲げる必要はないのではないでしょうか。本質は本質で考えるとして、この理由から考えるならば前半の設問を削除して「宗教界腐敗の○○カ条」とすれば、私も異論を挟むつもりはありませんよ。    読み返すと何が言いたいのかよく分かりませんね。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛

g3452sgp
質問者

お礼

  せっかくご自身の十ヶ条を用意し誠意をもって回答して頂いたのに、水を差すような事ばかり言ってしまい誠に申し訳ないと感じております。 ただ私には「宗教の本質 十ヶ条」を完成させなければならない使命があるのです。 ここまで来たら「宗教の本質 十ヶ条」を何としても完成させなければならないと思っています。 そのことを勘案して下さい。  

  • ma3zu
  • ベストアンサー率27% (285/1036)
回答No.8

>神道における天国、地獄は高天原です で神、天国、地獄の3つから構成されているとはならないのでは。。? やはり生、死となる気がしてなりません

g3452sgp
質問者

お礼

古事記には高天原の様子について詳しくは書かれていません。 しかし神道では、善人も悪人も死んだ後はみな八百万の神々のもと高天原へ行くことになります。 高天原は八百万の神々の住む場所であり、この中に天国もあれば地獄もあるのです。 つまり人は死んだあと善人は高天原の極楽域にて、悪人は高天原の地獄域にてそれぞれ善悪応報の裁きを受けることになるというわけです。  

回答No.7

 再び失礼します。 >>なのでここでは数百万年前の原人の時代にまで遡る必要はなく、およそ人間の文化が歴史的に認められるようになった時期(おそらくは数千~数万年前)をもって”人類の誕生”とします。  なるほど、人類の誕生をそのように定義していらっしゃるんですね。  確かに進化論学的にも「現生人類」という言葉も、おおきく二つに分かれています。一つは「解剖学的な現生人類」、もう一つは「現代人的行動を具えた現生人類」ということです。前者は1987年に行なわれたミトコンドリアDNAの解析によって20万年前頃に現れたと言うことで落ち着いています。後者は20世紀末までは5~4万年前に一遍に現れたと言われていましたが、これはヨーロッパ的な差別観より生まれた説と言われています。これについては、考古学者サリー・マクブレアティ氏とアリソン・ブルックス氏は現代人的な行動は一遍に現れたものではなく時間的に幅をもって現れたとして、14万年~10万年頃に現代人的行動を具えた現生人類となったと言われます。私もこのような説により、「宗教的心情」や「呪術」といった宗教の前段階から脱した、現代的な「宗教」と呼べるものはこの頃に成立したのではないかと考えています。ただ、私にしてみれば「宗教的心情」をもった時点で「宗教」という定義で考えていますのでもっと前の段階に興味がありますが、g3452sgpさんはその辺は興味お持ちでないようなのでこの辺にしておきましょう。  ただg3452sgpさんの、数千数~数万年前が人類の誕生としていらっしゃるのは、どのようなことを論拠としていらっしゃるのでしょうか?? >>ここでの論点は宗教は人類の誕生とほぼ同時期に、そして地球上のどの場所でも例外なく発生した、つまり宗教は人類の誕生と共に自然発生したという事実です。  つまりここで言う人類の誕生とほぼ同時に宗教が発生したと言うのは「人類の文化が歴史的に認められる時とほぼ同時に宗教は誕生した」と言うことですね。 >>1+1=2を含めあらゆる認識と学習の全て、物理、化学、数学、社会学、経済学、建築学、音楽、・・・・つまり人間が学ぶことの全てが宗教となります。  これは誤解です。人間の認知機能は物理学専用、化学専用、数学専用等々に分かれているわけではなく、全ては複合的に組み合わせによって認知しています。つまり、宗教だけが特別な認知機能から生まれているわけではないということです。だから、宗教も他のものと同様に「人間の認知機能」と「その対象」の表象であるということです。 >>100ある宗教のうち99までが悩み、苦しみからの逃避手段として利用されたとしても、それは宗教の本質ではないといえるだろうか。 >>100ある宗教のうち99までが統治の道具として利用されたとしても、それは宗教の本質ではないといえるだろうか。  「書体」の本質は「支配」ですか??  『ヘルベチカ ~世界を魅了する書』の中でマイケル・ビェルート氏は「何か1つ書体を選び、継続的に使用することで、そこに支配力が生まれる」と述べておられます。  例えば、アップル社はGaramond系の細いセリフ書体を使っていましたが、現在はMyriad系のサンセリフ書体に変わっています。それから、この書体を前面に打ち出してブランドイメージを確立し、現在のようにiPadやiPhoneなどの商品を爆発的人気を世に送り出している。この書体を変えると言う転機が、今のアップル社の人気を作り出したともいえます。だからこそ、企業やブランドは自社のロゴマークなどの「書体」を考えるのに時間を割くのです。このように、書体は人間を支配できるわけです。  100ある書体のうち99までが、人を支配するために利用されたとしても、それは書体の本質ではないのだろうか??  私に言わせれば違うのですが、g3452sgpさんいかがですか?? >>世にある宗教の多くは肥大化することを第一目標にしており、このため、 >>信者集め → 高額なお布施料、葬儀料 → 巨大神殿建造 → 国政参加  >>と邁進するものです。  これは、いわゆる「世界宗教」の持ち得る特徴ではないでしょうかね。まず、目標を「肥大化すること」をおいていらっしゃいますが、「民族宗教」はこのような特徴には当てはまりませんよ。特に「民族宗教」の特徴としては信徒の範囲が特定の民族・地域に限定されていて、それ以上広がり続けると言う特徴は有していません。より範囲を狭めれば「部族宗教」と呼ばれ、その部族から外に伝播することはありません。世界的歴史で見れば民族宗教・部族宗教もかなりの数になりますよ。  文字数がなくなってまいりましたのでこの辺で。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。  合掌 南無阿弥陀仏

g3452sgp
質問者

お礼

ここで宗教の本質について考える理由について述べなければなりません。 一つには現在の宗教界の荒れ果てた姿です。 これについては衆目の知るところであります。 仏教界は文化財保護と宗教歩人法を盾に、布施料、戒名料の要求ばかりしか考えず、これを仏教界にのみ認可された独占業務であると勘違いしているという状態にあります。 要するに宗教をビジネスとしか考えていないのです。 2つ目は、歴史を振り返ったときに見えてくる宗教界の姿です。 キリスト教に支配された長い長い中世ヨーロッパの暗黒時代。 日本でも仏教界が権力を握った時代がありました。 信長の時代、比叡山が権力闘争に明け暮れていた時代、そいて焼き討ちの裁き。 3つ目は身近にみる宗教オタクたちの哀れな末路であります この乱世の世の中最後に信じるべきは宗教ではなく自分自身であるということを悟る姿です。

g3452sgp
質問者

補足

  浄土真宗のお坊さんがGaramond系の細いセリフ書体とかMyriad系のサンセリフ書体、あるいはiPadやiPhoneの話を持ち出すとは意外でした。 ほんとに世の中変わったんだな~、と思いました。    

  • ctaka88
  • ベストアンサー率69% (308/442)
回答No.6

>神道における天国、地獄は高天原です。 >高天原の中に天国、地獄があり、人は死ねば高天原に行くのです。 古事記を全く読んだことがないのでしょうか。 人が死ぬと高天原に行くなどとは、少なくとも古事記には書いてないですね。 古事記には死ぬと「黄泉」に行く(イザナギ、イザナミ)とは書いてありますが、 イザナミは神であり、何らかの悪行をしたとは読めないですから、 黄泉は明らかに罰としての地獄とは違いますね。

g3452sgp
質問者

お礼

古事記において高天原とは天上の世界、神々の宿る場所であり、イザナギの神、イザナミの神のふるさとです。 従って、人は死んで天に昇り神さまのいる世界へ行くというのであれば、そこは高天原以外にはないでしょう。  

回答No.5

宗教の10ヶ条って何ですか? それはあなたの範疇で決めたことでしょう? 10ヶ条におさまりきれない広範囲の考え方を持っている人にはどう回答すればよいのでしょう。 自分の枠にはめ込もうとしなくてもよいのではないでしょうか。 但し、あなたの10ヶ条目に 「10.宗教の次に来るもの   それは「人の道」、つまり真理の探究であり、思想と哲学の時代です。」 とありますが、あなたが10ヶ条目こそが様々な宗教となるのです。 人間の根底には、あなたがおっしゃるところのこの10ヶ条目があるからこそ、人は真剣に真理探求のためにその検証方法の手段として様々な宗教が生まれるのです。 ですから、あなたの思考ですと堂々巡りを繰り返すだけです。 ですから、あなたが主張される宗教の10ヶ条は全く無意味であり、その主張に賛同する人が一時期現れたとしても、またそこから真理追究のために新たな宗教的宗派が派生します。 真理を追究するために最も大切なことは、人間という低い次元の思考(理屈)で真理を求めるのではなく、まずは、崇高な神の声を受け止められる純粋な心を養うことではないでしょうか。 思想と哲学で真理を求める試みは人間は既に行っています。それは科学という手段です。

g3452sgp
質問者

お礼

>真理を追究するために最も大切なことは、人間という低い次元の思考(理屈)で真理を求めるのではなく、まずは、崇高な神の声を受け止められる純粋な心を養うことではないでしょうか。 真理の探究=宗教ではありません。 真理を探究するのに、神や天国、地獄は必要ありません。 真理の探究は人間が人間の立場で行う以外にないのです。 宗教に何か深い思想や哲学があると考えるのがそもそもの間違いです。 宗教とはセレモニー、つまり儀式にすぎません。 そして一時的なもの、はかないものです。 宗教も人類文明の一時期に起こったトレンドの一つにすぎなかったことがそのうち分かります。  

g3452sgp
質問者

補足

  「宗教の本質 十ヶ条」のホームページ   http://www.geocities.jp/g3452sgp/    

回答No.3

何だか分かりづらい内容だなと思い、質問というか、意見を書かせていただきます。十ヶ条の項目自体に難があるのではないでしょうか?宗教といいながら、西洋的な宗教中心の概念が見受けられます。たった十ヶ条なのに的を得ていないのが残念です。一部のみの回答ですみません。 >3.宗教を構成するもの >  宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。 >  この3概念を備えない宗教は存在しません。 仏教に神はいません。現世利益主義の宗教もあります。 宗教的な話でないかもしれませんが、現実の今が重要な概念でなければ何のための宗教でしょうか??神、天国、地獄が宗教を構成するものならば、生きる上で重要な宗教に神、天国、地獄は不可欠でしょうか? 「宗教の本質 十ヶ条」としてまとめるのに無理があると思います。「キリスト教の本質 十ヶ条」とか「仏教の本質 十ヶ条」ならば書けますが・・・。

g3452sgp
質問者

お礼

>仏教に神はいません。 仏教では神のことを仏と呼びます。これは単なる言葉遊びの世界ですね。 仏教の本質は言わず語らず、つまり真理については何事も語らない、だんまりを決め込むということでしょう。 選挙キャンペーン中の政治家と同じです。 >生きる上で重要な宗教に神、天国、地獄は不可欠でしょうか? そもそも真理を探究するのに宗教など必要ありませんと申しております。 宗教とはセレモニー、つまり儀式にすぎません。 そして一時的なもの、はかないもの、アヘンのようなものです。 >「キリスト教の本質 十ヶ条」とか「仏教の本質 十ヶ条」ならば書けますが・・・。 もし書けるのであれば「キリスト教の本質 十ヶ条」、「仏教の本質 十ヶ条」を書いてみるよい。  

g3452sgp
質問者

補足

   「宗教の本質 十ヶ条」のホームページ   http://www.geocities.jp/g3452sgp/      

  • ma3zu
  • ベストアンサー率27% (285/1036)
回答No.2

な~んか統一感のない十か条ですね。。。 「宗教の本質十か条」っていうからこの十個で宗教の本質を表してる と期待して拝見したのですが。。。 回答者の十か条をもって回答というのもどうなんでしょう 十個限定?増減不可ですか・・・ それぞれに対しての自分なりのジュッカジョウを。。。 (1)宗教の発生   人類といえるものがどの程度の知能を持っていた状態なのか不確定ですが   人間社会を形成する上で発生してきたものと思っています   もとは家族、血族のみの集団である時は宗教は不要で   年長者が統治するものであった   血族以外のものを統治するための共通の考えが必要となり   共通の統治者(神といえるのかな)を置いたことが始まり      >ここですでに質問文の第7条にも相当      血族以外をまとめる為の共通概念を作ったことにより   数は最高でも血族の2倍はあったはず >質問文2条 (2)宗教の数   血族の長の教え自体を宗教とするならばその数があり   教えは伝わることにより改変されることから数とするならば   宗教は人の数と同等といえる (3)宗教の構成   初期(血族間の教え)の頃には神は必要なく   統治者、生、死の3つからなっている(た)と考えられる   言い換えると、自己、有、無の3つである   統治者の教えに従うことで効率的な生が得られ >質問文5、8条   反すれば苦が与えられ最悪、死につながってしまう   この生死に対することで統治者の力は大きく信頼を得ることになり   統治者の上を行くことができればそれが新たな統治者となる   つまりは死後の世界はこの頃には必要ないことであったと考えられる   大きな力を得た統治者は自らを神とし生死を越えた存在として伝えるようになった (4)宗教の宇宙観   生死を司るためには生活を充実させる必要があった、   食料生産の安定と予測である。小さなコミュニティーであれば   年長者の経験からの教えでまかなえたが、大きなものになると   予測というものが必要になってくる 季節の概念、天候予測   それらの中より占星術等が形成された。   宇宙が無限か有限かは必要なことではない   今いるところから未来が予測できれば十分であり   それ以外(月から見た地球や火星からみた月など)は不要   未来が予測できるようならば取り入れるだろうが。。。   (火星移住が可能になった場合向こうでは取り入れられるだろう)>9条 (5)悩み、苦しみからの逃避手段   元が効率のより生き方から発生した故に   生きるための道しるべたるものとなった   さらに未来予測などを行うことで希望の寄り所となった (6)儀式としての宗教   死に際を整えるのは統治者が力を得るためのもの   死に拘るのも自身の教えの正しさの象徴たるものが死であるため   その死というものを多くの人々に認識させ、自らの力の誇示のため   大々的な儀式を行う (7)統治の道具   政治より先に宗教ができていたはず>1条   政治を目指すのではなく政治という宗派を飲み込みたいのだ   より大きな力を得るためには大きな相手を飲み込むに限る   政治が宗教を擁護するのは政治を飲み込ませない為の対策である (8)利益追求   発生のときより求めているのは安定である   それは消費と生産がトントンではなく   生産が消費を若干上回っていることが望ましい   余剰分は統治者が得ることで   人々はトントンで統治者は利益をえる (9)宗教の未来   政治というもの自体が宗教の派生であるため   宗教が無くなるということはなく、薄れていくのは自覚で   根本的なところは支配されているのである。   大衆に気づかれない程度の支配力の政治には   個人の悩みを解決できる力はないため   宗教の自由を謡い、そこはほかの宗教に任せている   故に政治ともども宗教はなくなることは無い (10)宗教の次   哲学も1条において個人の宗教といえるものであり   次ではなく延長上のものである   影響力を示せるのは個人に限られるため   支配や統治とまでは行かないだろう   もし一人の哲学が広まればそれは新たな宗派ができたに過ぎない (4)くらいで力がなくなりましたが 10条そろえてみましたよ

g3452sgp
質問者

お礼

>「宗教の本質十か条」っていうからこの十個で宗教の本質を表してる >と期待して拝見したのですが。。。 宗教の本質といっても宗教が何か深い意味、哲学をもつなどと考えるのは間違いのもとです。 初めから宗教に深いものなど有りはしない、むしろそのように考えるのが宗教の本質をつかむことになるのです。 多くの人はまずここで錯覚し、ここでつまずくのです。 レーニンは言っています、宗教はアヘンであると。レーニンのこの一言の方がより本質をついています。 >(1)宗教の発生 > ・・・・ >  人間社会を形成する上で発生してきたものと思っています ここでは、人類の歴史のいつ頃から発生したのか、どのような場所で発生したのかについて述べるべきでしょう。 つまり宗教は人類の誕生とほぼ同時に、そして地球上のどの場所でも例外なく発生したという事実を述べるべきです。 つまり宗教は人類の誕生と共に自然発生したのです。 >(2)宗教の数 >・・・ > 教えは伝わることにより改変されることから・・・・ > 宗教は人の数と同等といえる どの宗教も常に改変され分化を繰り返す。宗教が無数にあるのはこのためです。 真の哲学や理念を含まないものはこのように不定となる運命にあるのです。 このように宗教が無数に増殖したのは、不定なる宗教の本質から来るのです。 >(3)宗教の構成 >  初期(血族間の教え)の頃には神は必要なく >  統治者、生、死の3つからなっている(た)と考えられる >  言い換えると、自己、有、無の3つである >  統治者の教えに従うことで効率的な生が得られ >質問文5、8条 >  反すれば苦が与えられ最悪、死につながってしまう >  この生死に対することで統治者の力は大きく信頼を得ることになり >  統治者の上を行くことができればそれが新たな統治者となる >  つまりは死後の世界はこの頃には必要ないことであったと考えられる >  大きな力を得た統治者は自らを神とし生死を越えた存在として伝えるようになった 人間は生死をさ迷うほどの苦難の中では宗教などしません。 このような状態にあっては宗教などどうでもよいのです。 宗教が成立するのは人間にある程度のゆとりがあるときであり、このとき人間は自分の死について考えを巡らすうちに神や天国、地獄について考えるようになりここから宗教が生まれるのです。 いかに原始的社会においても統治者を神と見なすことは決してありません。 >(4)宗教の宇宙観 >  司るためには生活を充実させる必要があった、 >  食料生産の安定と予測である。小さなコミュニティーであれば >  年長者の経験からの教えでまかなえたが、大きなものになると >  予測というものが必要になってくる 季節の概念、天候予測 >  それらの中より占星術等が形成された。 >  宇宙が無限か有限かは必要なことではない >  今いるところから未来が予測できれば十分であり >  それ以外(月から見た地球や火星からみた月など)は不要 >  未来が予測できるようならば取り入れるだろうが。。。 >  (火星移住が可能になった場合向こうでは取り入れられるだろう)>9条 神を必要とする宗教にとって宇宙は有限でなければならない理由があるとだけ述べておきます。 これを説明するのはちとシンドイので。  

g3452sgp
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「宗教の本質 十ヶ条」のホームページ   http://www.geocities.jp/g3452sgp/

  • ctaka88
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回答No.1

もし神道を宗教であるというのであれば、神道では天国、地獄をどのようにとらえているか教えてください。 私は神道では天国、地獄を説明していないと思っています。 また、古代エジプトの宗教では天国、地獄をどのように説いているのでしょうか。 私は、天国、地獄といわれるとどうしても、ゾロアスター教由来の二元論、最後の審判に付随するものとしか思えないのです。 そのため、神、天国、地獄を備えた宗教といえば、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、大乗仏教の一部とこれらから派生した宗教だけだろうと思ってしまうのですが。

g3452sgp
質問者

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>神道では天国、地獄をどのようにとらえているか教えてください。 神道における天国、地獄は高天原です。 高天原の中に天国、地獄があり、人は死ねば高天原に行くのです。  

g3452sgp
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   「宗教の本質 十ヶ条」のホームページ   http://www.geocities.jp/g3452sgp/    

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